右写真は、市立函館高等学校の校門である。名前こそ、市立函館学校と真新しい看板を掲げているが、今も柱は設立当時のままに残されている。
「この校門は永久に閉じない門であり、東高の自由の象徴です。そしてまた一方で、自由に伴って責任というものを示す単なる2本の柱ではないと思います。
あの門を大事にして、これからもあの形を保存していただきたい。あの門は東高のシンボルそのものです」と元北海道新聞社編集局長・作田和幸(東高1回生)さんは、平成2年10月26日50周年記念講演で語っている。
今もその伝統は変わらない。
昭和15年に東高の前身・函館市立中学校が誕生する。翌年昭和16年、梅津福次郎翁、斉藤與一郎函館市長、田辺顕夫氏ら多くの市民の支援によって新校舎の着工にこぎつけ、本校は誕生した。
「本校は子弟により高度な教育の機会を与え、将来の函館市を背負って立つ人材を育成しようという函館市民の悲願を受けて建設されたものでありまして、その実現には梅津福次郎氏の篤志をはじめ多くの市民の方々の情熱と善意が寄せられており、まさしく「市民の学校」と呼ぶにふさわしい出発となったのであります」と東高OBで故函館市長・木戸浦隆一氏は語ったようにこれらも「市民の学校」として新しい歴史を綴っていくことであろう。
管理人
*校門の3番目の位置。2008年8月、管理人撮影
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