【単行本/評論・研究】

ヴィクトリア朝の緋色の研究
R・D・オールティック
暗い山と栄光の山
M・H・ニコルソン

【関連企画】
異貌の19世紀

ロンドンの見世物
バルトルシャイティス著作集
モンスター・ショー
ハリウッド・ゴシック
殺す・集める・読む

パラドクシア・エピデミカ

殺人事件の社会史

クラテール叢書11
ヴィクトリア朝の緋色の研究
Victorian Studies in Scarlet (1970)

リチャード・D・オールティック
村田靖子訳

国書刊行会

◆四六判・上製ジャケット装・466頁 
◆装丁=中島かほる

1988年7月刊 本体3301円 [amazon] 品切

ヴィクトリア朝の英国ほど、人々が殺人事件に熱中した時代はかつてなかった。街頭で呼び売りされたブロードサイトは、犯罪の残虐性を強調し、新聞は事件の発生から裁判の経過、犯罪者の処刑までを詳細に報じた。人々はそれらの煽情的な記事をむさぼるように読み、裁判所や公開処刑へと、まるで芝居見物に行くような気分で出かけていった。話題の事件はただちに演劇や小説に脚色されて大当たりをとり、著名な殺人犯は、マダム・タッソー蝋人形館の最大の呼び物となった。殺人事件は、いわばヴィクトリア朝大衆の国民的娯楽であった。19世紀英国で起きた殺人事件をとりあげ、それらに大衆が示した異常な興奮ぶりを追い、謹厳実直で知られるヴィクトリア朝のもう一つの顔を明らかにした社会史研究の異色作。

【目次】

1.大衆むけ殺人のはしり
2.「大評判の殺人事件が起きた」
3.血まみれ文学
4.流血演劇とその他の娯楽
5.殺人者と文学者
6.スタンフィールド館の悲劇
    ジェイムズ・ブロムフィールド・ラッシュ 1849年
7.「医者を信用するなかれ」
    ウィリアム・パーマー 1856年
    トマス・スメサースト 1859年
    エドワード・プリチャード 1865年
8.ヘンリー・ジェイムズ好みの完璧な事件
   マドレイン・スミス 1857年
9.世にも恐ろしい犯行
   ジェシー・マクラフラン 1862年
10.サッカレーが預言した殺人
   フランツ・ミュラー 1864年
11.ロンドン橋をひとまたぎ
   ヘンリー・ウェインライト 1875年
12.召使には御用心
   ケイト・ウェブスター 1879年
13.チャーリーの離れ業
   チャールズ・ピース 1879年
14.ピムリコの寝室
   アデレイト・バートレット1886年
15.砒素とアラバマから来た女
   フローレンス・メイブリック 1889年
16.ペンと毒薬
   トマス・ニール・クリーム 1892年
17.ジョージのアメリカン・バーでの殺し
   ジョージ・チャップマン 1903年
18.ヌードの自転車乗りを訓練した男
   サミュエル・ドゥーガル 1903年
19.殺人とヴィクトリア朝精神

リチャード・D・オールティック (1915-2008)
アメリカの英文学者。オハイオ州立大学名誉教授。他の邦訳に 『ロンドンの見世物』 『二つの死闘』 (以上、国書刊行会)、『ヴィクトリア朝の人と思想』 (音羽書房鶴見書店) がある。

スポーツ新聞をむさぼり読み、ワイドショーを追いかけ、犯人や動機をしたり顔で取り沙汰し、眉をひそめながらも犯罪報道を 「娯楽」 として享受する――大事件が起きるたびに、ヴィクトリア朝の英国とまったくおんなじじゃないか、と思う。ただ、それを大規模に、ものすごいスピードでおこなっているだけだ。現代社会のいろいろな問題は、19世紀の西欧にすでにその直接的な原型が現れている、と感じることは多い。我々の時代は 「加速された19世紀」 だ、という思いは、〈異貌の19世紀〉につながっていく。

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崇高美学の誕生

クラテール叢書13
暗い山と栄光の山 無限性の美学の展開
Mountain Gloom and Mountain Glory (1959)

マージョリー・ホープ・ニコルソン 小黒和子訳

◆四六判・上製ジャケット装・540頁
◆装丁=中島かほる
◆装画=ジョン・マーティン

1989年11月刊 本体3786円 [amazon]

17世紀英国の詩人にとって、「山」 は自然の美観をそこない、地上の調和を脅かす不快な突起物であった。彼らは 「できもの」 「嚢腫」 「火ぶくれ」 といった言葉で山を形容し、あるいはまた、高く聳える山の姿に、貪欲な人間たちへの神の怒りと最後の審判の予兆を見出した。しかし、18世紀後半に至って、事情は一変し、ロマン派の詩人たちは、こぞって山の壮麗さ、崇高美を謳いあげ、富裕階級の間にアルプス詣でが流行する。もはや山は恐ろしい、病的なものではなく、聖なるエクスタシーをかきたて、人々の心を 「永遠なるもの」 へと結びつける象徴へと変化していたのである。「暗い山」 から 「栄光の山」 へ。本書は、「山」 に対する趣味の劇的な変化を追いながら、その感受性の変化のなかから、崇高美学が生まれてくる過程を跡づけた、観念史派M・H・ニコルソンの記念碑的名著である。

マージョリー・ホープ・ニコルソン (1894-1981)
アメリカの文化史家。A・O・ラヴジョイの 〈観念史クラブ〉 の中心的メンバーとして、脱領域的文化研究を展開。優れた教育者でもあった彼女の著作は、いずれもスリリングな知的興奮に満ちている。他の邦訳に、『月世界への旅』(国書刊行会)、『円環の破壊』 (みすず書房)、『美と科学のインターフェイス』 (平凡社)、『想像の翼――スウィフトの科学と詩』 (山口書店)がある。新時代の科学が文学・社会に与えたインパクトを解明した 『ニュートン、詩神を召喚す』 『ピープスの日記と新科学』、病に取り憑かれた詩人ポープに医学と文学の相関をみる『わが生――この長き病』 などの重要著作の翻訳も待たれる。

〈観念史〉なんていうとちょっと難しそうだが、英語で言うとHistory of Ideas。要は、〈物の見方〉〈考え方〉の歴史ということ。この本では 「山」 を手がかりに 〈美〉の観念の変遷を辿っているわけだけだが、早い話、何を美しいと感じるか、その基準は、時代や場所によってかなり違う。いつの時代も変わらないこともあれば、変わるものもある。その物のとらえ方の変化に着目していこうという学問だ。(その成果は、『西洋思想大事典』〈平凡社)で。「西洋思想」 なんてヤボな邦題が付いているけど、原題はズバリ Dictionary of History of Ideas。個人で買うにはちょっと高い本だが、大きな図書館なら入っているはず)

18世紀の西欧では、美の基準に劇的な変化が訪れた。それまで 「小さなもの」 「丸いもの」 「滑らかなもの」 「均整のとれたもの」 「安定したもの」 「穏やかなもの」 に古典主義的な 〈美 beauty〉 を感じていたのが、ここにいたって 「巨大なもの」 「尖ったもの」 「ギザギザしたもの」 「逸脱したもの」 「めまいを覚えるもの」 「激しいもの」 に、これまでの美にはない、魂を揺さぶるような強烈な魅力を感じるようになる。畏怖にも似たその新しい感覚を、彼らは 〈崇高美 sublime〉 と呼んだ。「山」 はその象徴でもあった。ゴシック小説で 「恐怖」 が文学の主題となるのも、この時代である。人々は 「恐怖の快楽」 に、あらためて目覚めたのだ。

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