作家のデビッド・ハルバースタムが亡くなった。享年73歳。自動車事故。大学で講演するため、学生の車に同乗していてのもらい事故だという。今も精力的に活動していたようだ。
私は、ハルバースタムの著作で読んだのは「男たちの大リーグ」だけなのだが、野球にまつわる人間模様を活写したこの作品は強く印象に残った。原題は、「Summer
of ’49」。1949年の、ニューヨーク・ヤンキースとボストン・レッドソックスの歴史的デッドヒートが題材である。第二次世界大戦が終わって4年のこの時期、ジョー・ディマジオやテッド・ウィリアムスら出征していた選手たちが復帰し、大リーグは空前の盛り上がりを見せていた。
その中で争われたペナントレースを、ハルバースタムは選手、監督、その家族やジャーナリストら大勢の人々のエピソードを散りばめて描いていく。私がとりわけ好きなのは、このくだり。
『その春、マット・バッツはしばしばバッティング練習のキャッチャーを務めたが、中でもウィリアムスを打席に迎えるときを一番の楽しみとしていた。前年かろうじて一軍入りしたばかりの自分の目の前に、かの大打者がいて、まるで対等の仲のように話しかけてくるのだ。ウィリアムスはライトへライナーを飛ばしては、よく、「おい、バッツ。今の、見たか」と言った。そこへ次のボールが来る。ウィリアムスがまたスイングし、打球は再びライナーで飛んでいく。「バッツ、一つ秘密を教えてやろう。おれはバッティングがうまい。しかも、ますますうまくなってる。」そこへまたボールが来る。ウィリアムスがスイングすると、これまた外野への大きな当たりとなる。「こたえられないなあ。おれはなんてうまいんだろう」とウィリアムスはつぶやく。ピッチャーが投球の構えにはいる。「バッツ、よく見てろよ」。そう言ってウィリアムスがバットを出すと、打球は今度はレフトへ飛んでいく。「ほら、バッツ。おれは左にも打てるんだぞ。その気になりゃ、いつだって打てる。だがな、おれの値打はライトにある。引っ張りで給料をもらってるのさ」。そんなことを言ったあとで、最後にもう一振りしてライナーを飛ばし、未練たっぷりに、こんな言葉を残してバッター・ボックスを離れる。「ちくしょう、なんて面白いんだ。一日中やってたって飽きないぜ。それで給料までもらえるんだからな」
バッツは、そんなウィリアムスの姿がまぶしくて仕方がなかった。そして、つくづく感じるのだった−ベースボールは本来楽しいものなのだ、と。』
野球を愛し、野球に愛された「最後の四割打者」テッド・ウィリアムスの姿が目の前に浮かんで来るではないか。私たちはこの本のおかげで、60年も前の野球とそれに関わる人々を思い描くことができる。歴史は、ただ時間が積み重なればできるものではない。故事が繰り返し語られることで、初めて歴史になるのである。ハルバースタムは、歴史の語り部の一人だった。冥福を祈る。
そのついでに、一つ思い出したことがある。
かなり前だが、プロ野球生誕70年の記念に、歴史に残る名場面をファン投票で決めるという企画があった。やがて発表された結果を見て、私は唖然とした。そのベストワンというのが、「巨人入り後故障と不振に苦しんだ清原の復活ホームラン」だったからだ。
繰り返すが、「プロ野球70年の名場面」である。「今日のハイライト」ではないし、「今年の珍プレー好プレー」でもないのだ。
うろ覚えだが、「江夏の21球」も「川崎球場10.19」も「天覧試合サヨナラホームラン」も「長島のデビュー戦四連続三振」も「西鉄の日本シリーズ三連敗四連勝」もなかった。インターネット投票という性格のためではあるだろうが、とにかく昭和40年代以前のものは−プロ野球がまさしく国民的娯楽だった時代のものは、何一つなかったように思う。
「若い者は昔のことを知らなくて当然」というのは通らない。私は長島の現役時代は知らず、王の引退にかろうじて間に合ったという世代だが、親父からよく、「長島はファインプレーもするけど、派手なエラーも多くてなあ」という具合に昔話を聞かされた。「歴史を語る」とはなにも、書籍として残すということばかりではなく、こういうことの積み重ねである。
いつからか、プロ野球ファンは歴史を語らなくなったのだろう。だからプロ野球に「歴史」はない。歴史がないからには、たぶん未来もないに違いない。大リーグへの人材流出に裏金問題。一向に進まないドラフト改革。アマチュアとの断絶。経営者の不在。累積する一方の赤字。プロ野球はこのまま、ゆるやかに滅びていくのだろう。私はもう、それも仕方のないことのような気がしている。
ハルバースタム死去の報で、そんなことを考えた。
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