藤津亮太氏が講師を務める「アニメ映画を読む」を、毎月聴講している。
聴講した後もう1回観返してみたら、いくつか気がついたことがあったのでメモ。
1 第2幕(ドラマを「状況説明」「葛藤」「解決」の3部に分けた「葛藤」の部。本作の場合、22分から72分あたり)における、情報の整理の巧みさ
1つの状況で、登場人物のバックボーンと関係性の変化を効率よく表現している。そのため、上映時間以上に濃密さを感じる。
金髪碧眼の羅狼を見かけた町人が、見せ物にすれば儲かるなどと面白おかしくうわさ話をしながら通り過ぎる。それを背中で聞いている名無し。

後に名無しの素性が明らかになって、初めて効いてくる描写。
2 萩姫
私は、本作をまったく無駄のない完璧な映画だと思っているのだが、唯一突っ込まれがちなのがこの萩姫の存在。彼女はストーリーに寄与していない(ように見える)ので、坂本真綾を登場させることで声オタを釣る気だったんだ、などと言われてしまう。そういう要素もあるのは否定しないが、姫の存在は重郎太の行動を理解するのに重要である。いくら将監の腹心とはいえ、主殺しに協力するからにはそれなりの動機-姫をわがものにしたい-が必要であり、それに説得力を持たせるために、姫をも画面に映しておく段取りを踏んでいるのだ。
改めて観直してみると、思ったより登場シーン多かった。
まず、白鸞が鉄砲の試射をしているシーン。白鸞が明から鉄砲を持ち込んでおり、かつ自身も優れた射手であることを示しているのだが、それを試射している当人たちではなく、姫の口を借りて説明しているのが本作らしい。そして、この場面で姫の琴を見せている。

だから、後のシーンで琴の音を耳にした重郎太が姫が弾いているのだろうか、と口にする。将監の視線に注目。

将監はその内心を見透かして、自分を棚に上げて野心は身の丈にあったものにしておけ、と言う。
脚本では少しニュアンスが違っていて、重郎太は姫の入り婿になることを狙っている。この場合、将監と重郎太の関係も少し緊張感を孕んだものになる。もし重郎太が婿として首尾よく領主の後継者になれば、将監を飛び越えてナンバー2になってしまうからだ。身の丈云々のセリフは、脚本段階から同じであり、重郎太を牽制するものだったのだろう。
また、画コンテまでは姫の登場シーンがもうワンシーンあるのだが完成画面ではカットされ、逆に脚本にはなかった、将監が領主の救出に向かったと報告を受けるシーンが追加されている。
3 即物性
死体の山。『ストレンヂア』では、死と暴力が誰にも平等に降り注ぐ。この殺伐とした人間観、荒涼たる世界観こそB級アクションの神髄(だから、『カリ城』はちょっとのどかに過ぎて違う気がする)。私は『花咲くいろは』の暴力描写(1話のビンタシーンのこと)がもの凄く不快で観るのをやめてしまったのだが、これがつまり、B級アクション映画的バイオレンス描写を、キャラの心情にウェットに寄り添うタイプの作劇内に持ち込んでしまった結果だと思う。意図的にやっているなら大成功と言えるが、褒められたやり方とは思わない。
4 ルーツとおぼしき作品
イーストウッドの『荒野のストレンジャー』『ペイルライダー』の2作品を付け加えたい。いずれも、主人公に名前がなく、それゆえに神話的な趣を持つ。
5 刀の交換
クライマックスで、名無しと羅狼はそれぞれ相手の刀で斬りかかる。
「剣をとるものは自らの剣によって滅ぶ」含意に見えなくもない。
6 名無しは死んだのか
ラストシーンで、名無しが羽織っている赤いマントは羅狼たちの使っていたものだろう。赤は直接に血の色を連想させるし、斃した敵と近い場所にいるという意味にもとれる。

|