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ひんがしの杜・信太郎池の謎
1968(昭和43)年誕生
2009.4.26信太郎池と青雲会館
昭和18年頃忠誠園(現ひんがしの杜)    昭和44年完成のひんがしの杜、奥は青雲記念館
旧校舎時代のひんがしの杜 昭和48年卒業アルバムから信太郎池
ひんがしの杜・信太郎池の謎☆・・・・ブログ゜へ
☆いこいの場所に ひんがしの杜・信太郎池☆ ― 昭和44年 「青雲時報」第79号より
 8月の中旬、青雲同窓会の先輩のみなさんの手によって、小公園の第1期工事が完成した。このため、雑草が取除かれ、池も手入れされて、はっきりと北海道の形をえがていいる。工事前とはうって変わった、たいへん美しく感じのよい場所となった。この後一般生徒や先生方から、新しい小公園の名前を募集した結果、公園には「ひんがしの杜」、池には「信太郎池」という名前がそれぞれ決定した。暖かい日々には、この公園で昼食を食べる者あり、散歩としゃれこむものあり、そしてもの思いにふけるものありと、かなり利用者も多い。いまではまだ寒いためか、ひっそりとしているが、この小公園は出来てはやばやと親しみのある場所として、かなりの人気があるように見受けられる。この後第仁期工事が進められるのだが、一層手が加えられ、すばらしくなることに違いない。この工事の内容として、かなりの数の木が植えられ、また芝生が敷かれ、ベンチも設けられる予定である。・・・・・・
 みんなが協力してよりよくしていきたい。3月に卒業する3年生のみなさんも、ともに語り合った、いこいの場所として心に深く残るだろう。
☆信太郎池の謎☆ ― 平成6年
①プロローグ
 この東高の敷地内に池や森が存在し、それぞれ名前も付けられていた事を知っている人はどのくらいいるだろうか。道内で高校が池や森を所有しているのは大変珍しい事だが、その割には実態があまり知られていない。東の小謎シリーズの最後は「東高の池と森」について追ってみる。
 森は青雲記念館の北側に位置しており、校舎内からその全貌は確認できない。池は、その森の中に存在している。唯一、校舎内から池と森の中まで見通す事ができるのは家庭科室。4年前から、この池と森を見続けてきた家庭科の渡辺先生は「この森には四季の移り変わりがあってとても綺麗です。市民の方がジョギングをしに来ていたり、秋には近所のお婆さんが栗を拾いに来たりしています」とおしゃっていた。知る人ぞ知る森と池には、一体どのような歴史があるのか。
②池と森の名の由来
 昭和43年に、それまであった小公園が整備され、池が作られた時に生徒や先生方から、新しい小公園としての名前を募集した結果、公園には「ひんがしの杜」、池には当時の施設充実の推進力となった四代目校長の石黒信太郎氏にちなんで、「信太郎池」と名付けられた。
③池と森のもつ歴史
 ひんがしの杜は戦時中は忠誠園と称し、生徒の憩いの場として利用されていた。ここで昼食を食べる者もあり、散歩としゃれ込む者あり、そして物思いにふける者ありと利用者は多かった。しかし戦後は小公園と呼ばれつつ何の手入れもされていなかった。
 そこに昭和43年、青雲同窓会からの提案で造園計画が発表され、早速2月に入ってから市土木課に造園技師の派遣方を依頼した。当時の公園課長の方が仕事を担当してくれる事になり、克明な設計図と予算書を提示してくれた。
 大体の予算の見通しがついたところで、同年4月から現地の平板測量が行われ、6月には校内でも第一回の緑地委員会が開かれた。そして、ついに7月から工事に着工した。まず、樹木の枝払い、伐木、木の移動。次いで池の浚湈と型作り、排水工事、地盤の削土、盛土敷地とあわせて歩道造りなどが行われた。8月にはだいぶ環境的な整備完了という事で検修が終わった。続いて第二造園計画によって内部環境が整えられた。前庭から、おんこ、つつじ、桜などの移植やフジ棚の作成、ベンチの設置などが行われた。・・・・・当時の生徒が学校の遠足で大沼に行った時にフナ採取してきて池に放していたという話もある。
④どうして現在のようになったのか
 現在の「ひんがしの杜」はうっそうと繁り、日光は木々に遮られ、地面と届かず、森の内部はいつも薄暗い。「信太郎池」はいつも水があるわけでなく、普段は湿地の状態で、降雨のの後のみわずかに水をたたえている。完成当時、はっきりと北海道の形に描いていたというが、面影はない。かつて作られたフジ棚は3本の石柱を残すだけで、木製のベンチはボロボロに砕け散っている。
 この半年くらいの間、池と森を調査してきた生物部によると次のような事が分かった。半年間で池の水深が一番深かった時で25センチ、水温は平均14度前後。池の周辺の地層は上から順に落ち葉、砂、黒土、粘土で構成されている。植物は大変種類が豊富で、中には珍しい種もある。鳥は頻繁に飛来しており、確認されたものにはハクセキレイ、ヒヨドリ、カルガモ、アカゲラなどがある。・・・・・
池と森の今後
 工事までして作られた池はどうして、荒れ果ててしまったのだろうか。造園計画のスタートとほぼ同時期に発足した緑地委員会の委員長を勤められた生物科の上野先生に伺った。「信太郎池がある辺りは昔から湿地のような状態で、少し掘ると水が出ていていた。その水が溜まって池を作っていた、いわば湧き水を利用していたようなものだった。昔はこのあたりには湿原が広がっていたが、徐々に家が建ち始め、下水道の整備などが行われると、地下水が枯れてしまい、水が出てこなくなってしまった。水道から水を引くような事をしていなかったので池の水量を維持できなかった。かつては出てくる水の量が多くて川に流れていたぐらい」と同時の事を懐かしそうに語って下さった。・・・・・
 現在、ひんがしの杜や池の状態を見かねた社会活動部が、以前に張り巡らされた杭やパラ線の残骸を一箇所に集めたり、落ち葉を池の外に運び出したりと、清掃に奮闘している。・・・・・・
 生物部や社会活動部の活動を無駄にする事のないように学校側が復興へ向け動いてくれる事に期待したい。
 今回の緊急企画「東の小謎シリーズ」はどうだっただろうか。校舎や敷地内で不思議に思った事を深く追求したこの企画は、改めて東高の持つ歴史の深さを教えてくれた。
                                          平成6年7月25日 「青雲時報」第139号より
☆東高バードウォチング☆ 平成11年 今ある環境を見直して下さい
 東高は全道で一番緑の多い学校である。 東高の緑を求めてたくさんの鳥達が集まる。 中には住み着いている鳥もいる。今回はそんな鳥達を各速した。 そして、東高に集まる鳥について詳しい先生方に話を聞いた。
 坂下先生によると、東高では冬から今頃(7月)にかけて、シジュウカラが、今はカワラヒワやコムクドリ、ウグイスが見られるという。秋から冬にかけてはシメ、1、2月にはななかまどを好物とするキレンジャク、ヒレンジャクやアトリモズが来るという。また、アカゲラは年中いる。
 他にも五稜郭の堀で暮らしているカワセミやびんがしの杜に住みついているヒヨドリやキジのつがい、トンビが見られる。
 (日本野鳥の会会員の)渡辺誠子先生は「みんなが日々疲れた時、東高にはこんなに自然があることを忘れないで欲しい。身近にこんなに自然があるのを楽しんで欲しい。そして今ある環境を見直して下さい」と東高生に向けて話してくれた。
 平成11年7月27日付「青雲時報」第150号より抜粋
☆信太郎池☆ ― 平成18年☆
 東高には「信太郎池」と呼ばれる池が存在する。名前の由来は、当時東高の四代目校長・石黒信太郎氏にちなんでいる。昔は医務の周辺は湿地で、その湧き水を溜めていたが、下水道の整備により、地下水が涸れ、現在のような姿になっている。
                                          平成18年4月12日「青雲時報」166号より
☆ひんがしの杜、信太郎池の謎 RETURNS☆ 2002(平成14)年7月24日 「青雲時報」第157号より

☆信太郎池 ―平成20年今 ☆
 信太郎池の水はもう枯渇してしまいました。ひんがしの杜は一応、管理棟の裏側にまだ鬱蒼とした状態で残っています。
 平成11年には、ひんがしの杜付近に雉も出没していましたよあせあせここ最近は見かけないそうですが、平成11年にはこの目で見ました。さすがにびっくりしましたよ。見間違えかと思った程です。
 ちなみに、落ち葉と虫の浮かぶプールも、数年前に壊されてしまいました。                         2008年04月22日  Mixiの美里さんより

管理人注:平成11年7月27日付「青雲時報」第150号の『東高バードウオッチング 今ある環境を見直して下さい』によれば、実際に「きじが住みついている」とのこと。写真は同号より引用。同号の渡辺先生の「鳥も一生懸命に生きようとしている」によれば、「東高には多くの鳥が来る。その背景にはたくさんの緑の存在がある。けれども松見通りができ東の排気ガスの影響からからその数は減少した。他にも信太郎池が干上がってからカルガモが姿を現さなくなったという」

 平成20年8月、信太郎池を訪れたら池はすっかり水が涸れていた。
 しかし、平成21年4月26日、再訪したとき、トップの写真のように水をたたえていた。
☆未来のひんがしの杜・信太郎池への提案☆
 キジが舞い降りたとは、驚きですね。
 そんな話を聞いて、こんな事を思い浮かべました。
 我々が納めてきた青雲同窓会の資金が、数千万残っている。 その一部をひんがし杜の整備に使えないものでしょうか。
 かつてのように、函館市の協力を得て、整備計画を立てる。
信太郎池を防水にする。校舎からの雨水をため、信太郎池に集める。これは生徒がボランティアで行う。木立を切り、地上に光りを当てるようにする。 いかがでしょうか。
 函館市も財政難の折、学校の校舎の設備にはお金を使えるかもしれませんが、学校の杜まで使えそうもないからです。
                                          管理人
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