国書刊行会 トレント乗り出す ![]() |
夢の国への扉 森 英俊
すると、まさしくそこは夢の国だった。店内には、ところせましとミステリーが並んでいる。ジョン・ディクスン・カーの全冊揃い。そのカーの文学上の偶像だったチェスタトンの諸作。そのうちの一冊が目にとまる。『四人の申し分なき重罪人』──なんと逆説に満ちた響きの、好奇心をそそる題名だろう。隣りには、チェスタトンの親友だったE・C・ベントリーの短篇集が並んでいる。その名もずばり、『トレント乗り出す』。 これだけでもうれしいのに、あるわあるわ、名のみ知っていた短篇集の数々が。かの乱歩が〈奇妙な味〉の傑作と絶賛した表題作を含む『銀の仮面』。「クイーンの定員」のなかでもとびきり稀少な、『怪盗ゴダールの冒険』に『悪党どものお楽しみ』。わたしはそれらの本を小脇に抱え、満ち足りた気分で店を出た。 しばらくして後ろをふり返ると、そこにはもう何もなかった。いまでもあの店は、運よくあそこを見つけることのできた人間に至福のときを与え続けていることだろう。 |
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Trent Intervenes (1938) E・C・ベントリー 2000年6月刊 2400円 【amazon】 本格長篇ミステリー黄金時代の到来を予告した名作 『トレント最後の事件』 で登場した、愛すべき名探偵フィリップ・トレントは、短篇でもそのすぐれた推理の腕前を発揮している。古い教会を舞台に仕組まれた巧妙な詐欺事件をえがいて、ミステリー通が選ぶ短篇ベスト 〈黄金の12〉 にも採られた 「ほんもののタバード」 をはじめ、友人夫妻のイタリアの別荘を訪れたトレントが、女主人の妹を毎夜襲う奇怪な発作の謎を解き明かす 「りこうな鸚鵡」、スケッチ旅行の途中で失踪した貴族の足跡をたどり隠された犯罪をあばく 「隠遁貴族」、かつて人気絶頂の歌姫が投身自殺した謎を追って意外な真相に到達する、シリーズ掉尾を飾る珠玉の名品 「ありふれたヘアピン」 まで、巨匠の輝かしい才能をしめす全12篇を収録した名短篇集、初の完訳。
本シリーズ中、唯一の名探偵物。収められた作品は、アンソロジーでは常連の名作ぞろい。トリックや動機のヴァリエーションなど、探偵小説的要素の面でも満足させてくれるが、〈ホームズのライヴァルたち〉が陥りがちだった不自然さを排した、巧みな語り口、魅力的な人物造型にも注目。最終話「ありふれたヘアピン」の余韻嫋々たる結びは、〈画家〉 トレントにこそふさわしいもの。 「本格ミステリにおける探偵像に関する著者の考えが見事に反映された好短篇が並んでいる」――村上貴史氏評 (『ミステリマガジン』) TOP
ロバート・ルイス・スティーヴンスン& 2000年9月刊 2200円 【amazon】 最後に残った一人が莫大な金額を受け取る仕組みのトンチン年金組合の生き残りは、ついにマスターマンとジョゼフの兄弟二人きりとなった。折りもおり、ボーンマスへ転地に出かけたジョゼフは、帰途、鉄道事故に遭遇してしまう。事故現場で老人の死体を発見した甥たちは、年金目当てに一計を案じ、死体を大樽に隠してロンドンに送り込み、伯父がまだ生きているように見せかけようとするが……。偶然のいたずらによって姿を消した死体が行く先々で引き起こす珍騒動と、死体探しに奔走する男たちの悪戦苦闘を、絶妙のユーモアをまじえてえがく、『宝島』 の文豪が遺したブラック・ファースの傑作。
消えたかと思うと意外なところで現れる厄介物の死体が騒動をひきおこす、オフビートなスラップスティック・コメディ。ヒッチコック映画 『ハリーの災難』 や、ノックス 『まだ死んでいる』 (ハヤカワ・ミステリ) のテーマを先取りしているが、のほほんとしたユーモアは、ジェローム・K・ジェロームの名作 『ボートの三人男』 (中公文庫) あたりも思い出させる。1889年という時点で、早くも探偵小説の流行をパロディしてみせる場面があるのには驚いた。 ※「朝日新聞」扇田昭彦氏評 「――これは完全な『笑劇』(ファルス)だ」 TOP
パーシヴァル・ワイルド 2000年11月刊 2400円 【amazon】
真面目なビルと 「懲りない男」 トニーの掛け合いが絶妙におかしい。このあたりの呼吸は、さすが劇作家として一家を成しただけのことはある。1920年代、ジャズ・エイジのアメリカの華やかなクラブ生活が見事に描かれていると同時に、1篇ごとにすぐれたミステリ的アイディアが盛られた好短篇集。 「週刊文春」傑作ミステリー・ベスト2000 第16位 「このミステリーがすごい! 2002」 第14位 「……1作ごとに豊かな着想が活かされており、読者を退屈させることがないのである。世の中でこれより面白い楽しみといったら、おそらく実際のギャンブル以外にないのではあるまいか」――杉江松恋氏評 (『ダ・ヴィンチ』) ◆ワイルド著作リスト ◆パーシヴァル・ワイルド/ユーモア・ミステリの達人 TOP
フレデリック・アーヴィング・アンダースン 2001年3月刊 2000円 【amazon】 〈百発百中のゴダール〉は素晴らしい泥棒だ。その偉大な頭脳はすべての可能性を予測し、あらゆる不可能を可能にする。水も漏らさぬ包囲網も難攻不落の金庫も、彼の行く手を阻めはしない。あるときは侵入不能の大邸宅から神秘の宝石を盗み出し、あるときは最新の防犯システムを破壊してウォール街一帯を大混乱に陥れ、またあるときは、合衆国貨幣検質所からタンク一杯の黄金を奪取する。その華麗にして大胆な手口は、まさにひとつの芸術だ。20世紀初め、世界の首都ニューヨークに君臨した怪盗紳士ゴダールの痛快きわまる冒険談、全6篇を収録。
懐かしの怪盗物。しかし、アンダースンは、キャラクターの魅力に頼ることなく、如何にして盗むか、というハウダニット・ミステリに力をそそいでいる。また、そのさまざまな技巧を凝らしたストーリー・テリングは、いま読んでも斬新。「二転三転するめまぐるしい変化と語り口のおもしろさは、1950年代以降のアイディア・ストーリーにひけをとらない新鮮な魅力に満ちている」 という小鷹信光氏(『ハードボイルド以前』 草思社)の言葉に嘘はない。 read→怪盗小説の系譜 「ニューヨークが最も魅力的だった時代の胸躍る怪盗物。凝ったプロット、当時の先端を行くトリック、風刺の利いたオシャレな会話……。なにより、こんな芸術的盗みへのこだわりがステキだ」――池波志乃氏 (『朝日新聞』5/7夕刊) TOP
G・K・チェスタトン 2001年8月刊 2500円 【amazon】 特種を追って世界を駆けめぐる新聞記者ピニオン氏は、ロンドンで4人の不思議な人物に出会った。〈誤解された男たちのクラブ〉 の会員である彼らは、やがてそれぞれの奇妙な体験を語り始める……。着任早々の植民地総督はなぜ狙撃されたのか、事件の意外な真相をあかす 「穏和な殺人者」、芸術家の屋敷の庭の片隅に立つ奇怪な樹をめぐる恐ろしい秘密の物語 「頼もしい藪医者」、名家の子息はなぜ不手際な盗みを繰り返すのか、その隠された動機を探る 「不注意な泥棒」、学者に詩人、質屋に将軍――4人の陰謀家は何をたくらむのか、ある王国で起きた革命騒ぎの皮肉な展開 「忠義な反逆者」 の4話をおさめた連作中篇集。奇妙な論理とパラドックスが支配するチェスタトンの不思議な世界。
「単純な者の動機は複雑な者の動機より複雑である」 といった、チェスタトンならではのパラドックス満載、独特の色彩感で描かれた魔法の国のような情景が印象的な作品。チェスタトンを読むのはいつだって特別な体験だが、この本もその期待を裏切らない。 →訳者の言葉 ※書評 佳多山大地氏(e-NOVELS) 「―― 『四人の申し分なき重罪人』 は、チェスタトンの箱庭の宇宙にあって一際輝く、4個の衛星を持った惑星のひとつである」 「これまた皮肉と諧謔に満ちた作品集だ。……この逆説を解決するロジックがミステリ的なツイストも効いて素晴らしく、読者を彼方の地平に連れ去る魅力的かつ妖しい魅力が充満している」――杉江松恋氏評 (「ミステリマガジン」2001年111月号) 「2002本格ミステリ・ベスト10」 第6位 TOP
ヒュー・ウォルポール 孤独な中年女性の日常への美しくも不気味な侵入者をえがいて、乱歩が〈奇妙な味〉の傑作と絶賛した「銀の仮面」、大嫌いな男に親友気取りでつきまとわれた男――微妙な人間関係がむかえる奇妙な顛末「敵」、大都会の暗闇にひそみ、青年を脅かす獣の恐怖を克明に綴ってモダン・ホラー的味わいの 「虎」、ゴースト・ストーリーの古典的名作「雪」 「ちいさな幽霊」 他、犯罪小説から超自然の怪談まで、絶妙な筆致で不安と恐怖の物語を織り上げる名匠ヒュー・ウォルポールの、高度な文学的達成を示す本邦初の傑作集。
このシリーズの中でも、とりわけ異色な1冊。純粋な怪談も含まれている。しかしウォルポールにあっては、スーパーナチュラルな怪談と心理的な犯罪小説との境目は、きわめて曖昧である。「銀の仮面」 はたしかに超自然要素など微塵もない作品だが、その救いのない恐怖感は、クライム・ノヴェルというよりは恐怖小説のものと云った方がいいような気がする。超自然と妄想の差は紙一重なのだ。自分を取りかこむ世界に対する居心地のわるさ、違和感をこの作者は徹底して描き続ける。世界が自分の味方であることを疑ったことがない幸せな人は、この本とは無縁の読者かもしれない。 →訳者の言葉 「……日本風にいえば 「後妻(うわなり)打ち」 の恐ろしさを、深沈たる筆致で描き出す 「雪」 をはじめとして、人間心理の襞に食い入ることで怪異のリアリティーを研ぎ澄まそうとした近代英国怪談の終着点を如実に体感させてくれる逸品ぞろい」――東雅夫氏評 (「SFマガジン」 2002年1月号) 「……「死の恐怖」 「トーランド家の長老」 といった作品は、運命的な死の香りを漂わせた作品だ。まるで葬儀屋の軒先のように、微かに死臭が漂っている。しかも防腐処理を施した、文化的な死」――杉江松恋氏評 (「ミステリマガジン」 2002年1月号) 「江戸川乱歩に絶賛された表題作をはじめ、いずれも60-70年前の作品なわけだが、人間心理が生む不条理な恐怖を描いてまったく古さを感じさせない」――笹川吉晴氏評 (「北海道新聞」 2001年10月27日夕刊)) |