タイトルについて



 邦題の付け方はなかなか難しい。

 〈世界探偵小説全集〉 では、できるだけ原題に即したものをつけるようにしている。The Second Shot なら 『第二の銃声』、Sweet Poison なら 『甘い毒』 といった具合だ。素っ気ないからといって、Sweet Poison を 『毒入りチョコレート事件』 (流石にこれはないか) としたり、このままではわかりにくいと、The Face on the Cutting-Room Floor (『編集室の床に落ちた顔』) を 『映画スタジオ殺人事件』 にしたりはしないようにしている。(その点、昔の角川文庫のセンスは大胆というか、ある意味凄い。『ローマ劇場毒殺事件』 『フランス・デパート殺人事件』 『アメリカ・ロデオ射殺事件』 『中国切手殺人事件』 『スペイン岬の裸死事件』 といった調子だ)

 タイトルは、作者が知恵をしぼって、作品にふさわしいものを付けているはずだし、その付け方にも作家の個性がにじみ出ているものなので、こちらの勝手な解釈や 「売らんかな」 の意識で、原題のテイストを改変してしまうのは問題だと思うのだ。だから、そのまま訳しては日本語としてどうしても収まりが悪いもの、何らかの予備知識がないと、日本の読者にはその意味するところが伝わらないもの以外は、原則として直訳調のタイトルを付けることにしている。

  もちろん例外もある。スタンリー・ハイランド 『国会議事堂の死体』 の原題は Who Goes Hang? で、直訳すれば 「誰が絞首刑になるか」 だが、これはもともとイギリスの国会で、議事が終わる時間になると場内に響く “Who goes home?” という叫びをもじったものだ。「誰か帰る者はいないか」 ──というのは、かつて日が暮れると市中が物騒だった時代、議員たちがこう呼びかけて誘いあい、連れだって帰宅した慣習の名残なのだという。このあたりの事情は、日本の読者には説明を付けなければ理解しがたいだろう。これをたとえば 『吊されるのは誰だ』 としたら、かえって誤ったイメージを与えかねない。

 カーター・ディクスン中期の佳作 『九人と死で十人だ』 は、かつて 〈別冊宝石〉 に 『九人と死人で十人だ』 として邦訳があった。訳自体は慶應推理小説研究会の面々が分担して訳したという、けっして読みやすいとは云えない代物なのだが、邦題の調子は 「九人と死人で…」 のほうが 「九人と死で…」 よりもいい。では、なぜ踏襲しなかったのか。

 「九人と死人で十人だ」 では誤訳だからである。原題は Nine―and Death Makes Ten、問題は Dead (死人) ではなく Death (死) という語である。物語を見てみよう。大西洋をイギリスへと向かう船の九人の乗客のうち一人が殺される。現場には血染めの指紋が残されていた。即座に照合検査が行なわれるが、その指紋は乗客の誰の物でもなかった。とすると、いるはずのない十人目の乗客がいるのだろうか。というのが、このミステリのテーマである。つまり、タイトルは、九人のうちの一人に 〈死〉 が訪れることによって、十人となってしまう (一人増えてしまう)、ありうべからざる数式を表しているのである。「死人」 は 「九人」 の中に入っているのだから、「九人と死人で」 というのは間違いである。

  些細な違いに拘泥した揚げ足取りのように思われるかも知れないが、問題としたいのは、作者が折角タイトルにこめた作品のテーマを、「九人と死人で」 とすることによって、ごく当たり前の 「9+1=10」 という等式に変えてしまったことなのである。「九人と死で十人だ」 の邦題がそれを十全に表現していると云うつもりはないが、すくなくとも作者の意図したところは、できるかぎり汲むようにしたいと思う。(余談ながら、初期のポケミスの刊行予定リストに、本書が上がっていたことがある。結局陽の目を見なかったのだが、仮題は 「9+殺人=10」 ときわめて即物的なもの。これも面白い)

 今でも迷っているのがアントニイ・ギルバートの 『薪小屋の秘密』。原題は Something Nasty in the Woodshed、そのまま訳せば 「薪小屋の中のおぞましいもの」 だ。“nasty” は嫌悪を催させるようなものをあらわす形容詞で、通常、いやらしい、汚らわしい、胸の悪くなる、卑劣な、といった訳語が当てられる。性的な含みもあり、淫らな、猥褻な、という場合もある。

 「薪小屋の中のおぞましいもの」 というのは、実はある小説に出典がある慣用句で、薪小屋の中で、若く美しい (別に若くて美しくなくたっていいのだが、話としてはやはりそうでなくてはなるまい) 母親もしくは姉が恋人と情事に耽っているところを、少年が覗き見てしまう。少年の目には、二人が何をしているのかよくわからないのだが、それが途轍もなくnastyなものに映り、強烈な嫌悪と罪悪感をおぼえる、という、まことにフロイト的な一場面をあらわした言葉なのである。

 この小説では、主人公の中年女性が、結婚したばかりの夫は、実は妻を何人も殺している 「青髭」 ではないかと疑い始める。夫がけっして覗いてはいけないと云う薪小屋には、何が隠されているのか、という疑惑を中心にサスペンスが高まっていく。その中には文字通り 「おぞましいもの」 が隠されているわけだが、孤独な中年女性の抱く性的な不安をも暗示して、なかなかに含みの多いタイトルなのだ。

 しかし、『薪小屋の中のおぞましいもの (いやらしいもの)』 では、やはりすわりが悪いし、上のような説明がないとピンとこないだろう。いろいろ迷ったあげく、結局、アメリカ版のタイトル Mystery in the Woodshed に準じて、『薪小屋の秘密』 としたが、日本語で 「薪小屋」 といったときに、どこか牧歌的な響きが出てしまうような気がして、完全に納得はしていない。ここは原題を少し離れてでも、nastyな感覚を盛り込んだ邦題を考えるべきだったかもしれない。