トップ 校旗完成へ 東高あの時あの頃
1977(昭和52年)10月12日
ついに完成、ひんがし会館
― 函館東高創立40周年記念事業、50人が宿泊できる調理室付施設 ―
なぜか、今、市函会館に?
 函館東高の野球場裏に建設された“ひんがし会館”は、函館東高創立40周年記念事業のひとつとして建てられた建物だ。市立函館高となって、今はなぜか市函会館と名称が変更になっている。
  この建物は「父母と先生の会、同窓会などで40周年記念事業としてのふさわしい企画を検討したところ、生徒の利用度が高く、恒久施設として長く残るものということで決定され、生徒の有意義な集会・合宿を目的としている」(青雲時報第101号)この会館の建設予算は、約5,000万円だった。
 50人が宿泊でき、調理室には「コンロはもちろん、炊飯器、それになんと大型冷蔵庫が完備されている」。「こんな豪華な会館が他に見られるであろうか」(青雲時報第102号)という。
 この会館の使用料は、1泊で一人100円ブラス団体として300円(当時)。
 難題は午後10時の就眠時間(当時)。「確かに、同館は一晩中、不夜城のように明々と灯がともり、大声が飛びかっている」と「不眠症?の「ひんがし会館」利用状況の問題」と題して「青雲時報第103号」が報じた。  
写真は2006年8月管理人撮影。文:2009.6.管理人
『ひんがし会館』
 野球部の(女子)マネージャーだった私は、毎年合宿で部員たちに手料理をふるまった(無理やり食べさせた)思い出が…(*^-^*)
 でも、料理なんてほとんど出来なかった高校生の私。張り切って作ったハンバーグに入れた、みじん切りの玉ねぎは、生のまま皆さんにご提供…冷や汗 シャリシャリいいながら、文句も言わず平らげてくれた部員のみんな、ホントありがとうexclamation ×2&ゴメンネ(^o^;)
 その後、ハンバーグを作るとこのことを思い出します。
 今はびっくりドンキーもビックリな美味しいハンバーグが作れるようになりました(^_-)☆
                                   奈良県在住の「なまたま」さん
ゆぅ♪ハム 
平成9年卒です。
  ひんがし会館は、夏の間の体育の授業で陸上をやっていた時に、雨が降ると急遽バレーボールになり、雨の中、会館に走った覚えがあります。
 昔は吹奏楽部も夏休みに合宿をしていたようですね。
 今は「市函会館(いちはこかいかん)」と名前を変えて、授業に、合宿に使われているそうです。
  ひんがし会館、懐かしいな…。                                                    
                                          函館市在住「ゆぅ♪ハム」さん
 「ひんがし会館」は28回生が高3の時に完成しました。ですから、昭和52(1977)年と思います。クラブ合宿の前にクラス合宿の利用に限られて、それも卒業学年が優先でした。
  会館の題字は書道科の松原先生です。青雲同窓会が費用を出して作ったはずです。
 同窓会が造った建物は青雲記念館に次いで2つめだったと記憶しております。
 「ひんがし会館」が「市函会館」って改称されたのが事実なら残念ですね。いくら学校が統合されて改称されたとしても東=青雲由来のものを改称するのはいかがなものか・・・。
           東京都板橋区在住「おおくまほくと」さん

*写真は現在の市函会館。
☆1977(昭和52)年8月25日発行「青雲時報」第101号より☆

☆1978(昭和53)年2月4日発行「青雲時報」第102号より☆
☆ひんがし会館・・ブログにて思い出を募集中
(CC) 2007-2010 函館東高資料集 Some Rights Reserved 函館東校旗完成へ サイトマップ