ロジャー・シェリンガム紹介 アントニイ・バークリー
1914年から18年まで最前線の連隊に従軍し、二度負傷した。それほど重傷ではなく、戦功十字章に二度、殊勲章に一度推薦されたが、受勲はのがした。彼は内心、このことを大いに悔しく思っていた。 戦争が終わると、何を一生の仕事にしていくべきかを見つけるのに2、3年を費やした。学校教師をしたり、ビジネスに手を染めたり、養鶏場まで手がけたりしたあと、彼はふと思い立ってペンとインクと紙を買い求め、すさまじい勢いで1冊の小説を書き上げた。自分でもびっくりしたことに、その小説はイギリスとアメリカの両国でいきなりベストセラー・リストに躍り出た。ロジャーは天職を見つけたのである。彼はペンをタイプライターに換え、秘書を雇うと、仕事に取りかかった。彼はつねに自分の作品を純粋にビジネスとして扱うよう心がけていた。個人的には、自分の小説に対して、きわめて低い評価しかしていなかった。そこには、新しい仕事によって彼が接するようになった人々と同じような人間に、いつか自分もなってしまうのではないかという不安もあった。その連中は自分の作品を大まじめに考え、話すのはそのことばかり、おのれの天才にくらべればウェルズやキプリング、シンクレア・ルイスなどは単なるアマチュア作家にすぎないと考えるような手合いだった。こうした理由から、彼は自分の趣味を第一に考えるよう心がけていた。とりわけ熱中していた趣味は犯罪学である。それは彼の劇的なものを好む感覚だけではなく、人間の性格に対する感受性にも訴えるものであった。 父親譲りで、あらゆる種類のパズルの愛好家ではあったが、自分が探偵の才能を有していると思ったことは一度もなかった。それで、1924年に彼が訪問したレイトン・コートと呼ばれるカントリーハウスで、ある朝主人が書斎で死んでいるのが発見され、状況は自殺を示しているかに見えたときも、自らすすんで探偵してみようとは思ってもみなかった。彼の詮索好きな性格が頭をもたげてきたのは、いくつかの奇妙な点に気づいたときである。同じことがウィッチフォードという町でも起こった。そこでは町の有力者の夫人であるフランス人女性が夫を毒殺した容疑で逮捕され、大騒ぎになっていた。その夫妻をロジャーはまったく知らなかったが、新聞から得た証拠で彼女の無罪を確信し、なによりもまず自分を満足させるために、それを証明しようと乗り出した。この事件で彼はスコットランド・ヤードに認められ、一般にもいくらか名を知られるようになった。その結果、彼の趣味は発展して、やがて自分が興味をひかれた事件には積極的役割を果たしうる地位を築くことになった。 小説家ロジャーがその職業の悪い見本にはなるまいと決意していたように、探偵ロジャーも、小説によくあるような(彼が探偵を始めたころの小説によくあるような、というべきか。というのはその後、探偵の流行はかなり変わったからだ)、尊大で、人をいらだたせる探偵にはなりたくないと思っていた。彼は自分が、痩せた尖り顔で、唇をぐっと引き結び、鷹のように鋭い目をした探偵を気取ることなどできないのをよく知っていた。また、彼のおしゃべりな性格では、謎めいた存在になどなりようがなかった。結果的に、彼は正反対の極に走り、快活すぎるということになった。 探偵の仕事では、ロジャー・シェリンガムは自分の限界をよく知っている。事実にもとづく論理的推理も不得手ではないが、性格から推理を展開する能力こそ、自分の大いなる強みであることを、彼は承知している。また自分がけっして完全無欠ではないことも十分自覚している。実際問題として、彼が完全に間違っていたことが何度もあった。しかし、それで挫けてしまうようなことはなかった。他の点では、彼は自分に絶対の自信をもっており、そうしたほうが愚鈍な12人の陪審員よりも正しい裁きをなしうると思ったときには、(たとえそれが法に背くことになっても)自身重大な決定を下すことを恐れたことはなかった。彼は多くの人に愛され、多くの人をひどくいらだたせたが、そのどちらにも無頓着だった。あるいは自分に満足しすぎているのかもしれないが、それにも頓着していないようだ。人生における三つの主要な関心事──犯罪学、人間の性格、うまいビールがあれば、それで十分彼は幸せなのだ。
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