『九人と死で十人だ』 第2次世界大戦下の本格ミステリ
『九人と死で十人だ』 Nine―and Death Makes Tenは、第2次世界大戦が勃発した翌年の1940年に、カーター・ディクスン名義で刊行された、ジョン・ディクスン・カー33歳のときの作品です。本書で描かれた潜水艦警戒水域を航行する船上での殺人事件を、カーのイギリスでの出版社であるハイネマン社は恰好の宣伝材料と考え、印刷を急ぎ、アメリカ版に2ヶ月先んじて8月に刊行しています (その結果、アメリカでは先に出版されていた 『かくして殺人へ』 のイギリス版の刊行は、来年に繰り延べされることになりました)。イギリス版のタイトルは Murder in the Submarine Zone (潜水艦水域の殺人) とされました。 この作品は、戦時下の緊迫した状況を背景にしていることもあって、カーの作品中もっともシリアスなもののひとつです。いつもは痛快な放言、喜劇映画的などたばた騒ぎを披露してくれる不良老年、H・Mことサー・ヘンリー・メリヴェールも、船の理髪師とのユーモラスなかけあいを除くと、いつになく真面目な顔を保っています。大西洋航海の船上の殺人というと、真っ先に思い出されるカー名義の 『盲目の理髪師』 (34)の、全篇酒びたりのどんちゃん騒ぎが支配するファースとは好対照です。 カーの詳細な評伝 『ジョン・ディクスン・カー 〈奇跡を解く男〉』 を著したダグラス・G・グリーンは、本書について「1940年代初期のカーの最上作のひとつで、いかなる時期のもっとも魅力的なH・M物にも匹敵する。不可能状況とその解明は秀逸だ」と評しています。40年代のカー作品の特徴として、シンプルな謎の設定、トリックとプロットの巧みな融合があげられますが、この作品ではもうひとつ、戦時下の特殊な状況という時代背景も大きな要素となっています。ここには、大戦勃発直後に大西洋を渡ったカー自身の体験も投影されています。まずこの前後の事情を、グリーンの評伝をもとに振り返ってみましょう*1。 ジョン・ディクスン・カー、海を渡る 9月1日、ヒトラーがポーランドに侵攻、まもなく英仏両国はドイツに宣戦布告します。故郷ペンシルヴェニア州ユニオンタウンに到着したばかりのカーは、即座にイギリスにとって返すことを決め、9月8日頃にはジョージック号でニューヨークを発ちました。この船旅のことをカーは、「潜水艦を次々にひょいひょいとよけていく、楽しい10日間だった」 と語っています。短い前書きにあるように、この航海での体験が本書の背景のもとになっているのはいうまでもありません。 大戦中のカーは、困難な時代を迎え、諸事情の悪化にもかかわらず、多くの長篇ミステリを発表しています。1940年から44年の刊行作品を年代順にあげていくと、 1940年 『かくして殺人へ』 と驚異的なハイペースです。(赤字はカーター・ディクスン名義) カーの創作活動は小説の執筆以外にも広がっています。イギリスBBCの 〈恐怖との契約〉、アメリカCBSの 〈サスペンス〉 のラジオ・ドラマ・シリーズのために、オリジナル・脚色物あわせて数多くの脚本を書き下ろし、BBCでは戦意昂揚や国民に警戒を呼びかけるためのプロパガンダ・ドラマも執筆、その一方で英国放送界の重鎮ヴァル・ギールグッドと合作で2本の戯曲を完成させ、上演にこぎつけています。その間、家やクラブで数度にわたる爆撃をうけ、各地を転々とすることを余儀なくされ、42年には徴兵登録のためアメリカに帰国、翌年BBCの要請により単身イギリスに舞い戻るという、公私ともに慌ただしい生活を送っています。過度の飲酒癖や単身時代の愛人問題などのトラブルもかかえてはいましたが、創作活動の面ではきわめて実り多い期間だったということができそうです。 本書 『九人と死で十人だ』 は、先にふれたように戦争の影が最も色濃い作品であるとともに、40年代におけるカーの作風の変化がひじょうに良く出ている作品でもあります。 『九人と死で十人だ』──巧みな謎の演出 船長の指示によって、その夜のうちに乗客乗員の指紋が採取され、照合が行なわれますが、その結果判明したのは、発見された指紋が船内の誰のものとも一致しないことでした。化学分析からこの指紋がゴム印などによる偽造ではなく、人間の手によって捺されたものであることは間違いありません。やはり船内のどこかに正体不明の人物がひそんでいるのでしょうか。 こうして 〈9人〉 の乗客のひとりに 〈死〉 が訪れたことによって、存在しないはずの指紋の持ち主を加えて 〈10人〉 となる、ありうべからざる方程式が成立してしまいます。この不可思議な状況に、船に乗り合わせた 「不可能犯罪の専門家」 サー・ヘンリー・メリヴェールが引っぱり出されることになります。 誰のものでもない指紋のトリックは、それ自体シンプルで効果的なものですが、作中でも触れられているようにカー・オリジナルのものではありません。しかし、カーはこのトリックを中心に、もう一つのトリックと組み合わせることによって巧みに事件を構成しています。松田道弘氏が名エッセイ 「新カー問答」 で指摘したとおり、従来トリック・メイカーと思われてきたカーは、実際にはむしろ「トリックの発明家というより、そのプレゼンテーションの非常にたくみな作家」 でした*2。『三つの棺』 や 『火刑法廷』 など、技巧の限界に挑戦したような複雑なトリックとプロットを有する、30年代のケレン味たっぷりのマニエリズム的探偵小説から、40年代にはいると、そのプロットはぐっと単純化され、トリックが無理なくそのなかに組み込まれるようになっています。謎の演出という面では、この時期、カーのテクニックは洗練され、長足の進歩をとげているように思われます。そこには39年から始まったラジオ・ドラマ執筆の経験が、大きな影響をあたえていたことは間違いありません。ひとつのアイディアを中心にプロットを整理し、サスペンスや意外性において最大の効果をあげる演出法をカーが身につけていたことは、邦訳されたラジオ・ドラマ集 『ヴァンパイアの塔』 (創元推理文庫) をみれば明らかです。 綿密にたてられた犯人の計画が思わぬアクシデントのため頓挫し、意図せぬ不可能状況が生まれてしまうというアイディアも秀逸です。本格ミステリ批判論者が 「密室のための密室」 の不自然さを弾劾する場合、しばしばその槍玉にあげられてきたカーですが、すくなくともこの作品の不可能状況は十二分な必然性に裏打ちされています。また、灯火管制、救命ボート訓練、船内の警戒体制など、戦時下ならではの要素が、サスペンスを高める役割をはたしていると同時に、プロットと有機的に結びついている点も見のがせません。 本書は、『連続殺人事件』 『皇帝のかぎ煙草入れ』 『死が二人をわかつまで』 『爬虫類館の殺人』 などと並んで、40年代を代表する佳作であり、この時期のカー・ミステリの特徴がよくあらわれた作品です。残された未訳作品や入手困難になっていた作品の新訳改訳が進み、ジョン・ディクスン・カーへの新たな関心が高まっている現在、カーの全体像を考え直す意味でもぜひお読みいただきたい作品だと思います。
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