更新履歴と周辺雑記

更新履歴を兼ねて、日記付け。完結していない作品については、ここに書いていきます。

2008年10月28日(火)
「コードギアス」と「ダークナイト」

ようやく「コードギアス」の最終回を観た。
いや、観る前に余計な情報を目にしないよう苦労しました。

第1期シリーズの放映中に、私はこんなことを書いている。「コードギアス」の対立構造に関する考察だが、我ながら今見返すと結構良いこと言ってる。

合わせ鏡のような2人の男。これは、彼らが仮面を介して文字通り同一化する物語だったのだ。いわば究極のラブストーリーである。彼らに想いを寄せる女性、ユーフェミアとシャーリーが物語から途中退場するのも当然だし、最後の決戦を戦ったのがカレンとスザクだったのも納得がいく。
・・・・・・あまり言いたくないけど、剣で貫くというのは露骨に性的なメタファーだし。

またルルーシュに着目すると、「母と妹」という個人的な動機が消滅することで、彼は真に世のため人のために身を捧げる「資格」ができたわけだ。

ところであの結末の構図は、偶然かどうか「ダークナイト」とよく似ている。
いずれも、正義の偶像を守るために一身に憎悪と悪を背負うヒーローの話である。

ルルーシュは、ゼロという偶像を生み出すため。
バットマンは、ホワイトナイトの偶像を守るため。

そこで面白いのが、仮面の役割。
「コードギアス」では偶像であるゼロが、「ダークナイト」では悪を担うバットマンが仮面を被る。ちょうど正反対である。

日米における覆面ヒーローの系譜みたいなところまで踏み込めそうな題材だが、いささか手に余るのでここまで。

なお、ヒーローを生み出すために悪に身を投じる男の話と言えば、これ
また、双子の愛憎物語と言えばこんなのが(未見ですが)。

2008年10月23日(木)
古田の不在

野球の話題。

昨年東京ヤクルトスワローズを引退した古田敦也の半生記・「古田の様」(金子達仁・扶桑社)を読んだら、面白い話が出ていた。

古田が監督兼任となりマスクを被らなくなったことで、スワローズの内野守備に大きな影響が出たというのだ。以前私は、ショート宮本の守備成績を調べて2006年から極端に成績が低下していることを発見した。これは古田の欠場と関係があるのかもしれない。

というわけで調べてみた

2008年10月21日(火)
「その土曜日、7時58分」

「12人の怒れる男」('57)で有名なシドニー・ルメット監督の最新作。

Yahoo!の映画ページには監督についてこんな紹介が出ているが、
http://info.movies.yahoo.co.jp/detail/typs/id4704/

こうまで言われるのも無理からぬところで、長く低迷が続いていた。当年とって84歳、このままキャリアを終わるかと思いきや、一発大逆転。
これは巨匠の新境地と言うにふさわしい大傑作だ。

ニューヨークで、一見華やかな生活をしている会計士アンディ。だが実際は、ドラッグに溺れて会社の金に手をつけていた。彼は弟のハンクを巻き込み、実の両親の経営する宝石店に強盗に入る計画を立てる。しかし計画はあっさりと失敗し、事態は坂道を転がるように悪化していく。

物語は重厚・濃厚だが、語り口はあくまで軽快。まるで年齢を感じさせない。新藤兼人には爪の垢でも飲ませたい(91歳の時に撮った「ふくろう」はどうにももっさりした映画だった)。
ルメットの映画は警察の告発ものが多いように、汚れた世界でそれでも輝くものを求めて苦闘する人々を描いていた。
しかしここに描かれるのは、欲望、憎悪、復讐、不倫という絶望的に卑しいものばかりだ。84歳の老人にこんな映画を撮らせてしまう現代は、どんな時代なのだろう。

この映画は、複雑に時間軸を前後する(私が勝手に名づけた)「シャッフル映画」の一つである。
ルメットの映画では多分初めてのはずだ。脚本を手がけたのはケリー・マスターソン。オリジナル脚本はこれが初めてとのこと。今後要注目。

ところで、パンフレットのインタビューで、監督が「この映画はメロドラマだ」と面白いことを言っていた(ルメット監督は20年ごしにチェックしているが、本人の発言を目にした覚えがあまりない)。

『−メロドラマとドラマの違いを教えてください。
ドラマでは、ストーリーは登場人物たちから派生しなければならない。彼はこういう人物だから、必然的にこういう結果になる、とね。メロドラマの場合はその正反対なんだ。ストーリーの要求に登場人物たちが合わせなければならない。ストーリーを正当化するものを提供する存在なんだ。
僕が考えるメロドラマというのは、脚本と監督が役者の才能を通して、登場人物たちの歴史について具体的に語ることなく観客に伝える作品だ。』

『メロドラマを高く評価するルメットは映画界では希有な存在である。このジャンルはともすれば時代遅れで、“リアリティ”が重要な(そして商業価値も高い)コンセプトとなっている現在においては、“おおげさ”とみなされがちである。しかしルメットは、メロドラマがストーリーテリングの古典的な形であることを良く知っているのだ。「メロドラマというのは非常に奥深い。突飛な物語の状況や登場人物の行動を、観客に何の疑問も抱かせずすんなり受け入れさせる。本当に素晴らしいメロドラマでは、そういった出来事が素早く、そして何の前触れもなく起きる。あっという間にグツグツ煮える圧力鍋のようにね。登場人物の背景や過去を観せている暇はない。素早く無駄のない、アグレッシブなストーリーテリングで、物語を進行させる要素以外は大して重要じゃないんだ」(中略)
「ほとんどのドラマは、物語の発端が登場人物だ。この人物はこういう人間であるから、これが不可避の結果だ、とね。メロドラマはそれとはまったく逆だ。登場人物たちは、物語の要求に合わせて自分たちの行動を正当化しなければならないんだからね」』

以前、「Fate」のHFルートは登場人物がテーマに振り回されてらしくない行動を取る、と批判したことがあるんですが。なるほど、あれはメロドラマだと考えればいいわけだ。

『「Fate」はメロドラマ』!

『「Fate」は文学』とかいう馬鹿フレーズよりずっとマシなんじゃないかと。

2008年10月12日(日)
アニメギガ 谷口悟朗

だいぶ前の話になってしまったが、アニメギガでの谷口悟郎監督の発言集(大意)。

「作品作りの9割9分は理屈。最後にA案とB案があり、どちらも論理的に正しいというときに決断するのが監督の仕事。」

アニメ業界に進んだ理由。
「実写の撮影所は下積みが長そう。その点、アニメはすぐ上に行けると思った。高畑監督、押井監督の著書を読んで、絵が描けなくてもアニメが作れるんだ、と」

「「リヴァイアス」は、監督をやらせてもらえる最初で最後のチャンスかもしれない、とやりたいことをやった。」
「目線の芝居を印象的にやりたかったので、各オペレーターのブースをパーテーションで区切った。こうすると、いちいち立ち上がって向き直らないと目線を交差させることができない。そして、責任者は全員の目線が集中する場所に位置する。だからプレッシャーがきつい。」


「「プラネテス」の無重力描写はアニメ史上No.1と自負している。アニメの企画書に、よく「リアルSF」という言葉があるのが引っかかった。そこは「ハードSF」だろと。」
「「プラネテス」の宇宙服の反射板の描写は、このために開発した新技法。」
ペイントスーパーという技法で、塗るだけでぼんやりと光るのだとか。「スター・ウォーズ」の宇宙船のノズルみたいですね。
「月面の1/6Gの描写にこだわった。筋肉の動きと、その結果生じる慣性の動きを描き分けろと。」アニメーターの気が狂いそうな注文。
「「プラネテス」最終話のプロポーズのシーン。タナベが返事をするタイミングが、絵コンテも撮影も編集もアフレコもこれでいけると思ったのに、最終的なダビングでどうしてもタイミングが早い、ということがわかった。そこで、編集をやり直して約1秒延ばした。音楽も、音素材を一度バラバラにして組み直している。」


「「コードギアス」は、なるべく多くの意見を取り込むために各スタッフを複数にしている。絶対失敗できない作品。」
「今のティーンエイジャーを取材した結果、昔も今も変わらないという結論に至った。」

「方向性を示すのが監督の役目。スタッフの進む先はおおむね北北西、ずれていいのはプラスマイナス何度まで、という具合に。その方向へ、人生をかけたフェチをやり通せ」
「作風も、哲学も作品ごとに変えていっていいし、変えるべきだと思う。ただ、製作委員会などの要求に対して「これが本当に作品のためになるか?」ということは常に問わなければならない。」


感想としては「頭いい人だなあ・・・・・・」とため息が出る。
この人の発言からは、世代的に庵野さんより下るのだけれど、「アニメと特撮しか知らない」「自分の知っているものしか作れない」という屈託が感じられない。実写畑出身であることと無関係ではあるまいが。
最近の若い人は信じないかもしれないが、「超時空要塞マクロス」が発表された頃、「アニメしか知らない世代が作り手となり、縮小再生産を繰り返す」事態が、真剣に危惧された。
例えば霜月たかなか氏が、「快楽と自閉のラプソディー」と題してこんな文章を書いている。
「(略)アニメの現状を、成熟とはほど遠く感じているのは筆者だけだろうか。それは子供向けの原作付き作品とマニア向けのマイナー作品に二分してしまった、一種の袋小路とも見える状態であり、七〇年代後半からのアニメの青春時代と比べると、すでに老人のようでもある。」
「アニメがそれまでの作り手から新世代に手渡されたとき、彼らは自分たちの見たいと思う作品を作った。それは彼らの欲求を忠実に反映して画期的な作品になりはしたが、それに続く作品は“メカと美少女”以外の目安をもたない自由さのなかで、自閉していかざるを得なかったのだと。」
別冊宝島「アニメの見方が変わる本」1997年所収

マクロス本放送から15年後の認識であるが、放映直後から古手のアニメファンからの批判は多かった。
私が記憶しているのは、「せっかくガンダムで「アニメでも大人の鑑賞に耐える」というところまで来たのに、ラブコメ作ったら退歩じゃん!」という趣旨の批判。


しかしまあ、谷口監督をはじめ、60年代後半生まれの作家が続々と誕生している現在、杞憂に終わったようである。と言うか、全然進歩してないと言うか、“メカと美少女”が“美少女”だけになってしまったと言うか。

「最近はおとなしいアニメーターが多いと思います。特にメカや爆発を専門に描く人は減りましたね。メカを作画でと言うと「CGじゃないんですか?」って聞かれるくらいですから。美少女しか描きたくない、美少年しか描きたくないっていうアニメーターは増えた印象がありますね。オヤジもロボットも描きたがらない。まあ、そういうアニメが主流なので仕方ない感じもしますが」
アニメーションRE VOL.3 2006年4月
庵野秀明×京田知己の対談での庵野監督の発言

あまり指摘されてないと思うんだけど、「コードギアス」は最後の手描きロボットアニメとしても貴重ですよね。


試しにニコ動で検索かけてみたんだが、この番組はアップされてなかった。なら、私がここにメモっておく意義もあるだろう。

2008年10月6日(月)
ハードボイル度

あなたのハードボイルド性を診断するというページがあったので、試しにやってみた。

ハードボイル度診断  http://park22.wakwak.com/~phil/boggy.html


                   診 断 書

                     2008年 10月 4日 (土) 23時 36分 現在 

あなたのハードボイル度は 49.5% です。


アルバート・サムスン  タイプ

あなたはごく一般的なハードボイルド者です。
あなたの価値観は一般的なそれと差が無く、
主張するところは周囲に受け入れられ易いでしょう。
現実派でやや内省癖があるものの適度な社交性を備え
人生を楽しむ術も心得ています。
時おり顔を覗かせる冷徹ささえも
周囲には美徳として映り
一目置かれる存在かも知れません。
また、好奇心旺盛で義侠心に富む貴方は
思わぬトラブルに巻き込まれることも多いはず。
よーく考えてから行動に移すよう心がけましょう。




アルバート・サムスンの登場作品:「季節の終り」Out of Season 1984
(マイクル・Z・リューイン著/早川書房刊) 他


アルバート・サムスンとはまた、我ながらシブ過ぎる。
でも、何事も中庸をもって良しとする性格だから、案外合ってる気もするな。

2008年10月2日(木)
シナリオライティング

ちょっと思うところあって、「コンテンツを面白くするシナリオライティングの黄金則」(金子満・著 ボーンデジタル)を読んだ。

まあ勉強の成果はそのうち披露するとして、印象に残ったくだり。例によって太字は引用者による。

『13番目のロット名が「満足・満足」なのは、映像コンテンツの最後はどんな形であったにしても、「観客の満足を得ること、満足がすべて」という意味である。たとえば、悲劇「ハムレット」では、観客が期待する「満足」がハムレットの死であればいい。ハムレットが納得し、観客が納得するハムレットの死に方がある。死んでしまったら満足が得られないということでは決してない。』

ロットとは物語を構成するシークエンスに近い概念で、1つのシナリオが13のロットからなる。

アンハッピーなら鬱展開、と短絡するんじゃなく、観客の納得のいくアンハッピーがある、ということだな。逆に納得のいかないハッピーエンドなら失敗なわけだ。

何が言いたいか大体予想される方もいるかと思うが、今日はここまで。またそのうち書きます。

バックナンバー