ヴィクトリア朝の緋色の研究 【関連企画】 |
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リチャード・D・オールティック 国書刊行会 ◆四六判・上製ジャケット装・466頁 1988年7月刊 本体3301円 [amazon] 品切 ヴィクトリア朝の英国ほど、人々が殺人事件に熱中した時代はかつてなかった。街頭で呼び売りされたブロードサイトは、犯罪の残虐性を強調し、新聞は事件の発生から裁判の経過、犯罪者の処刑までを詳細に報じた。人々はそれらの煽情的な記事をむさぼるように読み、裁判所や公開処刑へと、まるで芝居見物に行くような気分で出かけていった。話題の事件はただちに演劇や小説に脚色されて大当たりをとり、著名な殺人犯は、マダム・タッソー蝋人形館の最大の呼び物となった。殺人事件は、いわばヴィクトリア朝大衆の国民的娯楽であった。19世紀英国で起きた殺人事件をとりあげ、それらに大衆が示した異常な興奮ぶりを追い、謹厳実直で知られるヴィクトリア朝のもう一つの顔を明らかにした社会史研究の異色作。
スポーツ新聞をむさぼり読み、ワイドショーを追いかけ、犯人や動機をしたり顔で取り沙汰し、眉をひそめながらも犯罪報道を 「娯楽」 として享受する――大事件が起きるたびに、ヴィクトリア朝の英国とまったくおんなじじゃないか、と思う。ただ、それを大規模に、ものすごいスピードでおこなっているだけだ。現代社会のいろいろな問題は、19世紀の西欧にすでにその直接的な原型が現れている、と感じることは多い。我々の時代は 「加速された19世紀」 だ、という思いは、〈異貌の19世紀〉につながっていく。 |
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崇高美学の誕生 | ||
マージョリー・ホープ・ニコルソン 小黒和子訳 ◆四六判・上製ジャケット装・540頁 1989年11月刊 本体3786円 [amazon] 17世紀英国の詩人にとって、「山」 は自然の美観をそこない、地上の調和を脅かす不快な突起物であった。彼らは 「できもの」 「嚢腫」 「火ぶくれ」 といった言葉で山を形容し、あるいはまた、高く聳える山の姿に、貪欲な人間たちへの神の怒りと最後の審判の予兆を見出した。しかし、18世紀後半に至って、事情は一変し、ロマン派の詩人たちは、こぞって山の壮麗さ、崇高美を謳いあげ、富裕階級の間にアルプス詣でが流行する。もはや山は恐ろしい、病的なものではなく、聖なるエクスタシーをかきたて、人々の心を 「永遠なるもの」 へと結びつける象徴へと変化していたのである。「暗い山」 から 「栄光の山」 へ。本書は、「山」 に対する趣味の劇的な変化を追いながら、その感受性の変化のなかから、崇高美学が生まれてくる過程を跡づけた、観念史派M・H・ニコルソンの記念碑的名著である。
〈観念史〉なんていうとちょっと難しそうだが、英語で言うとHistory
of Ideas。要は、〈物の見方〉〈考え方〉の歴史ということ。この本では
「山」 を手がかりに 〈美〉の観念の変遷を辿っているわけだけだが、早い話、何を美しいと感じるか、その基準は、時代や場所によってかなり違う。いつの時代も変わらないこともあれば、変わるものもある。その物のとらえ方の変化に着目していこうという学問だ。(その成果は、『西洋思想大事典』〈平凡社)で。「西洋思想」 なんてヤボな邦題が付いているけど、原題はズバリ
Dictionary of History of Ideas。個人で買うにはちょっと高い本だが、大きな図書館なら入っているはず) |