高山宏セレクション 〈異貌の人文学〉
文学とテクノロジー ノンセンスの領域 オルフェウスの声
絶望と確信 ピープスの日記と新科学
【第2シリーズ】
道化と笏杖 シェイクスピアの生ける芸術 形象の力
アレゴリー ボーリンゲン
※本体価格(税別)で表示しています。

文学とテクノロジー
疎外されたヴィジョン

ワイリー・サイファー
野島秀勝訳


実験室は19世紀が生んだもう一つの人工楽園だった。芸術に「科学の正確さ」を求めた自然主義者はもちろん、芸術のための芸術、純粋な美を目指した象徴主義者、唯美主義者に至るまで、19世紀芸術家たちの多くは「方法」と「技術」に取り憑かれていた。ラファエル前派は拡大鏡で絵を描き、ポーは効果を厳密に計算して詩「大鴉」を書きあげ、フローベールは考古学的考証に耽り、ゾラは芸術家は現象をうつす写真家でなければならないと説いた。かくして肥大した細部は孤立し、作者と世界の間には致命的な距離が生じる。非人間的な産業社会に反逆し、あるいはそこから逃避したはずの作家たちもまた、実は彼らの忌避したテクノロジー思考に絡めとられていたことをあばき、近代における「方法の制覇」「視覚の専制」、それがもたらす距離と疎外の問題を論じて、文学史の革命的書き換えを成し遂げた名著。待望の復刊。解説=高山宏

Literature and Technology: The Alien Vision (1968)
◆白水社 2012年6月刊 品切・5600円
 新装版 2023年5月刊 予価6380円(税込)[amazon]
◆装丁=山田英春
◆四六判・上製







本書目次

序論
T 方法の征覇
技術主義的麻痺/二つの文化/限定された自発性/純粋の論理
U ロマン主義者と唯美主義者
ロマン主義的経験主義/ブリコラージュとしての技芸/苛酷なる方法/芸術の禁欲
V ミメシス――視覚的なるもの
自然の鏡/ミメシスとメセクシス/平面の破壊――アイロニー/視覚的世界と視覚的場/色彩と幾何学
W 疎外された世界
距離の悲哀/物神(フェティシ)としての思想/マルクスとキーツ/消費の悲哀/節倹の倫理/浪費の倫理
X 参 加
様式と快楽/グロテスクと聖なるもの/フロイトの美学/反逆と技芸
Y 接 近
有機的意匠/技芸の不可知論

 原註
 参考文献
 訳者あとがき
 サイファーは〈今〉を解く暗号 高山宏
 索引

ワイリー・サイファー (Wylie Syphe, 1905-1987)
アメリカの英文学者・文化史家。主な著書に 『ルネサンス様式の四段階』 (55)、『ロココからキュビスムへ』 (60)、『現代文学と美術における自我の喪失』 (62) (以上、河出書房新社) など。編著 『啓蒙された英国』 (47) は18世紀英国の諸分野の文章を集めたアンソロジーとして名高い。




ノンセンスの領域


エリザベス・シューエル
高山宏訳


ノンセンスはけっしてでたらめで無秩序な世界ではない。ルイス・キャロル『不思議の国のアリス』やエドワード・リアの戯詩は、日常とかけ離れてはいるものの、むしろ遥かに厳密な固有の論理をもっている。そこでは言葉遊びのルールがすべてを決定し、その厳格な支配の下、人間もなにもかもが単なる〈もの〉、一個の記号と化す。行きつく先は〈人間〉と〈世界〉が決定的に分断された終末状況である。徹底した構造分析によって、一般に「笑い」の文学とされるノンセンスの正体を明らかにしたシューエルはさらに、いまや現代社会そのものが巨大なノンセンス・システムと化しつつあるとも言う。キャロルやリア作品、童謡のノンセンスを論じながら、近代の分析的知がノンセンス・ゲームへと自閉していく危険をあばき、その救済への途をさぐる、いまなお刺激的なノンセンス論の決定版。
関連エッセー「ノンセンス詩人としてのルイス・キャロルとT・S・エリオット」「ルイス・キャロルの作品と現代世界にみるノンセンス・システム」を併録。

The Field of Nonsense (1952)
◆白水社 2012年10月刊 5800円 [amazon]
◆装丁=山田英春
◆四六判・上製

本書目次

第一章 センスとノンセンス
第二章 「三つの項の複比例」
第三章 「正しい言葉」
第四章 言語遊戯とダイアレクティック
第五章 「一たす一たす一たす一たす一は」
第六章 「具体的かつ几帳面」
第七章 猫とコーヒーと三の三十倍
第八章 「むすめ七人にモップが七本」
第九章 「こうもりとお盆」
第十章 「とろなずむこく」のバランス
第十一章 「抜かりない荒犬のフューリー」
第十二章 「ハートをやられてる」
第十三章 「犬神父子精励会社」
第十四章 「踊る? 踊らぬ?」
 参考文献
付録1 ノンセンス詩人としてのルイス・キャロルとT・S・エリオット
付録2 ルイス・キャロルの作品と現代世界にみるノンセンス・システム
(初収録)
 解説
 アルス・ポエティカの閃光 
(書き下ろし新解説)
 索引

エリザベス・シューエル (Elizabeth Sewell, 1919-2001)
インドの英国人の家庭に生まれる。イギリスで教育を受け、ケンブリッジ大学を卒業。49年に渡米し、オハイオ州立、ヴァッサー、ベネット、フォーダム、プリンストン、ノースカロライナなど、多くの大学で教壇に立つ。著書に 『詩の構造』(1951)、『ポール・ヴァレリー、鏡の中の知性』(52)、『ノンセンスの領域』(52)、『オルペウスの声』(60) 他、数冊の詩集・小説もある。



絶望と確信

20世紀末の芸術と文学のために

グスタフ・ルネ・ホッケ
種村季弘訳

『迷宮としての世界』『文学におけるマニエリスム』で、マニエリスムを後期ルネサンス美術に固有の現象ではなく、西欧文化に繰り返し現れる 「常数」 とし、美術史、文学史の革命的書き換えを行なったホッケが、その方法論を現代の芸術・文学に適用、20世紀の「ネオ・マニエリスム」を論じた三部作完結篇。
20世紀後半にいたって時代は「不安と希望」から「絶望と確信」の局面に入った、とホッケは言う。人々は精神的な根なし草となり、環境破壊や人口爆発の脅威が現実化、性革命はエロティシズムを扼殺し、薬物依存やノイローゼが蔓延、不安は絶望へと転化した。一方でイデオロギーの解体と普遍主義の台頭、世界経済の再編、科学や医学の進歩は、希望を超えた新たな確信を生み始めてもいる。かつて人類が経験したことのない破壊的な諸力と構成的な諸力が繰り広げる死闘を、我々は日々目撃している。
この新しい世界舞台の上で、人間はどのような役を演じるのか。20世紀における「ネオ・マニエリスム」を黙示録的なものと見るホッケは、様々な終末の徴候を呈示し、警告する文学者、芸術家、社会学者、心理学者、生物学者らの発言を収集、列挙していく。終末へ向かう世界に対するホッケの見通しは暗いが、その絶望の中から、マニエリスム的結合術によって確信に達する道を探る警世の書。

Verzweiflung und Zuversicht. Zur Kunst und Literatur am Ende unseres Jahrhunderts (1974)
◆白水社 2013年3月刊 6000円 [amazon]
◆装丁=山田英春
◆四六判・上製

◇朝日出版社版(1977年刊)の復刊

本書目次

序文
T 不安と絶望
新しい双極/不安夢/ノイローゼ/薬物(ドラッグ)/狂気
U 希望と確証
希望の諸段階/実践/アンチ・クライマックス/証言/意味への問題/確証
V 秘教的象徴表現
神話的象徴/主観的象徴/恣意と秩序/象徴‐癖/元型的象徴/解釈の問題
W 深層美学
単に美しい以上のもの/恐怖美/相対主義的美学/容赦のない美/不規則な美/形象の学/当意即妙の形象とその結果/低俗な美/美学の神学
X 総合
組み合わせの方法論/三つの様式/ウニヴェルシタス/結論
著者紹介
書誌一覧
訳者あとがき
「不安を持つ能力(ちから)」―マニエリスムの普遍人間学 高山宏(書き下ろし)
索引

グスタフ・ルネ・ホッケ(1908-85)
ブリュッセル生まれ。ベルリン大学、ボン大学に学び、E・R・クルツィウスに師事し、哲学博士号を取得。第2次大戦後、新聞雑誌の通信員としてローマに赴任し、作家・ジャーナリストとして活躍。『迷宮としての世界』(57、岩波文庫)、『文学におけるマニエリスム』 (59、平凡社ライブラリー)、『ヨーロッパの日記』 (63、法政大学出版局)、『絶望と確信』(74) などの美術史・文化史の問題作を発表。小説 『マグナ・グラエキア』(60、平凡社) もある。



ピープスの日記と新科学


M・H・ニコルソン
浜口稔訳


17世紀英国の海軍官僚サミュエル・ピープス(1633-1703)が、1660年から十年間にわたり克明につけた日記は、王政復古期の社会・文化・生活についての貴重な史料として知られている。折しも世は〈新科学〉時代、顕微鏡や望遠鏡、輸血実験、空気の計量、彗星観測、新発明の双底船などの話題が世間を賑わせ、「狂女マッジ」ことニューカースル公爵夫人はじめ、身分ある人々がボイルやフックの実験見学に押しかけた。科学者団体〈ロンドン王立協会〉の会員でもあったピープスは、科学にはずぶの素人ながら持ち前の好奇心であちこちに鼻をつっこみ、最新の科学技術について多くの報告を残している。しかし、新科学に寄せられたのは称賛ばかりではない。〈ヴァーチュオーソ〉と呼ばれた好事家や科学者は、一方で諷刺作家の恰好の標的ともなった。科学と文学の観念史を掘り起こすニコルソンが、ピープスの『日記』を通して17世紀英国〈新科学〉時代の諸相をいきいきと描いた名著。

Pepys' Diary and the New Science (1965)
◆白水社 2014年5月刊 4200円  [amazon]
◆装丁=山田英春
◆四六判・上製

本書目次


T アマチュア科学者、サミュエル・ピープス
U はじめての輸血
V 「狂女マッジ」と「才人たち」
付論 ピープス、サー・ウィリアム・ペティ、双底船

訳者あとがき
索引

まさしく事実は小説より奇なり。小説というのは勿論『ガリヴァー旅行記』、そして事実というのが本書が初めての広さでカヴァーした十七世紀英国王立協会メンバー達による奇妙奇天烈なプロジェクト(殖産興業案)の数々である。スウィフトが冷笑したとされるラガード学院のモデルがこの英国王立協会のさまざまな奇想狂想とされるが、ヴァーチュオーソ(物数寄科学者)と称されていた趣味人達の頭の中から出てくるものに爆笑しながら、その後喪われたもの、あけられてしまった穴の大きさに、「3・11」後の我々は思い当って粛然としないわけにはいかない。エピソード語りの名手が、これ以上ないエピソードの宝庫に思いきり手を突っ込み、語り来たり語り去る語りの面白さは、この本に観念史派史学の名著という以上の輝く魅惑を与えている。――高山宏

マージョリー・ホープ・ニコルソン (1894-1981)
アメリカの英文学・文化史家。A・O・ラヴジョイの 〈観念史〉 クラブの中心的存在として、科学と文学の相互関係をテーマに脱領域的文化研究を展開。『西洋思想大事典(観念史事典)』(平凡社) でも多くの項目を担当した。主な著書に 『ニュートン詩神を召喚す』、『月世界への旅』 (国書刊行会)、『円環の破壊』 (みすず書房)、『科学と想像力』、『暗い山と栄光の山』 (国書刊行会)、『ピープスの日記と新科学』 など。




オルフェウスの声
詩とナチュラル・ヒストリー

エリザベス・シューエル
高山宏訳

古代ギリシアの楽人オルフェウスは、亡き妻を探して冥界へ下り、その歌と竪琴で亡者や復讐女神、冥界の王を涙させ、地上にあっては鳥や獣、森の木々や石の心まで動かしたが、バッケーの狂女たちによって八つ裂きにされてしまう。しかしなお、その頭部は歌うことを止めなかった。
シューエルはこのオルフェウスの神話に、魔術的な力で分断を縫合し世界を統合する〈詩〉の力を重ねあわせ、フランシス・ベーコン、シェイクスピアから、ゲーテ、ノヴァーリス、神秘主義者スウェーデンボルグ、植物分類学のリンネ、『植物の愛』の詩人エラズマス・ダーウィン、ワーズワース、リルケまで、超分野的にたどりながら、詩的思考が近代の分析的知、「人間を散文と詩に引き裂く呪縛」を克服し、人間と世界/自然を結びあわせ「総合」へと導く諸相をみていく。事物を「対象(モノ)化」する分析的論理から、「自らを事物の中に投企する」ポスト論理へ。近代の分析的知が抑圧し切り捨ててきた人間の肉体的側面、夢の世界、自然の世界を、我々はもう一度取り戻さなくてはならないと説く本書は、「言ってみれば世界‐暗喩の壮大な研究書、というかそれ自体「詩」である見者の書」(高山宏)でもある。
バラバラに引き裂かれた世界と人間を「詩的方法」、すなわち「オルフェウスの声」によって再統合せよ、という著者の強力なメッセージは、本書を単なる文学研究、文化史のレベルを超えた畏るべき幻視の書としている。ビジネスの言語、数字と合理の言語が人間と世界を無惨に引き裂きつづけている現在こそ、ぜひ読まれるべき名著である。
「これは霊感が書かせた書、運動する詩ともいうべき議論である。エリザベス・シューエル自身、女史の書が繰りだす幻視の族の一人なのだ。信じがたく独創的で重要な一著、それが『オルフェウスの声』である」(ジョージ・スタイナー)

The Orphic Voice: Poetry and Natural History(1960)
◆白水社 2014年10月刊 6000円 [amazon]
◆装丁=山田英春
◆四六判・上製

本書目次

謝辞
第一部 序
第二部 ベーコンとシェイクスピア ポストロジカル思考
第三部 エラズマス・ダーウィンとゲーテ リンネ分類学とオウィディウス分類学
第四部 ワーズワースとリルケ 思考の生物学へ
第五部 『オルフェウスの声』のために働く詩
原注
解説
索引

エリザベス・シューエル (Elizabeth Sewell, 1919-2001)
インドの英国人の家庭に生まれる。イギリスで教育を受け、ケンブリッジ大学を卒業。49年に渡米し、オハイオ州立、ヴァッサー、ベネット、フォーダム、プリンストン、ノースカロライナなど、多くの大学で教壇に立つ。著書に 『詩の構造』(1951)、『ポール・ヴァレリー、鏡の中の知性』(52)、『ノンセンスの領域』(52)、『オルペウスの声』(60) 他、数冊の詩集・小説もある。



道化と笏杖


ウィリアム・ウィルフォード
高山宏訳


〈道化〉とは何か。秩序と混沌、賢と愚、正気と狂気のはざまに立ち、愚行によって世界を転倒させ、祝祭化する存在。ある時はお調子者のトリックスターとして、ある時は賢なる愚者として、あるいはスケープゴートとして、〈道化〉は大きな役割を果たしてきた。本書は、中世民衆の祝祭や宮廷道化、ルネッサンスの愚者文学、『痴愚神礼讃』、シェイクスピア劇から、北米インディアンの儀礼道化、サーカスのクラウン、映画の喜劇王チャップリンやキートンまで、元型的存在としての 〈道化〉 の系譜を辿り、境界を侵犯・超越するその機能を脱領域的に解き明かす、一九六〇年代〈知性の夏〉が生んだ道化論の決定版である。貴重な図版多数。付録として、「訳注をかねたフール小事典」、本書に逸早く注目した山口昌男の記念碑的エッセー「道化と幻想絵画」(単行本初収録)他を併録。

「1960年代後半、「魂の心理学」 に人文科学全体が総力戦で当たった人文学栄光の刹那の、アプローチの自在、選ばれる対象の脱領域ぶり――シェイクスピア劇からサーカス・クラウン、北米インディアンから禅僧の機法一体まで、見境なし――両面における極致である」 (高山宏)

◆白水社 2016年1月刊 6400円(税別) [amazon]
◆装丁=山田英春
◆四六判・上製

◇晶文社版(1983年刊)の増補復刊

本書目次

『道化と笏杖』に寄せて イーニッド・ウェルズフォード
序論 
   第一部 フールとそのショー
第一章 幻影としてのフール
第二章 フールの基本的特性
第三章 フールとミメーシス
   第二部 愚行のパターン
第四章 フールの恒久性
第五章 原始的・魔術的存在としてのフール
第六章 秩序と混沌とフール
第七章 フールと「善」と「悪」
第八章 フール、境界、中心
   第三部 フールと王国
第九章 王、英雄そしてフール
第十章 フールと女
第十一章 愚行の悲劇的次元――『ハムレット』
第十二章 愚行の喜劇的次元――バスター・キートンの『キートン将軍』
第十三章 至上者たるフール――『リア王』
第十四章 愚行共和国と聖なるフール
 原注
 訳注をかねたフール小事典
 道化と幻想絵画 山口昌男
 ウィリアム・ウィルフォード 『道化と笏杖』 書評 山口昌男
 あとがきにかえて 高山宏
 あらためてマサオ・ヤマグチ! 高山宏
 索引

ウィリアム・ウィルフォード (1929-)
デトロイト生まれ。カリフォルニア大学バークレー校で修士号取得。チューリッヒのC・G・ユング・インスティチュートで分析心理学を学び、心理療法活動に従事した後、シアトルのワシントン大学英文学・比較文学科の教授となる。著書に 『道化と笏杖』(69)、『感情、想像力、自己――母子関係の変容』(88)。心理学雑誌に多数の論文を発表。



シェイクスピアの生ける芸術


ロザリー・L・コリー
正岡和恵訳


記念碑的名著『パラドクシア・エピデミカ』でルネサンスにおけるパラドックスの伝統を明らかにしたロザリー・L・コリーが、英国ルネサンス最大の作家シェイクスピアにあらためて取り組み、その豊饒な文学世界を様々な切り口から論じた畢生の大著。『ソネット集』における辛い<Gピグラムと甘い<\ネットのせめぎ合い、『ロミオとジュリエット』『オセロー』の愛の問題系から、エジプトとローマの価値観の対立に「アジア様式」と「アッティカ様式」の文体論争をからめた『アントニーとクレオパトラ』論、主人公と劇構造の自己回帰性をメランコリーを通じて分析した『ハムレット』論、『お気に召すまま』『リア王』および後期のロマンス劇における牧歌の変容、パラドックスの視点から読み解く『トロイラスとクレシダ』論まで、シェイクスピアを広くルネサンスの作家として捉え、精緻な読解によってその作品群をヨーロッパの思想・文学の伝統に位置付けた壮大な試み。

「批評が途方もない博識を綿密な読解と、遊び心にも富むエレガントな言葉で表現できた二十世紀人文批評黄金時代の最後を飾る一書。画期書『パラドクシア・エピデミカ』のこの姉妹篇ほど、シェイクスピア没後四百年記念の年に読者諸賢の机上にふさわしいものはないと思ってきた」――高山宏

◆白水社 2016年6月刊 8800円(税別)  [amazon]
◆装丁=山田英春 ◆装画=ドラクロワ 「墓地のハムレットとホレイシオ」
◆四六判・上製


本書目次

はしがき
序論
第一章 技(クラフト)の批評と分析――『恋の骨折り損』と『ソネット集』
第二章 甘み(メル)と辛み(サル)――ソネット理論におけるいくつかの問題点
第三章 『オセロー』と愛の問題系
第四章 『アントニーとクレオパトラ』――文体のスタイルとライフ・スタイル
第五章 『ハムレット』――リフレクトする病としての憂鬱の解剖
第六章 牧歌の眺望――ロマンス、喜劇的で悲劇的な
第七章 「その点では自然が人工に優っている」――牧歌の定式の限界
第八章 形式とその意味――「墓に飾られうち棄てられる」
エピローグ
 訳者あとがき
 原注
 索引

ロザリー・L・コリー (Rosalie L. Colie, 1924-72)
元ブラウン大学教授。1966年 『パラドクシア・エピデミカ』 (白水社) でルネサンス研究を一挙に活性化し、69年にアンドルー・マーヴェル論 『我が谺なす歌』 を上梓、ジャンル論、シェイクスピア論など精力的に展開していた最中の72年、カヌーの転覆事故で急逝。没後、『種の源泉』 (73)、『シェイクスピアの生ける芸術』 (74) が出た。ウォーバーグ研究所、観念史クラブとの関わりも深く、『観念史事典』 (邦訳 『西洋思想大事典』) に 「文学のパラドクス」 の項を寄稿している。



形象の力
合理的言語の無力

エルネスト・グラッシ
原研二訳


論証では到達できない認識がある。デカルトの近代合理主義に対して、反論証の系譜が古代弁論術から脈々としてあった。グラッシはポーの効果理論、ボードレールの倦怠理論、マラルメの芸術言語から説き起こし、古代ギリシアに遡ってソフィストの雄弁術や巫女シビュラの託宣、予見者カッサンドラの悲劇を検証して、近代哲学から締め出された修辞学の復権を謳い、さらに現代の動物行動学等の成果も参照しながら、理性では世界が捉えられないと考える系譜としてフマニスムの伝統を呼び戻す。〈真理〉のみを目指すデカルトを批判したヴィーコは〈真理のようなもの〉を対置する。論証ではなく発見術。世界はメタファによってしか捉えられない。メタファによってこそ世界は再統合され、展開可能となる。ホッケ『迷宮としての世界』を世に送ったイタリアの哲学者・編集者による形象言語論、〈発見術〉原論にしてフマニスム復興宣言。

「博読凄愴なまでの二十世紀人文学の一番コアな部分を、二十世紀一杯を生き切り、出会った最高の知性たちを次々と叢書に編み切った稀代の編集者が説き来り、説き去るこの伝説の一書の驚愕目次案に読者、まずは戦慄せよ。人文学はこれから始まるのだ」 ――高山宏
「デカルト以来の西洋近代哲学に対抗するこのもう一つの伝統〔フマニスム〕は、現実世界を捉える哲学の意義を新たな仕方で力強く訴えかける。日常経験から感覚を解放する芸術、説得で人を動かす弁論術の伝統。フマニスムの哲学的意義は半世紀たった今、より切実さを増している」 (納富信留氏評 「讀賣新聞」 11月13日)

◆白水社 2016年9月刊 品切・5400円(税別) [amazon]
◆装丁=山田英春 ◆装画=カール・グスタフ・カールス 「ゲーテの記念碑」
◆四六判・上製

本書目次

献辞 ヴィルヘルム・シラージ追憶のために
序言

  第T部 芸術作品に至る道と形象
T 経験的確信の〈背後〉に達する芸術の試み
U 説得術と論理学、形象と理性
  第U部 言語の十全にして不全であること
T 人間になることとロゴス
U 原初的(アルカーイッシュ)な意味論的言語
V 合理世界の根源たる指示言語
W 記号と精神
  第V部 インゲニウム フマニスムの伝統
T 理性と情念の統一
U メタファ
V フマニスムの伝統:〈(レス)〉と〈言葉(ウェルバ)〉 の一致
 原注
 解説
 索引

エルネスト・グラッシ (1902-1991)
イタリアの哲学者。ミラノ生まれ。ミラノ大学卒業後、ドイツのフライブルク大学でハイデッガーに学ぶ。1942年、ベルリンに人文学研究所を開設。ミュンヘン大学教授。ローヴォルト 〈ドイツ百科全書〉 叢書を編集し、ホッケ 『迷宮としての世界』 を送り出す。邦訳に 『芸術と神話』 (法政大学出版局) がある。




アレゴリー

ある象徴的モードの理論

アンガス・フレッチャー
伊藤誓訳


18世紀の文芸理論から20世紀前半のニュークリティシズムに至るまで、アレゴリーは「抽象的観念を絵画的言語に移し替えたもの」でしかない、深みのない表現形式として、低い評価を与えられてきた。本書はこうしたアレゴリー蔑視、シンボル優位の風潮に異議をとなえ、表象論、人類学、精神分析学の新しい展開とも呼応しながらその豊饒な世界を論じ、アレゴリー復権の契機となった画期的名著である。ギリシャ・ローマの古典、聖書釈義から、『神曲』、『妖精の女王』、シェイクスピア、スウィフト、ホーソン、カフカ、さらには『一九八四年』、『蠅の王』、SFに至るまで、脈々と受け継がれたアレゴリー文学の系譜を自在に参照し、その多様なかたちを示したフレッチャーは、アレゴリーを「思考の仲介者」として評価し、その魔術的機能、宇宙的スケールを絢爛と語っていく。汲めども尽きぬ「理論の百科全書的宝庫」(ハロルド・ブルーム)と絶賛された《アレゴリーの解剖(アナトミー)》。

「二度の世界終末大戦の廃墟の中、世界は分断/総合を究極テーマに抱える批評の一大潮流に突入した。熱く総合に酔うシンボリズム礼讃の只中、怜悧に分断を見据えるアレゴリーに即いた畏るべき宇宙誌/哲学書/心理学書/人文批評書 (ただの一冊で!)。批評そのものが 「アナトミー」 (N・フライ) の超ジャンルたり得る一大奇観」 ――高山宏

◆白水社 2017年4月刊 7600円(税別) [amazon]

◆装丁=山田英春 ◆装画=オディロン・ルドン 「目は奇妙な気球のように無限に向かう」
◆四六判・上製


本書目次

序論
第一章 ダイモン的仲介者
第二章 宇宙的イメージ
第三章 シンボル的行為――前進と闘い
第四章 アレゴリー的因果律――魔術と儀式の形式
第五章 テーマ的効果――両価性、崇高、そしてピクチャレスク
第六章 精神分析学的類比――強迫観念と強迫衝動
第七章 価値と意図――アレゴリーの限界
あとがき
図版集
訳者あとがき
参考文献
索引

アンガス・フレッチャー
英文学・比較文学者。ニューヨーク市立大学名誉教授。 『アレゴリー』 (64)、『思考の図像学』 (71。法政大学出版局)、『アメリカ詩のための新理論』 (2004)、『シェイクスピア時代における時間・空間・運動』 (2007) などがある。なお、『西洋思想大事典』 (平凡社) に本書のレジュメともいうべき 「文学史におけるアレゴリー」 (高山宏訳) が収められている。




ボーリンゲン

過去を集める冒険

ウィリアム・マガイアー
高山宏訳


C・G・ユングはスイスのボーリンゲン村を隠棲の地とし、心理学・神話学・宗教学・図像学など様々な分野の世界的知性を集めた〈エラノス会議〉(1933年開始)で中心的役割を果たした。そのユングに傾倒したアメリカの資産家ポールとメアリー・メロン夫妻は、1942年にボーリンゲン基金を設立、学術研究の支援と出版事業を開始する。〈ボーリンゲン叢書〉はユング著作集、エラノス講義の書籍化をはじめ、ヴィルヘルム訳『易経』、キャンベル『千の顔を持つ英雄』、ノイマン『グレート・マザー』、鈴木大拙『禅と日本文化』、ヴァレリーやコールリッジの著作集など、数々の名著を送り出し、奨学金で多くの研究者や文学者の活動を支え、考古学発掘調査に資金援助を行なった。ユング、ケレーニイ、エリアーデ、ブロッホ、リード、パノフスキー、ショーレム、ナボコフら、ボーリンゲン・プロジェクトに集う綺羅星の如き人々、二十世紀を変えた〈知〉が生成される現場を活写した人的交流の文化史。

「人類学者山口昌男が歴史人類学の名を与えた有為な知性の飽くことない交流関係の連鎖の状況を、20世紀前半の脱領域そのもののヨーロッパ知的世界を舞台に克明かつ力動的に描破し活写した一連の名著中にも一頭地を抜いた文化史の雄篇である」(高山宏)

毎日新聞(12/10) 若島正氏評――「本書で最も印象的なのは、知の巨人たちに全幅の信頼を置き、その仕事を陰で支えた人々の存在である。とりわけ、資産家の妻というだけの扱いでウィキペディアにも項目がないメアリー・メロンは、ひたすらユングへの傾倒に突き動かされてこの大事業を成し遂げた女傑として長く記憶されるべきだろう。そして、何十年もかかる仕事に文字どおり生涯を捧げた、翻訳者たちや編集者たちもいる。(中略)わたしたちに遺されたボーリンゲン叢書がそうだったように、この『ボーリンゲン』という本も、過去を伝える貴重な文化遺産であり、人文学の厚みを再認識させてくれる重い一冊なのだ」
讀賣新聞(1/25) 土方正志氏評――「あるテーマと書き手が出会い、その書き手が基金と編集者と出会って、瞬間に火花が散る、熱が高まる。そして、書物が生まれる。(・・・)とにかく書物にまつわる人間たちの精神の冒険小説じみて、四百頁を一気に読まされた」

◆白水社 2017年10月刊 6800円(税別)[amazon]

◆装丁=山田英春
◆四六判・上製


本書目次


第一章 カンザスシティからマジョーレ湖へ
第二章 「ボーリンゲンはわたしのエラノス!」
第三章 蘇ったボーリンゲン
第四章 エラノス、ユング、神話
第五章 文学、美術、そして古代
第六章 遺産
出会いのアルケミア 高山宏
資料と謝意
ボーリンゲン奨学金受給者
ボーリンゲン叢書
索引

ウィリアム・マガイアー(Willam McGuire, 1917-2009)
フロリダ生まれ。フロリダ大学卒業後、ジャーナリスト・編集者として活動。〈ボーリンゲン叢書〉の編集に携わり、ジョゼフ・キャンベル『千の顔をもつ英雄』など数々の名著を送り出した。英訳『ユング著作集』編集長、『フロイト/ユング往復書簡集』を編集。著書に『ボーリンゲン』(1982)など。