パラドクシア・エピデミカ
ルネサンスにおけるパラドックスの伝統

ロザリー・L・コリー
高山宏訳

貧乏、病、醜、痴愚など 「誉れなきもの」 の讃美や、「“クレタ人は嘘つきだ” とあるクレタ人は言った」 「アキレスは亀に追いつけない」 といったパラドックス (逆説) は、古代ギリシア・ローマから、論理学の練習問題、雄弁術の有力な武器であり、固定観念や既成ジャンルを突き崩し、世界の見方を変える手段でもあった。西欧文化におけるパラドックスの伝統は、現代にまで連綿と受け継がれているが、それが特に顕著に現れたのが16・17世紀、後期ルネサンスであったことは言を俟たない。エラスムス、ラブレー、シェイクスピア、ジョン・ダン、ミルトン、スペンサー、ペトラルカ、パスカル、モンテーニュ、ロバート・バートンら、文学・思想史上の巨人たちが、さまざまなタイプのパラドックス作品を発表、「パラドクシア・エピデミカ (流行病としてのパラドックス)」 が時代を席捲した。パラドックスの徹底した自己言及・自己分析こそが、ルネサンスをルネサンスたらしめた、とコリーはいう。
本書は文学・思想・美術・自然科学・神学など、各分野における代表的作品を通観し、「無」 の問題、永遠と無限、存在と生成、真空の発見、静物画、アナモルフォーシス、自殺礼讃など、さまざまなトピックを取りあげて、通説・常識を嗤い、一枚岩の〈知〉の構造を突き崩すパラドックスの諸相を分析した画期的名著であり、自己言及の営みがあらゆる文化に浸透した現代を読み解く鍵ともなる一冊である。

◆Paradoxia Epidemica: The Renaissance Tradition of Paradox
(1966)

◆白水社 2011年6月刊 本体7600円 [amazon]
◆装丁=山田英春

◆A5判・上製・660頁

文化史の一大傑作】

高山 宏

20世紀文芸は表現媒体の自己言及 (「形式化」 柄谷行人) という奇異な営みというに尽きるが、それをそっくり先取りしていた文化相として、ルネサンス後期 (マニエリスム) に大掛りな側光を当てる。時代が表現媒体の自己言及の極たる「逆説」の表象に釘付けになり、その興味尽きぬ百態の発見と新考案に没入したこの文化を再発見した20世紀もまた、実は同様の文化相であることが暴かれていく。
逆説の文学 (ラブレー、シェイクスピア、ダン) に発し、「否定神学」、静物画から、自然科学における「言葉と物」 の乖離の異貌まで、逆説のルネサンスを能う限り各分野に拾うこの本は1960年代的領域横断の極という定評を得ている。極大の文化史的視野と、一篇一篇の詩の精細な読解が 「コリー的」 と称されるエレガントな文体で伝えられる様は、1990年以降粗悪化の一途をたどる人文科学批評・文化史の世界に、本格批評のあるべき指標を示す一大傑作の誉れ高いものである。

本書目次


序論 パラドックスの諸問題
  第一部 修辞と論理のパラドックス
第 一 章 「けちな卑し絵師」――フランソワ・ラブレーとその本
第 二 章 「我が物語を愍れめ」――ロゴスと芸術の永遠性
第 三 章 ジョン・ダンと受肉のパラドックス
  第二部 神の存在論のパラドックス
第 四 章 否定神学の中の肯定――無限
第 五 章 否定神学の中の肯定――永遠
第 六 章 『聖堂』 の中のロゴス
  第三部 存在論的パラドックス――存在と生成
第 七 章 「すべて、存在せぬものばかり」――無問題を解く
第 八 章 賭け――全てか無か
第 九 章 静物画――存在のパラドックス
第 十 章 存在と生成――事物の言語のパラドックス
第十一章 『神仙女王』 に見る存在と生成
  第四部 認識のパラドックス
第十二章 「我れは我れなり」――自己言及の問題
第十三章 超越知の修辞学
第十四章 ロバート・バートン 『憂鬱の解剖』 とパラドックスの構造
第十五章 「狂いし中にもまともな」
第十六章 「自らの刑執行人」
エピローグ

ロザリー・コリー讃
訳者あとがき
原注
参考文献
索引


ロザリー・L・コリー (Rosalie L. Colie, 1924-72)
元ブラウン大学教授。1966年刊行の本書でルネサンス研究を一挙に活性化し、69年にアンドルー・マーヴェル論 『我が谺せる歌』 を上梓、ジャンル論、シェイクスピア論など精力的に展開していた最中の72年、川遊び中のボート事故で急逝。没後、『ジャンルの源泉』 (73)、『シェイクスピアの生ける芸術』 (74) が出た。ウォーバーグ研究所、観念史クラブとの関わりも深く、『観念史事典』 (邦訳 『西洋思想大事典』) に 「文学のパラドクス」 の項を寄稿している。

高山 宏 (たかやま ひろし 1947- )

東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。現在、明治大学国際日本学部教授。著書に 『アリス狩り』 『目の中の劇場』 『メデューサの知』 (青土社)、『世紀末異貌』 (三省堂)、『殺す・集める・読む』 (創元ライブラリ)、訳書に 『幻想文学大事典』 (監修)、バルトルシャイティス 『アナモルフォーズ』、オールティック 『ロンドンの見世物』 (共訳)、バーバー 『博物学の黄金時代』、スタフォード 『ボディ・クリティシズム』 (以上、国書刊行会) 他、多数。叢書 〈異貌の19世紀〉 (国書刊行会) の責任編集もつとめる。