柳香書院 〈世界探偵名作全集〉
幻の探偵小説全集ということで、ポケミスの初期に掲げられた(実現しなかった)刊行予告リストを〈幻のポケミス〉として紹介してみたが、同じように錚々たるラインナップで探偵小説ファンを狂喜させながら、やはりその大部分が未刊に終ったシリーズが戦前にもあった。それがここに紹介する柳香書院 「世界探偵名作全集」 全30巻である。監修に江戸川乱歩、森下雨村という当時の探偵文壇最高権威をいただき、昭和10年(1935)10月、イーデン・フィルポッツ 『赤毛のレドメイン一家』
から刊行を開始したが、クリスティ 『十二の刺傷』、ミルン 『赤色館の秘密』、ノックス 『陸橋殺人事件』、メイスン 『矢の家』 のわずか5冊を出したのみで中絶してしまった。そのときの落胆を、当時熱烈な少年探偵小説ファンだった鮎川哲也氏はのちに、「胸高鳴らせて書店に駆けつけたのに、予告された新刊はどこにも置かれていない。少年のわたしは人生最初の
『失望』 というものを味わった」 (『ランプリイ家の殺人』月報・「柳香書院追想」) と回想している。
この昭和10年前後は、翻訳探偵小説叢書のちょっとしたブームで、他にも春秋社の
「傑作探偵叢書」 (S10〜12頃)、黒白書房の
「世界探偵傑作叢書」 (S10〜11)、日本公論社の翻訳叢書
(S10〜15頃)、サイレン社探偵小説 (S11)、博文館文庫
(S12〜15) といった企画が前後して刊行されている。そのなかにあって柳香書院の
「世界探偵名作全集」 の企画がひときわ抜きん出ているのは、当時英米で隆盛を極めていた本格探偵小説の傑作を体系的に紹介していこうという意図が明確である点にある。また、その本格探偵小説の謎ときの妙味を味わうために、戦前翻訳界に蔓延していた抄訳方式を排して、できるだけ完訳に近いかたちで、優れた翻訳者を揃えて紹介しようとしたのも画期的であった。
監修には江戸川乱歩・森下雨村の名前があがっているが、作品選択作業を実質的に支えたのは、翻訳家・評論家の井上良夫である。戦後、海外ミステリの紹介者として圧倒的な仕事を残している乱歩だが、昭和10年のこの時点では、さほど多くの英米探偵小説を読んでいたわけではない。作家としては講談社系の通俗路線をあゆんでいた乱歩は、この年、井上から
『赤毛のレドメイン』 の原書を借りて読み、あらためて本格探偵小説への情熱をかきたてられる。
そこへ柳香書院から持ち込まれたこの企画に、乱歩は大いに乗り気になり、井上の助力をあおいで編集に取りかかった。その間の事情を乱歩は、「(第1次)大戦後のめぼしい長篇探偵小説を、出来るだけ厳選し、優秀な訳者を選んで権威ある翻訳叢書を出版したいと考えた。その為には私自身も随分原本を読みあさったし、又井上良夫君などの助力をも乞うて、結局三十巻の優秀作品を選び出すことが出来た」
と随筆 「探偵小説十五年」 で回想している。
さらに昭和21年(1946)の 「フダニット随想」 では、「私は探偵作家になってからは外国の探偵小説はあまり読まなかった」 と述べ、それでも柳香書院の
「全集」 の監修にあたったときには30冊ほどの長篇をまとめて読んだが、「結局あの叢書に編入した作品は私の読んだものは半分ぐらいで、他はヴァン・ダインのほめているものをそのまま入れたり、井上良夫君の推薦してくれたものを採ったりしたのであった」
とより具体的にその経緯を告白している。
ヴァン・ダインの影響について一言触れておくと、戦前の日本探偵小説界におけるヴァン・ダインの権威、影響力は、いまからは考えられないほど絶大なものがあった。1926年(昭和1)にデビューし、アメリカで大評判となった彼の作品は順次翻訳され、長篇探偵小説の一種理想形として受け止められた。実作において浜尾四郎
『殺人鬼』、小栗虫太郎 『黒死館殺人事件』
に多大な影響を与えただけでなく、ウィラード・ハンチントン・ライトの本名で編んだ
『傑作探偵小説集 』 (1927) の長序 (「推理小説論」
として、創元推理文庫 『ウィンター殺人事件』
に併録) は、欧米探偵小説史の教科書として、またブックガイドとして大いに活用された。戦前の翻訳紹介の指針のひとつでもあり、また彼の探偵小説論は、甲賀三郎らの
「本格論争」 にも影を落としている。
ところでヴァン・ダインのベストというものが、よく引用されるが、これは実際には名作リストとして選定されたものではなく、『傑作探偵小説集』
序文で、イギリス作家による優れた探偵小説として列挙されたものにすぎない。これを乱歩が
「ヴァン・ダインが推奨した英国の九傑作」
としてリスト化して評論集 『幻影城』 他に掲げ、これが踏襲されたために、「ベスト9」
または短篇集2冊を加えて 「ベスト11」 とされてきた。ヴァン・ダイン自身は、「ここに言及したものは英国の急速に増加している推理小説の宝庫のなかで、とくに注目に値するものを、ほんの数編拾いあげただけである」 (井上勇訳)
と記している。あらためてここに列挙しておくと、ベントリー 『トレント最後の事件』、メイスン 『矢の家』、クロフツ 『樽』、ヘクスト 『誰が駒鳥を殺したか』、フィルポッツ
『赤毛のレドメイン家』、フリーマン 『オシリスの目』、ノックス 『陸橋殺人事件』、フィールディング 『停まった足音』、ミルン 『赤い館の謎』、ベイリー
〈フォーチュン氏〉 シリーズ、チェスタトン 〈ブラウン神父〉 シリーズ、の11点である。
ちなみにこの 「全集」 企画が持ち込まれた昭和10年10月、乱歩は柳香書院から作品集 『石榴』 を刊行している。「石榴」 「陰獣」 「心理試験」
の 「純探偵小説」 3篇をおさめたこの本は、「私の二百何十冊の著書のうちで、最も気に入っているもの」(『探偵小説四十年』) だったという。
井上良夫は、名古屋でバス会社の社員や学校教師として働きながら、英米の探偵小説を原書で読みつづけ、その知識をもとに、昭和8年から探偵小説専門誌
《ぷろふいる》 に、海外の新作を紹介する 「英米探偵小説のプロフィル」
を連載、探偵小説界の注目を集めていた。その前年、《探偵小説》
誌に森下雨村訳として掲載されたクロフツ 『樽』
の実質的な翻訳者は、井上であるとも言われている。あるいは無名の井上から持ち込まれた訳稿に、雨村が手を入れ、雑誌に掲載されたものかもしれない
(この森下雨村訳 『樽』 は、のちに柳香書院から刊行された。そのさい、井上の長文の解説
「傑作探偵小説 『樽』 の吟味」 が付されている)。英米の探偵小説事情について、井上は戦前探偵小説界随一の知見を有していた。乱歩が全集編纂に際して、彼の協力を要請したのは当然であった。
当時、すでにイギリスでは1920年代にクリスティー、クロフツ、バークリー、フィリップ・マクドナルドなどが登場し、それまでの短篇時代、あるいは長篇スリラーの時代から脱却し、論理と謎解きを主眼とした新しいタイプの長篇探偵小説が全盛を誇り、少し遅れてアメリカでもヴァン・ダイン以降、クイーン、カーら、新しい才能が次々に出現していた。しかし、日本の探偵小説界においては、ヴァン・ダインこそいちはやく紹介が進んでいたものの、本格探偵小説の受容という点では、まだまだ遅れており、相変わらずビーストン、エドガー・ウォレスらのセンセーションを売り物にした作品がもてはやされていた。たとえば大阪圭吉の優れた本格短篇が、論理的興味に傾きすぎて無味乾燥のきらいがある、などと批判されていた時代である。本格論者の筆頭、甲賀三郎も、実作では通俗的なスリル本位の長篇を書きつづけていた。
その時代にあって、ひとり黙々と、自分の好きな本格探偵小説を読みつづけていた井上は、「アガサ・クリスチイの研究」
「傑作探偵小説吟味」 「作家論と名著解説」
などの本格的評論を雑誌に発表しながら、本全集の
『赤毛のレドメイン一家』 『陸橋殺人事件』
を皮切りに、クロフツ 『ポンスン事件』 『スターベル事件』、ブッシュ
『完全殺人事件』、ロス(クイーン) 『Yの悲劇』、ポーロック
(P・マクドナルド) 『殺人鬼対皇帝』、スカーレット
『密室二重殺人事件』、ガードナー 『法律事務所の奇妙な客』、フィルポッツ
『闇からの声』といった長篇を次々に翻訳、紹介していった。
これらの翻訳リストや柳香書院の 「全集」 企画には、大戦間のいわゆる黄金時代探偵小説を代表する傑作が並んでいるが、留意してほしいのは、井上が紹介を計画した時点で、これらはまだ刊行後間もない、多くは10年以内に発表された作品であったという事実である。各種のレファレンスや情報が行きわたっている現在とは事情が違う。文字通り手探りで、紹介するに足る
「珠」 を探求していたはずである。いくつかの参考となる評論やリストはあったにしろ、ブームの最中、夥しい作品が刊行されていた中で、これだけの作品を探り当ててきた、その眼力には脱帽するしかないだろう。
しかし、柳香書院の全集はその企図むなしく挫折してしまう。乱歩によれば、「売行きも決して悪くなかったのだが、出版社の側に営業上の色々の弱点があったために、読者からは歓迎されながら、予定の三十巻の僅か六分の一を出したのみで中絶のやむなきに立ち至った」
(『探偵小説四十年』) のだという。そしてこの数年の翻訳ブームも、昭和12年頃から翳りをみせはじめ、戦時体制が強化されるとともに、次第に探偵小説の出版そのものが、当局によって規制されるようになる。思うように創作の場を得られず屈託していた乱歩は、昭和18年(1943)、井上良夫に原書を借りて英米の本格長篇を読みふけり、多くの知識を得るとともに、探偵小説を体系的に検証しはじめる。二人の探偵小説をめぐる活発な議論は、往復書簡
(『江戸川乱歩全集22/わが夢と真実』、講談社、所収) にその一端をうかがうことができる。
井上良夫は昭和20年4月、肺結核で亡くなった。時局の悪化のため、満足な栄養も取れず、治療も受けることが出来なかったという。享年36歳。終戦間際の混乱のなか、その訃報は乱歩のもとには届かなかった。戦後、井上の蔵書100冊余を引き取った乱歩は、その遺志を引き継ぐかのように、旺盛な評論・紹介活動を開始する。その成果である評論集
『幻影城』 (S26)を、乱歩は井上の霊前に捧げている。
井上の評論集の企画は、すでに戦前、彼が評論活動の本拠とした
《ぷろふいる》 の版元ぷろふいる社で予告されたことがある。戦後も、名古屋で設立された新探偵小説社で計画されていたという。しかし、いずれも実現に至らず、『探偵小説のプロフィル』 として、そのほぼ全業績がまとめられたのは、1994年、没後50年を目前にした年の夏であった。
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実際に刊行されたタイトルは赤字で示した。
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参考として、戦後の翻訳、未刊タイトルについては初訳情報などを付記した。
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予定タイトルの次に原書の刊行年を記しておいたので、セレクションが行なわれた1935年の時点に立って、その年代を見ていただきたい。クイーンはデビュー6年目の新進作家、クリスティでようやくキャリア15年、いまの日本でいえば綾辻行人くらいの位置にいたわけだ。この時点では、古典どころか最新の話題作を移入しようとしていたことになる。
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各作品について、井上良夫、江戸川乱歩の評言を適宜引用して紹介した。二人の評価が分かるとともに、企画段階でどちらの推薦作であったかが推測できるものもある。とくに昭和18年の往復書簡によると、この時、乱歩が初めて目を通したタイトルも多く、昭和10年の時点では井上の推薦リストに従ってラインナップの骨子が作られたことが、ここからも読み取れる。また、たとえば
『ゴア大佐の推理』 などは、井上も企画時には通読していない。上記の乱歩の回想にあるように、このあたりはとりあえず海外の評
(とくにヴァン・ダインの 『傑作探偵小説集』
序文) にもとづいて、選出されていたようだ。
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世界探偵名作全集 柳香書院 昭和10年〜11年 (中絶) 監修 江戸川乱歩・森下雨村
1 『赤毛のレドメイン一家』 (1922) イードン・フィルポッツ 井上良夫訳 1935.10
→『赤毛のレドメイン家』 創元推理文庫/集英社文庫
井上は昭和8年(1933)に 「英米探偵小説のプロフィル」
で本書を紹介。「場面々々の美しさと、全篇を縫っているユッタリした味わいと、本格物の持つ謎の魅力とが、渾然と融け合って、快い雰囲気を織出している」
忘れ難い作品と称揚し、本全集でも自ら翻訳の筆を執っている。昭和10年(1935)に井上から原書を借りて一読した乱歩の感動は、昭和10年9月の
「赤毛のレドメイン一家」 (『鬼の言葉』 所収)
に詳細に述べられている。読み進むにつれて万華鏡のように印象を変えていく本書の絢爛たる魅力を語った有名な一節は、創元推理文庫版の扉にいまも掲げられている。
2 『十二の刺傷』(1934) アガサ・クリスティ 延原謙訳 1935.12
→『オリエント急行の殺人』 創元推理文庫/ハヤカワ・ミステリ文庫
井上には昭和10年(1935)に 《ぷろふいる》
に連載した 「アガサ・クリスチイの研究」 という長文の評論がある。クリスティの作風や探偵を論じ、初期作をトリックやテクニックの面から具体的に分析した本格的な探偵小説論で、クリスティの作品ではトリック即プロットとなっているという指摘、伏線の張り方、レッドへリングの操作にその面白味があるなど、数々の卓見をふくむ。『オリエント急行』
については、「作中では、最も謎々的色彩の濃い本格探偵小説であって、出来栄から云っても、『スタイルス事件』
の持つ無駄がなく、『アクロイド殺し』 に次いでの傑作だろう」
と評している。このとき本書はクリスティのほぼ最新作であった。
一方、乱歩には昭和26年(1951)に 「クリスティーに脱帽」
(『続幻影城』 所収)があるが、「私はこれまでクリスティー女史を余り読んでいなかったが」
トリック表を作るために、ここ数ヶ月クリスティー作品26冊を読んでみた、と前置きした上で、各作品の評価を記している。本書には
「相当面白かったもの」 として○印を付けている(最高は◎印)。
3 『赤色館の秘密』 (1922) A・A・ミルン 妹尾アキ夫訳 1935
S7(1932)に《探偵小説》誌に訳載されたもの
→『赤い館の秘密』 創元推理文庫/他
まとまった論考こそないが、『探偵小説のプロフィル』
におさめられたエッセイの各所で、井上は 『赤い家の秘密』
に触れ、ユーモアと本格味が渾然となった傑作と評している。しかし、昭和18年の乱歩宛書簡では、「只今
『赤い家』 を読みかけていますが、なんだか面白くありません」
と再読時の印象を語っている。これに対して乱歩も
「小生も少し前読み返し、『トレント』 同様少々幻滅を味いました」
と応じている。この時期乱歩は、名作といわれる作品を集中的に再読し、評価を再検討していた。それでも終戦後に作成したベスト10では本書を8位に置いている。
4 『Xの悲劇』 (1932) バーナビイ・ロス
初訳1950 →『Xの悲劇』 創元推理文庫/ハヤカワ・ミステリ文庫/他
井上は早くから新人バーナビー・ロスの 『Xの悲劇』
『Yの悲劇』 に注目し、「純粋本格物の特色である論理的興味の点ではヴァン・ダインすら凌駕しかねない作家」
(「欧米の探偵小説界展望」 S10) と評している。この時点ではロス=クイーンであることは、もちろん伏せられていた。ただし井上は、自己の好みとしては
『Y』 の方をやや上位におきたい、といい、本全集の中絶後、昭和12年(1937)に春秋社から翻訳を出している。結局、『X』
の邦訳は戦後まで待たねばなならかった。本全集の企画段階で、乱歩は
『X』 を借りて読み、大いに感心している。しかし、このとき
『Y』 はまだ読んでいない。
5 『陸橋殺人事件』 (1925) ロナルド・ノックス 井上良夫訳 1936.3
→『陸橋殺人事件』 創元推理文庫
昭和8年(1933)、井上は 「英米探偵小説のプロフィル」
で本書を 『陸橋上の殺人』 として取り上げ、「普通の探偵小説では味わえない面白味がある」
としている。本全集でも自ら翻訳にあたっているように、井上はこの風変りな面白味をひじょうに好ましく思っていた。本書のあとがきでは、「これは最早部分的のユーモアではなくプロット全体のユーモアであって、しかも探偵小説の面白味とユーモアが奇蹟のように融け合っている。面白いことには探偵小説の厳粛さがそのままここではユーモアになっている」
と、ずばり核心にふれた発言をしている。
しかし、昭和18年の往復書簡での乱歩の感想は、「之は面白くない。こういうのも一つ位あって差し支えないという程度の興味のみ」
と手厳しい。乱歩は本書のような作品の妙味を理解することはほとんどなかった。「真面目な」
探偵小説読者の感想として、いまも乱歩的な読み方をするファンは結構多いと思う。
これに対して井上は、「これがそんなに不評とは少し驚きました。……愛読探小十篇のうちに入れる作品です。読んでいておかしくてたまらぬという作品、作者の教養と探偵小説的教養とにより十分な貫禄を持っていると思うのですが」
と、変わらぬ愛着を表明している。このあたり英国探偵小説を全体的に読んできた井上と、ヴァン・ダイン=クイーン流の
「謎解き論理小説」 という物差しで作品を判断しようとし、「不可能興味」
「凄みを伴うユーモア」 を求める乱歩の違いがよく出ている。
6 『矢の家』 (1924) A・E・W・メイスン 妹尾アキ夫訳 1936
S7(1932)に《探偵小説》誌に訳載されたもの
→『矢の家』 創元推理文庫
昭和17年(1942)に執筆された 『矢の家』 論で井上は、初読から10年して読み返してみて、ベストテン級の作品とは言いがたいが、アノー探偵と真犯人との知恵の戦いに探偵小説的なスリルが横溢している作として、評価している。乱歩の評価はもっと低く、昭和18年の井上宛書簡で
「不可能興味」 がなくつまらないと述べている。
7 『停った跫音』 (1926) A・E・フィールディング (未訳)
→『停まった足音』 論創社
戦後の〈幻のポケミス〉のリストにも上っているし、創元推理文庫 『誰が駒鳥を殺したか』 (旧訳)の解説では、かなり具体的な内容紹介がなされた上で、「適当な機会をみて紹介したい作品」
とある。古いPR用の小冊子 「創元推理コーナー」 で 「近刊」 とされていたのを記憶している人もいるだろう。ヴァン・ダインの 「ベスト」 に入っていることがその人気の原因だが、現在では内外ともにあまり好い評を聞かない作品でもある。物語は、人妻が自宅の居間で射殺された事件で、犯行直前、夫人の背後で足音が立ち止まるのをメイドが聞いていた、というもの。
本全集の企画段階では、井上も乱歩も実際に読んではいなかったようだ。やはりヴァン・ダインの推奨作ということで、リストアップされていたのだろう。昭和18年に乱歩は本書を初めて読んで
「相当感心し」、フィールディングの作品を続けて読んでいる。しかし、その後海外作品を読みあさるにつれて、本書への評価はかなり下がったようだ。
8 『誰が駒鳥を殺したか』 (1924) ハリントン・ヘキスト
初訳1959
→『だれがコマドリを殺したのか?』 創元推理文庫
これもヴァン・ダインの推奨作。昭和10年ごろ乱歩は本書を一読したが、読後感はあまりよくなかったという。とくに探偵小説にロマンスの要素が大量に入ってきているのに不満を感じたらしい。ヴァン・ダインの鑑賞眼には敬意を感じるが、「彼が褒めたものことごとく傑作とも云えない」
と述べている (《別冊宝石》 S29)。一方、井上は
「英米探偵小説のプロフィル」 (S8) では、ヘキストの
『怪物』 を紹介し、ヴァン・ダインの激賞を読んで
「垂涎三尺の思い」 で注文したが、この作のサスペンスがほとんど虚構の事実から生じていることを指摘し、ヴァン・ダインのは少々褒めすぎではないか、とコメントしている。
9 『ベラミイ事件』 (1927) ノイズ・ハート
初訳1953
→『ベラミ裁判』 日本出版共同・絶版
井上は「英米探偵小説のプロフィル」 (S9)
で 『ベラミイ事件』 として紹介、法廷場面のみで展開される裁判小説の嚆矢であり、筋の起伏という点では退屈を感じざるを得ないが、プロット構成の巧妙さに傑出したものがあると評している。ただし、同時に
「これは普通の本格物の書き方でも充分傑れたものになり得る」
のではないかと問いかけている。乱歩も昭和18年の井上宛書簡で、ここには探偵行為
(推理) がなく、「力作感は十分あるが、之は探偵小説ではない」
と断定し、失望をあらわにしている。
10 『鑢』 (1924) フィリップ・マクドナルド
初訳1938
→『鑢』 創元推理文庫
P・マクドナルドは当時英国クライム・クラブ叢書の人気作家だったが、井上はあまり高く買っていなかった。『鑢』
も読んでいたようだが、これというコメントはしていない。「英米探偵小説のプロフィル」
では、マクドナルド名義の 『狂った殺人』 とマーティン・ポーロック名義の
『殺人鬼』 を紹介している。そのなかでマクドナルドの欠点として、「全体に不必要なことを書き過ぎる嫌いがある。……殊に、素人の書く探偵小説のように、遊戯的な推理がめぐらされるのがよくない」
としつつも、「彼の作の長所と見るべき点は、その作一つ一つがいずれも全然変った思いつきで出来ていることである」
と、なかなか鋭い指摘を行なっている。とはいえ、サスペンス色の強い
『狂った殺人』 『殺人鬼』 にはわりと良い点をつけており、のちに
『殺人鬼』 を 『殺人鬼対皇帝』 (《新青年》S14・2増刊)
として、自ら翻訳もしている。
11 『百万長者殺人事件』 (1925) コール夫妻
初訳1950
→『百万長者の死』 東京創元社他・絶版
コール夫妻について、井上は目立ったコメントはしていない。乱歩は昭和18年の書簡では、「探偵は超人型ではありませんが、相当頭よく、犯人のトリック又独創あり大きさもあり、最後近くではあるがはっきりした挑戦もあり、半以後は巻を措く能わずして読了」
と感心し、「ベストテン級の値打ち十分」 と述べている。
12 『完全殺人事件』 (1929) クリストファー・ブッシュ
初訳1936 井上良夫訳 『完全殺人事件』 春秋社
→『完全殺人事件』 創元推理文庫
「英米探偵小説のプロフィル」 で井上は 『完全なる殺人』
として本書を紹介、クロフツ系統のアリバイ破りの作品として、そのプロットや着想を評価している。のちに出版した訳本のあとがきでは、「事件調査の行詰りから感じる寂寥感と、或る疲労感とが、ようやく読者の上に襲いはじめる頃に、ひょっこり光明の見えて来る面白味は、正にこの種現実探偵小説独特の興趣と言ってよく」、この作ほどその面白味を痛感させてくれるものは稀であると述べている。
13 『プレエド街の殺人』 (1928) ジョン・ロード
初訳1951
→『プレード街の殺人』 ハヤカワ・ミステリ
ジョン・ロードについては井上は目立ったコメントを残していない。本書は、井上が紹介した
《ミステリ・リーグ》 誌の読者投票 (1934年)
で16位に入っている。
14 『ゴア大佐の推理』 (1924) リン・ブロック (未訳)
The Deductions of Colonel Gore
この作品も 〈幻のポケミス〉、東京創元社
〈世界推理小説全集〉 の予告にあがっていた作品。退役軍人のゴア大佐が、幼なじみの屋敷に招かれ、彼女が恐喝されていることを知り、助力を約束する。しかし、その矢先、恐喝者の青年が殺害されてしまう。探偵小説に恋愛的興味を持ち込んだ例としても有名。例によってヴァン・ダインの推奨作のひとつである。
昭和18年に井上から原書を借りて読んだ乱歩は、「『推理』
という表題なので大いに推理するのかと思ったら少しも推理をしない。ただ冒険をする丈けで、事件は自然に判明して来るに任せてある。……之も犯罪のある恋愛小説、姦通小説の類です」
と失望をあらわにしている。これに対して井上が
「そんな駄作とは思いませんでした」 と応じているところを見ると、彼も通読はしていなかったらしい。柳香書院の企画段階では、この作に関しては単に海外の評をみて決めていたようだ。(プライヴェート・プレスの邦訳あり)
15 『牧場の怪事件』 ケイ・クリーヴァー・ストラハン (未訳)
The Desert Moon Mystery (1928)
ラインハート一派の女流アメリカ作家。上記 《ミステリ・リーグ》 の読者投票で 『足跡』 Footprints が10位にランクイン。この作はスコットランド・ヤード賞を獲得しているという。井上は
「処女作 『デザート・ムーン・ミステリ』 も相当のパズル小説である」 とコメントしている。牧場が舞台のようなので、こちらの方か。別のところでは、ストラハンの探偵小説は事件が始まるまでに日常の描写が長々と続き、そこが少々読みづらい、とコメントしている。また、乱歩旧蔵書にはFootprints、The
Desert Moon Mystery、October House (1931) の3冊のストラハン作品が架蔵されている。The Desert
Moon Mysteryの見返しには、「昭和10年3月21日読了 (フェアプレイに過ぐ)」 の書き込みがあり、時期的にみて本叢書向けに読んだものではないかと推測される。
16 『暗黒の階段』 (1931) ミニヨン・エバハート
初訳1951
→『暗い階段』 六興キャンドル・ミステリ・絶版
本書も 《ミステリ・リーグ》 投票で15位に入選した作。当時のアメリカでは、ラインハートの後継者として人気が高かった女流作家だが、井上・乱歩ともあまり興味をもってはいなかったようだ。井上は別の作品の評で、
「ストオリイを包む雰囲気に特異さを持たせている女流作家であるが、但し其の読物の雰囲気は霧とか闇とか沈黙とか、探偵小説としてはお定まりの道具立使用によるところが多いから感心はしない」
と述べながらも、「おとなしい上品な探偵小説としてはこれ以上のものはなさそう」
としている。
17 『ウイッチフォド毒殺事件』 (1926) アントニイ・バークレイ
→『ウィッチフォード毒殺事件』 晶文社
バークリーの第2作。夫毒殺の容疑をかけられた夫人を救うべくシェリンガムが立ち上がる。19世紀の実在事件を下敷きにして再構成した作品。この時点でバークリーの長篇はまだ1作も訳されていない
(と云いたいところだが、正確には、『新青年』
昭和9年[1934]8月号に 「毒殺六人賦」 として、『毒入りチョコレート事件』
の翻案100枚が掲載されている。しかし、この抄訳は
「創作」 として発表されたため、たちまち非難を浴びた)。実現すれば、本格的紹介第1弾となったはずだが、結局、2002年に晶文社ミステリで翻訳されるまで、ながく未紹介のままだった。井上がおそらく彼の好みのタイプの作家だったはずのバークリーにほとんど触れていないのは意外な感じがする。
18 『鸚鵡』 (1930) アン・オースチン
初訳1958
→『おうむの復讐』 東京創元社・絶版
昭和18年の往復書簡で乱歩は、自分の性格には合わない作風だが、「それにも拘らず面白く読み、相当感心しました。……明るくて凄くて、不思議な小説」
と割に高く評価している。井上も 「私もかなり感心した覚えの作品」
と応じているから、これも井上の推薦作だろう。
19 『エンゼル家の殺人』 (1932) ロジャー・スカーレット
初訳1956
→『エンジェル家の殺人』 創元推理文庫
「英米探偵小説のプロフィル」 の最終回で、井上は熱のこもった紹介を展開、探偵小説的なテクニック面をこまかく分析してみせている。「探偵小説の奇抜な殺人法などというものは、傑れたプロットの前には、大した興味を生んで来るものでないことは、今更云うまでもない」
という評言などは、「本格=トリック」 と考えがちな本邦ミステリ・ファンへの痛烈な批判でもある。昭和18年の書簡で乱歩は、井上に教えられた本の中で
『赤毛のレドメイン家』 『Yの悲劇』 に並ぶ収穫と本書を激賞、長文の感想を述べている。「この人なら愛人にしても結婚してもいい」
というほどの惚れ込みようである。のちに (愛人にはしなかったが)
自ら筆をとり、『三角館の惨劇』 (S26) として翻案している。
20 『メイスン法律事務所』 (1933) E・S・ガードナー
初訳1937 井上良夫訳 『法律事務所の奇妙な客』
(《探偵春秋》S12-4)
→『ビロードの爪』 創元推理文庫
このタイトルだけでは見きわめがつきにくいが、昭和10年
(1935) の時点で出版されていたメイスン物の長篇は
『管理人の飼猫』 までの7冊。のちに井上良夫は
『法律事務所の奇妙な客』 の題で 『ビロードの爪』
を 《探偵春秋》 S12-4に訳出しているから、まずまちがいなくこの第1作だろう。
井上は昭和10年(1935)8月の 「欧米の探偵小説界展望」
で、ガードナーとハメットに触れ、「本格探偵小説とスリラーの両区域に足を跨げている一種特色を持つ探偵小説」
とし、「アメリカが生んだ、そしてまた、アメリカに相応しい、新傾向探偵小説のよき代表作家であろう」
と述べている。本格ファンの井上だが、こうした行動派ミステリについても、登場時にその特性を正確に把握していたことがうかがえる。一方、乱歩はガードナーにはあまり食指を動かさず、戦後ポケミスの解説でも、「ガードナーも私はそれほど好きではない」
と告白している。
21 『闇の中の手』 (1920) アーサー・J・リース
The Hand in the Dark
初訳1922 『闇の手』 《新趣味》 大正11.1〜6連載
昭和18年に乱歩は 《新趣味》 の連載を通読し、訳が良くないと前置きしながら、「考え抜いていない不満」
を感じるが、「文章や雰囲気はなかなかよさそう」
とし、「レベル以上の作」 とまずまずの評価を下している。井上のほうは、「原書で読んでの印象は
『月長石』 や 『グリーン・マーダー・ケース』
などに通じたクラシカルなよさを覚えた」 と振り返っている。
22 『矛盾する悪人』 (1929) N・A・テンプル・エリス (未訳)
The Inconsistent Villains
海岸へ旅行に来た私立探偵がある霧の夜、不気味な悲鳴を聞く。夜が明けるとガラス窓には血糊で「3」という数字が書き付けられていた。やがて彼は連続する失踪事件、夜の沼地や廃工場での怪奇な冒険にまきこまれていく。ロンドンのメシュウエン社の懸賞募集
(審査員はミルン、ノックス、ベイリーといった錚々たる顔ぶれ)
で1席を獲得した作品。「探偵小説のプロフィル」
で井上良夫は、冒険味の勝った作品で純粋な探偵小説とは言いがたいが、「闇の沼沢地を舞台にした息のつまるような謎と冒険の数々は、読者を完全に魅了して、一読まさに巻を措く能わざらしむるものがある」
と推奨している。
23 『聖フォリアン寺院の首吊り人』 (1931) ジョルジュ・シムノン
初訳1937 『聖フォーリアン寺院の首吊男』
春秋社
→『聖フォリアン寺院の首吊り人』 角川文庫・絶版
『男の首』 でシムノンを高く評価していた乱歩の選出だろう。ただし戦前の乱歩は、邦訳されたものの他には、英訳を2、3冊読んだ程度の知識しかなかったようだ。のちに本作を
『幽鬼の塔』 (1939-40)として翻案している。
24 『六死人』 (1931) アンドレ・ステーマン
初訳1935 『殺人環』
→『六死人』 創元推理文庫
ステーマンはフランス・ミステリ界では珍しい本格至上主義の作家だが、はたしてこの時点で井上・乱歩の視野に入っていたかどうか。あるいはシムノン、ステーマンあたりは、外務省につとめ、英仏語に堪能で、乱歩のためにガボリオやボアゴベの書誌を調べたり、レジ・メサックの探偵小説論を取り寄せたりした石川一郎の推薦があったのかもしれない。
25 『妖女ドレッテ』 (1930) ワルター・ハアリヒ
初訳1924 『妖女ドレッテ』(《新青年》S9-春季増刊)
→『妖女ドレッテ』 東京創元社・絶版
荘園の主人の若い後妻と通じた主人公は、主人の殺害を計画するが。その実行直前、主人は何者かに殺されてしまう。ハーリヒはドイツの作家。この作は、すでに
《新青年》 で紹介されており、昭和10年10月
同誌掲載の 「ハアリヒの方向」 と題するエッセイで乱歩は、本書をドストエフスキーの通俗化と評し、日本の探偵小説の行くべき道を考えたとき、謎と論理を中心にすえた本格長篇は日本人向きではなく、この
『妖女ドレッテ』 の心理的スリルの方向にこそ、未開拓の土地が残されているのではないか、と述べている。これをみても乱歩が推した作品であることは明らかだ。その後、昭和18年に集中して海外作品を読みふけった乱歩は、180度方向を転換して、本格探偵小説へと傾倒していくのだが。
26 『皇帝の古着』 フランク・ヘルレル
Kejsarens gamla klader/英訳 The Emperor's
Old Clothes (1923)
フランク・ヘルレル (ヘラー) はスウェーデンの作家。大陸のラッフルズとも言うべきコリン氏のシリーズで有名になった。英訳もされ、ヴァン・ダインもこれに言及している。乱歩が戦後、監修をつとめ、やはり未刊行に終った
「苦楽探偵叢書」 のラインナップに本書が収録されているところをみても、これは乱歩の推した作だろう。『幻影の蔵』
によると、乱歩旧蔵書には本書の英訳本が2冊あり、内一冊には見返しに長文の書き込みがあるという。
27 『フレンチ探偵の最大事件』 (1924) F・W・クロフツ
初訳1940
→『フレンチ警部最大の事件』
創元推理文庫
クロフツは井上が紹介に最も力を注いだ作家の一人。本書ももちろんいち早く原書で読んでいた。彼は、クロフツの長所は筋の組み立ての巧妙さにあると指摘し、探偵/読者がその筋を逆にたどっていく迂回したコースの取り方に面白味があると評している。
28 『Yの悲劇』 (1932) バーナビイ・ロス
初訳1937 井上良夫訳 『Yの悲劇』 春秋社
→『Yの悲劇』 創元推理文庫/ハヤカワ・ミステリ文庫/他
早くからロスの作品に注目し、「彼の作には僅少の一流作家のみがもつ或る偉大さ
(グレエトネス) が感じられる」 と評していた井上は、本全集が中絶したあとも、紹介の機会を探りつづけ、昭和12年(1937)
に春秋社から翻訳を出版した。戦時中に執筆され、戦後遺稿として発表された
『Yの悲劇』 についてのエッセイによると、昭和17、18年頃にロス=クイーンであることを知って驚いたという。井上はもともとロスをクイーン以上に高く評価しており、「『Yの悲劇』
を世界探偵小説ベスト・テンのかなり上位に据えることを躊躇しない」
とあらためて称揚している。戦時中、乱歩はこれを再読し、非現実的な書き方をしている部分に不満を表明しながらも、「着想も筋の運びも探偵の推理も飛び切りです。よくも考えたりとホトホト感じ入り、兜を脱ぐ外ありません」
と絶賛し、戦後選んだ長篇ベスト10では、『赤毛のレドメイン家』
『黄色い部屋』 『僧正殺人事件』 につぐ4位に置いている。
29 『闇からの声』 (1925) イードン・フィルポッツ
初訳1942 井上良夫訳 『闇からの声』 大元社
→『闇からの声』 創元推理文庫
フィルポッツも井上の愛読した作家だった。『赤毛のレドメイン一家』
『闇からの声』 の代表作2冊を自ら訳出している。本書については、仮面ドラマの面白味を
「最も強度に味わわせてくれた作品」
と評している。昭和10年に井上から
『赤毛』 を借覧して感嘆した乱歩は、本書については、「この小説の激情は終りの八十ページに隠されている……そこに息もつげない昂奮が待ちかまえている」
と述べ、『赤毛』 に次ぐ傑作と評している。
30 『スタイルズの怪事件』(1920) アガサ・クリスティ
初訳1937 『スタイルズの怪事件』 日本公論社
→『スタイルズ荘の怪事件』 ハヤカワ・ミステリ文庫/創元推理文庫
「アガサ・クリスチイの研究」 のなかで井上は、着想やトリックの面白さ、効果的な大団円など、本書の長所をあげながらも、『アクロイド殺し』
や 『オリエント急行』 ほどの手際のよさにはまだ達していない、と冷静に分析している。
※ ※ ※
なお、「世界探偵名作全集」 に先立って、柳香書院からは下記のタイトルが出版されている。
『樽』 F・W・クロフツ 森下雨村訳 (実際は井上良夫訳に手を入れたもの)
1935-2
【参考資料】
- 井上良夫 『探偵小説のプロフィル』 国書刊行会
- 江戸川乱歩 『鬼の言葉』 『幻影の城主』 『幻影城』
『続・幻影城』 『探偵小説四十年』 講談社(江戸川乱歩全集)
- 江戸川乱歩 「探偵小説十年」 「探偵小説十五年」
(『謎と魔法の物語』河出文庫、所収)
- 江戸川乱歩/井上良夫 「探偵小説論争(往復書簡)」
(『わが夢と真実』 講談社・江戸川乱歩全集、所収)
- 長谷部史親 『欧米推理小説翻訳史』 本の雑誌社
- 森英俊 『世界ミステリ作家事典/本格派篇』 国書刊行会
- 山前譲 「江戸川乱歩の本格探偵小説への情熱をかきたてた評論家・井上良夫」
(『探偵小説のプロフィル』 解説)
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