装丁について
(世界探偵小説全集篇)



 〈世界探偵小説全集〉 第1期の装丁を考えていたとき、まず念頭にあったのは、英米20〜40年代ミステリのカラフルで独特な雰囲気のカバーアートだった。森英俊氏の 『世界ミステリ作家事典/本格派篇』 の口絵でもその一端を見ることができるが、この時代のイラストレーションには何ともいいがたい独特の魅力がある。ただ、現代日本のイラストレーターで、ああいう絵を描いてくれる人を探すのは難しい。それなら逆にタイトル・作者名など、文字中心のタイポグラフィックなデザインで行ったらどうだろう。企画の性格上、現在、市場に流布している翻訳ミステリの装丁とは一線を画したかった。クラシックで、なおかつモダンな感覚を盛り込みたい。

 シリーズ全体のブックデザインは、坂川栄治事務所にお願いすることにした。坂川さんとの付き合いは結構古く、坂川さんが目黒のマンションの一室の仕事場で、吉本ばなな 『つぐみ』 の装丁や雑誌 〈Switch〉 のレイアウトを手がけていた頃からだから、もう12年以上になる。その後、坂川さんの仕事場は目黒から代官山、表参道へと変わり、昨秋から広尾に移った。今度の仕事場は、有栖川公園のそばの大正時代に建てられたという瀟洒な洋館である。国書刊行会でのいちばん最初の仕事は 〈文学の冒険〉 シリーズ、ミステリ関係では 『ミステリー倶楽部へ行こう』 『ジョン・ディクスン・カー〈奇蹟を解く男〉』 『ショパンに飽きたらミステリー』、独立してから翔泳社で作った 〈翔泳社ミステリー〉『ドイル傑作選』 でも装丁をお願いしている。

 最初の打ち合わせのとき、上に述べたような話をして、クラシックではあるけれど 「懐古」 の方向へは持っていきたくないこと、探偵小説とは本質的にモダンで前衛的な文学ジャンルだと思う、といったことをまず説明した。

 文字中心のデザインで、と考えたとき、いくつかの見本というかヒントがあった。まずひとつは、海外ミステリに詳しい方ならご存じだろう。セイヤーズやイネスの版元として知られるゴランツ書店のシリーズである。ゴランツ社は、もともと左翼系の出版物から出発した名門出版社だが、同社のミステリ・シリーズは黄色いジャケットに、黒や赤の太字でタイトル等を大きく刷り込んだデザインで統一されている。ヘレン・マクロイの初期3作を収めたオムニバス本をご覧いただきたい。一目でゴランツ社のミステリとわかる、営業的には優れた戦略である。しかしその一方、どれをとっても基本的に同じデザインなので、コレクターの評価は低い。文字のデザインも実用本位で少々野暮ったい。

また、ドイツのズーアカンプ社にも同様に、タイトルだけを刷り込んだブックデザインの叢書がある。これは巻ごとにカバーの色が変わっていて、集めると書棚に美しい虹が出現するようになっている。ズーアカンプ社の装丁については、装丁家の平野甲賀氏があちこちで言及しているので、ご存知の方も多いことだろう。

 もうひとつ、文字中心のデザインで想起していた装丁がある。花森安治の 〈世界推理小説全集〉(東京創元社)である。花森安治は 〈暮らしの手帖〉 編集長として有名な人物だが、デザイナーとしても優れた仕事を沢山残している。この 〈全集〉 は、ホチキスどめのボール紙の函に、タイトル等をゴチック体で刷りこんだ色紙を貼り、中の表紙は、背の部分にタイトル・作者・訳書名などを入れ、表1 (平の部分) には欧文でタイトルと作者名のみを入れている。見本として第27巻 『検屍裁判』 をご覧いただこう。特にいま見てもスマートで洒落ているのは中の表紙で、巻ごとに色が変わり、欧文の書体もすべて変化をつけている。表1に日本語をいっさい用いていないのも潔い。

 こうした前例もヒントにしながら、タイトル、特に欧文タイトルを強調したものにすること、1巻ごとに書体や表紙の色を変えて、見た目の変化を出すこと、などの基本方針を決めていった。文字を浮き上がらせるようにしたい、というのは坂川さんのアイディア。最初、特殊なインクを使い化学処理で文字を盛り上げる印刷法を考えていたが、製作費が予想以上にかかることが分かったため、まずスミ箔 (金箔と同じように黒い箔もある) を押し、さらにその文字部分を裏側から型押しして、浮き上がらせることにした。その結果、欧文タイトルがより強調されることになった。

 カバーと帯には 〈タント〉 という紙を使っている。これは独特の柔らかい風合いがあり、しかも色の種類が豊富な紙だ。紙の手触りをいかすため、表面加工にはニス引きを用いている。通常、本のカバーには、表面を保護するために薄いポリエチレンの膜が張られている (PP加工という)。PP加工には、ツヤのある通常のPP (グロスPP) と、ツヤを抑えたマットPPがあるが、いずれにせよ紙の表面にポリエチレンの膜を張るわけだから、紙本来の手触りは失われてしまう。ニス引き加工の場合は、ポリエチレンではなく、紙の表面に薄くニスを引くことで補強するもので、PP加工に比べると強度の点では劣るが、紙の風合いは比較的保つことができるのである。

 こうして出来上がった第1回配本 『第二の銃声』 は、濃いオレンジの表紙に 〈THE SECOND SHOT〉 というタイトルがくっきりと浮かび上がった、印象的なものとなった。帯のキャッチコピーは、第1回はシリーズ開始を謳って 「甦る本格ミステリ黄金時代」 としたが、結局、この全集の場合、作家名が一番のセールスポイントになると考えて、2回以降はこれを大きく打ち出すことにした。

 書店での評判は上々だった。他の翻訳ミステリとははっきりと違う、洋書のハードカバーのような雰囲気は、店頭でもよく目立った。配本が進み、巻が増えるに従って、棚の中で色のかたまりが出来ていくのも愉しかった。まとまると綺麗なので、面出しにして既刊分を並べてくれる書店もあった。坂川さんのところに出入りする編集者のあいだでも、ずいぶん評判になっていたらしい。(同業者の関心は、ひとつには、低コストで大きな効果をあげている、ということもあったと思う。1色刷+スミ箔 (+型押し) しか使っていないわけだから)

 読者にも概ね好評だったと思うが、なかにはやはり、「絵が欲しかった、文字だけで物足りない」 という声もあった。これは仕方がない。装丁だけでなく中身についてもそうなのだが、すべての人を満足させることは不可能である。最後は自分が面白いと思うもの、美しい、格好いいと感じるものを信じて、選択していくしかないと思う。 この第1期のデザインは、〈世界探偵小説全集〉 という企画を読者/出版界にアピールする点でも有効だったし、また黄金時代の探偵小説にふさわしい 「本のかたち」 でもあったと思っている。

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 第2期でも基本的に第1期の方針を踏襲して、欧文タイトル中心のデザインで行くことにした。ただ、まったく同じでは面白くないので、今度は4色刷とし、天地に各巻異なるパターンの25ミリ幅の帯を設けて、変化をつけることにした。腰巻の帯も2色刷にしている。これはこれで面白いのだが、シンプルな分だけ、インパクトの点では1期のデザインのほうが優っていたようだ。

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 そこで第3期では、パターンを変えて装画を採用することにした。最初に書いたように、欧米クラシック・ミステリのカバーアートには以前から惹かれていたので、この全集にぴったりの絵を描いてくれるイラストレイターは、その後もずっと探していた。で、ようやくたどり着いたのが影山徹さんである。

影山さんには、翔泳社で作った 『ポジオリ教授の事件簿』 で依頼したのが最初の仕事だ。ピンチョン 『ヴァインランド』、池澤夏樹 『マシアス・ギリの失脚』、最近では瀬名秀明 『八月の博物館』 なども手がけている方だが (意外なところでは東野圭吾 『秘密』 の表紙絵、あの小豆色のカバーをめくると現れる子供部屋の絵も影山さんの作品だ)、独特の色づかいが印象的で、亜熱帯を舞台にしたポジオリ物に合うのではないかとお願いしてみた。あがって来た絵は予想通り素晴らしい仕上がりで、この人に 〈全集〉 の装画をお願いしたら面白いものが出来そうだと思ったのである。

 全集としての統一感を出すためにも、毎回違うイラストレイターに頼むのではなく、3期10冊を一人の画家に頼むことは決めていた。それだけに、ただ絵が上手いというだけではなく、10冊続けても耐えられるアイディアというか、引き出しを持っている人が望ましかった。影山さんの場合、基礎的なデッサン力がしっかりしているのは勿論だが、画面の構成にも必ず一工夫はいっているのが、独特のアクセントになっている。聞けば、もともとデザインの仕事からイラストの方にはいられたとのこと。この 〈全集〉 の装画も、普段の仕事では描けない絵が描ける、ということで快諾をいただくことができた。

 各巻、校正ゲラが出て刊行予定が決まったところで、その作品のポイントとなる場面や物のメモ、資料等を添えて、控えゲラを影山さんにお送りする。やがて作品を読んだ影山さんからラフスケッチが2点、ファックスが送られてくる (その前に内容や疑問箇所について確認がはいることもある)。坂川さんとも連絡をとって相談し、どの案で行くかを決め、それから作画に取り掛かってもらう、という手順である。

3期が始まってから、出来上がった絵をいただきに行くのが毎回の楽しみとなった。カバーでは約19×14cmの寸法になっているが、実際の絵はそれよりもかなり大きく、約45×30cmのサイズでイラストボードに書かれている。当然、絵から受けるインパクトもかなり違うし、また印刷物で原画の色合いを100%出すことは、どう頑張っても不可能なので、原画をお見せできないのがほんとうに残念だ。

 第3期もいよいよ残り1冊となった。そろそろ4期の装丁も考え始めなくてはならない時期にきている。基本的には次も装画を採用する方向で考えてはいるのだが、もしかしたらまた違ったアイディアで行くことになるかもしれない。来春まで、どうぞお楽しみに。

                                                    (2001.7.11)


note

欧米クラシック・ミステリのブックデザイン・装画については、森英俊編著 『ミステリ美術館』(国書刊行会) をぜひご覧いただきたい。460冊以上の書影を収録しているが、その多彩な魅力的には、ミステリ・ファンならずともまいってしまうだろう。