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函館北高校の開設とその後の歴史
1963(昭和38)年〜2007(平成19)年3月
 1963(昭和38)年、高校生の増加に伴って函館北高校が開設され、東高の生徒・先生が多数転校を余儀なくされた。
 函館北高はその意味で正に姉妹校であろう。だが、その44年後、今度は高校生の減少になって、両校が併合をさせられることになる。東高にとって分家が本家に帰ってきたということになるかもしれないが、北高にとってその44年の歴史を閉じることは偲びがたきことに違いない。
  函館北高44年の歴史をここに残し、今後の同窓会のあり方を考える一助にしたい。
                                       2008年 管理人
*写真は北高の校章。赤帽子屋の村上氏撮影。
☆入学志願者の増加と高等学校の新設☆・・・・函館市史より、仮校舎の写真やその背景が紹介されている。 
☆函館北高校記念碑除幕式・・・・2008/03/23付「函館新聞」より
函館北高校歌☆・・・・北高校歌を紹介
昭和38(1963)年4.9 函館北高等学校開校式(仮校舎は旧千代田小学校)
☆函館北高校の設立☆
 昭和38年頃から中学校生徒数が増加傾向を示し、関係者の間で高校生急増対策について再三にわたり会議がもたれるようになった。
 因みに本校生徒を眺めると、昭和37年度には1,358名(1、2学年は学級平均52、3名)、最高時は昭和40年度1,584名の多きを数えるのであるが、このような傾向から市立普通高校の施設が強く望まれる状態であった。審議がなされ高校新設が決定されてからもその通学区域に関して市内3普通高校間に於いて協議、そのほか種々の問題検討の後、昭和38年度より北高校が開設されたのである。
 北高の設置に伴い当然本校にもその影響は及び、生徒数は前記の如く昭和40年度をピークに徐々に緩和され、昭和45年度には1,375名となっている。通学区域に関しては、状来の中部高校の通学区域から駒場町がまた本校の通学区域のうち15区域が北高校に移行した。又それに加えて本校職員より、教頭として辻(数学)教諭をはじめとして、上西(国語)、大坂(化学)、三上隆(書道)の4教諭が北高へ転勤されたのである。
 以後、本校と北高校は市立の2つの普通高校、姉妹校として相携えて発展の途につくべき使命を課せられることになったのである。
                                               「50年誌」より
*写真は、函館市史「入学志願者の増加と高等学校の新設」より函館北高の仮校舎。
☆北高設置許可下りる☆
 去る1月18日、道教育は高校受験者の急増対策として函館市立北高校設置を許可、通学区を主に湯ノ川、深堀、両中学校にした。場所は日吉町高台、4月着工で4年後に完成の予定。数多くの優秀なる生徒を送り出している湯の川深堀両中の生徒、いわば両中出身者である東高生徒一部の後輩が、北高に行くという事になる。
 そこで湯ノ川、深堀両中の高校生受験生に、主に北高について意見を聞いてみた。まず“北高入学に当たって不安はありませんか”という質問に、堀川中の生徒は“高校は中学と違い、研究や実験するのに十分満足する設備が必要だと思います。でも北高は新しく出来る学校なので、その点が不安です。そのためか、経済力のある生徒の中には、施設の不十分な高校へ行くより、たとえ私立であっても、伝統のある設備の十分な学校へ行きたいという人も出てくるようです、でも、私達は、先生達と共に立派な北高にして行きたいと思ってます”といっているのに対し、湯ノ川中の生徒は“不安なものはありません。設備の不十分なのは初めは苦しいと思うが仕方がないと思います。設備の不十分には悲観してません。また、生徒の間でも不安らしいものは聞かれてなかった”という答えだった。また“学力低下の心配は”と聞いた所、深堀中の生徒は“少々あると思うが先生方と団結してやって行ったら大丈夫です”と新しい高校への意気込みが十分見うけられた。一方湯ノ川中の生徒は“別にそのような事はないと思う。北高設置が決まったときでもあまり北高について考えなかった。かえって新しい学校の方が、いろいろな点で勉強しやすいと思うが”と落ち着いた口調で答えてくれた。
 ・・・・また、設備の点で市教委に尋ねた所、“設備は他の学校に負けないように、費用をかけて、出来るだけ早く整えたいと思っている”という答えであった。・・・・・・湯ノ川中学校の先生は“北高はいわば東高の弟のようなものだ。これから色々な面で指導してくれたまえ、油断していると、今に東高より立派な学校になるぞ、先輩より後輩の方がしっかりしているからな”などと、ユーモアたっぷりに北高について話してくれた。
 とにかく我々東高生も追い抜かれないように、がんばりましょう。
                                    昭和38年3月11日発行「青雲時報」59号より
☆第16代校長 小島修二先生より (閉校式での式辞の一節)☆

北高よ。44年間、ご苦労様でした。

北高よ。44年間は、短かかったかもしれないけど、立派だった。

北高よ。君は部活動も勉強にもすごい頑張りをいつも見せてくれたね。

北高よ。ラグビーや吹奏楽など部活動の伝統を最後まで守りとおしたね。

北高よ。10398人の卒業生と最後の在校生までが同じ校舎で学べたことは誇りだよ。

北高よ。私達は、赤と白のモダンな校舎の姿をいつまでも目に焼き付けておくよ。

北高よ。君はいつも日吉が丘で私達を温かく迎えてくれたね。

北高よ。4月からは28クラスの生徒を仮校舎で今までどおり温かく迎えてくれよ。

北高よ。君は多くの人の心に刻まれてちゃんと残っているからね。

北高よ。私も、地域の人も卒業生も生徒もみんな君のことが大好きだったよ。

北高よ。本当にお疲れさまでした。ありがとう。

北高よ。ついに君とのお別れだね。

北高よ。本当にありがとう。さようなら。

☆北海道函館北高の変革☆
37. 9.29 市議会で北海道函館北高等学校開設件を可決
38. 1.18 道教委より設立許可(日吉町)
38. 4. 9 開校式兼第1回入学式を挙行、千代台仮校舎使用
39. 3.30 日吉町新校舎に移転
39.6. 4 校歌制定
41. 3.10 第1回卒業式挙行
49. 7.29 プール竣工・プール開き
49.11.11 制服の自由化を実施
50. 4. 1 1学級増(6学級)
50.11.29 校舎増築落成記念式典挙行
57. 3.31 校訓「立志・誠実」制定、教育目標改定
57.10.23 「北高会館」落成
5. 5.14 校舎増築(管理棟)工事完了
7.12 「ひよしの会館」落成
17. 4. 1 2学級減(4学級)
19. 3. 1 第42回卒業式挙行
19.3.20 閉校式挙行
*写真は1964(昭和39年)の函館北高校舎 (「函館のおぢさん2的ブログ」より)
☆「函館北高校の設立と記念除幕式」から今後の函館東高同窓会を考える☆・・・・・クリックしてください。
☆さよなら仮校舎☆ 
 2007年3月、函館東高・北高は廃校となった。同年、両校の生徒は旧東高の改修工事のため、一時、仮校舎として北高校を利用している。平成19年8月17日付市立函館高校生徒会外局新聞「天雲」から拾ってみた。

 引越しを終え、新たなスタートを切る市函。だが、旧北高周辺で私達を見守ってくれていた人々は、旧北高校が無くなることについてどのような感想をもっているだろうか。

●.函館市立日吉幼稚園 山下さん、前原さん
 多くの卒園生が市函に通っている。昔から家庭科の授業交流や演奏楽のコンサートに招かれたりと、園児との交流が盛んだったので、無くなるのは寂しいという。
 これから先も、交流を続けて欲しいと語った。
●.ケーキとパン ポレール 渋谷さん
 学校祭で店の前の道路を山車を担いで楽しそうに歩く姿や、花火が見られなくなると思うと寂しいと話す。
 市函生へのメッセージを聞くと、高校生という貴重な時期を大切に過ごして欲しいと語った。
●函館を思う心を大切に 店員 佐藤さん
 昔、部活が終わった生徒が旧北高周辺の食べ物屋に寄り、その店主が全道や全国に行った部活動の写真を貼って激励するといった交流があった。最近では吹奏楽の演奏に胸を打たれたという。校舎から生徒が居なくなり、元気の源となる若者の姿が見られなくなると思うと寂しいと話す。
 函館を思う心を大切に、市函の名にふさわしい生徒であって欲しいと願っている。
●廊下が通行止に 吉川先生
 高校時代も旧校舎で過ごした吉川先生。校舎は冬になると氷点下になり、雨漏りをして凍るため、通行止めになったことが印象に残っているという。
 母校がなくなり、懐かしい校舎がなくなることは寂しいが、伝統の礎をしっかり気づいていって欲しいと話した。
函館北高記念碑除幕式
 北高校同窓会・丹羽健三会長は「この記念碑により、歴史に残すことができる。いつまでも北高を愛し、伝え続けていきたい」とあいさつした。
 平成20年3月22日、函館市日吉町4の同校跡地に記念碑を建立し、除幕式を行った。同校の卒業生や元教員ら大勢の関係者が出席。北高があったことを記憶にとどめる決意を新たにし、記念碑設置を祝った。 
 尚、写真やコメント掲載に当って快く了承いただいた下記の北高OBの方々にお礼申し上げます。管理人                 
 もう本当に校舎には入れないんだなと実感しました。学校の周りには白いフェンスがずらっと覆っていて・・・自分の記憶でしか母校に足を踏み入れない。そんな気持ちです。記念碑を造ってくれたことに感謝致します。ここにくればいつでも心の中で「北高」に会えます。
                                       北高OB「ジジ」さんより
行きたかった… 残念です涙
30年以上前の入試の日のこともまだ覚えてるのに あの日見た窓からの景色は もう絶対見ることができないんですね…
                                       北高53年卒OB「マリアになりたい」さん
↑写真提供:函館北高OB「たけあき」さん  ↓写真提供:函館北高OB「ジジ」さん
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