トップ 青春座第30回記念公演へ 東高あの時あの頃 | ||||||||||||||||||||||
1992(平成4)年9月 | ||||||||||||||||||||||
分 断 さ れ た 東 高 校 地! | ||||||||||||||||||||||
野球場と校舎の間を、市道が通り校地を分断。(写真:「続・青雲時報縮刷版」より) | ||||||||||||||||||||||
1992(平成4)年9月、函館東高校地を2つに分ける道路工事が開始された。 校地を2分している学校正面前の松見通り(=写真=)は、元々梅津翁の寄附で購入した土地で、れっきとした校地であった。この道路前には校門があった。(函館東高校地・校舎今昔図 参照) 『「しかし、五稜郭方面に出かける付近の住民や城南地区を通って登校する学生の利害が一致し、路ができた。それがいつの間にかエスカレートし、「校地」が「市道」へと変化した』(平成3年7月25日発行「青雲時報第133号より)という。 「 最後の校門の写真、1960年、卒業式も済んだ3月、クラス仲間たちとその前で記念写真を撮ったのを胸中、かすかに甘いものが漂うのを感じながら、思い出しました。キャンパス分断道路の建設という全国的にも類例を聞かないスキャンダラスな行政のせいで、校門柱移動のやむなきに至ったことには、今でも腹が立ちます」というのは東高10期生の朝倉敏夫さん。そんなメールを今月6日にいただいた。 東高あの時あの頃の思い出として当時のようすを「続・青雲時報縮刷版」から拾ってみた。 2009年6月13日 管理人 *写真は2009年4月26日撮影の松見通。右側に校舎、左側に野球場、研修館、市函会館(元のひんがし会館)がある。 |
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☆ついに割れるぞ 東高校地☆ | ||||||||||||||||||||||
今年9月から、校舎前の道路の舗装工事が始まる。現在行われている電話線の工事も、その一貫である。 この道路が完成すると、歩道3.5m、車道11m、幅18mの道路が少年刑務所まで通じることになる。しかしこの為に野球グランドが3mから4m削られることになるのだそうだ。 <校地の変遷> まず、この工事が行われる土地の歴史について触れてみよう。 昭和4年6月27日、都市計画道路として、内閣の許可を受けた。が、このことはいつのまにか、人々の記憶から薄れ、そしてしばらくの間忘れ去られることになる。 時は流れて昭和16年、学校敷地として102,208uを購入することが、市議会で決定された。 昭和18年、本校が設立された。しかし、この土地の登記した際、敷地内に都市計画道路(計画)が通っていることが判明した。その為、昭和35年12,229uを土木部に所管換えされた。 その後、昭和48年、別な道路設置計画が中止になり、4,452uの土地(今の自転車置場)が本校の敷地となった。 又、昭和49年に210,29uを土木部に所管換えし、現在敷地は73,402uとなっている。 国の都市計画道路として内閣の認可を受けてから63年間。長い空白の時間をおいて、ようやく今年から舗装工事が開始されることになった。 この工事は、水はけが悪いという付近の土地がらを考え、下水道処理も含めて行われ、今年いっぱい、あるいは来年春ごろまで続けられるということだった。 “青雲時報”で過去に何度も上げられた問題も、舗装という一応の解決が得られた。 今後の卒業式では、卒業生が服のすそを気にしなくてもすむような式になるのだろうか。 1992(平成4)年7月20日発行「青雲時報」第135号より |
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☆道路工事 ついに着工 〜3月31日完成予定☆ | ||||||||||||||||||||||
以前から持ち上がっていた、学校前の道路舗装計画。それが昨年9月から実現されている。計画に関しては賛否両論いろいろあるが実際どのような道路になるのだろうか。生物の上野先生にお話を伺ってみた。 まず工事の終了時期だが、3月31日がめどだそう。この通りは「松見通り」と呼ばれ、いわゆる産業道路と電車道路との縦幹線となる予定だ。そのため、交通量は今までの数倍、特に朝の通勤・通学時には混雑することが予想される。本校の場合、この道路をはさんで向い側に研修館があり、移動することもしはしばあるので、安全のためボタン式の信号機設置を申請しているとのことだ。信号機に関しては、自転車置場の入口付近に時差式のものが取り付けられることにもなっている。 ■ 新しい場所に移動した“門”(=左写真=) また今回の工事に際して道路を拡げるため野球場側の木が抜かれたが、うち5本のイチョウだけが植え替えられ、最終的に野球場に1mくいこむこととなった。だが、狭くなった分を拡げる方向で検討はしている、ということだ。そして、学校の門が移動していることに気づいてる人も多いだろう。あの門は昭和25年頃東高へ通じる道路の両端に立てられたのだが、道路自体は学校の敷地ではないため、今回の工事によって移動した。だが、卒業生の思い出もあるので、そのまま自転車置場の入口に移したのだそうだ。 我らが東高といえども、そっくりそのまま昔の姿を残すことも難しいようだ。残念なことではあるが、新しい東高へ向けて、生徒の意識も変えなければならない。学校側も、交通に関しては自動車の速度制限を申請するなどの対策はしてくれているが、何より大切なのは生徒の意識だろう。不幸な事故が友人の間で起るほど悲しいものはない。未然に防ぐためにも充分な注意を払って欲しいものだ。 1993(平成5)年3月1日付「青雲時報」第136号より |
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☆校舎周辺の道路事情の歴史☆ | ||||||||||||||||||||||
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