ドロシイ・L・セイヤーズ編 『探偵・ミステリ・恐怖小説傑作集』


1927年、アーネスト・ベン社の取締役・編集者として活躍していたヴィクター・ゴランツは独立して新しい出版社を設立した。数々の重要作家、有望な新人を送り出し、斬新な広告戦略とブックデザイン、販売方式でイギリス出版界に革命をもたらしたゴランツ書店の誕生である。ミステリ・ファンには黄色い表紙のゴランツ・クライム・フィクション叢書でよく知られている。

ベン社に在社中、ヴィクター・ゴランツは1923年に 『誰の死体?』 でデビューしたドロシイ・L・セイヤーズの担当編集者だった。セイヤーズは編集者としてのゴランツに絶対の信頼をおいており、独立に際して最大限の援助を約束した。契約の関係もあって彼女自身の長篇がゴランツ書店から出版されるのは1930年の 『毒を食らわば』 からだが、ヴィクターはベン社を辞めるとすぐにセイヤーズに1通の手紙を書いている。「恐怖の大秘密」 という書き出しのその手紙で彼は、1000頁を超える探偵・恐怖小説の巨大アンソロジーの編纂をセイヤーズに依頼したのである。セイヤーズは即座に熱烈な応諾の返事を書いた。「断然、勿論、即刻、承知です! ご提案の件、じつに素晴らしい御親切、やらせていただきたいと存じます。本当に私はいつもそんな本に憧れていました。いつご相談できますか?」

当時広告代理店に勤めていたセイヤーズは、夜と週末しか時間が自由にならないといいながらも、この企画に精力的に取り組み、収録作品のセレクトだけでなく、著作権の交渉にも協力した。職業婦人として事務処理能力にもたけたセイヤーズの面目躍如といったところだろう。チェスタトンの作品をめぐって、高額な印税を要求してきたエージェントのA・P・ワットにあてた返事などはとくにふるっている。「私の意のある所をご理解いただけなかったようです。私はイエス・キリストに印税をお支払いするつもりはございません」

こうして翌1928年に上梓された、1200頁を超える大冊 『探偵・ミステリ・恐怖小説傑作集』 Great Short Stories of Detection, Mystery and Horror はたちまち評判を呼び、出発したばかりの新しい出版社が基盤をかためるのに多大な貢献を果たすことになった。好評のため、1931年には第2集、34年には第3集が編まれている。 The Omnibus of Crime の題で刊行されたアメリカ版も多くの読者を獲得した。

1930年代にはチェスタトン 『探偵小説の世紀』 やホイートリ 『恐怖の一世紀』 など、Century物とでもいうべき探偵小説や怪奇小説の巨大アンソロジーの刊行が流行したが、本書はその嚆矢であり、またセイヤーズによる長文の序文は、探偵小説の歴史を概観し、フェアプレイやテクニック的側面もあわせて論じた優れたエッセーとして多大な影響をあたえることになった。この序文エッセーは早くから翻訳紹介されており、ミステリ・ファンにはすでにお馴染みのことと思うが、実際にセイヤーズがどんな作品を選んだか、その収録作品については意外に知られていないのではないかと思う。ここにとりあえず第1巻の収録作品のリストをご紹介しておく。第2・3巻については別稿を用意した。

 注意を促しておきたいのは、リストをご覧いただければおわかりの通り、後半は怪奇恐怖小説のパートが占めていることで、この構成は全3巻を通じて踏襲されている。セイヤーズは最初の手紙では、「できるだけミステリーと探偵ものの線を守るべきで、まったくの恐怖小説 【ホラー】 や薄気味の悪い幽霊ものはあまり入れるべきではないでしょう」 と記しているが、その後考えが変わったのか、あるいはゴランツからの要望に従ったのか、いずれにしても本書は探偵小説アンソロジーの古典であると同時に、怪奇小説のアンソロジーとしても以後、教科書的役割をはたすことになった。江戸川乱歩のエッセイ 「怪談入門」 (1948-49連載) も本書に多くを拠っているし、戦後日本で編まれたオリジナル怪奇アンソロジーに与えた影響もはかりしれないものがある。もちろん、これは怪奇小説に限らない話で、戦前から 《新青年》 をはじめとする探偵雑誌で英米の短篇を翻訳紹介するさいに、本書が重要な参考書・翻訳底本となってきたことは間違いない。そのことは下記リストの邦訳データを一覧すれば自ずと知れるだろう。定番の名作を集めたミステリ/怪奇小説ファンの入門書ともいうべき 『世界短編傑作集』 『怪奇小説傑作集』 (創元推理文庫) や 『名探偵登場』 (ハヤカワ・ミステリ) にセイヤーズの影を見ることも可能なように思える。


  • 邦訳が数種あるものは原則として現在入手しやすいものを採った。( ) 内は収録短篇集・アンソロジー、掲載誌。

  • 未訳作品は原題のままとした。戦前訳や雑誌掲載など一部未確認のものもある。


《Great Short Stories of Detection, Mystery and Horror》 1928 収録作品


序 (「探偵小説論」 として、セイヤーズ 『顔のない男』 創元推理文庫に収録)

第1部 推理とミステリ

濫觴

a オリエント
「ベルとドラゴン」(物質的証拠の分析) (『名探偵登場1』 ハヤカワ・ミステリ ※経典外聖書より
「スザナの物語」(証言の分析) (『名探偵登場1』 ハヤカワ・ミステリ ※経典外聖書より)
b ラテン
「ヘラクレスとカーカスの物語」(偽の手がかりの製造) (『名探偵登場1』 ハヤカワ・ミステリ ※ウェ
  ルギリウス 『アエネーイス』 より)

c ギリシア
「ランプシウスの物語」(心理学的推理法:計略と対抗策) (ヘロドトス 『歴史』 岩波文庫)

現代の探偵小説

1 純粋なセンセーションの物語
a 偶然による解決
ミセス・ヘンリー・ウッド 「The Ebony Box
b 探偵は知っているが読者には伏せられている手がかり
へドリー・バーカー 「災難の一」(《新青年》 1926年2月増刊)

2 純粋な分析の物語
エドガー・アラン・ポー 「マリー・ロジェの謎」 (『ポオ小説全集3』 創元推理文庫/他)
バロネス・オルツィ 「パーシー街の怪死」 (『隅の老人』 ハヤカワ文庫/『隅の老人の事件簿』 創元
  推理文庫)

3 混合タイプ
a  アマチュア探偵あるいは私立探偵
アーサー・コナン・ドイル 「プライオリ・スクール」 (『シャーロック・ホームズの生還』 創元推理文庫/
  ハヤカワ文庫/新潮文庫/他)

J・ストーラー・クローストン 「偶然の一致」『クイーンの定員2』 光文社文庫)
アーネスト・ブラマ 「マッシンガム荘の幽霊」 (『マックス・カラドスの事件簿』 創元推理文庫)
F・A・M・ウェブスター 「比類なき暗号の秘密」 (『暗号ミステリ傑作選』 創元推理文庫)
ベクホッファー・ロバーツ 「イギリス式濾過器」 (『世界短編傑作集3』 創元推理文庫)
b ジャーナリスト探偵
E・C・ベントリー 「りこうな鸚鵡」 『トレント乗り出す』 国書刊行会/他)
c 警察官探偵
イーデン・フィルポッツ 「チャーリイの匕首」 (《新青年》 1929年8月増刊)
ロバート・バー 「放心家組合」 (『世界短編傑作集1』 創元推理文庫)
d 科学者および医学者探偵
L・T・ミード&ロバート・ユーステス 「闇のなかの顔」 (《別冊宝石》 71号)
オースティン・フリーマン 「青いスパンコール」 (『ソーンダイク博士の事件簿』 創元推理文庫)
エドガー・ジェプスン&ロバート・ユーステス 「茶の葉」 (『世界短編傑作集3』 創元推理文庫)
アンソニー・ウィン 「キプロスの蜂」 (『世界短編傑作集3』 創元推理文庫)
e 専門家
チェス:レイモンド・アレン 「A Happy Solution
カード:パーシヴァル・ワイルド 「堕天使の冒険」 (『世界短編傑作集3』 創元推理文庫)
鉄道:ヴィクター・ホワイトチャーチ 「ギルバート・マレル卿の絵」 (『世界短編傑作集2』 創元推理
  文庫)

f  直観派探偵
G・K・チェスタトン 「神の鉄槌」 (『ブラウン神父の童心』 創元推理文庫)
H・C・ベイリー 「長い墓」 (『フォーチュン氏の事件簿』 創元推理文庫)
d 喜劇的探偵
サー・バジル・トムスン 「The Hanover Court Murder

4 現実の解釈
オルダス・ハクスリー 「ジョコンダの微笑」 (『黄金の十二』 ハヤカワ・ミステリ/『犯罪文学傑作選』
  創元推理文庫/他)

ミセス・ベロック・ローンズ 「Her Last Adventure

5 犯罪ロマンス
E・W・ホーナング 「間違えた家(『またまた二人で泥棒を』 論創社)

第2部 ミステリと恐怖

マクロコスモス(超自然の物語)

1 幽霊の話
ミセス・オリファント 「廃屋の霊魂」 (『乱歩の選んだベスト・ホラー』 ちくま文庫)
チャールズ・ディケンズ 「旅商人の話」 (『ディケンズ短篇集』 岩波文庫 ※『ピクウィック・クラブ』 の
  1挿話)

チャールズ・コリンズ&チャールズ・ディケンズ 「殺人事件公判」 (『アンソロジー恐怖と幻想2』 月
  刊ペン社)

M・R・ジェイムズ 「マーチンの墓」 (『M・R・ジェイムズ怪談全集1』 創元推理文庫)
オリヴァー・オニオンズ 「Phantas
ロバート・ヒチェンズ 「魅入られたギルディア教授」 (『幻想と怪奇1』 ハヤカワ・ミステリ)
サキ 「開いた窓」 (『サキ傑作集』 新潮文庫/他)

2 魔術の話
妖魔:
アーサー・マッケン 「黒い封印のはなし」 (『怪奇クラブ』 創元推理文庫)
サックス・ローマー 「チェリアピン」 (『怪奇小説傑作集2』 創元推理文庫)
W・W・ジェイコブズ 「猿の手」 (『怪奇小説傑作集1』 創元推理文庫)
A・J・アラン 「怪毛」 (《別冊宝石》 108号)
吸血鬼:
E・F・ベンスン 「アムワース夫人」 (『幻想と怪奇1』 ハヤカワ・ミステリ)
フランケンシュタイン・テーマ:
アンブローズ・ビアス 「マクスンの人形」 (『幻想と怪奇2』 ハヤカワ・ミステリ/他)
ジェローム・K・ジェローム 「ダンシング・パートナー」 (『フランケンシュタインの子供』 角川文庫/他)
憑依と生ける死者:
R・L・スティーヴンスン 「ねじれ首のジャネット」 (『バベルの図書館17/スティーヴンソン』 国書刊行
  会/他)

R・H・ベンスン 「ムーロン神父の話」 (『恐怖の愉しみ/下』創元推理文庫 ※『シャーロットの鏡』の
  1挿話)

マージョリー・ボウエン 「悪魔の復讐」 (《新青年》 1937年秋季増刊)
運命譚:
J・F・サリヴァン 「未来病」 (《新青年》 1938年8月号)
W・F・ハーヴィー 「炎天」 (『怪奇小説傑作集1』 創元推理文庫)
モーリー・ロバーツ 「The Anticipator
ジョゼフ・コンラッド 「The Brute
メイ・シンクレア 「胸の火は消えず」 (『幻想と怪奇2』 ハヤカワ・ミステリ)

3 悪夢と精神の辺境地帯の話
J・S・レ・ファニュ 「緑茶」 (『怪奇小説傑作集1』 創元推理文庫)
J・D・ベレスフォード 「人間嫌い」 (『怪奇小説傑作集2』 創元推理文庫)
ジョン・メトカーフ 「The Bad Land
A・M・バレイジ 「Nobody's House
A・C・キラー=クーチ 「The Seventh Man
N・ロイド=スミス 「Proof
ウォルター・デ・ラ・メア 「シートンのおばさん」 (『怪奇小説傑作集3』 創元推理文庫)

ミクロコスモス(人間的恐怖と残酷の物語)

1 疾病と狂気の物語
マイクル・アレン 「アメリカから来た紳士」 (《別冊宝石》 108号)
R・エリス・ロバーツ 「The Narrow Way

2 血と残酷の物語
ソーニー・ビーン 「Traditional Tales of the Lowlands
ブラム・ストーカー 「牝猫」 (『ドラキュラの客』 国書刊行会/他)
ヴァイオレット・ハント 「The Corsican Sisters
バリー・ペイン 「The End of a Show
H・G・ウェルズ 「コーン」 (『アンソロジー恐怖と幻想3』 月刊ペン社)
エセル・コルバーン・メイン 「The Separate Room

【参考文献】

  • Dorothy L. Sayers (ed.), 《Great Short Stories of Detection, Mystery and Horror》 (Victor Gollancz, 1928)
    多くの部数が刷られたため、状態を問わなければ比較的安価で古書店で入手できるはず。米版はThe Omnibus of Crime。ただし、分冊になった版もあるので注意が必要である。また、英版と米版では収録作品に若干の異同がある (上記のリストは英版のもの)。

  • シーラ・ホッジズ 『ゴランツ書店 ある出版社の物語1928-1978』 (奥山康治・三澤佳子訳、晶文社)
    特異なイギリスの出版社ヴィクター・ゴランツ社の歴史を、1930年代から同社で働いてきた著者が多くの興味深いエピソードをまじえて物語る。セイヤーズの他にもイネスやクリスピンらを擁し、デュ・モーリア 『レベッカ』 やD・リンゼイ 『アルクトゥールスへの旅』 を送り出したゴランツ社は、ミステリ出版界の重要な一翼をになっていた。クリスティーを擁するコリンズ社クライム・クラブ叢書に比べて、くせのある特異な作家・作品を積極的に収録していることも特徴で、アメリカで出版社から拒絶されたバーディンの 『悪魔に食われろ青尾蠅』 の原稿を読み出版を即決したのもヴィクター・ゴランツであった。その他の分野でも、ヴィクターの選択眼、販売・広告戦略はユニークで多くの示唆に満ちている。出版社から見た20世紀英文学史という観点からも興味深い本だ。なお、上記解説で紹介したセイヤーズの手紙は本書からの引用である。

  • ドロシイ・L・セイヤーズ 「探偵小説論」 (『顔のない男』 創元推理文庫、所収)
    本書序文の邦訳。このエッセイの翻訳には従来、『推理小説の美学』(研究社出版)所収の 「犯罪オムニバス」 があったが、これは最後の怪奇小説に触れた部分が (編者ヘイクラフトによって) 割愛された簡約版であった。『推理小説の詩学』(研究社出版)には第2集・第3集の序文と、自作について語ったエッセイ 「大学祭の夜」 も収められている。また、優れた批評家でもあったセイヤーズのミステリ書評の見本としては、ダグラス・G・グリーン 『ジョン・ディクスン・カー/奇蹟を解く男』 (国書刊行会) の附録として収録された 『帽子収集狂事件』 や 『盲目の理髪師』 『プレーグ・コートの殺人』 などの評を是非ご一読いただきたい。どこかでセイヤーズの書評集をまとめてはくれないだろうか。

  • ジャック・サリヴァン編 『幻想文学大事典』 (国書刊行会)
    「アンソロジー」 の項目。怪奇小説アンソロジーの歴史を辿りながら、本書を基本図書の1つとしてあげ、英米においても戦後のアンソロジー編集に大きな影響をあたえたことを述べている。

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