フィリピントヨタ労組(TMPCWA)を支援する会
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闘いの概要


<初めて闘いを知る方のために>

フィリピン最大の自動車会社
 
従業員約1500人(工場労働者約900人)。マニラ近郊にビクータン、サンタロサの二つの工場。社長は日本のトヨタから派遣。1988年創業。

組合承認選挙に会社が介入
 
フィリピン・トヨタ労組(TMPCWA)は、1998年4月に、独立組合として労働雇用省に登録された。2000年3月、労働協約を結ぶ労使協議(CBA)を行う権利を得るために「組合承認選挙」(CE)が行われた。
 記名投票の結果、賛成は500票を超え投票数943票の過半数を制した。
 しかし、トヨタは、課長クラスの105票が含まれていないとして異議を申し立て、労使協議を開始しなかった。


組合勝利の長官裁定が出された日に大量解雇
 
会社側の異議は、労働仲裁官、労働次官のいずれの段階でも却下され、2001年3月16日、ついに、労働雇用省長官の裁定で組合の勝利が確定した。まさにその日、トヨタは組合員227名を解雇(その後233名に)、70名を停職処分した。
 理由は、労働雇用省の公聴会の山場に、組合員317人が参加したが、これが「無断欠勤」にあたるというものだった。


ピケからストへ工場が止まった2週間
 
組合は、工場前でピケを張り、3月28日からは、約700人が解雇撤回を求めてストライキに突入、工場はストップした。トヨタは、スト破りの導入をはかったり、アロヨ大統領に会って、争議が長引くなら投資を引き上げる、と圧力をかけたりした。さらに、トヨタを含む日系11社が労働雇用省や貿易産業省に、「争議が解決しなければ投資を引き上げる」とねじ込んだと一斉に報道された。労働雇用省長官が仲裁に乗り出し、ストは停止された。
 この時に、組合員による「重大な威圧行為」(にらみつけた、とか大声を出したとか)が行われたとして、後に26名の組合員が刑事告訴された。


来日闘争、激励団派遣、物販で支援
 
2001年4月、組合のエド委員長が初来日、日本の労働者とともにトヨタ東京本社へ抗議と申し入れを行った。以降、日本のトヨタへの抗議、現地激励団の派遣、組合員の生活を支えるための「マルチプロジェクト」立ち上げ、物品販売と、フィリピンと日本の連帯した闘いでトヨタにいどみ続けている。
 会社の組合否認・団体交渉拒否について、フィリピンの最高裁が、組合勝利の判決。ILO「結社の自由委員会」も勧告を出しているが、それでも会社は、法秩序を無視して、いまだに団体交渉にすら応じていない。



闘争年表(要約)

闘いの現状−2006年1月  多国籍企業トヨタと世界の労働者の激しい闘いが続く
                       フィリピン、日本、インド、フランスで!
闘いの現状−2006年3月  新しい段階に突入したフィリピントヨタ労組の闘い!

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