『ベルセルク』『グスコーブドリ』『なのは』とハシゴしてきた。
仕方ないでしょ、地方在住者なんだから。
○『ベルセルク』
ホントに脚色が巧み。
崖から落ちたガッツとキャスカを探すのにグリフィス自身が来ていたり、キャスカの回想を夢の中の出来事にしたり(原作ではキャスカ自身がガッツに話して聞かせている)、王妃の暗殺騒ぎをばっさりカットしていたり、ゲノン総督とグリフィスの因縁を断片的なセリフのやりとりだけで表現していたり。
特に最後のは、グリフィスそっくりの小姓を登場させることで至短時間で最大の効果を上げている。
ドルドレイ城攻略の策謀など、原作より説得力があるほど。このキャラをこう使うか!とうならされた。
舞踏会の場面で泣き笑いの表情で踊るキャスカといい、安易なセリフやモノローグを排した、堂々たる映画ぶり。見事の一語。
○『グスコーブドリ』
てっきり「さらわれた妹を捜す冒険譚」になっているのかと思ったら、こういう話なのか(原作未読だがあらすじは知っている)。
ところで私は、一ついやーな想像をしてしまった。
作中で、ブドリの妹ネリはコトリ(子盗り、だという)なる謎の男にさらわれる。ということになっているが、どう見てもこれは餓死のアナロジーだ。
コトリを追ったブドリは森の中で倒れ、てぐす工場のエピソードを経て家に戻ってくる。引っかかったのはここ。
まずブドリの目線で室内の様子が映る。テーブルの上に、ネリの使っていたスプーン。ネリが座っていた椅子には、ネリの大事にしていたぬいぐるみがある。このぬいぐるみは、妹の身代わりとして以後ずっとブドリが持ち歩くことになるのだが、続いて、カメラは俯瞰で室内を映す。すると、テーブルを挟んでネリの反対側、ブドリの座っていた椅子にもぬいぐるみがあるのだ(私の記憶では、このときネリの椅子はカメラから切れている)。
これはどういうことか?
レイアウトのミスでないならば(劇場作品で、このスタッフでそんなことはないだろう)、その意味は一つしか考えられない。
イヤな想像とはこのことなのだが、この時点で、ブドリもすでに死んでいるのではないか?
作品中盤で、コトリはブドリを「境界を侵犯する者」として糾弾する。通常ならこれは「黄泉に踏み入って死んだネリを取り戻そうとする行為」を指していると解釈できる。だが、もしもそうでないとしたら話は逆で、「死んだことに気づかずに生者の世界に干渉しようとしているブドリ」を責めている、ということになる。
つまり、山を下りて以降のブドリの人生はすべて、死の間際に見た夢なのではないか。そう考えると、個々のエピソードの現実感のなさに納得がいくと思うのだ。
○『なのは』
精神的に長い『グスコーブドリ』と物理的に長い『なのは』。
オタ連中のおしゃべりを聞きたくないので、今回、終映直後に耳栓を装着するという荒技に出たら思ったより有効だった。
え、作品の出来ですか?
よろしいんじゃないでしょうか。私は、『なのは』は無印が別格で、後は公式二次創作だと思ってるので。
|