「世界探偵小説全集」ができるまで

第1期完結にあたって


 今回の全集の内容見本のためにいただいた山口雅也さんの短いエッセイに、子どもの頃見た夢の話がありました。夢の中ではいった古本屋で、未訳のはずの探偵小説がずらりと並んだ光景に出会って狂喜する、といったものですが、じつは自分にもまったく同じ体験があって、送られてきた原稿をみたとき、やっぱりそうなのか、とひとりうなずいてしまいました。

 我々の世代のご多分にもれず、そもそもの最初は創元推理文庫。まず夢中になったのはクイーンの国名シリーズでした。そして解説を読むと、どうやらクイーンには、『災厄の町』 とか 『九尾の猫』 といった作品もあるらしい。しかし、それがはたして翻訳されているのか、手に入れることができるのかどうか、はそこからはまったくわかりませんでした。カーの代表作だという 『三つの棺』 も 『ユダの窓』も、クリスティーのなんだかとんでもない傑作らしい 『そして誰もいなくなった』 も、入手した創元推理文庫の目録をどうひっくりかえしても見つかりません。世の中にはポケミスというものがあることを知ったのは、もう少し先のことですが、そうなったらなったで、今度は欲しいタイトルがことごとく品切という現実に直面、欲しい本を夢にまで見たのはこの頃のことです。

 その後、ポケミスの復刊やハヤカワ・ミステリ文庫の発刊によって、その渇はだいぶ癒されることになります。古書店まわりもおぼえて、読みたいものに一通り目を通してしまうと、「見るべきほどのものは見つ」 という平知盛のような心境になってきて、ミステリ熱もすこしさめてきました。そのころから翻訳ミステリの出版点数は爆発的に増えはじめていたのですが、次々と刊行される 「ミステリ」 と称するものに、ぼくは次第に興味をもてなくなっていました。少なくともそれらは、自分がいちばん読みたいものではなかったのです。

 読みたいものが出ないのなら自分が出してやろう、とそれほどはっきりと意識していたわけではありませんが、出版社に勤めるようになってまず考えたのは、やはりクラシック・ミステリの叢書でした。とはいっても、入社したての新米の全集企画がすんなり通るほど、世の中甘くはありません。で、とりあえずできるところからと始めたのが、ジョン・ディクスン・カーの歴史ミステリ 『エドマンド・ゴドフリー卿殺害事件』 とリチャード・D・オールティックの殺人事件の社会史 『ヴィクトリア朝の緋色の研究』。いずれもミステリというより、研究・評論書として通った企画ですが、さいわい先に出た 『ヴィクトリア朝の緋色の研究』 はわりあいに評判がよく、翻訳が遅れていた『ゴドフリー』を軸に、P・D・ジェイムズの歴史推理 『ラトクリフ街道の殺人』 や、小酒井不木の犯罪学エッセイ 『犯罪学研究』 『殺人論』、ハワード・ヘイクラフトの探偵小説史の古典 『娯楽としての殺人』 の改訳版を加えて、〈クライム・ブックス〉 を編むことができました。

 次にとりかかったのが、日本の埋もれた探偵作家の作品を集めた〈探偵クラブ〉 になるわけですが、せっせと近代文学館や国会図書館にかよって作品をコピーしながら、あらためて痛感したのは、古いミステリ作家について、実際に個々の作品を読んで発言している評論家の実に少ないことでした。読んではいても、自分なりのパースペクティヴを持たず、少数の例外をのぞくと、多くは江戸川乱歩の評言の引き写し、ないしはパラフレーズにすぎないのです。

 また、このシリーズの第V期で実現した井上良夫の評論集 『探偵小説のプロフィル』 でも、乱歩評論とは違った方向の批評の可能性があったことを、強く考えさせられました。いま読んでも驚かされるのは、その同時代欧米ミステリ界の動向に対する知識と、非常にまっとうな「読み」です。井上はもともと愛知の学校教師で、中央の探偵文壇とは関係なくミステリの原著を取り寄せて読み耽り、評論や翻訳を始めた人で、短篇やスリラー偏重の戦前探偵小説界にあって、よりモダンな欧米本格長篇の系統的な紹介を仕掛けた、影の功労者でもあります。黄金時代長篇の本格的紹介をめざして惜しくも中絶した、柳香書院の 〈世界探偵名作全集〉 は、江戸川乱歩、森下雨村監修となってはいますが、実際の作品選択にあたっては、井上良夫の知識と批評眼がおおいに重んじられていたはずです。なにより 「英米探偵小説のプロフィル」 「傑作探偵小説吟味」 といった本格的な紹介・評論をみれば、戦前の日本探偵小説界で、こと海外ミステリに関する限り、最高の見識を有していたのは、乱歩ではなく井上良夫であったことは明らかです。

 戦後の乱歩の評論活動、および翻訳出版に対する影響力の大きさのために、彼の特異な好みなり、当時としては無理もないが、ごく限られた情報にもとづく誤解、ないし暫定的な評価が、その後検証されることなく、無批判のまま踏襲されてきてしまいました。海外ミステリ、特にクラシック・ミステリに関して、戦後の日本ミステリ界は、つい最近まで乱歩を相対化する視点をもちえなかったように思います。植草甚一、都筑道夫らのすぐれた評論・紹介活動はあったにせよ、多くの 「解説者」 は、邦訳された作品だけを頼りに、依然として乱歩とヘイクラフト、それにせいぜいジュリアン・シモンズの 『ブラッディ・マーダー』 あたりを引いて、安閑としていました。翻訳出版の現場のほうは、その間に新作中心の紹介へと移行し、そうなると、いまさら黄金時代の古典を振り返る余裕などありませんでした。その結果、クラシックに関しては、乱歩が下した評価のレヴェルで留まったまま、そこで消化しきれなかった作家・作品は棚上げされたまま、出版社も読者も、次々に刊行される新作を追いかけることになったのです。

 ──というようなことを、〈探偵クラブ〉 をすすめながら漠然と考えていたわけですが、一方で、鮎川哲也氏をはじめ、この企画を通してお会いしたいろいろな方から、クラシック・ミステリを求めているファンはまだまだたくさんいることを教えられ、大いに勇気づけられもしました。未訳のクラシック・ミステリを原書で読み、レヴューしている同人誌 〈ROM〉 を鮎川さんから紹介され、主宰の加瀬義雄さんにお会いしたのも、このときのこと。『ピカデリーの殺人』 の画期的な解説で、以前から注目していた小林晋さんにいろいろ教えていただいたり、私家版で 『ミステリ作家名鑑』 を出したばかりの森英俊さんにも早速お目にかかって、その膨大な海外ミステリに関する知識に圧倒されたりしながら、次第に今回の 〈世界探偵小説全集〉 の企画がかたちを取り始めてきました。

 〈ROM〉 の人たちとお会いしてまず驚かされたのは、クラシック・ミステリの原書を収集し、読破している人がこんなにいたのか、ということでした。しかも、貴重な原書を気軽に貸していただけたことにも感激しました。作品の選定、翻訳底本の収集という面で、この方々のご協力がなければ、今回の全集は成立しなかったと思います。また、上記の皆さんをはじめ、真田啓介、塚田よしと氏ら、〈ROM〉 寄稿者を中心に据えた解説の充実ぶりは、本全集の特徴として誇れるものだと思います。あらためてここに記して感謝の意を表します。

 ところで第1期に収録した10冊は、すでにご存知のとおり、クラシック・ミステリのファンには比較的おなじみの作家が中心です。数えてみると、抄訳、戦前訳も含めると既訳のある作品が4つもあり、本邦初紹介の作家は一人もはいっていません。その辺は、古くからこのジャンルを読まれてきた方には、あるいは物足りなく思われたことと思います。しかし、これには理由があります。これまでの経験から、読者は案外保守的なもので、聞いたことのない名前には(特にハードカヴァーの場合には)なかなか手をのばしてくれないことが、よくわかっていたからです。もちろん、探求心旺盛な読者がいないわけではありません。しかし残念ながらその数は、全集を営業的に支えるにはあまりにも少ないのです。どこも出さないクラシック・ミステリの全集であえて勝負する以上、失敗するわけにはいきませんでした。ここで終ってしまっては意味がありません。

 もちろん半世紀も前のエンターテインメントが爆発的に売れるとは思ってはいません。創元推理文庫やハヤカワ・ミステリ文庫のクラシック離れが批判されることがありますが、現状では、クラシックで文庫の最低ラインの部数をクリアするのは、かなりむずかしいでしょう。しかし、ハードカヴァーで採算点を低めにおさえていけば、クラシック・ミステリの企画は、現在でも十分成立するはずです。

 というわけで、作品選択にあたっては、いろいろな方のお知恵を拝借しながら、営業的な要素も加味して、10冊を選び出しました。まず、熱狂的なファンの多いジョン・ディクスン・カー (カーター・ディクスン) は、なぜか復刊されずに残っていた初期の佳作 『一角獣殺人事件』 を選びました。晩年の未訳作品も考えないではありませんでしたが、やはり作品としての完成度を考慮して断念しました。また、そのレヴェルの高さと影響の大きさからいって、当然クイーンやカーと同等の扱いをうけるべきアントニイ・バークリーは、序文ばかりが有名になってしまった、しかしなかなかの問題作 『第二の銃声』 を採り、これも大好きな作家クリスピンは、二重殺人、誘拐、シェイクスピアの幻の原稿と盛沢山な 『愛は血を流して横たわる』 を選びました。

 A・E・W・メイスンの1910年刊の古典 『薔薇荘にて』 は、さすがに刊行後、その構成の古めかしさを指摘されたりもしましたが、個人的には、こういった大時代なロマンティック・ミステリもわるくないと思っているのです。一口にクラシック・ファン、本格ファンといっても、好みはさまざまです。クレイトン・ロースン 『天井の足跡』 にしても、たしかに小説は下手かもしれませんが、これでもかとばかりにたたみかけるアメリカン・パズラーの心意気を買いたいのです。シリル・ヘアーやヘンリー・ウエイドの小説としての成熟とは、別の楽しみ方もあると思います。

レオ・ブルース 『ロープとリングの事件』 は小林晋さんの推薦作。ブルースに入れ込み、個人的に紹介をすすめていた小林さんが私家版で出されていた『死体のない事件』 【のちに新樹社から刊行されました】 に感心してしまったので、ぜひビーフ物をとお願いしたものです。クレイグ・ライス 『眠りをむさぼりすぎた男』 は、もちろん森さんの隠し玉。マローン&ジャスタス夫妻物とはまったく違うタッチの作品でしたが、大方のライス・ファンにも好評のようで安心しました。

 ひとつ残念だったのは (というか早めにわかって良かったというべきか)、じつは選定段階では、全集の目玉としてマイクル・イネスの Lament for a Maker を考えていたのです。これぞ 〈幻の名作〉 の名にふさわしい傑作、と思っていたら、近々現代教養文庫から邦訳が出るときいてびっくりしました。実際、このイネスをはじめ、ディヴァイン、ブルース、ウエイドなど、不定期ながらミステリ・ボックスのセレクションにはいつも感心させられています。『ある詩人への挽歌』 への反響は、この企画をすすめるにあたって大きな励みにもなりました。前後して創元推理文庫のセイヤーズ全訳が始まったりと、クラシック復権の動きがすこしずつですが見えてきていたのも、今回の全集の追い風となってくれたと思っています。

 それはさておき、こうして 〈世界探偵小説全集〉 はスタートしました。さいわい予想以上の支持を得ることができたと思います。正直いって、現在の趨勢を考えると書評では黙殺されると思っていたのですが、案外に好意的な評もたくさんいただきました。なかでも嬉しかったのは、「〈これぞ探偵小説。そうでしょう?〉 という声が聞こえてくるようだ」 という北村薫さんの読売新聞の評で、おおいに意を強くしました。昨年末の 『このミステリーがすごい!』 の投票で、『第二の銃声』 が5位に入ったのも、シリーズ全体に対する期待票と受けとめています。

 バークリー以外では、『一角獣』 は別格として、ヘアー『英国風の殺人』、クリスピン 『愛は血を流して横たわる』 の健闘が目立ちます。かつてトリック偏重の時代には、いまひとつ十分な支持を得られなかった観がある英国 〈新本格派〉 ですが、ようやくこうした成熟した大人のミステリが受け入れられる時代がやってきたのかもしれません。40〜50年代の英国ミステリは今後大いに再発掘されるべきだと思います。

 さて、来るべき第2期全15巻では、1期よりさらに一歩踏み込んで、本邦初紹介作家の作品も多数取りあげる予定です。〈読者への挑戦〉 を謳った謎解き派ルーパート・ペニーの Sweet Poison、不可能犯罪派クライド・B・クレイスンの代表作 The Man from Tibet、J・T・ロジャーズの驚くべき怪作 The Red Right Hand、ナチス台頭期のドイツを舞台にしたダーウィン・L・ティーレットの異色作The Talking Sparrow Murders、デレック・スミスの傑作密室物Whistle Up the Devil!をはじめ、ロード、イネス、マーシュ、ミッチェル、ロラック、キングら、まだまだ全貌のあらわれていない大家の代表作、短篇集ではストリブリングのポジオリ教授物、そして、カーの現在訳書がもっとも入手困難なTill Death Do Us Part (『毒殺魔』) の新訳、バークリーの構成に工夫を凝らした佳作Murder in the Basement 等が収録予定です。

 1期の作家でも、クリスピン、ヘアー、ウエイドなどはまだまだ訳されていいと思いますし、ベイリー、ポーストなどの短篇集、50〜60年代のサスペンス色の強い作品など、取りあげてしかるべき作家、作品は尽きません。また、この夏から秋にかけて、ダグラス・G・グリーンの評伝 『ジョン・ディクスン・カー/奇蹟を解く男』、森英俊氏の 『世界ミステリ作家事典/本格派篇』 (『ミステリ作家名鑑』 を大幅改訂増補) が刊行されます。作品の紹介と併行して、評論・エッセイの分野にも力を入れていくつもりです。微力ではありますが、クラシック・ファンの 「夢の本屋」 をすこしでも現実のものとすることができればと願っています。

1996.6)  

note】

第1期完結の前に、文中にもある〈ROM〉 誌に寄せたものを一部改稿。かなり気負った文章で、いま見ると気恥ずかしいが、このころはクラシック・ミステリの出版について、そうした気負いのようなものが、つねにつきまとっていたように思う。「クラシックはマニアが読んでればいい」 という冷ややかな声も、確かに一部にあった。わずか5年前の文だが、クラシック・ミステリをめぐる状況は隔世の観がある。このときは、まさかこんなにあちこちで翻訳紹介が始まるとは、正直、思ってもみなかった (ただし、クラシック・ミステリの読者がそれだけ増えたのかというと、そんなに楽観はできないような気がしている。現在の小ブームの一部には、出版不況が確実に影を落としていると思う)。カーの未訳作や新訳も、その後次々に出た。自分なりに次はこれ、その次は……というふうに計画を立てていたのだが、随分と勝手が違ってしまった部分もある。そんなに甘くはないと云うことか。

なお、1期で予定していたウエイド 『推定相続人』 は、結局、翻訳が間にあわず、2期での刊行となった。代わりに急遽差し替えたのが、ジョン・ロードの 『見えない凶器』である。