パーシヴァル・ワイルド

ユーモア・ミステリの達人

                                    


生まれついての劇作家
 パーシヴァル・ワイルドは1887年3月1日にニューヨークに生まれた。早熟な子供であった彼は、保守的で規則づくめの学校生活にはなじめず、何度も放校処分を受けて転校を繰り返したが、成績は優秀で、わずか19歳でコロンビア大学の理学士課程を修了する。1906年から1911年まで銀行で働きながら、文筆活動を始め、タイムズ紙やポスト紙に書評を寄稿するようになった。そして1912年、最初の短篇小説が雑誌に載ると、たちまち舞台化の権利を求める申し込みが彼のもとに殺到した。これによってワイルドは、自分が生まれついての劇作家であることに目覚め、その後数年にわたって、当時隆盛をきわめていたヴォードヴィル用の一幕物の作者として活躍することになる。

観客の心理を学ぶという点で、その経験から得るところは多かったが、彼は次第にこのジャンルの制約に飽きたらぬ思いを感じ始めた。しかし、もっと知的な観客に狙いを定めて執筆した戯曲は、上演を拒否されてしまう。そこで彼は、1915年、ついにこれらの作をまとめて 《Dawn and Other One-Act Plays of Life Today》 として出版することにした。これに飛びついたのが、その頃新しく生まれていた小劇場運動である。

ヨーロッパにすこし遅れて、アメリカでも1910年代に登場したユージーン・オニールを中心に、リアリズムや前衛的手法を取り入れ、登場人物の内面を掘り下げた新しい演劇運動が、座席数数百の比較的小規模の劇場を拠点として盛んになり始めていた。オニールは別格として、当初はイプセンやバーナード・ショーなど、ヨーロッパの近代劇に演目を頼りがちだった彼らは、ここに自国の新しい小劇場作家としてワイルドを見出したのである。小劇場向けに彼が書き下ろした劇は大変な人気を博し、以来、そこが彼のおもな創作の場となった。

ワイルドの劇はリアリズムを基調とし、登場人物の分析的な描写に優れている。ストーリーの蓋然性を重んじて、とってつけたようなハッピー・エンドはこれを拒否する。100本を超えるその作品は、アメリカ国内および英語圏の1300以上の都市で上演され、フランス語、ドイツ語、イタリア語、オランダ語、スカンジナビア諸国語、ポーランド語、日本語、インドのマラーティー語などに翻訳された。戯曲のほとんどは本として出版され、《The Craftsman- ship of the One-Act Play》 (1923) などの著作もある。なお、戦前の 《新青年》 に彼の 「3分間劇」 が10篇ほど紹介されているが、これはちょっとしたひねりやオチをきかせた喜劇タッチの寸劇で、ヴォードヴィル向けの作品に近いものだろう。

第1次世界大戦が勃発すると海軍に入り、少尉で退役。ハイドロプレーン・コンパスの改良に多大な貢献があったという。その後、ハリウッドで短期間を過ごし、戯曲の合作もしている。1920年にナディ・ロジャーズ・マークレスと結婚、2人の息子をもうけた。

演劇を創作活動の中心としながら、時折り雑誌などに短篇を寄稿していたワイルドだが、1920年代には、改心した若きギャンブラー、ビル・パームリーがその知識と経験を生かしてイカサマ師たちのトリックをあばく一連の作品を発表している。1929年に 『悪党どものお楽しみ』 として1冊にまとめられたこのシリーズは、20年代ニューヨークの華やかな社交生活を活写しながら、同時に作者のミステリに対する深い造詣を窺わせるものであった。やがてワイルドは長篇ミステリにも手を染め、《Mystery Week-End》 (1938) を皮切りに、『検死審問』 (1939)、《Design for Murder》 (1941)、《Tinsley's Bones》 (1942)と、全部で4作が書かれることになる。1947年には短篇集 『探偵術教えます』 も上梓されている。

1942年に刊行された 『20世紀作家事典』 (クーニッツ&ヘイクラフト編。本稿の伝記的な記述はこの事典に多くを拠っている) によると、当時、ワイルドはニューヨークに居を構え、冬はマイアミ、夏はコネティカット州シャロンで過ごしている (彼のミステリの多くがコネティカット州の田舎町を舞台としているのは、この土地と住人を何年にもわたって観察してきたためだろう)。仕事をするのはもっぱら夜中で、午後はスポーツや社交、午前中は睡眠にあてている。マイアミ大学で非常勤講師として演劇の講座を受けもち、アメリカ演劇家協会の理事も務めている。すらりとして、むしろひ弱にさえみえる彼だが、実際には優れた泳ぎ手であり、テニス・プレイヤーであった。

1953年9月19日、ワイルドは心臓疾患のため、ニューヨークの病院で亡くなった。

ミステリ作家としてのパーシヴァル・ワイルド
 劇作家として名をなしたワイルドにとって、ミステリはいわば余技だったわけだが、その作品には、このジャンルに対する彼の深い愛情と理解がはっきりと刻印されている。作品数こそ多くはないが、そのレベルは非常に高く、どの作にも、なにか1つ独自の趣向が凝らされていて、読者を楽しませてくれる。登場人物の巧みな造型や、ユーモアと機知にあふれた会話は、戯曲の執筆で培われたものだろう。

ワイルドのミステリ作品をここであらためて簡単に紹介しておこう。

Rogues in Clover (1929) 『悪党どものお楽しみ』 (国書刊行会)
 賭博師稼業から足を洗い、故郷で農夫として堅実な生活を送っていたビル・パームリーが、ギャンブル好きでお調子者の友人トニーに引っ張り出されて、凄腕のイカサマ師たちと対決、そのトリックをあばいていく連作短篇集。全8篇を収録。ポーカーやルーレット、チェスなどさまざまなゲームが取り上げられているが、1作ごとに巧妙なイカサマのトリックがあり、それを見破った上でさらにその裏をかくビルの手並みも鮮やかな、素晴らしいアイディアにあふれた作品集である。生真面目なビルと何度カモにされても一向に懲りない男トニーの絶妙な掛け合いも楽しい。エラリイ・クイーンの里程標的短篇集リスト 〈クイーンの定員〉 にも選ばれた名作。原書はきわめつけの稀覯本としても知られている。なお、本書未収録のパームリー物の短篇 「堕天使の冒険」 は 『世界短編傑作集3』 (創元推理文庫) で読める。

Mystery Week-End (1938)
 目的地を秘密にして企画された週末ミステリ・ツアーで、コネティカット州の山荘にやって来た一行を襲った連続殺人事件。雪に降り込められ、弧絶した状況で、斧で頭を叩き割られた死体が鍵のかかった納屋から消え失せたりと、不可能興味もたっぷりの佳作。4部構成でそれぞれ異なる記述者を用いるなど、叙述スタイルの面でもワイルドらしい工夫が見られる。

Inquest (1939) 『検死審問』 (創元推理文庫)
 コネティカット州トーントン村に屋敷を構える人気女流作家の70回目の誕生日に、親類や出版社社長、文芸エージェント、評論家を招いてハウス・パーティが開かれた。午餐がすみ、客たちが庭で射撃をして遊んだあと、四阿で頭部を撃ち抜かれたエージェントの死体が発見される。自殺か、事故死か、それとも殺人なのか。全篇が死因究明のために開かれた検死審問 【インクエスト】 の証言記録からなるユニークな構成は、レイモンド・ポストゲイト 『十二人の評決』 (1940) あたりも想起させるが、ときにとんでもない方向へ脱線して検死官を困惑させる個性的な証人や陪審員たちの生き生きとした語り口には、劇作家ワイルドの本領が発揮されている。とぼけた味のユーモアに目が行きがちだが、探偵小説としての結構も優れた作品。ジェイムズ・サンドーの名作表など、多くの評者によってワイルドの代表作として認められ、江戸川乱歩は 『幻影城』 (1951) で 「1935年以降のベストテン」 に本書を選んでいる。エッセイ 「単純な殺人芸術」 で伝統的な探偵小説に軒並み手厳しい評価を下したレイモンド・チャンドラーも、これには満足したようだ。

Design for Murder (1941)
 コネティカット州のカントリー・ハウスで開かれた週末のパーティで、トランプのカードを引いて殺人者役と被害者役を決め、犯人あてを楽しむ 〈殺人〉 という客間ゲームが行なわれている最中に、本物の殺人が起きてしまう。本書もまた 《Mystery Week-End》 同様、4部構成で語り手がそれぞれ異なるが、屋敷や山荘といったクローズド・サークルで物語が展開する設定は、舞台にも通じるものがある。

Tinsley's Bones (1942)
 『検死審問』 の事件で陪審員をつとめ、度重なる口出しでスローカム検死官を大いに悩ませた元教師イングリスが再登場する。作家ティンズリーがこもって執筆に専念していた小屋が火事で焼失し、焼け跡からティンズリーの死体が発見される。事故と確信するイングリスに対して、スローカム検死官は調査の必要を感じた。やがて検死審問が開かれるが、今回は陪審員長に昇格したイングリスは前作以上の張り切りぶりで、検死官との間に抱腹絶倒の珍妙なやり取りが展開される。イングリスの暴走にもかかわらず、最後にはスローカム検死官が見事に謎を解き、事件を解決に導く。トリックや意外な解決の面でも十分に読者を満足させるユーモア本格ミステリの佳作である。

P. Moran, Operative (1947) 『探偵術教えます』 (晶文社)
 主人公ピーター・モーランは、コネティカット州の田舎町に邸宅を構えるマクレイ氏のもとで働く運転手。お調子者で無教養だが人好きのする青年で、美人には目がないモーランは、私立探偵にあこがれ、通信教育の探偵講座を受講中。すっかり一人前の探偵気取りの彼は、習いたての探偵術を試してみたくてたまらない。シロウト探偵の暴走が、毎回とんでもない騒ぎを引き起こすユーモア・ミステリ連作集。
 全篇が探偵学校教官との往復書簡で構成されるスタイルもユニークだが、探偵小説のパロディとしても、エラリイ・クイーンやビル・プロンジーニが折り紙をつけた一級品である。とくに古今の名作ミステリをお手本に紛失ダイヤ探しに乗り出したあげく、クルーゾー警部も真っ青の大暴走を繰り広げ、依頼人の美術コレクションを滅茶苦茶にしてしまう 「P・モーランと消えたダイヤモンド」 は抱腹絶倒の傑作。モーランの迷探偵ぶりにもかかわらず、なぜか、事件はいつも見事に解決してしまう、という展開もおかしい。
                                          (2002.11.14)

【note】


【参考文献】

緋色の研究INDEX