更新履歴と周辺雑記

更新履歴を兼ねて、日記付け。完結していない作品については、ここに書いていきます。

2006年11月30日(木)
死者の長い列

著名な人物が相次いで死ぬ年、というのがある。例えば、昭和天皇、手塚治虫、カラヤンにホメイニ師が死んだ昭和64年から平成元年だ。

今年も、後で振り返れば実に多くの人が死んだ年と呼ばれるようになるに違いない。

宮内国郎 「ウルトラマン」の作曲家。74歳
実相寺昭雄 映画監督。69歳
ロバート・アルトマン 映画監督。81歳
斎藤茂太 精神科医・エッセイスト。90歳
木下順二 劇作家。92歳
仲谷昇 俳優。77歳
石川賢 マンガ家。58歳
フランシス・ジロー 映画監督。61歳
灰谷健次郎 児童文学作家。72歳
フィリップ・ノワレ 俳優。「ニュー・シネマ・パラダイス」の映写技師役。76歳
はらたいら マンガ家。63歳
岡田真澄 俳優。72歳
今村昌平 映画監督。79歳
ジャック・パランス 俳優。87歳
近藤貞雄 元ドラゴンズ監督。80歳
加藤芳郎 マンガ家。80歳
藤田元司 元ジャイアンツ監督。74歳
久世光彦 TV演出家。70歳
岩城宏之 指揮者。70歳
橋本龍太郎 元首相。68歳
宮田往典 元ジャイアンツ投手。「8時半の男」こと元祖リリーフエース。66歳
マコ・イワマツ 日系人俳優。72歳
吉村昭 作家。79歳
鈴置洋孝 声優。56歳
小林久三 推理作家。70歳
丹波哲郎 俳優。84歳
西山登志雄 元東武動物公園園長。77歳

いや、漠然と多いとは思っていたが、これほどとは思わなかった。私が名前を知っている人だけでこの有様。ご冥福を祈ります。
 

2006年11月28日(火)
ジュリアさんのコスプレショー

世間様から3ヶ月くらい遅れているが、やっと「BLOOD+」を観終えたので、「ジュリアさん七変化」をアップ。

本日の教訓。
動機はスケベ心でも、調べてみれば何かしら発見があるもの。

2006年11月27日(月)
灰色熊と戦う男

石丸電気の店頭で、こういうものを発見。



先に言っておくが、これはれっきとしたドキュメンタリーである。
主人公トロイ・ハーツバイスは、灰色熊の研究者であった。ある時、熊に襲われたが辛くも一命を取り留めた彼は、対灰色熊格闘用パワード・スーツの開発を決意する!
灰色熊にぶん殴られても大丈夫なように、その耐久性検証は過酷を極めた。
ハンマーで殴られてみる。
散弾銃で撃たれてみる。
爆走するトラックに撥ねられてみる。
もちろん開発者が装着した状態で、だ。

実はこのパワード・スーツは、イグノーベル賞の受賞作品である(’98年の安全工学賞を参照)。
イグノーベル賞とは、ノーベル賞のパロディで、「人々を笑わせ、そして考えさせてくれる科学的研究」に対して贈られる賞である。
詳しくはこちら

研究している本人は大まじめであるところがポイント。日本人も何回か受賞していて、例えば「バウリンガル」の開発チーム。授賞式の壇上には、社長の息子が犬の着ぐるみを着て上がった。開発チームは、技術的な質問にも答えられるよう万全の準備をして臨んだが、会場を埋め尽くした当代一流の科学者たちの興味はただ一つ、すなわち英語版の発売はいつになるのか、という一点だったそうである。
また、「鳩にピカソとモネの絵を見分けさせる研究」も受賞している。これは「ギャラリーフェイク」に取り上げられたことがあるので、ご存じの方も多かろう。

残念なことに、トロイの崇高な使命感を理解するスポンサーはおらず、私財を投じて開発したパワード・スーツは借金のカタに差し押さえられてしまったという。この映画が大ヒットして、スーツが量産され、熊害に悩む山間部に配備されてツキノワグマと戦う日が来ることを願おう。いや、俺は買ってないけど。

ちなみに、DVDの販売元はボンクラ映画の雄・アルバトロス。「アメリ」で一発当てて自社ビルまでおっ建てたというのに、ちっとも懲りない中坊魂に頭が下がる。

2006年11月26日(日)
「パプリカ」初日

まとめて観たい映画がいろいろあったので、無謀にも「パプリカ」の初日に行ってみる。
10時の回にあわせて、9時にテアトル新宿に着くように行ってみたのだが、舞台挨拶があることを計算に入れていなかったのが敗因であった。既に整理券200番台だったらしいのでただちに諦め、14時30分の回のチケットを買って出直すことにする。
14時30分の回も、舞台挨拶はないのに超満員。「時かけ」といい、テアトル新宿は今年は大当たりだ。

内容については、もう少しまとまってから書くが、現時点の今 敏監督の集大成的内容。最高傑作かと言うと、少し引っかかるものがある。
とりあえず、今回の林原めぐみの1人2役に驚く。芸風の広さは知っていたつもりだが、役によって声域が全然違うんだもの。
これから観に行く方にアドバイス。最初から最後までウルトラハイテンションなので、体調を整えてから行った方がよろしいかと。


今月の一言
「自尊心だけ肥大したデブのオタクは、機械に囲まれてマスターベーションしてなさい!」(ハヤシバラの声で)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・すみません。


以前の日記で、氷川先生のアニメ講座について書いた文章を、本文に転載しました。

2006年11月23日(木)
本日は休暇なり

と言っても、家の流し台の改修に立ち会わなければならないから。
出かけるわけにはいかないし、隣でトンテンカンテンやってるのでアニメ観ることもできない。そういうわけで、一日パソコンに向かう。
久しぶりに野球のデータを見て、
2006年プロ野球選手のマネー・ボール的評価と、
2006年セ・リーグの総括をアップ。

ついでに、過去の日記から「シムーン」について書いた文章を本文にまとめた。

2006年11月21日(火)
細田監督のカメラワーク

アニメ様の「この人に話を聞きたい」を、ぼちぼちと読み続けている。
図書館で借りた本を優先するので、買った本はどうしても後回しになってしまう。
さすがに、含蓄のある言葉でいっぱいなのだが、細田守の回がいろいろと示唆的。

「キャラクターの見ている景色が、カメラのフレームになっているカットは、かなり多いですね。それは撮影しているカメラの目線と、写っているキャラクターの目線で、キャラの位置関係を示そうとしているからでもあるんです。同ポが多いのもそのためです。僕の作品は、隠しカメラと、目線カメラ、このふたつで構成されてると思うんです。」
「僕、カメラを振れないんですよ。要するにさっき言ったみたいに、僕のカメラのポジショニングは、定点カメラだったりとか、誰かの視点であるという事でしかないですよ。だから、カメラを振りたくても振れない。据え置きだから。カメラを振ると、定点観測というコンセプトが崩れちゃうから、カメラを振れないんですよ。だから、画面の中でキャラクターが歩き回ってもいいように、カメラを引いた場所に置くんです。」

してみると、「時かけ」のラスト近くで、走る真琴をずっと横PANでカメラが追うシーンは、監督としてはかなりの冒険だったわけだろうか。付けPANで構図が変化しないから、「カメラを振る」うちには入らないのだろうか。
待てよ、「ワンピース」なんか、カメラ固定のままで撮れるのか?2000年のインタビューだから、その後作風が変化している可能性もあるし。また一つ、楽しみが増えた。

登場人物の視線の話で言えば、先日の氷川先生の講義の中で、「∀ガンダム」は、画面手前と奥の人物の視線が別方向を向いたレイアウトが非常に多い、という話があった。そのことが、フレームに切り取られた画面の外側を感じさせ、世界の広がりを構築していく一助となっているのだ、とのこと。

2006年11月20日(月)
氷川先生のアニメ講座セカンドシーズン開幕

日曜日に、三越のアニメ講座第二期に参加。
今度も3回に別れているが、それぞれプリプロダクション・プロダクション・ポストプロダクションに着目しての講座になるとのこと。今回はその第一回で、主に脚本・絵コンテ・演出の話。本来はその前段階として企画の話があるべきなのだが、今回は割愛。
とりあえずメモから羅列。

・脚本と台本の違い
 混同されがちだが、脚本→絵コンテ→映像、となり、絵コンテから派生したものが(アフレコ)台本。
 脚が地面について本体を支えるから、「脚本」=全ての土台
・良い脚本の条件
 @ 構造が明快
 A 論理的な運び
 B シーンの変化
 C キャラの行動で感情をどう見せるか
 D コンテを触発するト書き(演技)
 E セリフ回し
・実写とアニメの差異
 アニメの方が映像・アクション主体
 制約が多い(例えば背景の美術ボードの枚数制限=舞台が変えられない)
 役者を想定して書かれることが少ない。実写では役者を決め打ちして書かれることがある。
 仮想のキャラに生身を感じさせ、書き割りに過ぎない世界に臨場感を与えるために、実写以上に脚本の「骨格」が重要になる。
・プロットとシノプシスの違い
 プロット:因果関係、動機、感情の筋道
 シノプシス:時系列的あらすじ
・シリーズ構成の役割
 各話脚本より上位のシナリオ
 全体と各話の構成・骨格
 キャラ立て・イベントの設定
 設定の消化、感情線の整理
・ストーリーとドラマの違い
 ストーリー:論理。原因と結果
 ドラマ:感情。葛藤により生じるもの
 (ゲームのように)イベントを羅列してもドラマにはならない!
 某吸血鬼アニメは、ドラマに埋没してしまってストーリーが転がらないのが敗因。
 「イノセンス」の凄さは、ハードボイルドという「ストーリー」と悲恋ものという「ドラマ」が同時進行していること。
・弁証法的進行
 コンフリクト(対立)がドラマを生む。
 主人公(正)と対立するもの(反)のコンフリクトが、ある結果(合)を生み、それが次のストーリーを生む。長期シリーズはこの繰り返しとなるが、限度を超えると少年ジャンプ的展開に。
・ドラマのゴール
 カタルシス(浄化):罪悪感の解消、共感、吐き出す、泣き
 心理・感情の落着点
 辻褄は、合っていた方がいい、という程度でよい。映像作品の真価は辻褄合わせにはない!
・絵コンテの要件
 連続性・リズム・抑揚・・・楽譜にたとえられる
・絵コンテの読み方
 エレメント:モンタージュ効果
 構図・光源・演技・タイミング
 カットつなぎ(事件の展開を予感・期待させるか)
・余談 フィルムを切り貼りして編集していた時代は、フィルムの長さで秒数を予想できた。コンピュータ上でノンリニア編集に慣れると、この体感的な感覚が鈍るのではないか。
・富野監督の絵コンテの見方
 1回目はベタで、2回目は秒数・演技を見ながら、3回目は全体を見てフィルムを想像しながら
・実例 ガンダム第1話 アムロが肉親の死に取り乱すフラウを平手打ちするシーンは、23秒もの長回しになっている。それ以前のシーンは2〜3秒の短いカット割り。アムロがガンダムに乗り込む動機として重要なシーンという位置づけ。
・東映作品のシリーズディレクターは、冒頭の1〜2話を直接担当して世界を構築した後は、各話演出に任せる、という方法を採る。(これは私の感想。東映から若手の演出家が次々に育つのは、この方式に負うところが大きいのかも。)
・つまらない作品を淘汰するのは時間だけ。つまらない作品をけなすより、いい作品がなぜいいのか、理で考えよう。「感情を理に落とす」のが分析というもの。

2006年11月16日(木)
岩村の明日はどっちだ?

東京スワローズの岩村選手の独占交渉権を、タンパベイ・デビルレイズが落札した。
メジャー移籍の夢かなった、と言いたいところだが、一抹の不安を禁じ得ない。

と言うのも、メジャーに詳しい方ならご承知のとおり、デビルレイズと言えば万年最下位の貧乏球団で有名だからだ。ちなみに今シーズンの成績は61勝101敗。首位ヤンキースと36ゲーム差でぶっちぎりの最下位。
数字以上に情けないその実情については、こちらを。
→ http://number.goo.ne.jp/baseball/mlb/column/20050921-east.html

メジャー最高齢のルーキーとして有名になったジム・モリスも、このチームである。年棒が安くてすんだから雇われた、という側面は必ずあるはずだ。

岩村の獲得が、「チーム強化のための思い切った投資」であればよいのだが。

2006年11月15日(水)
赤川次郎

昨日、三毛猫ホームズのことを少し書いたが、赤川次郎という作家はライトノベルの源流にあたる人ではないだろうか。世間に流布するライトノベル解説書の類は読んでいないのだが、そういう文脈で解説したものがあれば、面白いと思う。
私は高校時代、わりと硬派(笑)なSF・ミステリ同好会に所属していたのだが、当然ながら赤川次郎が好きなどと言ったら村八分にされかねない雰囲気であった。
それから20年、赤川はいまだに現役で、精力的などと言う言葉ではとうてい足りない勢いで執筆を続けている。
最近になって、確か諸井薫のエッセイで読んだのだと思うが、実は赤川次郎という作家は、プロの作家にこそ高く評価されているのだという。あれだけ読みやすく、しかも味のある文章はそうそう書けるものではないのだとか。
ラノベ原作アニメが全盛の今、ふと思うと赤川次郎作品のアニメ化って、ほとんど思い当たらない。ずっと昔に、三毛猫ホームズがアニメ化されたことがあったはずだと思って調べてみたら、ありましたありました。

http://www.anime-int.com/works/index.html?prod=2

AICだったんだ。しかも92年?そんなに最近?
「サイレントメビウス2」とか「グリーンレジェンド乱」とか「マクロス2」とか微妙な作品ばかりが並ぶ中で、一際異彩を放っていますな。

古瀬登, 関俊彦, 日高のり子, 江原正士, 土井美加と、異常に豪華な声優陣も物悲しさを誘う。主題歌が平松愛理!

今の時代、赤川作品をアニメ化って、意外とあたるかもよ。

2006年11月14日(火)
最近の読書

「新宿鮫 狼花」を読了。
前2作がどうにも低調だったので心配していたのだが、これは当たり。
新手の盗品マーケットと、激増する外国人犯罪、暴力団の再編、警察と暴力団の癒着、キャリアとノンキャリアの対立構造、といったシリーズおなじみの要素と現代性を巧みに織り込み、主人公・鮫島警部と因縁の深いエリートキャリア・香田、準レギュラーの扱いだった国際犯罪者・仙田のドラマに、一つの決着を与える。
私はこのシリーズでは、面白さでは「毒猿」、完成度では「屍蘭」か「氷舞」を推すが、本作はこれらに次ぐ出来。タイトルの「狼花」が何を指すのか、読後に考えるのも一興。
それにしても、鮫島の恋人・晶の出番は減る一方。作者も持てあましているのがよく分かる。当初の予定通り、「無間人形」で殺しておくべきだったとつくづく思っていることだろう。

「機動警察パトレイバー2 THE MOVIE」の後に、脚本の伊藤和典氏が、「警察ものとしてのパトレイバーはやり尽くした。あともう一本作るとしたら、禁じ手を使う必要がある」という趣旨の発言をしていたと記憶する。その「禁じ手」とは何かは明らかにしていなかったが、察するところ、「公安警察の暗闘」か、「キャリアとノンキャリアの対立」がそれだったようだ。
「新宿鮫」シリーズが、まさにそのテーマを書き続けて日本の警察小説に新境地を開いたことを考えると興味深い。

警察小説と言えば、「ヴィドック回想録」も読み終えた。波瀾万丈の人生から想像するような血湧き肉躍る物語では全然なくて、正直、読み続けるのが苦痛だった。時代の記録として貴重ではあろうが、一般人向けの読み物ではない。何より、フランス語の訛りを、東北弁やら関西弁で訳すのはどうかと思う。

今週から、スカパー!で「天保異聞 妖奇士」「RED GARDEN」を放映開始。やっと時代に追いついた。でも、「BLOOD+」の最終回、まだ観てません。

2006年11月12日(日)
もう一つ密室の話

いつぞや「ブラック・ダリア」を観に行ったら、「SAW3」の予告編をやっていた。この映画がなんで続編ができるほど人気があるのか、よく分からない。

第1作は、2人の男が気がついたら密室に監禁されており、脚には鎖、手元にはノコギリというシチュエーションそのものは魅力的だったが、
面白そうだったのはそこまで。バタバタした編集とセンスのない音楽にげんなりさせられたが、何よりいけないのは、あっという間にカメラが密室を出て、その他大勢のストーリーを語り始めたり、あげくに回想シーンになったりすることだ。密室映画なら密室の中だけで勝負しなければ意味ないだろうに。

比べるのもなんだが、「十二人の怒れる男」('57)あたりを観て勉強するように。最近でも「フォーン・ブース」('02)って佳作があったな。主人公がホントに電話ボックスから一歩も出ない異色作。ジョエル・シュマッカー監督作で面白いと思ったのは初めてだった。

ついでだが、ぬるいミステリ読者である私は、密室トリックの最高傑作は今でも「三毛猫ホームズの推理」だと思っている。

2006年11月11日(土)
密室

閉鎖環境適応訓練というのは、ドラマが作りやすいと思われているのか、「プラネテス」でも20話「ためらいがちの」で同じエピソードを扱っている。私は、「プラネテス」を傑作とは思うが、あまり好きではない。実はその思いが決定的になったのが、このエピソードである。
閉鎖環境に、3人の訓練生がいる。一定の期間をそこで過ごさなければならないが、酸素はその前に切れてしまう。3人全員は生き延びられない。さあ、どうする?
「冷たい方程式」以来おなじみのシチュエーションだ。(あっちは燃料が問題だけど)

何より謎なのは、これがテストだということだ。閉鎖環境で高ストレス下におかれた人間は、いともたやすく正気を失うものである。本当に訓練生同士殺し合ったら、主催者はどうする気だったのだろう。
テストにパスするための正解が用意されていない、というのがまず作劇としておかしいし、ハチマキたちの採った手段、「体を冷やして代謝を低下させる」というのも噴飯もの。そりゃ変温動物ならそうかもしれないが、恒温動物が体を冷やせば、体温を維持するために逆に代謝が活発になって酸素消費も増えるんじゃないか?
これは単なる考証のミスではない。作品の根幹に関わる、世界観の問題である。他の作品ならともかく、「プラネテス」でだけは、こんなハンパなSF考証をすべきではなかった。

2006年11月9日(木)
ふたつのスピカ

本放送のとき、気になりつつ見逃していたのを、BSで再放送していたので、まとめて観た。原作は未読。
一言で言って、何とも脇の甘い作品だ。SFジュブナイルと思っていたのが間違いで、学園青春もの(それもかなり恥ずかしい)と思わなければ観られたものではない。
日本が打ち上げた有人ロケットの墜落事故、という衝撃的な幕開けで物語は始まるが、どう考えても種子島から打ち上げたロケットが市街地には落ちないだろうし、それ以前に爆破処置かなんかするだろう。
主人公の動機がまた分からない。事故に巻き込まれて死んだ包帯姿しか知らない母への思慕と、「ライオンさん」こと宇宙飛行士の幽霊との関係も不可解なまま。
それでも3話の「母との邂逅」ネタは泣かせるものがあったが、次の話数で、母の遺影を画面に写してしまうのでは意味がないだろう。そりゃ仏壇に在りし日の写真くらいあって当たり前だが、あくまで母の顔を知らない、というのが主人公の動機でなければならないのに。
入学試験では拉致同然に閉鎖空間適応訓練を始めるわ、急減圧かけるわ。で、期限内に課題を終了させる手段が、洗面台の明かりをつけっぱなしで徹夜作業って、ギャグ?
座学と思いきや、主人公の父が墜落事故の関係者だから宇宙飛行士になれないと脅す教師がいるし、事故調査が政治がらみでおざなりだったって描写があるし。
JAXAのホームページの、H2ロケットの事故調査報告を少しでも読んでみれば、恥ずかしくてそんな設定できないと思うんだけど。
主人公が小柄すぎて宇宙服が特注って、普通は身長・体重の制限があるでしょ。
常備薬がなければ倒れてしまうような人間が、どうやって健康診断をくぐり抜けて合格したの?
とどめはサバイバル訓練と称して山中に置き去りという展開。レンジャーじゃないんだから、予備知識も訓練もなしに誰がそんなことできる。いくら発信器を持たせてても、事故は防げないだろう。

要するに、原作はいざ知らず、このアニメ版の作者には、宇宙開発に対する本当の愛情も敬意もないのだ。
望月智充の完全復活(だか新境地だか)には、次の「絶対少年」を待たなければならなかったのでした。

2006年11月7日(火)
ガチンコ百合もの

最近、ジャケ買いした玄鉄絢「少女セクト」にどっぷりはまっている。口コミで大ヒットした作品だというのは、後でウィキペディアを読んで知った。
「マリみて」はアニメ版は一通り観たので、そっち方面の素養はあるつもりだが、男性の幻想で塗り固めた、ファッションとしてのレズものは、これまで避けてきた。ぶっちゃけて言ってしまえば「神無月の巫女」とか「ストロベリー・パニック」とか。「かしまし」もかな。
「マリみて」が傑出した作品であるのは、ひとえに直接的な行為が一切描写されないからである。
・・・と、思っていたのだが、「少女セクト」のように、性愛の側に振り切っても、優れた作家が丁寧に描けば、ちゃんと面白い作品になるというのは新発見だった。

一応キャラのことにも触れておくと、もっとも複雑な人間性をにじませる、「きーちゃん」こと諏訪部麒麟が隠れたキーパーソンだと思う。
ついでに技術的なことを書くと、この作品は、マンガの文法から言って右から左へ進むはずのコマ運びが、あえて上から下へ読ませる場所が散見されて、ひどく気になった。意図的なのか単なるクセなのか?


蛇足だが、「マリみて」は厳密に言うと、同性愛という意味での百合ものに分類するのはどうかと思う。

2006年11月6日(月)
と学会in三越

三越カルチャーサロンの、と学会公開講座に行ってきた。
コミケに比べると、と学会関係のイベントは何となく敷居が高くて、参加するのはこれが初めて。超満員と言うほどではないが、いつかの氷川先生の講座に比べても人数が多かった。

第1回目の今回は、山本弘会長による「超能力番組のウソを暴け!」。
TVの超能力特番のビデオを見ながら、トリックを暴いたり矛盾点を指摘したり、果てはスタッフのやらせが写ってしまっているところを流したり。
千里眼能力者が書いた地図をもとに、失踪人を発見するという趣向の番組に対して、山本会長が自ら現地に赴き、TVに写った地図のデタラメさを証明したくだりには、満場拍手喝采。

と学会のスタンスは、こうしたデタラメさを笑い飛ばそうというものであり、報道の倫理がどうこうという問題にはならないのだが、それにしてもちょっと検証すればあっというまにボロの出るこのいい加減さというのは、一体何なのだろう。放送したらそれきりだった昔と違い、ビデオでいくらでも検証できる時代だというのに。

昔から気になっていることに、「TVを見る」という言い回しがある。よく考えてみると、これは変だ。TVというのは、「電波で送られてきた信号を映像に変換して映写する受像器」のことであり、「TVを見る」といったらあの箱を見ることになってしまう。正しくは「TV番組を見る」であろう。
なぜそう言わないのか?
答は、「誰も番組なんか見ていないから」だと思う。職場で、見もせずにTVをつけっぱなしにしていることはよくある。帰宅すると、とにかくまずTVをつけるという人間もいる。写っている内容など問題ではなく、TVがついているというそのこと自体が重要なのだ。作る側も、きっとそれを承知しているに違いない。
(念のために補足するが、「TV番組を見る」が省略されて「TVを見る」になっているのだろう、とは思う。ただこの表現が、「TVがついてさえいれば内容はどうでもいい」という発想をよく表していると思う、ということである。)



上はチラシとチケット。


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