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函 館 東 高、あ の 時 あ の 頃
函館東高沿革略年表:67年の歩みを写真とともに年表にしてます。
 函館東高67年の歴史を30場面にまとめた。そのひとつひとつを現代に結びつけようと、当時の思い出の証言をできるだけ盛り込もうと試みた。
 1971(昭和46)年発行の「30年史」、1992(平成4)年発行の「50年誌」、青雲時報縮刷版、続・青雲時報縮刷版、生徒会誌「ひんがし」、青雲同窓会各支部の会報等を引用、それぞれの文章に出展を明らかにした。 
 母校名募集は関東青雲同窓会のホームページに掲載したもの。
 氏名・写真などについてお一人お一人に許可を得てから発表すべきだが、未だ実現にしていない。
 掲載にあたって不都合に思われる方は直接管理人までお知らせ下さい。
 あなたの思い出を募集中です。メールをお待ちしてます。                                                       
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■ 私の東高の思い出 50年誌に投稿いただいた方々の東高の思い出を抜粋して掲載。
■ 函館市中の時代 1943年6月27日函館市立中学校の新築落成式が挙行された。その日が東高の開校日である。戦時下、多くの人々の熱い思いが市中を誕生させた。
■ 特別編、歴史の証言
    函館にもいた夜の女たち
1945年8月15日、敗戦。ポツダム宣言の受諾。その2週間もたたない8月27日、大森にRAA(特殊慰安施設協会)最初の施設「小町園」が開設される。敗者の贈物として国によって捧げられ、やがて捨てられた女性たちの物語を綴った。函館市高生インタビューから誕生した歴史の1コマを紹介する。
■ ラクビー部全国制覇の歩み 1947年、函館市中ラクビー部が第2回国民体育大会で、翌年1月の第27回全国中等学校ラクビーフットボール選手権大会でも優勝した。当時の主将が歴史背景とともに綴る記録などを紹介している。ここにも初代校長岡村威儀先生の手記があった。
■ 函館市高の発足 1948年、函館市中は函館市高等学校と名前を変えた。函館市立の時代はわずか2年でしかなかった。その時代の様子をさぐる。
■ 市中教員第1号に辞職勧告 1949年11月、教育会におけるレッド・パジー。本校に影響。追放された井上一先生の教員の足跡を追う。
■ 統合廃校案を阻止した人々 1949年、GHQのニブロ教育課長は、6.3制の完全実施をするため、市内6校の高校を3校に統合する案を出した。その案を阻止すべき立ち上がった人々がいた。その知られざる歴史をここに紹介する。
■ 函館市立高から東高へ 進駐軍の教育政策もあって、揺れ動く時代。東高1期生新聞局部長が当時を記す。
東高伝統の自治活動の萌芽がこの頃から芽生える。
■ 函館東高の誕生 1950年、小学区制の男女共学の東高がスタートした。青雲時報創刊号から当時の様子を紹介。男女共学について当時の学校の「報告書」から紹介している。
■ 第1回青雲同窓会総会 1951年8月12日、青雲同窓会の様子を青雲時報から紹介。同窓会の奨学金他。
■ 牛はもういない 1959年、東高の名物の一つが消えた、13年余の牛飼育の歴史を青雲時報から紹介。
■ 60年安保の時代 1960年、時代の渦の中、東高の教師達はデモ参加を一方的に禁止はしなかった。政治教育として北大教授の講演を行ったり、学生のデモを不測の事態に備えて見守った。
■ 岡村威儀校長の胸像除幕式 1962年10月、初代校長・岡村威儀の胸像の除幕式が行われる。先生の思い出とともに紹介。
■ 函館北高の設立 1963年、生徒の増加により、姉妹校として北高が誕生。その背景が綴られている。
当時の様子を青雲時報から紹介した。
■ 大学区制スタート 1966年、北海道教育委員会は全道の高校学区を小学区制から大学区制に変更することを決定。その時のようすを青雲時報から紹介。
■ 青雲記念館落成 1967年11月、青雲記念館が同窓会とPTAの援助で完成した。その名は今も残る。
■ 理数科誕生 1968年4月、函館東高に理数科が誕生した。当時の議論をここに紹介。
■ ひんがし杜の誕生 1968年ひんがしの杜が誕生した。その後26年後の様子を青雲時報から紹介。
■ 制服自由化、否決される 1973年、3年に亘る制服自由化問題。学校側はあくまでも生徒の議論を尽くさせた。
生徒側が自由化議決を否定したのである。その思い出を紹介。
■ 「ひんがし」の危機 1973年末のオイルショックは、生徒会雑誌「ひんがし」にも影響を与えた。廃刊案に、生徒は値上げしても続行するという対案がだされた。「ひんがし」の内容も紹介している。
■ 青雲時報縮刷版発行 1976年、新聞局発行の青雲時報創刊100号の記念として発行された。その紹介と東高発行最後の青雲時報第169号を紹介。
■ ついに完成、ひんがし会館 1977年10月12日、創立40周年記念事業として、生徒の集会・合宿を目的として“ひんがし会館”(現、市高会館)が完成した。
■ 函館東高校旗、完成 閉校式に函館市教育委員長に返納された校旗は、意外にも1978年1月18日に完成されたものだった。それまで作られたことがなかった。
■ 学校祭打ち上げ脱線事件 1980年9月2日午前0時半頃、青雲祭の打ち上げで酔っ払った本校の男子生徒が警察に補導された事件。39人で3本のウィスキーで醜態をさらす結果となった。
当時の「北海道新聞」、「ひんがし」から紹介。
■ さいなら、旧校舎 1983年、40年の歴史をもつ旧校舎が体育館を除いて解体された。旧校舎の思い出や生徒アンケート内容を生徒会誌「ひんがし」から拾った。
■ 創立50周年記念式典 1990年10月27日開催の式典を写真と共に紹介。
■ 分断された東高校地 1992年9月、校舎前の松見通りの舗装工事が開始。校舎が完全にまふたつに分離される。青雲時報から当時の様子を探った。
■ 青雲座第30回記念公演 東高のもうひとつの名物は先生による青雲座公演だ。1999年1月26日、その公演も30回を数えた。放送局が29回公演を題材にした作品が全道大会テレビ部門で入賞している。その歴史を追ってみた。、
■ 最後の“青雲祭” 2006年7月7日から9月、東高の名物、青雲祭が挙行された。その記録を集めた。
■ 閉校式 2007年3月20日、母校は廃校となった。
その北海道函館東高学校の閉校式を紹介
■ 特別編 母校名募集 2005年11月11日、少子化に伴い母校が廃校となるという一報が入った。
東高と北校合併問題で東高名存続にいちるの望みを託した運動の記録。
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