知られざる巨匠たち 6

「世界探偵小説全集」第1期の月報に連載されたコラム。本邦未紹介の作家や、
過去に邦訳があっても不当に忘れ去られていた作家を紹介。その多くは第2期以降に収録された。
(この頁の原稿は、執筆者および国書刊行会の御好意により再録しています。記して感謝いたします)

グリン・ダニエルとスタンリー・ハイランド
寡作のアマチュア作家

小林 晋

 今回ご紹介する作家は、このコラムのシリーズ名を裏切ることになるかもしれない。それというのも、これまでに本コラムで取り上げられた作家がそうであるように、巨匠というと、作品数も相当の数にのぼるものと考えられるからである。ところが、今回の作家はこれまでにそれぞれ長篇を2作、3作出版しただけなのである。おまけにプロの作家でもない。

 まず、グリン・ダニエルだが、本業はケンブリッジ大学の考古学教授で、第1作 The Cambridge Murders を1945年にディルウィン・リース名義で発表した。異国の地で出来の悪い推理小説を読んで、これなら自分の方がもっと巧く書けると思ったことが執筆するきっかけだったという。ケンブリッジ大学のフィッシャー・カレッジで起きた学部長と門衛の二重殺人事件の解決にあたるのが副学寮長のサー・リチャード・チェリントンである。この作品は論理展開の緻密な点でコリン・デクスターの初期作品を思わせるもので、細部まで練り上げられた傑作と言っても過言ではない。カレッジ内の見取り図がついているのも本格ファンには嬉しい。読後、本当に推理小説らしい推理小説を読んだという満足感で満たされること受け合いである。そのような作品であるので、発表当時の評判も相当であったと思われるが、次の作品が出版されたのは1954年になってからのことであった。

 第2作 Welcome Death は悪意に満ちた匿名の手紙の横行する村を舞台にしているので、セイヤーズの 『学寮祭の夜』 を連想する読者もいるだろう。休暇を村で過ごしにやってきたサー・リチャードが放蕩者の死の捜査に協力する。前作同様にきめ細かい論理性のしっかりした推理が特徴の佳作である。

 ダニエルは題名まで決まっていた第3作を、死の直前に 出版に値しないと判断して、発表を取りやめてしまった。実に潔いことには違いないが、発表された作品の質の高さを知る者にとっては痛恨事である。長篇の他に短篇が2篇残されている (うち1作がチェリントンもの)。

 もう一人のスタンリー・ハイランドは下院の学術図書館司書を経て、BBCのプロデューサーになったという変わった経歴の持ち主である。第1作 Who Goes Hang? 【『国会議事堂の死体』 として 〈全集3期〉で刊行】では工事中のビッグ・ベンから発見されたミイラ化した死体を巡って国会議員たちが侃々諤々の議論を展開する。この作品はプロットそのものが命であって、あまり詳しくストーリイを述べて、読者の将来の楽しみを奪う気にはなれない。国会議事堂という作家の熟知した世界を舞台にしているだけあって、登場人物も生き生きしており、とても余技として書かれた作品とは思えないほどである。発表当時、名だたる批評家から絶賛を浴びているが、その一人フランシス・アイルズは 「真の傑作」 という簡潔な言葉で賞賛している。もう10年も前のことになるが、この作品を発見した時の驚きと喜びは今でも忘れることができない。発表されたのは1958年だが、どうしてこのような傑作が紹介されないのか驚くよりも先に、海外推理小説の紹介を業務としている出版社に対して、不信感さえ抱いたものである。逆に、原書で推理小説を読むという行為に大きな自信を得ることにもなった。

 次の作品 Green Grow the Tresses-O は7年後に発表された。この作品も、全体的な出来栄えは前作には及ばないとはいうものの、この作家独特の凝りに凝った作品に仕上がっている。織物工場で若い女性の死体が発見される。なぜか死体からは頭髪が剃られていた。過去にも同様な事件があったが、警察の必死の捜査にもかかわらず迷宮入りとなっていた。やがて、今回の被害者と交際のあった男たちが容疑者として挙げられる。その中には図書館に勤めながら推理小説を書いているという、まるで著者を思わせる人物もいた。その作家の書いたとされる作品や19世紀の稀覯本が事件にからんでくるという愛書家には嬉しいビブリオ・ミステリである。

 三番日の、そしておそらくは最後になるだろう作品 Top Bloody Secret (1969) には、処女作にも登場した人物が活躍するが、これまでの作品とはかなり異なったスパイ小説である。この作品を読むと、有名なキム・フィルビー事件がイギリス政府や国民に与えたショックがいかに大きかったかが分かる。

 これらの作品はいずれもイギリスのゴランツ社から出版された。ゴランツ社はコリンズ社のクライム・クラブと並ぶイギリスの推理小説出版の一方の雄だが、クライム・クラブと比べると個性的な作品が目につくようである。そういえば、あのキャメロン・マッケイブの怪傑作 The Face on the Cutting-Room Floor (1937) 【『編集室の床に落ちた顔』として〈全集2期〉で刊行】 もゴランツから出版されたのだった。

(1995.5)

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