―今日は何の日―
【1月】

1月1日
◆1753年のこの日、親戚の家を訪ねると言って出かけたロンドンの女中エリザベス・キャニングは、そのまま消息を絶った。1ヶ月後、ぼろぼろの恰好で帰ってきた娘は、二人の男にかどわかされて、ある淫売宿の一室に監禁されていたと語る。早速、問題の家に捜査の手が入り、女主人が逮捕され、裁判にかけられたが、エリザベスの証言には矛盾が多く、ついに法廷は事実無根のでっちあげという結論に達した。ではその1ヶ月、彼女はどこで、何をしていたのか。リリアン・デ・ラ・トーレは 『消えたエリザベス』 (1945) でこの失踪事件の謎に挑み、ジョゼフィン・テイは事件の舞台を現代に移し、『フランチャイズ事件』 (1948) を書いた。アーサー・マッケンにもこの事件を取り上げたThe Canning Wonder (1925) がある。
◆1854年のこの日、『金枝篇』のジェイムズ・ジョージ・フレイザーがスコットランドのグラスゴーで生まれる。
◆1924年のこの日、映画監督の石井輝男が東京・麹町に生まれる。家業は浅草の綿問屋だった。東映の 《網走番外地》 シリーズ (1965〜67) で大ヒットを飛ばし、《江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間》 (69) などのカルト作でも知られるが、ミステリ映画的には、1960年前後に新東宝で撮った 《黒線地帯》 《黄線地帯》 《セクシー地帯》 などの犯罪映画に注目したい。新東宝ではウィリアム・アイリッシュ 『暁の死線』 を映画化する話もあったが、同社の倒産により実現しなかった。他にW・P・マッギヴァーン 『悪徳警官』 が原作の 《親分(ボス)を倒せ》 (63) があり、TVドラマでもシャーロット・アームストロング原作 (「あほうどり」) の 《喪服の訪問者》 (71)、ボアロー&ナルスジャック原作 (『呪い』) の 《汚名の女》 (81) などを手がけている。
◆1928年のこの日、チャーリー・チャン映画 《支那の鸚鵡》 が公開される。チャン警部役はハリウッドで悪役スターとして一時代を築いた上山草人。
◆1984年のこの日、『ホッグ連続殺人』 のウィリアム・L・デアンドリアと 『ロマンス作家は危険』 のオレイニア・パパゾグロウが、コネティカット州サウス・ノーウォークで結婚する。


1月2日
◆1894年のこの日、『ジェニーの肖像』 のロバート・ネイサンがニューヨーク市で生まれる。
◆1920年のこの日、SF界の巨人アイザック・アシモフがソビエト連邦のペトロヴィチで生まれる。『はだかの太陽』 『鋼鉄都市』 のSFミステリや、安楽椅子探偵物の 《黒後家蜘蛛の会》 シリーズなど、ミステリ・ジャンルでも優れた作品を数多く発表している。
◆1929年のこの日、『夜の旅その他の旅』 のチャールズ・ボーモントがシカゴで生まれる。ジャズや車を題材にした作品で 《プレイボーイ》 の人気作家となり、その一方で異色幻想短篇を多数発表。同性愛が強制され、異性愛者が “変態” として糾弾される未来社会を描いた 「倒錯者」 (1955) は 《プレイボーイ》 誌に掲載されるや、センセーションを引き起こした。脚本家としても活躍、ロジャー・コーマンのポー映画 《赤死病の仮面》 《怪談呪いの霊魂》 を担当、ロッド・サーリングのTVシリーズ 《ミステリー・ゾーン》 の中心的脚本家のひとりでもあった。
◆1966年のこの日の午後7時、TBSで 《ウルトラQ》 第1話 「ゴメスを倒せ!」 が放映される。

1月3日
◆1893年のこの日、『緯度殺人事件』 (1930) 他のヴェルコール物で人気を博したルーファス・キングがニューヨークで生まれる。長篇 『不変の神の事件』(創元推理文庫)、〈クイーンの定員〉 にも選ばれた短篇集 『不思議の国の悪意』 (創元推理文庫) の他、『緯度殺人事件』 の新訳 (論創社) も出た。
1月4日
◆1878年のこの日、『郵便局と蛇』 のA・E・コッパードがケント州の港町フォークストンの仕立屋の家に生まれる。青年時代、優れた短距離走選手だったコッパードは幾つもの懸賞レースに出場、その賞金で本を買ったという。
◆1889年のこの日、夢野久作が福岡市に生まれる。
◆1922年のこの日、山田風太郎が兵庫県関宮村(現・養父市)に生まれる。
◆1941年のこの日、ハンフリー・ボガートが 〈狂犬〉 と仇名される凶悪強盗犯を演じて、一躍注目を集めたラオール・ウォルシュ監督の 《ハイ・シエラ》 が封切られる。原作はW・R・バーネット。
1月5日
◆1909年のこの日、作家・脚本家のハリー・カーニッツ、別名マルコ・ペイジがニューヨークで生まれる。ペイジ名義ではビブリオ・ミステリ 『古書殺人事件』、本名のカーニッツ名義では映画界を舞台にした 『殺人シナリオ』 が紹介されているが、その本領はシナリオライターのほうにあった。《情婦》 《おしゃれ泥棒》 《影なき男の影》 などのミステリ映画の他、《ハタリ!》 《ピラミッド》 など、多くの映画に関わっている。
◆1944年のこの日、蘭郁二郎が搭乗したダグラス機が濃霧で視界を失い、台湾・寿山に激突、31年の短い生涯を閉じる。海軍報道班員として、インドネシアのマカッサルへ赴く途中の出来事だった。
1月6日
◆1854年のこの日、シャーロック・ホームズがヨークシャー州ノース・ライディングで生まれる。もっともこれはシャーロキアンが 「聖典」 中の記述から推測した年月日で、確証があるわけではない。ホームズが学生時代に遭遇した 「グロリア・スコット号事件」 が1874年、このとき彼は20歳だったと推察されるので、逆算して1854年生まれ。誕生日の根拠はもっと薄弱で、『十二夜』 の引用がどうの、といったことが云われているが、要は世界初のシャーロキアン団体 〈ベイカー・ストリート・イレギュラーズ〉 がこの日を公式誕生日に決めてしまった、ということらしい。ちなみに古畑任三郎は1949年1月6日生まれ。もちろんホームズにあやかったもの。 日ペンの美子ちゃんの誕生日でもあるらしい(1972年、《明星》誌の広告に初登場)。
1月7日
◆1912年のこの日、《アダムス・ファミリー (アダムスのお化け一家)》 で有名な漫画家チャールズ・アダムスが、ニュージャージー州ウェストフィールドで生まれる。その作品の多くは 〈ニューヨーカー〉 誌に掲載された。『チャールズ・アダムスのマザー・グース』 は伝承童謡の独自の解釈が楽しい絵本。
◆1968年のこの日、黒人探偵を起用し、MWA賞を獲得した 『ゆがめられた昨日』 (1957) や悪徳警官物 『さらばその歩むところに心せよ』 (1958) で注目を集めたエド・レイシイが、ニューヨークで死去。
1月8日
◆1824年のこの日、ディケンズと並ぶ19世紀英国の偉大なストーリーテラー、ウィルキー・コリンズがロンドンで生まれる。『白衣の女』 (1860)、『月長石』 (1868) は不滅の古典だが、〈ウィルキー・コリンズ傑作選〉 全12巻 (臨川書店) には、もうひとつの傑作 『ノー・ネーム』 をはじめ、主要作品が収録されている。
◆1897年のこの日、英国の大衆小説家デニス・ホイートリがロンドンで生まれる。ミステリ・ファンには手掛かりの 「実物」 を付した事件ファイル物 『マイアミ沖殺人事件』 の作者として知られているが、その本領はやはりオカルティズムと通俗的スリルに満ちた怪奇冒険小説にあるだろう。邦訳に 『黒魔団』 『続・黒魔団』 『ナチス黒魔団』 『娘を悪魔に』 『悪魔主義者』 (国書刊行会) がある。彼が編んだ怪奇小説の巨大アンソロジー 『恐怖の1世紀』 もソノラマ文庫から4分冊で出ていたが、いまは入手が難しいようだ。
1月9日
◆1890年のこの日、カレル・チャペックが東ボヘミアのマレー・スヴァトニョヴィツェ村で生まれる。『山椒魚戦争』 『ロボット(R・U・R)』 『ひとつのポケットから出た話』 『園芸家十二ヵ月』 『長い長いお医者さんの話』 『ダーシェンカ』 などで、日本の読者にも長いあいだ親しまれてきたチェコの国民的作家。
◆1976年のこの日、マサチューセッツ州ケープコッドを舞台に、ノンシャランな探偵アゼイ・メイヨが活躍するユーモア・ミステリを書き続け、人気を博したフィービ・アトウッド・テイラーが死去。
1月10日
◆1901年のこの日、『聖悪魔』 の渡辺啓助が秋田市上磯郡谷好村で生まれる。
◆1896年のこの日、夫リチャードとの合作で発表したノース夫妻物が大当たりしたフランセス・ロックリッジが、カンザス・シティで生まれる。昨日のテイラーと同様、翻訳には恵まれていない (1950年代に長篇 『湖畔の殺人』 『死は囁く』 『舞台稽古殺人事件』 が紹介されている)。
◆1961年のこの日、ダシール・ハメットが肺癌で死去。『影なき男』 (1934) 以後、ほとんど作家活動はしておらず、50年代には隠者のような生活を送っていた。あとには滞納税額14万ドルと未完の自伝的作品 『チューリップ』 が残された。
◆2011年のこの日、〈DKAファイル〉 シリーズのジョー・ゴアズが死去。享年79。『ハメット』 で主人公の探偵役に据え、近作 『スペード&アーチャー探偵事務所』では 『マルタの鷹』 前日譚を描いたダシール・ハメットと同じ日に、というのは不思議な暗合。
1月11日
◆1905年のこの日、エラリー・クイーンの片割れ、マンフレッド・B・リーがブルックリンのユダヤ系移民の家に生まれる。生まれたときの名前はマンフォード・レポフスキー。二人の合作は、フレデリック・ダネイが登場人物とプロットを練り、リーがそれに小説に肉付けしていったのだという。もちろん最初の段階では、二人の徹底的な検討が行なわれていた。1960年代の夥しいクイーン名義の (代作者による) ペイパーバック作品はリーが監修していた。また、『盤面の敵』 『第八の日』 などの作品ではリーの代わりにスタージョンやアヴラム・デイヴィッドスンが協力者として起用されたことは、いまではよく知られるようになった。
1月12日
◆1876年のこの日、ジャック・ロンドンがサンフランシスコで生まれる。私生児として生まれ、少年時代から密漁団に加わり、金鉱探し、アザラシ猟船員、日露戦争通信員など、多くの冒険的体験をへて作家となり、大成功をおさめるが、過労と飲酒癖がたたって病に蝕まれ、モルヒネ中毒死に至る。その波乱に富んだ数奇な生涯はアーヴィング・ストーンの傑作伝記 『馬に乗った水夫』 (早川書房) で。
◆1965年のこの日、「天狗」 の大坪砂男が死去。
◆1976年のこの日、ミステリの女王アガサ・クリスティーが死去。前年の75年に、第2次大戦中に書き上げて、自分の死後に出版するように金庫に保管しておいたという2長篇のうち、ポアロ最後の事件 『カーテン』 を発表して、世界的な話題を呼び (雑誌版権を獲得した 〈週刊新潮〉 と単行本の翻訳権を所有する早川書房のあいだで、発売時期をめぐって鞘当があったのをご記憶だろうか。早川としては発売前に雑誌で真相をばらされるのは困るし、新潮側も単行本発売後に雑誌で連載を続けるのは間抜けな話だしで、結局、雑誌連載の最終回の前週に単行本刊行という紳士協定 (?) で決着した。いまや幻の雑誌版の訳者は常盤新平)、翌76年に死去、ミス・マープル最後の事件 『スリーピング・マーダー』 が出版される、という鮮やかなカードの切り方は、彼女の人生自体がひとつの優れたミステリであった、とつい云いたくなってしまう。
◆2001年のこの日、『ノンセンスの領域』 でルイス・キャロルのノンセンスが本当はとても怖い世界であることを教えてくれたエリザベス・シューエルが死去。享年81。
◆2003年のこの日、《仁義なき戦い》 シリーズの映画監督、深作欣二が、前立腺癌のため死去。享年72。
◆2010年のこの日、映画評論家でR・チャンドラー 『大いなる眠り』 の翻訳者、双葉十三郎が心不全のため死去。享年99。
◆2012年のこの日、『骨と沈黙』 などのダルジール警視シリーズの作者レジナルド・ヒルが死去。

1月13日
◆1830年(天保元年)のこの日(旧暦)、前年11月27日に没した四世鶴屋南北の葬儀が、本所押上の春慶寺で盛大に行なわれる。江戸三座の役者衆が麻上下で野辺送りに参加、門前にはよしず張りの茶屋を設え酒が振舞われ、列席者には餅菓子と、南北が生前に書き上げていた台本 『寂光門松後万歳(しでのかどまつごまんざい)』 が配布された。「略儀ながら せもうはござりますれど、棺の内より頭をうなだれ手足を縮め、御礼申しあげたてまつりまする」 という南北自身の挨拶で始まるこの台本は、自分の葬式をめでたい万歳に仕立てたもの。己の死まで茶化してしまう大南北 「最後の滑稽」 に一同おどろきあきれたという。
◆1893年のこの日、怪奇小説家・詩人・彫刻家のクラーク・アシュトン・スミスが、カリフォルニア州ロング・ヴァレーで生まれる。少年時代から読書を好み、詩や童話を書き始め、ラテン語を独学で習得、大英百科事典を二度精読したというスミスは、弱冠19歳で詩集 Star-Treader and Other Poems (1912) を上梓し、早熟の天才として注目される。1920年代に入ると、パルプマガジンに小説を寄稿し始め、この頃ラヴクラフトとの文通も開始している。邦訳短篇集に 『魔術師の帝国』 (創土社)、『呪われし地(ロキ)』 (国書刊行会)、『イルーニュの巨人』 『ゾティーク幻妖怪異譚』(創元推理文庫)、『魔界王国』 (ソノラマ文庫) がある。
◆1926年のこの日、『ジェイムズ・ジョイズの殺人』 のアマンダ・クロスが、ニュージャージー州イースト・オレンジで生まれる。
◆1957年のこの日、『郵便局と蛇』 のA・E・コッパードが死去。
◆2009年のこの日、俳優パトリック・マクグーハンがサンタモニカの病院で死去。1960年代にイギリスのTVシリーズ 《秘密指令》、その続篇 《秘密諜報員ジョン・ドレイク》 で演じたスパイ役で人気を確立。1967年、謎の村に囚われの身になった諜報部員の苦闘を描いた伝説的TVシリーズ 《プリズナーNo.6》 を企画、自ら主演し、監督も手がけた。また 《刑事コロンボ》 では 「祝砲の挽歌」 「仮面の男」 などで犯人役をつとめ、監督も担当している。
1月14日
◆1898年のこの日、ジョン・レスリー・パーマーと組んで、フランシス・ビーディング名義で1920〜40年代に多くのスリラー、スパイ小説を発表したヒラリー・エイドリアン・セイント・ジョージ・ソーンダーズが生まれる。ソーンダーズと13歳年上のパーマーはオックスフォード大学ベイリアル・コレッジの同窓生、1920年代初めにジュネーヴで出会った二人はたちまち意気投合して合作を始める。日本のミステリ・ファンにはほとんど馴染みのない名前だったが、精神分析を主題にしたヒッチコックの実験的作品 《白い恐怖》 の原作が、〈ポケミス名画座〉 の枠で紹介された。
◆1957年のこの日には、ハンフリー・ボガートがハリウッドで死去。アメリカ人 (そして往年の本邦ハリウッド映画ファン) にとっては、いまもボギーは特別な存在のようだが、正直云ってちょっと神格化がすぎる気がしなくもない。夫人は 《脱出》 《三つ数えろ》 《潜行者》 で共演したローレン・バコール。彼女は 《アフリカの女王》 のロケにも同行し、二人の熱愛ぶりには、流石のキャサリン・ヘップバーンも辟易したらしい。

1月15日
◆1874年 (明治7) のこの日、東京警視庁が創設される。初代総監は川路利良。新時代の東京を舞台に、川路大警視と元南町奉行駒井相模守が丁々発止の知恵比べを繰り広げるのが、山田風太郎の大傑作 『警視庁草紙』。また 『明治断頭台』 では、警視庁発足前、役人の不正取締りのため設置された太政官弾正台の大巡察時代の川路青年が登場、理想家の同僚・香月経四郎と共に様々な怪事件捜査にあたる。これも傑作。
◆1902年のこの日、「黒い小猫」 「誰でもない男の裁判」 等の名短篇の作者A・H・Z・カーがシカゴで生まれる。ビジネス・コンサルタント等の本業の傍ら、1950-60年代に珠玉のような名品を 《EQMM》 に寄稿した。その代表的傑作は 『誰でもない男の裁判』 (晶文社) で。
◆1947年のこの日、自称女優のエリザベス・ショートの切断死体がロサンジェルスの空地で発見される。〈ブラック・ダリア〉 という通り名をもつこの女性は、娼婦まがいのいかがわしい生活を送っていた。酸鼻な猟奇殺人に大捜査網が展開されたが、事件は結局迷宮入りとなった。ケネス・アンガーのスキャンダル映画界史 『ハリウッド・バビロン』 でも、その惨たらしい現場写真を見ることが出来る。40年後、ジェイムズ・エルロイがあらためてこの事件を題材に取り上げ、注目を集めることになった (後にブライアン・デ・パルマによって映画化された)。最近ではマックス・アラン・コリンズも 『黒衣のダリア』 で、この事件に取り組んでいる。
1月16日
◆1958年のこの日、〈ブラック・マスク〉 誌で活躍したハードボイルド草創期の巨匠、キャロル・ジョン・デイリーが死去。1920-30年代には絶大な人気を誇ったが、平板な人物描写とマンネリ化した物語は次第に読者に飽きられ、晩年はテレビやコミック・ブックの仕事をしていたらしい。
1月17日
◆1771年のこの日、アメリカ小説の父、とも云われるチャールズ・ブロックデン・ブラウンがフィラデルフィアで生まれる。その 『ウィーランド』 (1798) は、「神の声」 に導かれて殺人を犯す主人公を描いて、独自の悪夢的状況を創造したゴシック小説。催眠術が重要な役割を果たしている点にも注目。もうひとつの代表作 『エドガー・ハントリー』 でも、アメリカ辺境の原野を舞台に恐怖の追跡劇が展開される。このような作品を出発点に持ったアメリカ文学が 「ゴシック」 の系譜を受け継ぐことになったのも無理からぬことかもしれない。
◆1900年のこの日、牧逸馬名義で世界怪奇実話を、谷譲次名義で 「めりけん・じゃっぷ」 物の紀行エッセーを、林不忘名義で丹下左膳などの時代小説を発表した戦前大衆文学界の怪物的人気作家、長谷川海太郎が新潟県佐渡島の赤泊村に生まれる。父親、長谷川淑夫は函館新聞社の主筆。弟に創作 「煙突奇談」 (地味井平造名義) もある洋画家の長谷川りん【サンズイに「燐」のつくり】二郎、満洲映画協会に関わり、バイコフ 『偉大なる王』 の翻訳で知られる長谷川濬、連作 『シベリア物語』 の作家・詩人、長谷川四郎がいる。ちなみに函館中学の下級生には、久生十蘭、水谷準がいた。牧逸馬/谷譲次/林不忘/長谷川海太郎については室謙二の評伝 『踊る地平線』 (晶文社) を。長谷川四兄弟を取り上げた川崎賢子 『彼らの昭和』 (白水社) もある。長谷川四郎はソ連のスパイではなかったか、という疑惑をめぐって子息の長谷川元吉が近年著した 『父・長谷川四郎の謎』 (草思社) も話題を呼んだ。
◆2008年のこの日、エドワード・D・ホックが死去。享年77。怪盗ニック、サム・ホーソーン医師、オカルト探偵サイモン・アーク、レオポルド警部、西部の男ベン・スノウなど、多くのシリーズ・キャラクターを擁して、半世紀にわたり1000篇近い短篇ミステリを発表してきた職人作家。「長方形の部屋」 でMWA最優秀短篇賞を受賞。サンテッスン編 『密室殺人傑作選』 に採られた不可能犯罪物 「長い墜落」 も印象深い。MWA賞授賞式を舞台にした 『大鴉殺人事件』、SFミステリ 『コンピューター検察局』 などの長篇もある。年刊ミステリ傑作選をはじめ、アンソロジストとしても活躍した。
1月18日
◆1873年のこの日、エドワード・ブルワー=リットンが死去。短篇 「幽霊屋敷」 はしばしば 「英語で書かれたもっとも怖い話」 と折紙をつけられる名作 (もちろん異論はあろう、というか、ある)。薔薇十字思想などのオカルティズムを前面に押し出した長篇 『ザノーニ』 『不思議な物語』 の邦訳もある。一般的には古代ローマ帝国を舞台にした歴史小説 『ポンペイ最後の日』 の作者、もしくはリットン調査団団長ヴィクター・ブルワー=リットンの祖父として有名。名言 「ペンは剣よりも強し」 は戯曲 『リシュリュー』 の一節だが、一方でヴィクトリア時代の悪文家の見本として槍玉にあがることもしばしば。なお、リットン家のゴシック様式の邸宅ネブワースは、現在は観光用に公開され、庭園は野外ロックコンサート等に利用されている。ビーチ・ボーイズやレッド・ツェッペリンのライヴ映像を見たことがある人も多いのでは。
◆1882年のこの日、『くまのプーさん』 のA・A・ミルンがロンドンで生まれる。探偵小説好きの父親のために書いたという 『赤い館の秘密』 は、一時チャンドラーをはじめとするアンチ本格派の標的となって袋叩きにされた観があるが、「ベストテン級の名作」 みたいに考えなければ、これはこれで楽しい探偵小説だと思う。赤川次郎青春の一冊でもある。
◆1971年のこの日、《ウィアード・テイルズ》 《フェイマス・ファンタスティック・ミステリーズ》 などの怪奇SF雑誌を舞台に、精緻な点描画法による華麗な挿絵で人気を博したヴァージル・フィンレイが死去。ラヴクラフトお気に入りの挿絵画家でもあった。熱心なファンが多く、日本でも大瀧啓裕編 『ヴァージル・フィンレイ幻想画集』 (青心社) 全2巻が出た。
◆2003年のこの日、『深夜プラス1』 『もっとも危険なゲーム』 などの冒険小説作家ギャヴィン・ライアルがロンドンで死去。享年70。
◆2010年のこの日、私立探偵スペンサー・シリーズで人気を博したロバート・B・パーカーが、マサチューセッツ州ケンブリッジの自宅で心臓発作のため死去。机に坐り執筆中に亡くなったらしい。享年77。
◆2020年のこの日、宍戸錠が死去。享年86。21日未明に自宅で倒れているのが発見された。死因は虚血性心疾患だった。
1月19日
◆1809年のこの日、エドガー・アラン・ポーがボストンで生まれる。両親は俳優だったが、ポーが3歳のときに相次いで亡くなり、ヴァージニア州リッチモンドの商人ジョン・アランの養子となった。
◆1868年のこの日、『ゴーレム』 のグスタフ・マイリンクがウィーンで生まれる。
◆1921年のこの日、『見知らぬ乗客』 『太陽がいっぱい』 のパトリシア・ハイスミスがテキサス州フォート・ワースで生まれる。
◆1923年のこの日、『死人はスキーをしない』 のパトリシア・モイーズがアイルランドのブレイで生まれる。
◆1964年のこの日、『ハサミ男』 『美濃牛』 の殊能将之が福井県で生まれる。
◆2002年のこの日、渡辺啓助が死去。享年101。1901年生まれ、1月10日に101回目の誕生日を迎えたばかりだった。
1月20日
◆1612年のこの日、神聖ローマ皇帝ルドルフ2世が死去。政治能力に欠け、帝国内に混乱を招いたが、学問や芸術を愛好した皇帝の庇護の下、首都プラハにはケプラー、ジョン・ディー、ジョルダーノ・ブルーノ、コメニウス、アルチンボルド等々、多くの科学者、芸術家、魔術師、錬金術師らが参集した。R・J・W・エヴァンス 『魔術の帝国――ルドルフ二世とその世界』 は基本図書。グスタフ・ルネ・ホッケ 『迷宮としての世界』 第19章 「ルドルフ二世のプラーハ」 以下も。レオ・ペルッツ 『夜毎に石の橋の下で』 は、ルドルフ2世の魔術都市プラハを、虚実ないまぜに、幻想的な逸話をつらねて描いた傑作 (皇帝自身も登場する)。
◆1884年のこの日、『イシュタルの船』 『ムーン・プール』 のファンタジー作家エイブラム・メリットが、ニュージャージー州ビヴァリーに生まれる
◆1968年のこの日、『救いの死』 のミルワード・ケネディが死去。 『赤後家の殺人』 が出版されたとき、ケネディが 〈サンデー・タイムズ〉 の書評で、「カーター・ディクスンとはジョン・ディクスン・カーの別名義では」 と詮索したことに、カーは激怒したという。しかし、作風からいっても、名前の類似性からいっても、ディクスン=カーであることに当時の読者がまったく気づかなかったとは思えず、カーの怒りは少々理不尽な気がする。

1月21日
◆1864年のこの日、密室ミステリの古典 『ビッグ・ボウの殺人』 (1892) のイズレイル・ザングウィルがロンドンで生まれる。ザングウィルはユダヤ系のジャーナリスト・社会小説家で、探偵小説はいわば余技だったが、この 『ビッグ・ボウの殺人』 は、ユーモアにみちた軽妙な筆致といい、巧みなプロットといい、意外に古びていない。
◆1923年のこの日、SF作家・評論家・編集者・アンソロジストのジュディス・メリルがニューヨークで生まれる。ラファティ、ライバー、ディッシュ、アヴラム・デイヴィッドスンから、カーシュ、ダール、シンガー、ボルヘス、マラマッドなども収めたアンソロジー 『年刊SF傑作選』 全7巻 (創元SF文庫) は、ちょっとした異色作家傑作選の趣もある。他に 『SFベスト・オブ・ベスト』 全2巻 (創元SF文庫)、『宇宙の妖怪たち』 (ハヤカワ・ファンタジイ) も。評論に 『SFに何ができるか』 (晶文社)。一時シオドア・スタージョンと付き合っていたこともある。
◆1950年のこの日、『1984年』 『動物農場』 のジョージ・オーウェルが死去。
1月22日
◆1893年のこの日、『世紀の犯罪』 などのサッチャー・コルト物が1930年代アメリカで人気を博したアントニイ・アボットが、マサチューセッツ州ウェスト・ファルマウスで生まれる。本名フルトン・アワスラー、宗教説話集の作者や雑誌編集者として著名な人物であった。
◆1906年のこの日、〈コナン〉 〈ブラン・マク・モーン〉 〈キング・カル〉 シリーズなど、剣と魔法の世界を描いたヒロイック・ファンタジーでパルプ雑誌界に旋風を起こしたロバート・E・ハワードが、テキサス州ピースターで生まれる。
◆1937年のこの日、元ロサンジェルス市警官で、その体験をもとに 『センチュリアン』 『オニオン・フィールドの殺人』 などを発表したジョゼフ・ウォンボーが、イースト・ピッツバーグで生まれる。
◆1967年のこの日、〈ミステリ界のエド・ウッド〉 の異名をとるハリー・スティーヴン・キーラーが死去。
◆1993年のこの日、安部公房が死去。『人間そっくり』 は日本SFシリーズ (早川書房) の書き下ろし作品。安部は〈世界SF全集〉 でも、小松左京、星新一と共に1巻を与えられている。筒井康隆、眉村卓、光瀬龍が三人で1巻だから、その扱いの大きさが窺える。
◆2018年のこの日、『闇の左手』『ゲド戦記』のアーシュラ・K・ル・グィンがポートランドの自宅で死去。 享年88。
1月23日
◆1908年のこの日、フランス語圏を代表するパズラー派、スタニスラフ=アンドレ・ステーマンがベルギーのリエージュで生まれる。邦訳長篇に 『六死人』 『殺人者は21番地に住む』 『マネキン人形殺人事件』 『三人の中の一人』 『ウェンズ氏の切札』。
◆1962年のこの日、英国情報部の高官キム・フィルビーが失踪。6ヶ月後、ソヴィエト連邦はフィルビーの亡命を発表、過去30年にわたって彼がソ連情報部KGBのためにスパイ行為を働いていたことが明らかになった。この事件は西側政府に深い衝撃を与え、ジョン・ル・カレ 『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』、グレアム・グリーン 『ヒューマン・ファクター』 など、多くのスパイ小説の題材となった。
◆1993年のこの日、演劇評論家、戸板康二が死去。老優・中村雅楽が探偵役をつとめる短篇シリーズは高い評価を集めた。シリーズ全作が 『中村雅楽探偵全集』 全5巻 (創元推理文庫) にまとめられている。
1月24日
◆1776年のこの日、ドイツ・ロマン派の中心的作家で、作曲家・法律家でもあったE・T・A・ホフマンが、プロイセンのケーニヒスベルクで生まれる。「砂男」 「ファルンの鉱山」 『黄金の壺』 『悪魔の霊液』 など、怪奇幻想文学の名作は数多いが、金細工師の殺人を描いた 「スキュデリ嬢」 が、犯罪小説の古典として言及されることもある (森鴎外訳 「玉を懐いて罪あり」)。
◆1862年のこの日、幽霊小説の佳作 「あとになって」 のイーディス・ウォートンがニューヨークの名家に生まれる。『無垢の時代』 『イーサン・フロム』 などの普通小説で有名な作家だが、最近、怪奇小説集 『幽霊』 (作品社) の邦訳も出た。
◆1911年のこの日、宇宙の流れ者ノースウェスト・スミスが火星植民地で美しいヴァイパイアに遭遇する 「シャンブロウ」 で 〈ウィアード・テイルズ〉 に衝撃的デビューを飾ったC・L・ムーアが、インディアナ州インディアナポリスで生まれる。夫はヘンリー・カットナー。
◆1956年のこの日、翻訳家の親睦と研究の会、ミステリ・クラブが発足。銀座の明治屋で発会式を開催。当初の会員は次の通り。阿部主計、乾信一郎、植草甚一、宇野利泰(当番幹事)、永戸俊雄、北村太郎、砧一郎、黒沼健、清水俊二、妹尾アキ夫、高橋豊吉、田中西二郎、田中融二、延原謙(会長)、長谷川修二、日影丈吉、双葉十三郎、松本恵子、村上啓夫、村崎敏郎(当番幹事)、江戸川乱歩(顧問)。
◆1961年のこの日、女優ナスターシャ・キンスキーがベルリンで生まれる。父親はヘルツォーク映画で知られる怪優クラウス・キンスキー。《ノスフェラトゥ》 で吸血鬼を演じた父親の血を引いたか、《テス》 《ホテル・ニューハンプシャー》 《パリ・テキサス》 などの文芸・芸術路線と並行して、デニス・ホイートリー原作の 《悪魔の性キャサリン》 《キャットピープル》 といった怪奇映画にも出演している。
◆1996年のこの日、『ゴメスの名はゴメス』 『暗い落日』 『白昼堂々』 の結城昌治が死去。
1月25日
◆1874年のこの日、『人間の絆』 『雨』 『月と六ペンス』 など数々の名作で知られる英国の小説家W・サマセット・モームがパリで生まれる。ミステリの分野では、それまでの “外套と短剣” 式の冒険活劇を排して、英国情報部での実体験をもとに諜報部員のリアルな生態を描き、スパイ小説に新機軸をうちだした 『アシェンデン』 (1928) をあげるべきだろう。その流れは30年代に入ってグレアム・グリーン、エリック・アンブラーに受け継がれていく。モーム自身の英国情報部時代については、田中一郎 『秘密諜報部員サマセット・モーム』 (河出書房新社) という本も出た。短篇 「密林の足跡」 (『アー・キン』 収録) も、探偵小説的要素のある作としてしばしば名前の挙がる作品。一方で同時代のオカルティスト、アレイスター・クロウリーをモデルにした 『魔術師』 のような小説も書いているところが面白い。
◆1882年のこの日、『ダロウェイ夫人』『灯台へ』のヴァージニア・ウルフがロンドンで生まれる。父親は著名な文芸批評家レズリー・スティーヴン。ブルームズベリー・グループの一員として、「意識の流れ」の手法を取り入れるなど実験的なモダニズム文学で評価されたが、犬の伝記の体裁をとった『フラッシュ』、男性から女性に変容し3世紀にわたって生き続ける青年貴族の物語『オーランドー』のような作品もある。
◆1983年のこの日、『陽気な容疑者たち』 『大誘拐』 『遠きに目ありて』 の天藤真が死去。
1月26日
◆1804年のこの日、1840年代に 『パリの秘密』 『さまよえるユダヤ人』 などの新聞小説で、西欧読書界を席巻したウージェーヌ・シューがパリで生まれる。《ジュルナル・デ・デバ》 紙に連載された犯罪ロマンスの大作 『パリの秘密』 (1842-43) は絶大な人気を博し、各国語に翻訳され、『ロンドンの秘密』 をはじめ模倣作が続出、『〜の秘密』 というタイトルが大流行した。新聞の犯罪小説連載は、以後定番となり、やがてそこからガボリオやボアゴベ、ルルーが登場することになる。『パリの秘密』 は東京創元社 〈世界大ロマン全集〉 で大幅な簡約版が、集英社からは4巻本の邦訳 (これでもまだ完訳ではないという) が出ているが、集英社版のほうは古本屋でも滅多にみかけない (そういえば、読んだ、という人の話も聞いたことがない)。シューの作品では未訳の遺作 『民衆の秘密』 が 『パリの秘密』 以上の傑作らしいのだが。19世紀フランスのフィユトン(新聞小説)については、松村喜雄 『怪盗対名探偵』 (晶文社) や小倉孝誠 『推理小説の源流』(淡交社)でも触れられているが、鹿島茂 『新聞王伝説』 (筑摩書房) が19世紀メディア勃興期の熱気と数多の異才奇人を紹介して面白い。『パリの秘密』 と作者シューを集中的に論じた小倉孝誠 『「パリの秘密」 の社会史』 (新曜社) という本も出た。
◆1935年のこの日、東京市麹町区内幸町の大阪ビル、レインボーグリルで、夢野久作 『ドグラ・マグラ』 出版記念会が開かれる。司会は大下宇陀児。江戸川乱歩、甲賀三郎、森下雨村、浜尾四郎、小栗虫太郎、水谷準、松野一夫らが祝辞を述べた。
◆1948年のこの日、帝国銀行椎名町支店に、東京都の腕章をつけた男が現れ、集団赤痢の予防薬と偽り行員に青酸カリを飲ませ、12人を毒殺、現金12万円と小切手を強奪する。のちに犯人として逮捕された画家・平沢貞道には死刑判決が下されたが、平沢は犯行を否認しつづけたまま1987年に獄中死。横溝正史は 『悪魔が来たりて笛を吹く』 (1951-53連載) で、この事件を 〈天銀堂事件〉 として取り入れている。
◆2000年のこの日、『宇宙船ビーグル号』 のA・E・ヴァン・ヴォークトが死去。
1月27日
◆1832年のこの日、ルイス・キャロルことチャールズ・ラトウィッジ・ドッドソンが、チェシャ州ダレスバリで生まれる。クイーン、カー、山口雅也、有栖川有栖など、内外の探偵作家の『アリス』への愛着は、ノンセンスと探偵小説の親近性をおのずと物語っているように思われる。このテーマに関心のある方は、高山宏 「終末の鳥獣戯画」(『殺す・集める・読む』所収)、あるいはエリザベス・シューエルの名著『ノンセンスの領域』(白水社 。但し、探偵小説には触れていない)をどうぞ。
◆1909年のこの日、戦前では稀有な本格長篇『船富家の惨劇』『瀬戸内海の惨劇』の作者、蒼井雄が京都府で生まれる。本業は電力会社の技師だった。
1月28日
◆1961年のこの日、ミス・マープルの好敵手 (登場は2年早い) ともいうべき婦人探偵ミス・シルヴァー物で人気を呼んだパトリシア・ウェントワースが死去。ロマンス作家として出発したウェントワースだが、ミステリの著作も60冊以上ある。近年、初めての長篇邦訳 『ブレイディング・コレクション』 (論創社) が出た。
1月29日
◆1860年のこの日、アントン・チェーホフが南ロシアの港町タガンローグに生まれる。『世界短編傑作集1』 (創元推理文庫)収録の短篇 「安全マッチ」 で、このロシアの文豪に初めて出会ったミステリ・ファンは意外に多いのでは。怪奇小説ファンなら 「黒衣の僧」 (『怪奇小説傑作集5』 所収) か。これは 『桜の園』 の作家というイメージを吹っ飛ばす不条理な恐怖に満ちた作品。唯一の長篇 『狩場の悲劇』 (1884-85) も探偵小説仕立ての作品として有名で、江戸川乱歩のエッセーに 「『狩場の悲劇』 の探偵小説的構成」 がある。19世紀末のロシアでも探偵小説が大流行していたらしい。
◆1910年のこの日、R・L・スティーヴンスン『ジーキル博士とハイド氏』の舞台版が、名優ヘンリー・アーヴィングを主役に迎えてロンドンで初日を迎える。ちなみにアーヴィングの秘書を務めていたのが、『ドラキュラ』の作者ブラム・ストーカー。そして有名な美人だったストーカー夫人フローレンスの少女時代に、彼女に夢中になったのが 〈分身〉 テーマのもうひとつの傑作『ドリアン・グレイの肖像』の作者オスカー・ワイルドという、見事な連鎖ができあがる。D・J・スカル『ハリウッド・ゴシック』 によると、フローレンスは美しいが打算的で冷たい女だったという (同書には2枚の肖像画が掲載されているが、たしかに美人)。夫の死後、ムルナウの映画《吸血鬼ノスフェラトゥ》の著作権侵害をめぐって、彼女がとった強硬な態度(もちろん、正当な権利ではある)はよく知られている。
◆2000年のこの日、乾信一郎が死去。昭和初期から〈新青年〉に翻訳やコラムを発表、やがて博文館に入社、1937年からは同誌編集長をつとめた。戦後も作家・翻訳家として活躍、ユーモア物を得意とした。回想記『「新青年」の頃』(早川書房)がある。天瀬裕康『悲しくてもユーモアを―文芸人・乾信一郎の自伝的な評伝』(論創社)も。
◆2003年のこの日、アメリカの文芸評論家レスリー・A・フィードラーがニューヨーク州で死去。享年85。C・B・ブラウンから、ポー、ホーソーン、メルヴィルなどアメリカ・ルネサンスの作家たち、フォークナーらの20世紀文学まで、アメリカ文学のゴシック性を掘り起こした大著『アメリカ小説における愛と死』(新潮社)、小人、巨人、シャム双生児、髭女、ピンヘッドなどの実在の奇形をとりあげながらフリークスの聖性を論じた『フリークス』(青土社)は、ミステリ・怪奇幻想文学読者にもお奨めしたい本。
1月30日
◆1649年のこの日、英国王チャールズ1世が「暴君、殺戮者、及び国家の公敵」として処刑される。英語で「King Charles's head(チャールズ王の首)」というと、固定観念、強迫観念を意味するが、これはディケンズ『デイヴィッド・コッパフィールド』に登場するディック氏の話が、どうしてもチャールズ1世の断頭のことに戻ってしまうことからきている。
◆1935年のこの日、メロドラマティックな長篇ミステリで一時期絶大な人気を博した英国作家J・S・フレッチャーが死去。大変な多作家で、ミステリだけでも100冊以上の著作があった。アメリカ大統領ウッドロー・ウィルスンが愛読した、という逸話で有名だが、死後、その名前は急速に忘れ去られた。日本でも事情はほぼ同様だったが、近年、『亡者の金』『ミドル・テンプルの殺人』新訳が立て続けに出た。
1月31日
◆1956年のこの日、『赤い館の秘密』のA・A・ミルンが死去。
◆1963年のこの日、日本探偵作家クラブ(1947発足)が社団法人となり、日本推理作家協会が発足。初代理事長は江戸川乱歩。以後、松本清張、島田一男、佐野洋、三好徹、山村正夫、中島河太郎、生島治郎、阿刀田高、北方謙三、逢坂剛、大沢在昌、東野圭吾、今野敏、京極夏彦の各氏が就任している(14代=今野氏以降は代表理事)。

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