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 60年安保の時、東高はいかに 
1957(昭和32)年函館市役所前 メーデー(函館古写真愛好会ブログ参照)
函館東高資料集、NHKの取材依頼を受ける・・・2010.6.6ブログ
☆60年安保☆
 1960年(昭和35)年と言えば、60年安保の年で世の中は騒然としていた。6月に入ってからは毎日のように集会・デモがあり、それに参加する生徒が日に日に増えていき、市内高校会議が開かれ、生徒指導部の会議がもたれたりした。
 本校においても、今後生徒をどう指導していくかということで数度にわたって職員会議が持たれ、その討議が延々5時間にわたることもあった。この年の教務日誌6月の記録から関係ある会議・朝会等を抜粋してみると次のようになる。

 2日 「生徒の校外集会参加について」の話し合い
 4日 「時局と生徒の行動について」の生徒指導
13日 「生徒の校外集会参加の指導と学校側の態度」
22日 「市内高校長会議の生徒デモ参加についての話し合い」の報告
23日 「高校生の単独デモ」の取り扱いについて
24日 「ホーム・ルームの安保に関する協議」について
25日 「生徒デモ行動中止」について


 この間、市内の高校生と連絡をとりあい「高校生安保協議会」をつくり、毎日放課後に集まり「安保」に関する研究会・集会等を持っていた。

 生徒側から学校側に「安保に関してのロング・ホーム・ルーム」の要請があったが、授業やホームルーム等の場面で話し合い、そこで政治教育をしていくという会議の決定がなされた。また北海道大学水産学部教授岡夏雄氏を招いて「安保条約について」という講演を行い(6月18日)、「安保」についての正しい理解をするよう努めたのだった。
 一方、生徒の集会・デモ参加に対しては、自主参加に対しては規制をしなかったが、極力その説得にあたり、デモに参加している時には、教員が常に生徒を見守り、生徒に不測の事態が起こらぬよす注意した。

 (この時のデモは非常に整然としたものであったが、高校生がデモに参加するということが父兄や社会で問題となり賛否両論が出ていたり、「安保」反対のデモ行進が日増しに盛り上がり社会人の興奮に巻き込まれるのではないか等問題が多く、ずいぶんと気を使っていた。) 

                                                    50年誌より
☆政治に深い関心をもつ☆
 新聞局アンケート 7割が新安保反対

 本校生徒は安保改定をめぐる現在の政治をどう考えているのだろうか?
 これはいくらかでもつかもうと思い、新聞局では去る6月7日、全校生徒を対象に安保問題をアンケートにしてみました。集計の結果(回収率73%)
1.安保条約については全体の94%が考えている。
2.新安保に賛成する者は8.5%。反対する者は71%を占めている。
3.安保改正運動における高校生のデモ参加には59%が賛成。21.5%が反対している。
4.デモに参加しようとする意志のあるものは54.8%である。
5.現在の議会政治には大多数が不満の色を示している。

“我々の将来のために” 高校生デモ参加賛成者の声
 高校生のデモ参加に賛成と答えた人の大半は、その理由として“将来の不安”という事をあげている。即ち「我々が立ち上がらねば将来は思いやられる」「新安保が通れば将来徴兵制が出来て、必ず兵隊に行かねばならぬ」などで、現行安保にはなかった10年の期限も大事な青年期を生きる我々にとって深刻な問題だ。「デモは参政権の無い高校生の意志を反映するものである」「高校生だからといって、社会情勢に目をつぶっていられない」・・・・・・
 反対の意見としては「未成年で、参政権を持たないうちに行動するのは危険だ」が大多数を占め、「「思想もはっきり決まっていないのに行動するのは・・・・」という意見も少なからずあった。・・・・・・・・

デモ参加に“現実の壁”
 次にデモに参加しようとする意志を妨げるものとしては「昔風の考えを持っている」家族がやはり各学年を通じて多数を占めている。・・・・・・・・
 各学年を通じて約半数がデモに参加しようと思っていることを示しているにも拘わらず、やはり現実の壁が大きく立ちふさがっているのは否認できない。とにかく、“デモ参加はあくまでも一人々々の自由意志から生じなければならないものであるし、又正確な情報判断をしてからでなければならない”という気がみぎっていることは確かな様である。
                                           昭和36年6月20日付「青雲時報」第49号より
☆安保反対、衝撃を受けた☆
 第12回卒業生 上田昌明さん 先輩インタビューより

 東高で起こった印象に残る出来事については「昭和35年の新日米安全保障条約の制定に反対する運動が高校生にも広まり、校内で安保反対のビラが配られたり、駅前周辺での反対デモに東高生も参加したりと、緊張する場面もあった」ことだという。だが、反対デモに参加しいてる高校生を見て、同じ高校生として衝撃を受け、これが政治に関心をもったきっかけとなったという。
                                           平成19年3月1日「青雲時報」第169号より
☆座談会〜安保の時☆
・司会 今年は1970年、非常にむずかしい年であったんですが、本校はわりあいにそういうものに対して激しい動きはないようですけれど、60年安保の年にこの学校の3年生であったのが阿部さんですね。そのときはどんなように。
・阿部 私たちのクラスでは、安保の内容というんですかそういうものをプリントして、授業時間をいただいていろいろ討論をしていました。でもよくわからないでデモで出る人もいただろうと思うんですけれど、クラスに一人すごく引っ張る力の強い人がいまして・・・・。
・吉田 ぼくはちょうど入った年なんです。もちろん安保の内容はよくわからないですが、教室で話し合ったような記憶はあります。
                                          「30年史」より
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☆1960(昭和35)年度、(函館東高)沿革略年表より☆
6.18
北大村岡教授の講演安保保障条約について
6.20

高校生の統一行動についての指導部会。

 この前後、日米安保保障条約阻止運動の盛上がりに刺激された高校生のデモ参加をめぐり、職員室で議論活発。20日発行の青雲時報
(49
)の記事によれば、生徒アンケートの7割が新安保反対を表明。学校側はすでにこの月の初め頃より数度にわたる職員会議を通じて生徒指導の方針を討議、政治教育の一環として前記講演会を催す一方、印刷物の配布・デモ参加等については一方的禁止でなく説得指導を行うことを決議し努力。


→北海道函館東高等学校50年誌から、当時の東高生のデモの写真
☆1960年の時代のエピソード(毎日新聞社刊「60年安保・三池闘争」より)
6.16
全国各地の大学で緊急教授会や抗議集会、国会周辺には、労組など8000人、全学連主流派9000人、全学連反主流派1万人が結集。茅東大総長は国会の流血騒ぎは「学生が悪いが、根本は政治が悪い」と声明。
6/17
朝日、毎日、読売、産経、東京、東京タイムズ、日経の在京新聞社は「暴力を廃止議会主義を守れ」と共同宣言。地方紙も多数同調、しかし、北海道新聞のみは、共同宣言に加わらず、「一切の混乱は、5月19日の与党の暴挙に因している」として、論旨を貫き通した。
エピソード1 騒乱の中礼儀正しい学生達
この少し前、アイゼンハワー米国大統領の日本訪問前の打ち合わせのために来日した大統領新聞秘書ハガチー氏の一行がデモ隊に阻まれ、ヘリコプターで脱出した事件が起こった。

「その時、ハガチーのボディガードが、車の張りにつくんです。私たちから車を守るために。そのボディガードがね、日本の学生は不思議だと、これだけの騒乱行動をやっておいて、オレの靴を踏んだら、スミマセン、アイアムソーリー、って謝ったと。日本の学生は何だと言っていたと。」
エピソード2 自衛隊出動に断固反対
この騒乱の中、自衛隊出動要請に同じ岸派だった赤城宗徳防衛庁長官が、一番反対した。

「自衛隊は外敵を相手にするもので、国民を相手にするものではないので、私はそれはできない。万が一のときに、国民に銃を向ける自衛隊を私は作っていない。」
エピソード3 民衆が学生を支援
「(安保闘争当時)デモで警官に追われて喫茶店に逃げ込むと、学生はかわいそうだと皆、たすけてくれた。あれは理屈じゃない。警察や政府、アメリカに対する反感だった。だから女の子が一人死んだために代々木は負けたんだ。安保闘争も成り行きだけど張った目がよかったんだ。マルクス主義は<生活>がないからダメなんだ。うまくない酒は皆やめちゃうよ」。 (これのみ「唐牛健太郎追随集の中から、右翼の勉強会の講師になった時の唐牛さんの思い出手記からの引用)
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