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この章は自分のチキンぶりを露呈するようであまり書きたくないのですが(汗)、多くの人から尋ねられたこともあり、また自分自身で感じていることが
なかなか伝わらなかったので、恥を忍んで記録しておきたいと思います。
リアル知人の方々はこれ読んでもバカにしないでくださいね。
マジで怖かったんだから!
――と前置きしておいて。
開頭手術の可能性が出てからしばらくは(一ヶ月くらい)、本当に鬱々としていました。手術のことを考えるたびに「他人の手が頭に入る事の恐怖」が頭をよぎります。
脳の手術はドクターが顕微鏡を見ながら行う精密な手術ですので、もしその手が少しでもぶれてしまったら……!!
しかし実のところ、そんな想像よりもやっかいだったのが「自分自身(の体力とか確率とか)を信じられないこと」でした。
簡単に言うと「10~15%の確率で発見される脳動脈瘤を引き当てた自分は、自慢していいほどアンラッキーなんじゃないか?」としか思えなくなっていたんです。
ざっと調べてみると、開頭クリッピング手術における死亡割合は1%以下なのですが、重篤な後遺症の残る可能性は10~15%前後という記述がみつかります。
これが正確な数字かどうかは疑問が残るのですが、幸か不幸かこの数字は、偶然にも前述の「脳ドックを受けた人の中で未破裂動脈瘤が発見される人の割合(=10~15%)」と
全く同じなのです。その「10~15%の確率」で未破裂動脈瘤が見つかった自分が、同じ「10~15%の確率」で出現する重篤な後遺症に陥らないとはどうしても思えませんでした。
もちろん順を追って考えれば、後遺症は未破裂動脈瘤保持者の中からさらに10~15%の確率であることは理屈でわかります。
しかし前回引き当てた以上、今回も引き当てそうな気がしてならないのです。
それどころかこの10~15%という数字は、アンラッキーな自分が重篤な後遺症になると断言されているのではないだろうか……。
日頃、自分は割と楽観的な性格だと思うのですが、その自分でもそんな風にしか感じられませんでした。
こうなるとネガティブ思考はスパイラルへと陥ります。
検査入院の時に貧血で倒れたのも、自分自身の体力の無さを示しているように思えて仕方がありませんし、
考えてみればこれまで受けた手術はどれも当初の予想より術後の経過が悪かったような気がします。
そんなわけで普段何気なく過ごしているこの日常も、もし後遺症を抱えてしまったら今のようには過ごせないのか……と思うことが多くなりました。
もちろん現実には、障害を抱えても強く生きている方々がいらっしゃることは知っているのですが、それでも不安ばかりがよぎります。
もし半身不随となったら、現在の生活はどうなるのでしょう?
もし目が見えなくなったら……?
もし死んでしまったら……?
そんな想像ばかりががリアルに感じられる毎日でした。
もう少し具体的に書くと、ラーメンを食べれば「ああ、この美味しいラーメンはもう食べられないのか」と思い、連載中の漫画を読めば「自分はこの漫画の完結を見られないかもしれない」
と思うわけです。
今こうして思い返すと、そこまで思い詰めることもないと思うのですが、当時は本当にそうとしか考えられませんでした。
状況を知る知人などは「絶対大丈夫だ」とか「医療を信じろ」とやさしく言ってくれます。
しかし医療は信じられものの、自分自身の体力や自分をとりまく確率などが
信じられないのです。だから自分を担当してくれたドクターは非常に丁寧で良い先生だったと思うのですが、『「この人を信じて良い」という決断を下す自分自身』を信じることが
できませんでした。
そんなわけでせっかく励ましてくれている家族や知人にも、何も答えられない日々が続きました。
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悶々としたまま2週間が経過し、再び通院しました。ついに血管内治療が可能かどうか結果が出るのです。そのため待合室では凄まじく緊張してしまい、
血圧を計ったら普段より20ポイント近く高くなっていました(汗)
そして――
名前が呼ばれ、ドキドキしながら診察室へと入ります。するとすぐにドクターから「自分の後輩の血管内治療の専門家からの意見では、あなたのコブの形だと
血管内治療は勧められない」と言われました。
ここでこそ貧血で倒れたらドラマチックなのですが、残念ながら(?)この日はガッツリ朝食を摂ってきたのでふらつく気配すらありません。ただうっすらと
「どうしようかな」と思っていたとき、ふと、前回聞いたドクターの出身大学を思い出しました。
――あれ?
このとき突然、何かが繋がりました。そしてすぐに
「もしかして、その血管内治療の専門家の先生というのは、C病院のM先生ですか?」と尋ねてみました。C病院のM医師というのは、自分の同級生である外科医Yの
勤める病院の脳外科部長からセカンドオピニオンを勧められたドクターです。考えてみたら自分の担当ドクターの出身大学と、M医師の勤める大学病院は同じ大学なのです。
そしてやはり――答えはイエスでした。
つまり自分の担当のドクターも、外科医Yの勤める病院の脳外科部長も同じM医師を「血管内治療の専門家」と言っていたのです。そして現在、自分の担当ドクターは
そのM医師が自分のMRI画像を見て「血管内治療は難しい」と言っていると告げているのです。
これで血管内治療の可能性はほぼ無くなりました。
残る選択肢は――経過観察か開頭手術しかありません。
しかし経過観察と言っても、このまま放置したところで自然にコブが無くなるわけでもありません。自分たちの年齢で経過観察は勧められない、という外科医Yからの情報もあります。
そしてこのまま放置しておくことは、年1%弱の確率でいつ爆発するかもわからない爆弾を抱えているようなものなのです。
だとすれば…………
診察室でこそ即答できなかったのですが、病院を出るまで考えた結果「どうせいつかやるなら、ここでひと思いにやってしまえ!」という気になり、再び診察室に戻った自分は
「クリッピング手術をお願いします」と頭を下げていました。
そしてドクターと相談し、入院と手術の日程を決めて診察室を出たとき、久しぶりに手術に対する恐怖感が無くなっていました。
全く怖くないと言えばウソになりますが、「ここまで来たら、あとはドクターに全てまかせよう」と素直にそう思えたのです。
これは自分でも驚くべき変化でした。
誤解の無いよう繰り返し書いておきますが、自分の担当ドクターはとても良い先生だったと思います。しかし完全に鬱っぽくなっている状態でしたので、
このときまでドクターを信じるということさえ自分の力では出来なくなっていたのです。
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後日、いつも偏頭痛でお世話になっている頭痛外来のドクター(←脳外科の先生とは違う病院)に今回の手術前の恐怖感について話をしたところ、興味深い話を
教えてくれました。
脳ドックで脳内に動脈瘤が発見された患者さんが、その恐怖から鬱病になるケースは決して珍しくないというのです。
ですのでこれは声を大にして言いたいのですが、もしこのページをお読みの方で脳動脈瘤が発見された方がいらっしゃいましたら、ご安心ください。
怖くて当然なんです。
具体的な恐怖の内容は人によって違うと思いますが(「今日、突然破裂したらどうしよう」とか「元の生活に戻れるかどうか心配だ」というケースもあるみたい)、
怖いことに変わりはありません。
しかも自分の経験上、なかなか周囲の健常な人にこの恐怖感は理解されないと思います。何せ自分自身がそうでしたから。
実は飲み会で電気店経営Mの話を聞いたとき、Mが手術とその前の恐怖感についても説明してくれたのですが、今思えば当時の自分は
実際の恐怖感の1/10も理解できていなかったと断言できます。それどころか、当時は「なんでそんなに怖いんだ?」とか思っていたような気もします。
その自分が立場を変え、患者になった途端にこれほど怖く感じたのは、本当にお恥ずかしい限り。でもこれが実情なんだと思います
今回、自分は偶然にも脳動脈瘤の「患者の周囲の人」と「患者本人」の両方を経験しました。その結果感じたのは、外から見るのと本人では感じる恐怖が全く違う
ということなのです。
世の中ではテレビなどで先端医療が紹介されることも多いため、知識としては脳の手術というのは珍しいモノではありません。しかし実際に患者になってみると、
行動や決断は知識よりも感情に支配されます。
今回、自分はいくつかの幸運が重なって手術に踏み切ることが出来ましたが、それでもマジでビビッて決断まで1ヶ月かかりました。
また自分が聞いた限りでは、同じ病気が発見された方はみなさん恐怖を感じておられます。
頭の手術は精密な手術です。
怖くて当然ですので、怖いことを隠さずにドクターや周囲の人に相談するのがいいと思います。そして自分自身で納得いくまで説明をしてもらい、
必要ならセカンドオピニオンなども活用して(昨今はセカンドオピニオンを嫌がるドクターも少ないようです)「これならまぁいいか」と思える医師・病院・手術方式が
見つかるまで話をしてみるのがいいと思います。(あくまでも私的な見解ですが)
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