国書刊行会 ◆四六判変型・上製ジャケット装 26.九人と死で十人だ ※本体価格(税別)表示 ![]() |
21世紀へのランニング・パス 法月綸太郎
この驚きを謙虚に受け止めよう。黄金時代に育まれた無尽蔵の可能性を 「今、ここ」 から投げ返し、ミステリの未来へ向けて送り届けるために──。だからこそ、《世界探偵小説全集》 第V期のラインナップが、21世紀への架け橋になることを、ぼくは何よりも喜ばしく思う。 |
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カーター・ディクスン 1999年12月刊 2400円 [amazon] 第2次大戦中、ドイツ潜水艦の襲撃に脅えながらイギリスへ向かう商船エドワーディック号の船室で、出航以来、いわくありげな雰囲気をふりまいていた乗客の女性が喉を切り裂かれて殺されているのが発見された。現場には血染めの指紋がはっきりと残されていたが、調査の結果、船内の誰のものでもないことが判明する。乗客は全部で9人。乗組員のアリバイは完璧だった。はたして姿を見せない10番目の人物が存在するのか? この雲をつかむような事件に、サー・ヘンリー・メリヴェールが見出した驚くべき真相とは? 不可能犯罪の巨匠カーター・ディクスンが、戦時下のイギリスで発表したスリリングな傑作本格ミステリ。
戦時中の大西洋横断はカー自身の実体験にもとづくもの。そうした緊迫した状況までトリックに取り込んでしまうカーの探偵作家魂には感服。まるで小説のように面白いカーの生涯を描いたダグラス・G・グリーンの評伝 『ジョン・ディクスン・カー〈奇蹟を解く男〉』 (国書刊行会)、デビュー作 『夜歩く』 の原型となった中篇や長篇エッセイを収録した 『グラン・ギニョール』 (翔泳社) もファン必読。 ◆緋色の研究/九人と死で十人だ◆タイトルについて TOP
ロナルド・A・ノックス 2000年7月刊 2400円 [amazon] イングランドとウェールズの境界地方、ラーストベリ邸で開かれたハウスパーティで、車を使った追いかけっこ 〈駈け落ち〉 ゲームが行われた翌朝、邸内に建つサイロで、窒息死した死体が発見された。死んでいたのはゲストの一人で政財界の重要人物。事故死、自殺、政治的暗殺と、様々な可能性が取り沙汰される中で、現場に居合わせた保険会社の探偵ブリードンは、当局の要請で捜査に協力するが、一見単純に見えた事件の裏には、ある人物の驚くべき精緻な計算が働いていた。考え抜かれたプロットと大胆なトリック。手がかり索引を配し、探偵小説的趣向を満載した傑作本格ミステリ。
有名な 『陸橋殺人事件』 は、登場する探偵小説マニアたちのやり取りが絶妙におかしいユーモア・ミステリの傑作だが、所謂 「本格ミステリ」 の愛好者におすすめするなら、まずこの作品だろう。ここにはパズラーに必要なものはすべて揃っている。結末はやっぱりこの作者らしく、皮肉なものなのだけれど。 ◆ロナルド・A・ノックス作品リスト 「週刊文春」傑作ミステリー・ベスト2000 第27位 TOP
グラディス・ミッチェル 牧師館のメイドが父親のわからぬ子供を妊娠し、お払い箱になった頃から、ソルトマーシュ村では奇妙な事件が次々に起き始めた。そして村祭りの夜、牧師が海辺で何者かに襲撃され、大騒ぎをしているうちに、殺人事件の知らせが飛び込んできた。そこで探偵の名乗りをあげたのは、〈お陣屋〉 に滞在中の魔女みたいなお婆さん、ちょっと気味の悪いところのある人だけど、なんでも有名な心理学者で、おそろしく頭が切れる人らしい。彼女は不気味な高笑いを響かせながら、村人たちの秘密を次々にあばいていったが……。魔女の血を引くという変り種の女探偵ミセス・ブラッドリー登場の、英国ファルス・ミステリの逸品。
英国の小村を舞台に活躍する老女探偵といえば、誰だってミス・マープルを思い出すだろうが、ここで登場するミセス・ブラッドリーは、穏やかな性格のライヴァルとは、なにからなにまで対照的なキャラクターである。「小柄で、痩せていて、しわくちゃで、顔は黄ばみ、魔女を思わせる黒い目は眼光が鋭く、猛禽の鉤爪のような黄色い手をしていた」 と外見からして異様なこの老婦人は、いきなり不気味な高笑いを発して周囲をぎょっとさせたり、セックスの話題で牧師夫人を辟易させたり、まったく油断のならない人物である。しかし、読み進むうちに、このお婆さん探偵の不思議な魅力に、誰もが虜になってしまうはず。 善人ばかりが住むイギリスの片田舎、牧師館を中心とした村の平穏を破る殺人。とはいってもクリスティの作品とは大違い。……探偵役ははるかにアクが強く、事件の真相もどこか歪んでいる。ドタバタ劇を描ききった文章力の卓抜さに一票を投じたい。――野崎六助氏評 (日本経済新聞8月18日) ◆知られざる巨匠たち ◆グラディス・ミッチェル作品リスト TOP
エドマンド・クリスピン 2000年5月刊 2400円 【amazon】 オックスフォードで催されるワーグナー歌劇の稽古中、歌手としては一流ながら人間的には最低の男ショートハウスが様々なトラブルを引き起こしていた。そして初日も間近に迫ったある夜、歌劇場の楽屋でショートハウスの首吊り死体が発見される。現場は完全な密室状況にあった。作曲家で奇行で知られる被害者の兄、恋敵の歌手、理不尽な扱いを受けていた新人指揮者など、殺人の動機を持った容疑者には事欠かなかった。友人の求めに応じて事件の解明に乗りだしたオックスフォード大学の名物教授ジャーヴァス・フェンだが、歌劇場の周辺ではその後も怪事件が相次いだ……。英国新本格派の旗手クリスピンが、J・D・カーばりの不可能犯罪に挑んだ円熟期の傑作。
クリスピンのミステリは無条件に楽しい。そして変な人間がいっぱい出てくる。ここでも自分の作曲している作品以外は眼中にない偏屈な音楽家や。毎度おなじみ、フェンに悪ふざけを仕掛けることに生きがいを感じている(としか思えない)不良老年、ウイルクス教授が登場して、笑わせてくれる。 ◆クリスピン作品リスト 「このミステリーがすごい! 2001」第13位
ミルワード・ケネディ 2000年10月刊 2400円 【amazon】 グレイハースト村の名士エイマー氏はある日、他人を寄せつけない謎の隣人モートン氏が、かつて華麗なアクロバットで名を馳せた映画俳優ボウ・ビーヴァーによく似ていることに気がついた。十数年前、人気絶頂のビーヴァーが突然引退した謎に興味をかきたてられたエイマー氏は、金と暇にあかせて探偵のまねごとを思いつき、独自に調査を始める。過去の記録を探るうちに、やがて女性秘書の襲撃事件や、役者修業時代に関わった殺人事件裁判が浮上し、俳優の秘められた過去が明らかにされていくが……。30年代英国ミステリ界を代表する異才が、盟友アントニイ・バークリーに捧げた異色作。
探偵はつねに正義の側にあり、謎を解くことは善であると信じて疑わない 「善良な探偵小説読者」 に、頭から冷水をぶっかけるような作品。バークリー 『第二の銃声』 の有名な序文に対して、ケネディが出した答えがこれだが、この底意地の悪さは、並大抵のものではない。皮肉、というにはあまりにも痛烈なユーモアをご堪能あれ。 ◆知られざる巨匠たち
アントニイ・バークリー 2001年7月刊 2500円 【amazon】 小説家ロナルド・ストラットンの屋敷で開かれた、参加者が有名な殺人者と被害者に扮装する趣向のパーティの席上、ヒステリックな言動で周囲の顰蹙をかっていた女性に、“人間性の観察者” ロジャー・シェリンガムは興味を抱いた。常に自分が注目を集めていないと気がすまない主人役の義妹イーナは、どうやらみんなの嫌われ者らしい。やがて夜を徹したパーティも終わりに近づいた頃、余興として屋上に設えられた絞首台にぶら下がるイーナの死体が発見される。一時的な衝動による自殺なのか、それとも……。本格スピリットあふれるバークリー中期の傑作。
本全集や晶文社ミステリの作品紹介によって、黄金時代ミステリの重要作家としてバークリーに注目が集まるようになった。ただし、『毒入りチョコレート事件』
や 『第二の銃声』 の印象にひきずられて、バークリーを謎解き小説の巨匠とみる考え方には、少々異論がある。彼がくりかえし語っているのは、名探偵の出す解答は絶対ではない、事実には無限の解釈の可能性がある、ということだ。クイーンはそれにぶちあたったとき、名探偵の悲劇として描いたが、バークリーはそれを喜劇としてとらえた。
シリル・ヘアー 2000年3月刊 2400円 【amazon】 マレット警部が旅先のホテルで知り合った老人は、翌朝、睡眠薬の飲み過ぎで死亡していた。検死審問では自殺の評決が下ったが、父親が自殺したとは信じられない老人の子供たちとその婚約者は、アマチュア探偵団を結成、独自に事件の調査に乗り出した。やがて、当日、ホテルには何人かの不審な人物が泊まっていたことが明らかにされていくが……。『英国風の殺人』 で好評を博した本格派シリル・ヘアーの香り高いヴィンテージ・ミステリ。
父親の名誉を回復するために、団結して調査に乗り出す家族たち。心温まる構図だが、ヘアーの作品では、事はそんなに単純ではない。死んだ老人は必ずしも家族から愛されていたわけではなかった。子供たちは、頑なで理解しがたい父親にむしろ反撥をおぼえていた。にもかかわらず、それぞれの事情から、彼らは「自殺」という評決を覆そうとする。法律家としてヘアーは、どんな人間模様を法廷で見てきたのだろう。 ◆シリル・ヘアー作品リスト 「2001本格ミステリ・ベスト」第3位 TOP
C・W・グラフトン 2001年1月刊 2500円 【amazon】 姉夫婦の家で開かれたパーティの夜、青年弁護士ジェス・ロンドンは、事務所の上司でもあった義兄が、卑劣な陰謀家であったことを知り、怒りにかられて彼を殺してしまう。翌朝、姉にかけられた嫌疑を晴らすため、一旦は自白したジェスだが、裁判では一転して罪状を否認、被告自ら弁護に立つという起死回生の奇手に打って出た。四面楚歌の状況のなか、ジェスはもてる限りの法廷戦術を駆使して、無罪を勝ち取ろうとするが、はたして評決の行方は……? 異色の法廷ミステリ。
原題は 「合理的疑いの余地なく」 という意味の裁判用語。文字通り絶体絶命の危地にたった青年弁護士の孤独な闘いをえがいたこの作品は、ダニングがいうように、「読み出したらやめられない」 魅力に満ちている。苦境にへこたれず、つねに軽口を叩くのを忘れない主人公のきびきびした一人称は、アメリカ・ミステリの王道ともいえる。ほろ苦い結末にも味がある。
ヘンリー・ウエイド 2001年5月刊 2400円 【amazon】 ブロドシャー州警察本部長スコール大尉は、20年前の事件の復讐を誓う元服役囚に脅かされていた。そしてある日、署内に一発の銃声が響きわたった。警察署内で本部長が射殺されるという前代未聞の大事件。地元の要請を受けてスコットランド・ヤードからプール警部が派遣されたが、警察内部の複雑な事情もからんで、彼の前には幾つもの困難が立ちはだかる。『推定相続人』 で好評を博したウエイドの、ストレートな本格物を代表する傑作。
過去に紹介がありながら、いまひとつ地味な印象だったヘンリー・ウエイドだが、『推定相続人』 の刊行によって、黄金時代の重要な名前のひとつとして、認識が高まってきたようだ。今回は、いわゆるクロフツ型の警察捜査小説だが、試行錯誤をくりかえして真相に一歩一歩近づいていく展開は、探偵小説の醍醐味そのもの。また、関係者の戦争体験が語られる場面がいくつかあるが、第1次大戦が、いかにこの時代の英国人に大きな衝撃を与えた出来事だったか、ということをあらためて思い知らされる。(キューブリックの傑作 《突撃》 を思い出した。脚本はジム・トンプスン!) 「繰り広げられる推理の試行錯誤は、アクロバティックな派手さこそないものの、実に堅実でツボを押えた面白さを誇っている。本格ミステリのアルチザンとでも呼ぶべきこの作家の全貌を、是非とも明らかにしていってもらいたい」――三橋暁氏 (『本の雑誌』 2001年8月号評) TOP
スタンリー・ハイランド 2000年1月刊 2500円 【amazon】 英国国会議事堂の時計塔、ビッグ・ベンの改修工事中、壁の中からミイラ化した死体が発見された。後頭部を打ち砕かれ、着衣等から100年前のものと推定されたこの死体をめぐって、検屍裁判が開かれたが、事件に興味を感じた若手議員ブライは調査委員会を組織し、謎の解明に乗りだした。やがて少しずつ集まりだしたデータから、19世紀の国会議事堂建設をめぐる秘話と、激しい愛憎の物語が次第に明らかにされていく。個性豊かな国会議員の面々が推理の饗宴を繰り広げる『時の娘』風の歴史推理の前半から、後半にいたって、物語は思わぬ展開を見せはじめる。読み巧者フランシス・アイルズがただ一言、「真の傑作」 と評した、50年代の知られざる名作。
ハイランドなんて名前、聞いたことがないでしょう?(ぼくもそうでした) でも、未訳のミステリの中に
「これほどの作品が残されていたことに驚きを禁じえなかった」
という訳者の小林晋氏の言葉に、読み終えて頷かれる方もまた多いことでしょう。「探偵小説とは、高貴な精神が楽しむ正常な気晴らしである」
という言葉がまさにふさわしい、極上の逸品です。 |