トップ 分断された東高校地 東高あの時あの頃 
創 立 50 周 年 記 念 式 典
 「私達は東高50年の歴史の先頭に立っていることを忘れません。そして、今ここに受け取ったものを明日の東高に引き継ぐことを約束します」
 1990年(平成2年)10月27日午前10時から11時半まで函館市民会館代ホールで開催された創立50周年記念式典で、語られた言葉である。
 「太平洋戦争とほぼ時を同じくして誕生した我が東高は、今半世紀を迎えた。これはその古き歴史をたどり新しき輝きの中を進もうとする我々の記録である」
 「音と映像でたどる50周年」より
 函館東高の歴史の一こまとしてここに紹介した。
 「50周年記念式典ビデオ」「50年記念誌」を引用させていただいた。
創立50周年記念式典の思い出は、ブロク゜に公開・非公開でお待ちしてます。
 A、オープニング
  1.プロローグ
  2.校歌合唱
  3.「音と映像でたどる50周年」
 B、セレモニー
  1.開式の辞
  2.学校長の式辞 三沢 誠一郎
  3.記念事業協賛会会長挨拶    田中 仁
  4.来賓祝辞  函館市長        木戸浦 隆一
   函館教育委員会委員長      村瀬 順一郎
   北海道教員会教員長        寺山 敏保
               代理       和田 一明
   北海道高等学校長協会会長   蓮田 諒
               代理      室田 浩志
☆北海道函館東校高等学校校長・三沢誠一郎☆
 ...........
 顧みますと本校は、故梅津福次郎翁の崇高な理念の賜として青雲台の地に誕生しました。
 福次郎翁は函館市に対し中学校建設費として多額の寄付をなされ、それらを基に函館市の熱い期待を担って昭和15年、函館市立中学校として創設されたものであります。
 その後、新学制により昭和23年、函館市立高等学校と改称され、更に昭和25年に、現名称の北海道函館東高等学校として今日に至ったものであります。
 ............
 本校建学の根本精神であり不易の教訓である「青雲の志」は、脈々として今日に受け継がれ、その求めるところは、志を高く持ち現状に甘んずることなく、自己を厳しく練磨し、不撓不屈の闘志と寛容の精神を養うことにありとされております。
 明るくのびのびとした事由闊達な校風は進学校ながら、いわゆる文武両道、新たなる「青雲魂」の発揚を期して、ゆるぎなき伝統を気づき研学の灯を続けております。
☆挨拶 創立50周年記念事業協賛会会長 田中 仁☆東高2回生
 ・・・この50年の歳月は、青春から壮年への人生に例えてみることが出来ます。
 人生には初めから定まった道はなく、進み、迷い、たたずみ、時には道を教えられて山野を超え、歳月を振り返る、そこに一筋の生きた証しの道が連なります。・・・
 青春に富む語らいと、歓喜と郷愁に満ちたあの青雲台の日々、今は亡き恩師や学友たち、そして同窓として共に生きる強い絆、理想は常に人の心のなかにあるとともに、その達成をはばむ障害も、その人の心にあることを覚えるとき、現在多くの卒業生たちが広く国の内外の、あらゆる分野において有益な人材として活躍しているその根底には、建学の精神「青雲の志」が脈々として流れていることを確認出来るのであります。
 人間が人間として輝く自由と、そして生きる厳しさとのなかに「青雲の志」が今後も更に確かめらり、創造されてゆくものと思います。
☆祝辞 函館市長 木戸浦 隆一(元青雲同窓会会長 昭和52年〜昭和58年)
 ............
 本校は子弟に、より高度な教育の機会を与え、将来の函館市を背負って立つ人材を育成しようという函館市民の悲願を受けて建設されたものでありまして、その実現には梅津福次郎氏の篤志をはじめ、多くの市民の方々の情熱と善意が寄せられており、まさしく「市民の学校」と呼ぶにふさわしい出発となったのであります。
 以来、戦中、戦後の世相の変遷はありましたが、一貫して青雲の高き理想を目指し、清新にして創意あふれる教育方針のもと、永久の向上に努められ、今日の隆盛を実現されたのであります。
 ............
 21世紀を目前として、本校が社会の変化に主体的に対応するとともに郷土を愛し、豊かな心をもち、生涯を通して常に意欲的に自らを高めようとなる生徒の育成に努められることは、函館市の未来を更に輝かしいものにするものであります。
追記☆「東」の、経と緯 本校元教諭 佐竹惇司 
 「先生、涙がワクって、本当ですね」。50周年記念式典での「輝くの中へ」(東高校映像小史)を見たある卒業生の言葉である。会場の一人ひとり思いはそれぞれあっても自分の中の「東」を感じ感慨ひとしおのものがあったに違いない。私もその一人であった。
 行燈行列は、「マンネリ打破」「高校生活に青春を」をスローガンにして実現した行事である。当時は今とは比較にならない緩いものではあったが、「高校の予備校化」を問題にし、高校生のあるべき姿を追及する中で全員によって考え出されたものだ。60年安保闘争では東高生も街頭に出た。日米安全保障条約により日本はどうなるのか―再軍備への危険等―を考えての行動である。制服廃止運動は当時の世情を反映したもので、制服を「管理教育」の象徴を見ての廃止要求であり、大多数の要求であったのに生徒総会では一転否決、次年度の総会で決議される。この経過は全国的制服廃止運動の中でも極めて特徴的なものだった。
 私の特に印象に残るこれらの問題は、全国で同時的に起きたという点では一般的ものであったが、その運動の中に「東」を感じさせられる。これらが問題になった時、生徒は真剣に取り組んだ。現実を批判し否定することで自分のあり方を求め、そして問題を自分だけにとどめず、仲間全体の問題として仲間全体で組織的に考えてみようとした。学校=先生はその組織的保障(HR討議から生徒総会へ)をし、同時に位相の違いを持ちながらも生徒を同様に考え、悩み、それは丁度一つのHRだった。生徒も真剣ならそれを受け止める先生も真剣。先生は生徒の「人間」を信じ、生徒はそのような先生を肌で感じとった。そこにあったものは、「生徒と先生との人間をまるごと含めた触れ合い」であり、「人間でありたいとの強い意志の交流」であった。
 これは「東」にかかわったすべての人によって、50年間育てあげられてきたものだ。問題の起きた時は勿論、一見平穏無事に見える毎日の学校生活の中にもこれは底流として流れ続けてきた。「管理」を軸とする先生、生徒関係の上下化、生徒会の存続などの問題が起きても、必ずやそれを乗り越えられるはずだ。
 「東」の50年という時間の「経」によって織りだされた模様に、そこで人の営みの「緯」によって織りだされた模様は、だから他に類のない「深い美しさ」をたたえているのだ。それはまさに「涙の湧く」ものだ。あの卒業生の涙には、自分が、友が、先生が、そして学校全体の風景が映し出されていたのだろう。
                                          1991年3月10日発行「ひんがし27号」より
(CC) 2007-2010 函館東高資料集 Some Rights Reserved 分断された東高校地へ サイトマップ