世界探偵小説全集 第3期

国書刊行会

◆四六判変型・上製ジャケット装
◆装丁=坂川栄治+藤田知子
     (坂川事務所)
◆装画=影山徹

26.九人と死で十人だ 
  カーター・ディクスン

27.サイロの死体 
  ロナルド・A・ノックス

28.ソルトマーシュの殺人
  グラディス・ミッチェル

29.白鳥の歌 
  エドマンド・クリスピン

30.救いの死 
  ミルワード・ケネディ 
31.ジャンピング・ジェニイ 
  アントニイ・バークリー

32.自殺じゃない! 
  シリル・ヘアー
33.真実の問題 
  C・W・グラフトン
34.警察官よ汝を守れ 
  ヘンリー・ウエイド
35.国会議事堂の死体 
  スタンリー・ハイランド

第1期第2期第4期

※本体価格(税別)表示


21世紀へのランニング・パス

法月綸太郎


 ここ数年来のクラシック・ミステリのリバイバル現象は、もはや一過性のレトロ・ブームとか、オールドファンの遺恨試合みたいなレベルでは語れない。《世界探偵小説全集》 を筆頭に、続々と紹介される黄金時代からの贈り物は、「クラシックな本格」 というレッテルに対する先入観や思い込みを土台からひっくり返してしまったのだから。ぼくらが鵜呑みにしてきた探偵小説史の教科書的記述は、今や刻一刻と書き換えられつつある。半世紀も前のヴィンテージ作品を読むことが、こんなにもスリリングで、前向きなエネルギーに満ちあふれている時代は未だかつてなかった。これはまさに衝撃というほかない。

 だが、それ以上に驚くべきは、生まれた時代も国籍も異なる作家たちが「本格」に注ぎ込んだ創意工夫と情熱を、世紀末の日本に生きるぼくらが翻訳を通して共有し、ヴィヴィッドな知的興奮に与れるということだ。冷静に考えれば、これはほとんど奇蹟のような意思疎通である。そういう意味で、「本格」 というジャンルには、20世紀という激動の時代の核心に触れる、リアルで普遍的な 「魂」 のようなものが宿っているのではないか?

 この驚きを謙虚に受け止めよう。黄金時代に育まれた無尽蔵の可能性を 「今、ここ」 から投げ返し、ミステリの未来へ向けて送り届けるために──。だからこそ、《世界探偵小説全集》 第V期のラインナップが、21世紀への架け橋になることを、ぼくは何よりも喜ばしく思う。


26.九人と死で十人だ
 Nine--and Death Makes Ten (1941)

カーター・ディクスン
駒月雅子訳 解説=千街晶之

1999年12月刊 2400円 [amazon]

第2次大戦中、ドイツ潜水艦の襲撃に脅えながらイギリスへ向かう商船エドワーディック号の船室で、出航以来、いわくありげな雰囲気をふりまいていた乗客の女性が喉を切り裂かれて殺されているのが発見された。現場には血染めの指紋がはっきりと残されていたが、調査の結果、船内の誰のものでもないことが判明する。乗客は全部で9人。乗組員のアリバイは完璧だった。はたして姿を見せない10番目の人物が存在するのか? この雲をつかむような事件に、サー・ヘンリー・メリヴェールが見出した驚くべき真相とは? 不可能犯罪の巨匠カーター・ディクスンが、戦時下のイギリスで発表したスリリングな傑作本格ミステリ。

カーター・ディクスン (1906-1977)
本名ジョン・ディクスン・カー。アメリカ生まれの探偵作家。1930年 『夜歩く』 (創元推理文庫) でデビュー。以後、2つの名義をもちいて、密室殺人、人間消失、足跡のない殺人など、不可能興味満点の本格ミステリを次々に発表。生涯、謎とロマンを追い求めた偉大なるミステリ作家。『三つの棺』 『火刑法廷』 など、初期の錯綜したプロットとトリックを有する名作はもちろん必読だが、本書をはじめとする中期の作品では、シンプルなプロットが素晴らしい効果をあげている。本全集では他に 『一角獣殺人事件』 (4巻)、カー名義の 『死が二人をわかつまで』 (11巻) を収録。

戦時中の大西洋横断はカー自身の実体験にもとづくもの。そうした緊迫した状況までトリックに取り込んでしまうカーの探偵作家魂には感服。まるで小説のように面白いカーの生涯を描いたダグラス・G・グリーンの評伝 『ジョン・ディクスン・カー〈奇蹟を解く男〉』 (国書刊行会)、デビュー作 『夜歩く』 の原型となった中篇や長篇エッセイを収録した 『グラン・ギニョール』 (翔泳社) もファン必読。

◆緋色の研究/九人と死で十人だ
◆タイトルについて

                    TOP

 27.サイロの死体
 The Body in the Silo (1933)

ロナルド・A・ノックス
澄木柚訳 解説=真田啓介

2000年7月刊 2400円 [amazon]

イングランドとウェールズの境界地方、ラーストベリ邸で開かれたハウスパーティで、車を使った追いかけっこ 〈駈け落ち〉 ゲームが行われた翌朝、邸内に建つサイロで、窒息死した死体が発見された。死んでいたのはゲストの一人で政財界の重要人物。事故死、自殺、政治的暗殺と、様々な可能性が取り沙汰される中で、現場に居合わせた保険会社の探偵ブリードンは、当局の要請で捜査に協力するが、一見単純に見えた事件の裏には、ある人物の驚くべき精緻な計算が働いていた。考え抜かれたプロットと大胆なトリック。手がかり索引を配し、探偵小説的趣向を満載した傑作本格ミステリ。

ロナルド・A・ノックス (1888-1957)
イギリスの作家、聖職者。大僧正にまで昇りつめ、ラテン語聖書の新訳をはじめ、宗教・文学方面に多くの著作を残した。「探偵小説ファンが最後に読むべき作品」として物議をかもした 『陸橋殺人事件』 (創元推理文庫) を第1作に、保険会社の調査員ブリードンが探偵役の 『三つの栓』 (東都書房、絶版)、『まだ死んでいる』 (ハヤカワ・ミステリ) など、6冊の長篇探偵小説を発表。探偵小説が守るべきルールを定めた 「探偵小説十戒」 で有名な人だが、『陸橋殺人事件』 をみれば分かるとおり、ルールは破るためにあると言わんばかりの、一筋縄ではいかない坊さんである。

有名な 『陸橋殺人事件』 は、登場する探偵小説マニアたちのやり取りが絶妙におかしいユーモア・ミステリの傑作だが、所謂 「本格ミステリ」 の愛好者におすすめするなら、まずこの作品だろう。ここにはパズラーに必要なものはすべて揃っている。結末はやっぱりこの作者らしく、皮肉なものなのだけれど。


◆ロナルド・A・ノックス作品リスト


「週刊文春」傑作ミステリー・ベスト2000 第27位


                    TOP

28.ソルトマーシュの殺人
 The Saltmarsh Murders
(1932)

グラディス・ミッチェル 
宮脇孝雄訳 解説=宮脇孝雄

2002年7月刊 2500円  [amazon]

牧師館のメイドが父親のわからぬ子供を妊娠し、お払い箱になった頃から、ソルトマーシュ村では奇妙な事件が次々に起き始めた。そして村祭りの夜、牧師が海辺で何者かに襲撃され、大騒ぎをしているうちに、殺人事件の知らせが飛び込んできた。そこで探偵の名乗りをあげたのは、〈お陣屋〉 に滞在中の魔女みたいなお婆さん、ちょっと気味の悪いところのある人だけど、なんでも有名な心理学者で、おそろしく頭が切れる人らしい。彼女は不気味な高笑いを響かせながら、村人たちの秘密を次々にあばいていったが……。魔女の血を引くという変り種の女探偵ミセス・ブラッドリー登場の、英国ファルス・ミステリの逸品。

グラディス・ミッチェル (1901-1983)
イギリスの作家。70冊以上の長篇本格ミステリを発表、「黄金時代最後の作家」 とも呼ばれたミッチェルだが、その作品はときに過激なユーモアに満ち、マイクル・イネスとともに英国ファルス派を代表する巨匠でもある。これまで邦訳は、比較的おとなしい作風の 『トム・ブラウンの死体』 (ハヤカワ・ミステリ) のみ。その真価は未紹介といっていい。「バカミス」 という呼び名は好きではないが、ミッチェルの 『岸辺でウィンク』、イネスの 『ダフォディル事件』 などは、まさに開いた口がふさがらない笑撃の一冊だ。〈晶文社ミステリ〉でもう1つの代表作『月が昇るとき』 を刊行予定。

英国の小村を舞台に活躍する老女探偵といえば、誰だってミス・マープルを思い出すだろうが、ここで登場するミセス・ブラッドリーは、穏やかな性格のライヴァルとは、なにからなにまで対照的なキャラクターである。「小柄で、痩せていて、しわくちゃで、顔は黄ばみ、魔女を思わせる黒い目は眼光が鋭く、猛禽の鉤爪のような黄色い手をしていた」 と外見からして異様なこの老婦人は、いきなり不気味な高笑いを発して周囲をぎょっとさせたり、セックスの話題で牧師夫人を辟易させたり、まったく油断のならない人物である。しかし、読み進むうちに、このお婆さん探偵の不思議な魅力に、誰もが虜になってしまうはず。

善人ばかりが住むイギリスの片田舎、牧師館を中心とした村の平穏を破る殺人。とはいってもクリスティの作品とは大違い。……探偵役ははるかにアクが強く、事件の真相もどこか歪んでいる。ドタバタ劇を描ききった文章力の卓抜さに一票を投じたい。――野崎六助氏評 (日本経済新聞8月18日)

◆知られざる巨匠たち
◆グラディス・ミッチェル作品リスト
                    TOP

29.白鳥の歌
 Swan Song 
(1947)

エドマンド・クリスピン 
滝口達也訳 解説=渡辺千裕

2000年5月刊 2400円 amazon

オックスフォードで催されるワーグナー歌劇の稽古中、歌手としては一流ながら人間的には最低の男ショートハウスが様々なトラブルを引き起こしていた。そして初日も間近に迫ったある夜、歌劇場の楽屋でショートハウスの首吊り死体が発見される。現場は完全な密室状況にあった。作曲家で奇行で知られる被害者の兄、恋敵の歌手、理不尽な扱いを受けていた新人指揮者など、殺人の動機を持った容疑者には事欠かなかった。友人の求めに応じて事件の解明に乗りだしたオックスフォード大学の名物教授ジャーヴァス・フェンだが、歌劇場の周辺ではその後も怪事件が相次いだ……。英国新本格派の旗手クリスピンが、J・D・カーばりの不可能犯罪に挑んだ円熟期の傑作。

エドマンド・クリスピン (1921-1978)
イギリスの作家、作曲家。フェン教授シリーズの邦訳に 『金蠅』 『消えた玩具屋』 『お楽しみの埋葬』 (以上、早川書房)、『永久の別れのために』 (原書房) がある。かつて “ハイブラウな文学的ミステリ” として不当に敬遠されてきた観のあるクリスピンだが、実は、不可思議な謎と魅力的な名探偵、誰でも楽しめる喜劇性に満ちた、J・D・カー直系、サービス満点のミステリ作家であることが、ようやく日本の読者にも明らかになってきたようだ。毎回、フェン教授が繰り広げるお約束のスラップスティックも楽しい。本全集では 『愛は血を流して横たわる』 『大聖堂は大騒ぎ』を収録。

クリスピンのミステリは無条件に楽しい。そして変な人間がいっぱい出てくる。ここでも自分の作曲している作品以外は眼中にない偏屈な音楽家や。毎度おなじみ、フェンに悪ふざけを仕掛けることに生きがいを感じている(としか思えない)不良老年、ウイルクス教授が登場して、笑わせてくれる。

◆クリスピン作品リスト

「このミステリーがすごい! 2001」第13位
「2001本格ミステリ・ベスト」第6位


                    TOP


30.救いの死
 Death to the Rescue 
(1931)

ミルワード・ケネディ
横山啓明訳 解説=真田啓介

2000年10月刊 2400円amazon

グレイハースト村の名士エイマー氏はある日、他人を寄せつけない謎の隣人モートン氏が、かつて華麗なアクロバットで名を馳せた映画俳優ボウ・ビーヴァーによく似ていることに気がついた。十数年前、人気絶頂のビーヴァーが突然引退した謎に興味をかきたてられたエイマー氏は、金と暇にあかせて探偵のまねごとを思いつき、独自に調査を始める。過去の記録を探るうちに、やがて女性秘書の襲撃事件や、役者修業時代に関わった殺人事件裁判が浮上し、俳優の秘められた過去が明らかにされていくが……。30年代英国ミステリ界を代表する異才が、盟友アントニイ・バークリーに捧げた異色作。

ミルワード・ケネディ (1894-1968)
イギリスの作家、官僚、ジャーナリスト。セイヤーズ、バークリーらと共に、30年代英国ミステリを代表する探偵作家。戦前訳に 『死の濃霧』 があるが、戦後は本書が長篇初紹介。シニカルな人間観察と、ひねったプロットに特色がある。本書に見られるような辛らつさも、英国ミステリならではの魅力。ディテクション・クラブの中心メンバーとして、リレー長篇 『漂う提督』 『警察官に聞け』 (以上、ハヤカワ・ミステリ文庫) にも参加、〈サンデー・タイムズ〉ではミステリ書評を担当した。

探偵はつねに正義の側にあり、謎を解くことは善であると信じて疑わない 「善良な探偵小説読者」 に、頭から冷水をぶっかけるような作品。バークリー 『第二の銃声』 の有名な序文に対して、ケネディが出した答えがこれだが、この底意地の悪さは、並大抵のものではない。皮肉、というにはあまりにも痛烈なユーモアをご堪能あれ。

◆知られざる巨匠たち

                    TOP


31.ジャンピング・ジェニイ
 Jumping Jenny 
(1933)

アントニイ・バークリー
狩野一郎訳 解説=若島正

2001年7月刊 2500円 amazon
文庫化
(創元推理文庫)

小説家ロナルド・ストラットンの屋敷で開かれた、参加者が有名な殺人者と被害者に扮装する趣向のパーティの席上、ヒステリックな言動で周囲の顰蹙をかっていた女性に、“人間性の観察者” ロジャー・シェリンガムは興味を抱いた。常に自分が注目を集めていないと気がすまない主人役の義妹イーナは、どうやらみんなの嫌われ者らしい。やがて夜を徹したパーティも終わりに近づいた頃、余興として屋上に設えられた絞首台にぶら下がるイーナの死体が発見される。一時的な衝動による自殺なのか、それとも……。本格スピリットあふれるバークリー中期の傑作。

アントニイ・バークリー (1893-1971)
イギリスの探偵作家。ユーモア作家として 「パンチ」 誌などで活躍した後、“?”名義で 『レイトン・コートの謎』(国書刊行会)を発表。以後、バークリー名義で 『ウィッチフォード毒殺事件』 『ロジャー・シェリンガムとヴェインの謎』 『絹靴下殺人事件』(以上、晶文社近刊)、 『毒入りチョコレート事件』 『ピカデリーの殺人』 『試行錯誤』 (以上、創元推理文庫)、『第二の銃声地下室の殺人』 (本全集) 他の独創性あふれる探偵小説、フランシス・アイルズ名義で 『殺意』 (創元推理文庫)、『被告の女性に関しては』 (晶文社) 等の事件関係者の心理に重きをおいた作品を発表。黄金時代ミステリの頂点を極めるとともに、以後のミステリの流れにも大きな影響を与えた。

本全集や晶文社ミステリの作品紹介によって、黄金時代ミステリの重要作家としてバークリーに注目が集まるようになった。ただし、『毒入りチョコレート事件』 や 『第二の銃声』 の印象にひきずられて、バークリーを謎解き小説の巨匠とみる考え方には、少々異論がある。彼がくりかえし語っているのは、名探偵の出す解答は絶対ではない、事実には無限の解釈の可能性がある、ということだ。クイーンはそれにぶちあたったとき、名探偵の悲劇として描いたが、バークリーはそれを喜劇としてとらえた。
「黄金期英国で最も頭が良く最も底意地の悪いミステリー作家だったバークリーの面目躍如。周到な構成の中で邪悪なまでの才気と黒い笑いがあふれんばかりの異色作」――千街晶之氏評 (「週刊文春」 2001年8月2日号)



「このミステリーがすごい!2002」 第6位
「週刊文春」傑作ミステリー・ベスト10 第8位
「2002本格ミステリ・ベスト10」 第1位

◆ロジャー・シェリンガム紹介
◆バークリー作品リスト

                    TOP

32.自殺じゃない!
 Suicide Excepted (1939)

シリル・ヘアー
富塚由美訳 解説=佳多山大地

2000年3月刊 2400円 amazon

マレット警部が旅先のホテルで知り合った老人は、翌朝、睡眠薬の飲み過ぎで死亡していた。検死審問では自殺の評決が下ったが、父親が自殺したとは信じられない老人の子供たちとその婚約者は、アマチュア探偵団を結成、独自に事件の調査に乗り出した。やがて、当日、ホテルには何人かの不審な人物が泊まっていたことが明らかにされていくが……。『英国風の殺人』 で好評を博した本格派シリル・ヘアーの香り高いヴィンテージ・ミステリ。

シリル・ヘアー (1900-1958)
イギリスの作家、法律家。判事としての公務の傍ら、9冊のいずれも高水準の長篇探偵小説を発表。法曹界での経験をいかした題材、機知に富んだユーモアと鋭い人間観察に特徴がある。邦訳に、40年代を代表する名作 『法の悲劇』 (ハヤカワ・ミステリ文庫)をはじめ、『英国風の殺人』 (本全集6)、『ただひと突きの……』 『風が吹く時』 (以上、ハヤカワ・ミステリ) がある。

父親の名誉を回復するために、団結して調査に乗り出す家族たち。心温まる構図だが、ヘアーの作品では、事はそんなに単純ではない。死んだ老人は必ずしも家族から愛されていたわけではなかった。子供たちは、頑なで理解しがたい父親にむしろ反撥をおぼえていた。にもかかわらず、それぞれの事情から、彼らは「自殺」という評決を覆そうとする。法律家としてヘアーは、どんな人間模様を法廷で見てきたのだろう。

◆シリル・ヘアー作品リスト

「2001本格ミステリ・ベスト」第3位

                    TOP

33.真実の問題
 Beyond a Reasonable Doubt
(1950)

C・W・グラフトン
高田朔訳 解説=小林晋

2001年1月刊 2500円 【amazon

姉夫婦の家で開かれたパーティの夜、青年弁護士ジェス・ロンドンは、事務所の上司でもあった義兄が、卑劣な陰謀家であったことを知り、怒りにかられて彼を殺してしまう。翌朝、姉にかけられた嫌疑を晴らすため、一旦は自白したジェスだが、裁判では一転して罪状を否認、被告自ら弁護に立つという起死回生の奇手に打って出た。四面楚歌の状況のなか、ジェスはもてる限りの法廷戦術を駆使して、無罪を勝ち取ろうとするが、はたして評決の行方は……? 異色の法廷ミステリ。

C・W・グラフトン(1909-1982)
アメリカの作家、弁護士。弁護士としての法律の知識と経験を生かしてミステリを3冊執筆。寡作ながら、高い評価を得る。ベストセラー作家スー・グラフトンの父親でもある。
(スー・) グラフトンの作品は、明朗で読みやすく、なかなか楽しめるが、あまり覇気が感じられない。彼女の父親、C・W・グラフトンは、読み出したらやめられない巧妙な作品を1冊書いている。その長編 『合理的な疑いを超えて』 【本書】 は記念碑的な名作だが、今のところ、人に買ってもらうには娘の人気をあてにするしかない。
――ジョン・ダニング 『死の蔵書』 (ハヤカワ・ミステリ文庫、宮脇孝雄訳) より

原題は 「合理的疑いの余地なく」 という意味の裁判用語。文字通り絶体絶命の危地にたった青年弁護士の孤独な闘いをえがいたこの作品は、ダニングがいうように、「読み出したらやめられない」 魅力に満ちている。苦境にへこたれず、つねに軽口を叩くのを忘れない主人公のきびきびした一人称は、アメリカ・ミステリの王道ともいえる。ほろ苦い結末にも味がある。

                      TOP


34.警察官よ汝を守れ
 Constable Guard Thyself! (1934)

ヘンリー・ウエイド
鈴木絵美訳 解説=貫井徳郎

2001年5月刊 2400円 amazon

ブロドシャー州警察本部長スコール大尉は、20年前の事件の復讐を誓う元服役囚に脅かされていた。そしてある日、署内に一発の銃声が響きわたった。警察署内で本部長が射殺されるという前代未聞の大事件。地元の要請を受けてスコットランド・ヤードからプール警部が派遣されたが、警察内部の複雑な事情もからんで、彼の前には幾つもの困難が立ちはだかる。『推定相続人』 で好評を博したウエイドの、ストレートな本格物を代表する傑作。

ヘンリー・ウエイド (1887-1969)
イギリスの作家、准男爵。サリー州の名家に生まれ、行政・司法の重職を歴任。20冊の長篇ミステリは、黄金時代探偵小説の風格に満ち、リアルな警察捜査の描写と倒叙形式の導入、高度な社会性によって高く評価されている。他の邦訳に 『死への落下』 (現代教養文庫)、『リトモア少年誘拐事件』 (創元推理文庫) があり、本全集では他に半倒叙形式の 『推定相続人』 『塩沢地の霧』 を収録している。現代本格ミステリの傾向を先取りしていた点でも重要な作家である。

過去に紹介がありながら、いまひとつ地味な印象だったヘンリー・ウエイドだが、『推定相続人』 の刊行によって、黄金時代の重要な名前のひとつとして、認識が高まってきたようだ。今回は、いわゆるクロフツ型の警察捜査小説だが、試行錯誤をくりかえして真相に一歩一歩近づいていく展開は、探偵小説の醍醐味そのもの。また、関係者の戦争体験が語られる場面がいくつかあるが、第1次大戦が、いかにこの時代の英国人に大きな衝撃を与えた出来事だったか、ということをあらためて思い知らされる。(キューブリックの傑作 《突撃》 を思い出した。脚本はジム・トンプスン!)

「繰り広げられる推理の試行錯誤は、アクロバティックな派手さこそないものの、実に堅実でツボを押えた面白さを誇っている。本格ミステリのアルチザンとでも呼ぶべきこの作家の全貌を、是非とも明らかにしていってもらいたい」――三橋暁氏 (『本の雑誌』 2001年8月号評)

                    TOP

35.国会議事堂の死体
 Who Goes Hang? (1958)

スタンリー・ハイランド
小林晋訳 解説=小林晋

2000年1月刊 2500円 【amazon

英国国会議事堂の時計塔、ビッグ・ベンの改修工事中、壁の中からミイラ化した死体が発見された。後頭部を打ち砕かれ、着衣等から100年前のものと推定されたこの死体をめぐって、検屍裁判が開かれたが、事件に興味を感じた若手議員ブライは調査委員会を組織し、謎の解明に乗りだした。やがて少しずつ集まりだしたデータから、19世紀の国会議事堂建設をめぐる秘話と、激しい愛憎の物語が次第に明らかにされていく。個性豊かな国会議員の面々が推理の饗宴を繰り広げる『時の娘』風の歴史推理の前半から、後半にいたって、物語は思わぬ展開を見せはじめる。読み巧者フランシス・アイルズがただ一言、「真の傑作」 と評した、50年代の知られざる名作。

スタンリー・ハイランド (1924-  )
イギリス、ヨークシャー州に生まれる。英国議会下院の調査課司書として勤めた後、BBCのプロデューサーに転身。司書時代の経験をいかして書き上げたミステリ第1作 『国会議事堂の死体』 (58) は、知的で独創的な傑作として好評を博した。他に本格物のGreen Grows the Tresses-O (65) と、エスピオナージュTop Bloody Secret (69) がある。

ハイランドなんて名前、聞いたことがないでしょう?(ぼくもそうでした) でも、未訳のミステリの中に 「これほどの作品が残されていたことに驚きを禁じえなかった」 という訳者の小林晋氏の言葉に、読み終えて頷かれる方もまた多いことでしょう。「探偵小説とは、高貴な精神が楽しむ正常な気晴らしである」 という言葉がまさにふさわしい、極上の逸品です。

「その大胆不敵な構成と、周到な伏線には舌を巻くほかない」――法月綸太郎氏 (e-NOVELS/週刊書評)

「2001本格ミステリ・ベスト」第8位

◆タイトルについて  
◆られざる巨匠たち
                    TOP