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日本橋三越本店のカルチャーサロンで、氷川竜介先生の公開講座が不定期に開催されています。
この文章は、そのとき聴講した内容を私が簡単にまとめたものです。
過去の日記に書いた文章ですが、内容はそのまま転載しました。
’06年11月19日(日)
第2期講座の第1回 アニメの骨子を作り込む〜脚本・演出と監督
日曜日に、三越のアニメ講座第二期に参加。
今度も3回に別れているが、それぞれプリプロダクション・プロダクション・ポストプロダクションに着目しての講座になるとのこと。今回はその第一回で、主に脚本・絵コンテ・演出の話。本来はその前段階として企画の話があるべきなのだが、今回は割愛。
とりあえずメモから羅列。
・脚本と台本の違い
混同されがちだが、脚本→絵コンテ→映像、となり、絵コンテから派生したものが(アフレコ)台本。
脚が地面について本体を支えるから、「脚本」=全ての土台
・良い脚本の条件
@ 構造が明快
A 論理的な運び
B シーンの変化
C キャラの行動で感情をどう見せるか
D コンテを触発するト書き(演技)
E セリフ回し
・実写とアニメの差異
アニメの方が映像・アクション主体
制約が多い(例えば背景の美術ボードの枚数制限=舞台が変えられない)
役者を想定して書かれることが少ない。実写では役者を決め打ちして書かれることがある。
仮想のキャラに生身を感じさせ、書き割りに過ぎない世界に臨場感を与えるために、実写以上に脚本の「骨格」が重要になる。
・プロットとシノプシスの違い
プロット:因果関係、動機、感情の筋道
シノプシス:時系列的あらすじ
・シリーズ構成の役割
各話脚本より上位のシナリオ
全体と各話の構成・骨格
キャラ立て・イベントの設定
設定の消化、感情線の整理
・ストーリーとドラマの違い
ストーリー:論理。原因と結果
ドラマ:感情。葛藤により生じるもの
(ゲームのように)イベントを羅列してもドラマにはならない!
某吸血鬼アニメは、ドラマに埋没してしまってストーリーが転がらないのが敗因。
「イノセンス」の凄さは、ハードボイルドという「ストーリー」と悲恋ものという「ドラマ」が同時進行していること。
・弁証法的進行
コンフリクト(対立)がドラマを生む。
主人公(正)と対立するもの(反)のコンフリクトが、ある結果(合)を生み、それが次のストーリーを生む。長期シリーズはこの繰り返しとなるが、限度を超えると少年ジャンプ的展開に。
・ドラマのゴール
カタルシス(浄化):罪悪感の解消、共感、吐き出す、泣き
心理・感情の落着点
辻褄は、合っていた方がいい、という程度でよい。映像作品の真価は辻褄合わせにはない!
・絵コンテの要件
連続性・リズム・抑揚・・・楽譜にたとえられる
・絵コンテの読み方
エレメント:モンタージュ効果
構図・光源・演技・タイミング
カットつなぎ(事件の展開を予感・期待させるか)
・余談 フィルムを切り貼りして編集していた時代は、フィルムの長さで秒数を予想できた。コンピュータ上でノンリニア編集に慣れると、この体感的な感覚が鈍るのではないか。
・富野監督の絵コンテの見方
1回目はベタで、2回目は秒数・演技を見ながら、3回目は全体を見てフィルムを想像しながら
・実例 ガンダム第1話 アムロが肉親の死に取り乱すフラウを平手打ちするシーンは、23秒もの長回しになっている。それ以前のシーンは2〜3秒の短いカット割り。アムロがガンダムに乗り込む動機として重要なシーンという位置づけ。
・東映作品のシリーズディレクターは、冒頭の1〜2話を直接担当して世界を構築した後は、各話演出に任せる、という方法を採る。(これは私の感想。東映から若手の演出家が次々に育つのは、この方式に負うところが大きいのかも。)
・つまらない作品を淘汰するのは時間だけ。つまらない作品をけなすより、いい作品がなぜいいのか、理で考えよう。「感情を理に落とす」のが分析というもの。
’07年1月21日(日)
第2期第2回 アニメを躍動させる力と技 〜作画と特殊効果〜
(赤字は'09年6月27日(土)池袋コミュニティ・カレッジ「氷川竜介のアニメの楽しみ方」聴講分による追記)
・当初、背景まで一枚の絵だったアニメは、セルの発明によりシートと背景に分離し、本格的な進化を始めた。この方法論が受け入れられたのは、「人」と「世界」に分けることが、我々の根元的な世界認識だからではないか。
・「白雪姫」('37)により、アニメにドラマとストーリーを盛り込むことが可能と実証された。アニメの長編映画化こそディズニーの偉大な発明。
・米国アニメーションの特徴・・・カートゥーン、ボードビリアン的、ゴムのように変形する誇張表現、動物の擬人化、ミュージカル、ボディランゲージの重視、フルアニメ・・・3DCGになっても同じ、70年前に進化を停止。フライシャーの「スーパーマン」('41)のようなリアリズム志向の作品もあったが、滅びてしまった。
・日本アニメの特徴・・・節約のための手塚式リミテッドアニメ、3コマ打ち、紙芝居的カメラワーク、BANKシステム、繰り返しの多用
・日本的様式の確立・・・「佐武と市捕物控」('69)・・・様式的演出、徹底した「静」と「動」の対比、映画的表現、ハイコントラストの画面、夜9時台の放映(大人の番組)
・「作画が良いアニメ」とは
近年の風潮・・・枚数を多く使っている、描き込み(カゲ、ハイライト)が多い、レイアウトがよい、キャラが崩れていない、ものを作画が良いと言うが・・・
枚数を多く使って「時間を埋めれば」良い作画か? ・・・in between(中割りの自動生成)の試みは既に失敗している。
ディズニー作品や「人狼」「時をかける少女」はカゲがない。
レイアウトは作画とは別物
富野監督の定義「画質(良い画面)とは、画の『重さ』・・・演出意図に基づく画面内情報の「重み付け」によって決まる」
記号化・抽象化・シルエットの変化で見せるのがアニメーションの王道・・・マス(質量感)の変化が、感情を喚起する
過剰な書き込みは、表現の普遍性を失わせる。・・・一見さんお断り的間口の狭さ
例:髪のハイライト。キャラが首を振るとハイライトも一緒に動く。本来光の反射の表現のはずが、模様と化している。
フルアニメとは、『作画の力を信じるアニメ』ではないか。
『作画力』と『美術・レイアウト力』のハイブリッドが、日本アニメの神髄。
@空気
A重力
B五感(特に痛覚)が表現できているのが、優れたアニメ。これらの共通項は、「絵に描けない」こと。優れたアニメーターは、「絵に描けない」ことに自覚的であり、フィジカルな絵からメンタルなものをも表現できる。
例:「AKIRA」のバイクチェイス
風にはためく髪や服、体重移動による進路変更、クラッシュした際の肉体や物体の挙動
・本質的なことは、「枚数を使って何をするか?」「何を表現したいのか?」
・優れた作画・・・肉感的、驚きがある、芝居をしている、情感をたたえている等々(「プラスチックリトル」の乳揺れとか)
・修正原画を見ると、演出の要求が分かる。
・撮影シート・・・原画に比べて軽視されがちだが、完成した映像の設計図として、最も重要なもの。研究、評価が欠落している。
・二原システム・・・第一原画で演技をつけ、第二原画でディテールを描き込む。
・作画監督の仕事・・・全修と部分修・人によりけりだが、各アニメーターの個性を生かすには一部だけ修正する部分修を施す。
現在の工程は、
絵コンテ→レイアウト+ラフ原画→レイアウト修正→演出チェック
原画→作監修正→2原→動画→動画チェック
原画がレイアウトに縛られ、アニメーターの個性が出しにくい傾向
富野絵コンテは『しりとり』。各カットに観客の見るべきものが明示され、それが次のカットを誘導する。
・躍動感を生むには、レンズの意識が必要。近年の作画には、レンズを意識したものが見られる。実写では、一度撮影を始めたらカット内ではレンズを変えられないが、アニメは、被写体が画面奥にあるときは望遠レンズ、手前に来たら標準レンズを模して、「接近した感じ」を強調するというようなことができる。
・時間の断層を描く
例:「鋼の錬金術師」第34話「強欲の理論」中村豊作画のアクションシーン
キックする足の動き、空振りした足とヒットした足の軌跡の違い、上体のひねり
このシーンは全て原画。中を割ったら、このような気持ちいい動きにならない。
ダブルアクション(カットを繋ぐ時、時間をわずかに遡って同じアクションを別アングルでもう1度見せる)のは、東映チャンバラ映画の伝統的編集技法。編集点から1コマ戻す。
カメラワークもアニメのうち。アニメーターが指定することも多い。
・近年の動画・仕上げの変化
海外発注とデジタル彩色のため、能力の低いスタッフでも中割りできる原画、均一で強弱のない線が求められる。
・視覚は、未来を予測するためにあり、生物の生存本能を支えるものである。
・日本アニメの本質・・・「未来を予測させる、静止した絵」の連続
大塚康生氏が、タミヤのミリタリーフィギュアの試作品を見せられて意見を求められたとき、「2コマ遅い」と評したことがある。曰く、フィギュアのポーズが完全に静止してしまっており、動き出す「予感」がない。フィルムであと2コマ遅くすれば、もっと躍動的になる。(「田宮模型の仕事」に所収のエピソード。富野監督の「映像の原則」にも引用あり)
・原画1と原画2があると、完成した映像から観客が観ているのはその間の1.5である。過去と未来予測から現在を読み取っている。すなわちアニメーターは、動画という「実」から映像という「虚」を生みだす仕事である。そのとき、他の何ものでも表現できない印象、臨場感、シズル感が生まれる。
’07年2月25日(日)
第2期講座第3回 アニメに命を吹き込む 〜音響演出・音楽〜
・音響に関する評価は、とりわけ遅れている。音は絵の従属物という意識、作画至上主義、ヘッドホン視聴による音響の貧しさ等々
・磁気録音と光学録音
音は最初は、磁気の6ミリテープに録音されるが、フィルムになった時点でサウンドトラックに光学的に記録される。この時点で、音質が劣化してしまい、帯域的にラジオのFMとAMくらいの差がある。制作現場の人でも、このことに無頓着な場合がある。
・映像音響の発達
ラジオドラマの時代 → (ビデオがないため)録音時代・ドラマ編の時代 → ビデオの普及とHiFiによる高音質化 → ドルビーサラウンド(2chによる疑似音場)技術の登場 → 5.1ch時代
音の役割の重要化
・音の3要素
@ music
A effect・・・ライブラリ(仕込み):環境音、効果音
フォーリー(生音):衣擦れ、足音、その他、人の動作に起因する音
いまでも、ライブラリから探すより生で作ってしまった方が早いことはままある。
B dialog 実写は同撮りが基本だが、アニメはアフレコ(AR)が基本。
ちなみに、「AKIRA」はプレスコで有名だが、最近では「恋風」「RED GARDEN」がプレスコ方式(引用者中:あのミュージカルシーンか?)
・USC流の分類
@ セリフ
A 音響効果
B 背景音
C 音楽
D 無音(静寂)
・ダビング
music、effect、dialogの合体作業。ダビングはフィルムの用語で、ビデオの場合はMA(multi audio)という。米ではリレコ(Re
Recording)という用語も使う。
音楽や効果音同士の帯域がぶつかるため、バランス取りが重要。演出的判断が必要になる。
例:「未来少年コナン」のTV版と劇場版の比較
劇場版では、逆立ちしたコナンの一挙手一投足にヘンな効果音が。
火薬式のはずの火砲に、ビーム砲のような音が(アルカディア号の主砲の音を流用したのだとか)。
レプカが、老人の目が見えないことを確かめるために殴る真似をするシーンで、TVではちゃんと寸止めしているのに、劇場版では(効果音が入って)本当に殴ってしまっている。
音響演出により、世界観や人物像まで表現できる。
・効果音技術者は、シナリオからドラマ・演出が読める、演出家と同等かそれ以上に、ドラマを設計できる能力が要求される。
・捨て音 → いざというときに重要な音を聞かせる技術
・時代劇の、人を斬る音 着物→肉→骨という順番で音を作り、重ねていく。
・ビールを注ぐ音 本物をそのまま録音してもダメ。水位が上がるにつれて音のピッチが上がる様子を再現する。・・・論理性が重要。
応用と誇張により、「本物以上に本物らしい音」のイメージが作れる。
・米国流・・・音楽がかかりっぱなし、スコアリング、アクションとの同期
無声映画、舞台の伝統 説明的・解釈的 因数分解的(構成要素ごとに分解できる)
ひとつの基準を有するスタンダード → 分かり易い反面、多様性が欠如しがち
・日本流・・・ノンモン(音楽なしの部分)が多い。
音と映像のぶつかり合い (TVアニメでは溜め録りするので)音楽にキャラクター性が付加されやすい
複雑な感情の喚起 激しいシーンに静かな曲(引用者注:これは黒澤明もよくやる手法で、アニメに限った話ではないと思う)
足し算+塗り絵(米) ←→ 掛け算(日)
・レコーディング・ディレクターの職責
プロデューサー的要素
監督のイメージを音楽的に展開
作曲家と歌手の人選
音響監督との打ち合わせ
・音響監督の職責
キャスティング
音楽メニュー作成
アフレコ指示出し
選曲
効果プラン立案
ダビング指示
・「鉄腕アトム」の納品フィルムには音がついていなかった。製作するのはフィルム(絵)だけ、という理屈。制作費が安くあがったのはそれも一因らしい。納品後に、フジテレビの側で音をつけていたのだとか。
・実写文化が根強いためか、東映は専任の音響監督を置かない。音響も演出のうち、と演出が担当する。
例:「機動戦士ガンダムT」「哀・戦士」のイントロの比較(音響監督が交代している)
TV版に準拠した「T」に対し、「哀・戦士」では音楽がストリングスになり、ナレーションのはいるタイミングが変更。また、鳥の声、コロニーの外の音、コロニー内壁の爆発前に、接近する弾丸の音が入っている。→ より世界を実在的・俯瞰的に表現
・5.1ch時代
音場全体を設計(単に後ろから音が出ているのではない)
臨場感・世界の創出
背景音による心理の醸成
・アンチ5.1chの意見
スクリーンは一カ所で、しかも平面である。キューブリックは、生涯モノラルの作品しか撮らなかった。(引用者中:竹熊健太郎氏もこのことを述べていた。「場所によって異なる映画館の環境を信用していなかったのではないか」)
・音の演出
観客の体感・生理と密接に関連
時間芸術であるフィルムの実時間性とリンク
リアリティは音に大きく依存、決して画の従属物ではない
・近年の問題点
電子化・無機質化
情報過多・説明過多
ライブラリの増大により、逆に独創的、画期的な効果音が生まれなくなった。
ヘッドホン鑑賞のため、肌で音圧を体感できない。
大量のテイクから切り貼りした、パズル的音作り
・・・アニメの根元から遠ざかる傾向では?
・もっとも良い音響は、その存在を気づかせないという本質的矛盾
・アニメは記号だけで成立した表現だから、音のサジ加減ひとつでいかようにもコントロールできる。
・音の分析は、映像批評にもなりうる。今後の研究課題の宝庫
’07年5月20日(日)
第3期第1回 刮目せよ、このアニメ監督の演出技
今回は、最近の作品を事例としてあげながらの解説が主だったので、再現が難しかった。
演出とは自然なものであり、その存在=作為を知られてはならない。知られたら、観客は夢から醒めてしまう。
例:「精霊の守り人」#1 神山健治 川からの救出のシーン
「?」と「!」の繰り返しで物語が進行する。
映像により状況説明が出来ている。
馬鹿と悪役が出てこない。それぞれに立場が違うだけで、全てに理由がある。
その世界において異常なできごとを、きちんと異常なこととして表現
アニメーターから演出家へ
例:「ラーゼフォン」#15 磯光雄
アフターエフェクトを使った表現者の台頭
空気(=音)、光、温度の表現
演出とは、「処理」である。
例:「パプリカ」 今敏
素材が、いかに監督の意図した完成画面になっていくか
「撮出し」 背景・動画の素材+エフェクト、カメラ移動の速度を指示
アニメの出来は、パンニングの上手下手で判る。人間が目線を向ける場合、頭骨の慣性のため動き出しが遅い。これが再現できているのが、自然で優れた技術。
演出とは、「配分」「バランス」である。
例:「ひみつのアッコちゃん」#14 細田守 冒頭のシーン
動画枚数の配分・・・30分3000枚のうち、300枚を冒頭の踊りのシーンに。
情報の配分・・・異様に凝ったレイアウト。
同ポと繰り返しで、独特のリズムを生む
演出とは、「感情の推移」である。
例:「フルメタル・パニック!TSR」#6 山本寛 散髪のシーン
演出とは、「変化」を描くもの
感情の機微を、喜怒哀楽といった記号的表現でなく描くのは難しい。散髪という段取りによって、互いの信頼感を描いた名シーン(しかも向かい合っておらず、視線も合わせない)
演出とは、「予感」である。
例:「ぼくらの」#1 森田宏幸 冒頭のシーン
焼き殺されるカニ、水に浸かった花火、夕陽、長く伸びた影、登場人物全員を俯瞰するレイアウト
これらが、不吉な予兆を与える。
ちなみに、これらは原作にはないアニメオリジナルの表現
アニメーターならではの演出
例:「ケモノヅメ」#1 湯浅政明 冒頭のアクションシーン
作者の主観で捉えた世界の表現
抽象度をコントロール
例:「鋼の錬金術師 シャンバラを往く者」 絵コンテ:中村豊 原画:馬越嘉彦(実は)
地下空間での戦闘シーン
ステージ上での演技に近いアメコミに対し、空間・質感ごと構築する日本アニメ
演出とは説明か?
例:「東京アンダーグラウンド」の説明ゼリフのオンパレードと、「Darker than black」#2 岡村天斎 の説明ゼリフと思わせて実は・・・の対比
ベテランの演出
「∀ガンダム」 富野由悠季
視線の推移(=目の芝居)の多用
ものの「出入り」
フレームの外=世界の意識づけ
「FLAG」 高橋良輔
戦場カメラマンの残したフィルムという設定で、カメラの存在を明示
手ぶれ、無作為のカットの表現(実は無作為を装って描かれた絵)
演出とは、「時間と空間を切り取ったもの」
作り手の着眼点
作為の無作為化
観客の、自分自身の興味の表れ
・・・価値観の表れ
’07年7月15日(日)
流麗なる快楽 アニメーターのベストアクション
今回は、以前東大オタク学講座で使用したVTRを観ながらの講義が主となった。
過去の記憶→未来の予測 その間にある現在の幻影を表現
例えば、A1、A2と続く動きがあったとする。当然次はA3、と予測する。
しかしここで、A2.5の動きを入れてやると、A3−a、A3−bという分岐が生まれる。いわば正調と破調であり、予定調和的安心感を取るか、予想を裏切る驚きを取るか、という選択肢ができる。これがアニメの面白さの本質である。
「1%の大嘘をつくために、99%の真実を語る」(宮崎駿)
1 新作「エヴァンゲリヲン」予告編
光の表現の進化。エヴァの体色の緑色の部分は実は発光していた!闇夜に、所々を緑に光 らせて立つ巨人が、本来のイメージ。余談だが、第3使徒が人型でよく動くので、第4、第5は 非人間型であまり動かなくても演出的にOK。その分の人的戦力をよそに回せる。
2 「ストレンヂア」予告編
現実にはありえない3D空間だが、重力の存在を感じさせる重さあり。
作画監督の談?「トランポリンはOKだが、(香港映画の)ワイヤーは×」
3DCGのワイヤーフレームを使って、パースの参考に。
以下、東大オタク学講座「エフェクトアニメ進化論」のVTR
T 東映の時代
わんぱく王子の大蛇退治('63) 大蛇の動きと、炎を吐くときに体色が変わる効果
空飛ぶゆうれい船('69) 宮崎駿の煩悩爆発の、ゴーレムとの戦闘シーン
海底3万マイル('70)
三大怪獣地球最大の決戦('64) キングギドラの出現シーンにアニメーションを使用
U 金田伊功の時代
独特のパース、姿勢、動き等々、後世に多大な影響を与える
ゲッターロボ('74)
宇宙戦艦ヤマト ヤマトよ永遠に('80)
さよなら銀河鉄道999('81) 女王プロメシューム 情念・怨恨の視覚化
幻魔大戦('83) 火炎竜の表現
風の谷のナウシカ('84) バカガラスとガンシップの空中戦のシーン
同時期のライバル・友永和秀
マグネロボ ガ・キーン('76)
ルパン3世「さらば愛しきルパンよ」('77) ラムダと戦車隊の交戦シーン。宮崎駿のセルフリメ イク?
V 金田フォロワーの時代
金田の影響を受けた人材が続々と第一線へ
なかむらたかし 粘り・重量感
ゴールドライタン ('81)
山下将仁 スピード感・クイック&スロー(中割を一コマ?)
うる星やつら4 ラム・ザ・フォーエバー('86)
ダロス('83)
越智一裕 六神合体ゴッドマーズ('81)
板野一郎 ミサイルの軌跡による三次元空間の表現・物体の内部構造や強度の表現
超時空要塞マクロス('82)
庵野秀明 実写感・流体の粘り・細密化
超時空要塞マクロス('82) デストロイド・モンスターが初めて動いたシーン。一歩踏み 出すだけで一ヶ月かけたとか。
風の谷のナウシカ('84) 言わずと知れた巨神兵のシーン
王立宇宙軍('87) 伝説のロケット打ち上げのシーン。飛び散る氷片を全てナンバーを 振って作画!
大張正巳 パワーの蓄積・解放 表面処理 量感 エビぞりポーズ
戦え!イクサー1('85)
破邪大星ダンガイオー('87)
菊池通隆 特撮感覚・ライティング
冥王計画ゼオライマー('83)
魔沙雪 遠近感・パースの変化
百人百様の感性・表現 → 客の感性の成長
客と作者の共犯関係
’07年9月16日(日)
細部に神が宿る アニメ美術のリアリティ
2000年代のアニメにおいて、美術の重要性は相対的に向上
その一方で、「アニメ美術とは何か?」「その役割は?」といった命題は、突き詰めて考えられてこなかった
古典的な理解:美術=背景画
「背景美術」という表現は正しいか?
舞台における美術・・・描き割り・セット
映画における美術・・・セット撮影・大道具
から転じて、「俳優以外の映像」
「ロケ地の飾り付け(落ち葉を散らすとか)」
「実景の補足(塀が足りなければ継ぎ足すとか)」
これら全てを含む概念。アニメにおいてもこうした役割が求められるはず
美術の役割:イメージの具象化・「世界」の構築
画面全体に関与するので、撮影・照明との関係が非常に深い
言葉にならない情感・情緒を色彩・構図・メタファーで語るのが、映画(アニメ)である。
「映画の品格は美術で決まる」(宮崎駿の談話)
美術に着目したアニメ史
・背景なしの時代・・・アルタミラ洞窟などの壁画・影絵・ゾートスコープ
・背景も動画の時代・・・「恐竜ガーティ」(1914)
・セルアニメーションの時代・・・アール・ハードによるセルアニメの特許化(1914)
商業化への道・キャラはセル、背景は水彩画の使い分け開始
主役はキャラクターであり、背景は彩度とコントラストを落とす
(キャラの視認性を上げるため?)技法が一般化
・美術重視の時代・・・演出上のレイアウト主義・世界観重視の傾向
美術監督の仕事
@ 美術設定をつくる(線画)
A 美術ボードを描く(水彩)
B 背景画の監修
担当細分化の傾向
往年の中村光毅氏の仕事 → 現在の担当
企画書用イメージボード → 企画者
メカデザイン → メカデザイナー
キャラの色設定 → 色彩設計
ロゴデザイン → 専従デザイナー
小道具デザイン → プロップデザイナー
現在の問題点
・美術ボード否定論
・レイアウトは美術が取るもの(小林七郎)
(引用者注:これについては、「アニメスタイル」2号の押井守監督のインタビューの中で、小林氏はアニメーターの描いたレイアウトを全部自分で描き直してしまう、というエピソードが紹介されている。)
・デジタルか絵筆か
・3D背景の使用の是非
アニメ美術の特殊性
特にSFに顕著な日本アニメの特徴として、「世界の構築・ビジュアル化」が強く要求され、異世界であっても観客に近いリアリティを持たせる。
デザインラインの統一による世界観の補強(例:「超時空要塞マクロス」の敵メカ)
設定資料の見方
設定資料は、アニメートの補助となるもの・・・裏側・拡大・切り返し
美術設定→空間の把握(ステージング)→構図の決定・キャラの演技
事例紹介
細部設定は架空の場所だからこそ必要
実景を写真にとって美術設定とする場合も。色、陰影は撮影時に調整(例:「奥さまは魔法少女」)
「時かけ」は、撮影時に背景色を一切いじっていない。背景画がそのまま完成画面に使用できるレベルを求められており、非常に贅沢なつくり。ディテールの豊かさが、生活描写の細やかさに寄与
レイアウトマンが統一できれば、美術設定は不要・・・宮崎駿、今敏の方法論 ← 集団作業との矛盾
背景内の物体を動かしたいとき、セル画にすると背景から浮いてしまう問題
→ デジタルハーモニーによる解決(例:「東京ゴッドファーザーズ」糸川敬子、市倉敬)
路地のゴミ袋とか、人の手で動かせる小道具に輪郭線を描き込み
背景絵画は、フレーミングによって周辺を切り取ることで、映像になる
色彩設計と美術
背景による色の変更:デジタル着色によりトライ&エラーが可能に
アニメ美術の弱点:空間そのもの(3D)ではない
→ セル時代:マルチプレーン・密着マルチによる遠近感の表現
→ デジタル時代:テクスチャ貼り込みによる3次元空間の表現(例:「イノセンス」「厳窟王」平田秀一、種田陽平)
一方で、3Dの必要性は?
人間の網膜も、映画のスクリーンも2次元平面。
3D化は、絵の不条理性を放棄してしまう・・・かえってつまらなくなる可能性も
アニメは、あくまで絵であることに意味がある
「遠景は世界観を語る
中景はストーリーを語る
近景はドラマを語る」(引用元不明)
第1期講座のまとめ(日記へのリンク)
’06年5月21日 第2回 「ガンダムに集約 日本アニメ文化の特徴」
’06年6月18日 第3回 「アニメ表現の変遷とその未来図」
’09年10月4日 「アニメと原作の差」
マンガとアニメは近い表現と思われるが本当か?
例:「あしたのジョー」 力石徹戦
マンガ連載 1968〜73年
アニメ第1期 1970〜71年 カーロス・リベラ戦まで
第2期 1980〜81年 ホセ・メンドーサ戦まで
実は力石戦は、3回アニメ化されている。
第1期50話(吉川惣司演出)、51話冒頭(ア枕=出崎統演出)
第2期1話(出崎演出)
事情は不明だが、51話冒頭の回想シーンは普通ならBANKを使うところ、すべて新作。カット割りも違う。
マンガも含めて見比べると、同じシーンでも映像化の手法は様々。同じ演出家でも、時期によって違うことが解る。
マンガ文化は、最初から映像の影響を受けている。手塚・安彦・大友の3回のエポックがあったと考えられる。
マンガ←→映像の変換には本質的な壁があり、それを突破しようとすることがその表現に力を与える。
手塚「新宝島」('47)
映画的手法の採用 被写体サイズの変化、カメラワーク、遠近高低の強調 =絵コンテ的
長編ストーリー
ドラマツルギー
心理描写
スペクタクル(クライマックス、モブ) ・・・・・・ 映画的
↓
マンガ文法(フキダシ、擬音、カメラワーク)
安彦良和「アリオン」('79) モーションコミック
映画的な利点を利用
見開き・コマサイズで時間の経過を表現
行間を読ませることでリズムを獲得
アクション・心理の予想
体験性・読者参加 ←→ 欧米のグラフィックノベルはより絵画的・説明的
映像より情報量が少ない不利 ←→ コスト優位・自由度高・映画の代替に
マンガと映画のギャップ
@ 絵画→写真
マンガ 線とベタ、トーン
映画 写真 階調がない、色彩
アニメ セル 階調あり、色彩
A 音・セリフ
マンガ 文字・記号化・静的
映画 役者の個性 表情、動的
アニメ 声優の個性 記号的
B 効果音
マンガ 描き文字で視覚化
映画 現実音と効果音
アニメ 効果音と一部現実音(フォーリー:例えば空調の音とか)
C 音楽
マンガ なし(ソノラマシート?)
映画 情感、感情表現のサポート
アニメ 〃
D 実時間
マンガ コマ間→読者の体内時間 可遡及性・同時性
映画 絶対時間に束縛 ←→ スローも可
アニメ 〃
E 次元(2D、3D)
マンガ 苦手な角度を回避できる(アトムの角とか)
映画 全方位的・立体的
アニメ ある程度固定
アニメキャラのデザインに必要なもの
@ 三面図
A 身長対比表
B 表情・ポーズ集
C 小道具・設定
D 特別な動きの指定(目パチとか)
マンガとアニメのギャップ解消の努力
「鉄腕アトム」('63) TVの台頭・映画の斜陽 →貸本→アニメ
→週刊マンガ雑誌→TVアニメ
日本式アニメ表現の誕生(俗に貧乏リミテッド)
12〜24コマ→8コマ
止めの多用
口パク・目パチの多用
BANKシステム
飛躍的なカット割り ・・・・・・「電気紙芝居」の蔑視、粗製濫造、商業主義 → ハングリー精神に転換
量→質に転換
商業主義→アニメオリジナル性
止め絵:マンガとの親和性、物語主導
余白・行間のある日本的映像表現
「アトム」('03) 予算1本あたり3,500万円、セル35ミリ。最後の「TVセルアニメ」
舞台劇 具象的・リアル・情報量大
実写映画
3D-CG
フルアニメ ↓
日本アニメ
マンガ
小説 抽象的・記号・情報量小
(ノベルゲームやアメコミはどの辺に入るんだろう?)
実写の方が良いのか?
アメコミ原作の大作、CGの安価化
「CGがアニメの代用になる」という誤解
情報量の多寡は本質ではない!
何を見せたいのか?取捨選択
リアル(≠リアリティ)の獲得
これらボーダー、ギャップを超える努力・工夫が表現技法を切磋琢磨し、「味」になる部分を生む
例:「巨人の星」 ('68〜'71) 原作は連載5年
マンガ自体の進化 劇画調・成長する主人公・社会性・親子の世代
アニメ版も、放送中に絵柄がリアルに
立体を意識したキャラクター(鼻柱の存在)
鉛筆のタッチ ハンドトレス→トレスマシン
特殊効果・撮影の多用
タッチ・ブラシ・透過光
エリアル合成
目に炎(実写合成)
←→ 映画的文法の遵守
ピッチャー・キャッチャー間にイマジナリラインを設定
野球場を立体空間化
アクションカット(アクションつなぎ)の多用
時間の引き延ばし
投球動作のカット分割
モンタージュの多用、スロー・止め
暗転・背景・照明→演劇的(例:83話)
画面内のTV画面・スクリーンに登場人物の視線を向けることで、位置関係を明示 同時間性
竜虎のイメージ化
Gマークの省略
オリジナルエピソードの追加
反復効果による錯覚(ちゃぶ台返し!実は本編では1回しかやってない)
視覚・聴覚を総動員
情報密度の向上
時間的変化のダイナミズム
空間の立体的把握(時間で空間を描く)
絵解き・説明でない、映像としての洗練
出崎統 主観的・客観的なカット割り
一番重要なものを真っ先に知覚する(例:雑踏の中で知人に会う場面で、まず声を知覚したりする)
スロー、止め絵の高揚感(時間の変容)
色彩、コントラストの強調
高畑勲 客観性
生活実感の驚き・喜び、実時間・生活空間・時空間の整合
コマ割りの映像化
例:「宇宙海賊キャプテンハーロック」
コマ割り→カメラワーク、フレーム、Gペン的なタッチで表現
マンガのアニメ化とは、「印象の移植」である
文法はあくまで映像重視、映像のメリットを駆使する
70〜80年代の変化
世界観重視
例:「ナウシカ」 設定の見え易さ
声優・音楽による清浄さ
強引なエンド
「AKIRA」 意外なフルアニメ指向
リップシンクロの重視、ボディランゲージの多用
レンズの意味性へのこだわり(望遠・標準・広角の使い分け、
レイアウト重視・絵コンテに消失点の指示あり)
→ 後年への影響大 (沖浦啓之を始め主要スタッフ「パトレイバー」へ)
(アニメ的)嘘の少ない世界
背景の緻密化(パースの正確さ)
ディテール
レイアウト・美術の重視
80年代 マンガ→映像
アクションエンターテイメント
アンケート主義
レンタルビデオで洋画が身近に
映像演出との親和性
エスカレーション
90年代 絵柄を似せる運動
「THE COCKPIT」川元利浩
ゲーム版「ヤマト」増永計介 松本零士の絵を再現
「009」紺野直幸 石ノ森キャラ
「ジャイアントロボ」窪岡俊之 横山キャラ
90〜00年代 作品数の増加
ゲーム・ラノベ・古典原作
原作絵絶対視の傾向
しかし、マンガ自体もゲームやラノベの媒体と化している。
オリジナルはどこにあるのか?そもそも存在するのか?
デジタル実写化はどうなるか
マンガ・アニメ表現は情報量を落として抽象化することで成立する
補完で良いものになるのか?かえってリアリティを損なわないか?
マンガ:記号表現が成立
実写:ギャグ・コスプレになってしまう
情報量の増加よりも、コントロールが重要
情報量を削ぐためにデジタルを使う
「キューティハニー」「FREEDOM」
「味っこ」 原作:文字とウンチク→アニメ:光と誇張
マンガ→アニメ→映画の関係の追求
映像理論
視覚情報のコントロール
映画・アニメは時間芸術・総合芸術
「原作に忠実」の意味を考えるべき
(「エンドレスエイト」に怒った人も、「ライブアライブ」は8回以上観たでしょ?)
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