更新履歴と周辺雑記

更新履歴を兼ねて、日記付け。完結していない作品については、ここに書いていきます。

2007年6月29日(金)
GONZO作品を野球に例えてみる

微妙な作品を精力的に発表し続けるGONZO。でもTOP交替が奏効したのか、最近なんか打率が向上しつつあるような気がする。

そこから思いついて、各作品を野球に例えてみたらこんな感じに。

「青の6号」 センター前ヒット
「ゲートキーパーズ」 ショートゴロ
「HELLSING」 三振
「戦闘妖精雪風」 場外ホームラン
「最終兵器彼女」 三球三振
「フルメタル・パニック!」 フルカウントから四球。その後、「ふもっふ」「TSR」と代打攻勢でホームイン。
「カレイドスター」 基本通りのセンター返しでヒットにするが、盗塁失敗
「LAST EXILE」 ジャストミートするも、サードライナー
「砂ぼうず」 三振
「厳窟王」 生え抜きの4番がフェンス直撃のスリーベース
「バジリスク」 助っ人ガイジンがレフト線を破るツーベース
「SPEED GRAPHER」 代打の代打で出番なし
「Solty Rei」 四球で出塁するも牽制死
「銀色の髪のアギト」 フルスイングで三振
「ウィッチブレイド」 三振振り逃げでセーフ
「ガラスの艦隊」 ショートゴロゲッツー。一塁ランナーは「ノエイン」
「ブレイブ・ストーリー」 ホームランのはずが、一塁を踏み忘れてピッチャーゴロ
「NHKにようこそ!」 ファーストファールフライ
「パンプキン・シザーズ」 ショート内野安打
「RED GARDEN」 巧みなバットコントロールで、技ありのライト前ポテンヒット
「ロミオ×ジュリエット」 「厳窟王」に続けとスクイズを狙うが、ウエストされてランナーアウト
「ぼくらの」 150km/hのストレートを見事打ち返してホームランと思いきやファールと判定され、抗議に出た監督が退場を喰らって場内騒然、みたいな。

番外
「GAD GUARD」 時間切れ引き分け(10.19川崎決戦を参照)
「マルドゥック・スクランブル」 現役メジャーリーガーとして鳴り物入りで入団するが、キャンプ中に故障が発覚し、一軍でプレーすることなく解雇。

何だか趣旨が変わってきたので、この辺で。くれぐれも、深く考えないように。

2007年6月26日(火)
ミラーを拭く男('03)

しばらく前に、BSで観た映画。
定年間近のサラリーマンの主人公は、交通事故を起こして子供にケガを負わせてしまう。その原因が汚れたカーブミラーにあったことから、彼は家庭を捨てて、自転車で日本全国のカーブミラーを清掃する旅に出る。男の行動はTVに紹介され、次第に賛同者が増えて大きな運動になり・・・・。

yahooの映画紹介には「家族の再生と崩壊」といった感じで紹介されているが、この映画の真のポイントはそんなところではなく、運動が全国に広がる後半にある。

主人公が旅の途中で出会った男(定年退職後に旅行をしていた)は、彼の活動に共感しつつ、積極的にマスコミに売り込み、賛同者を募り、活動を組織化する。
主人公の動機から分かるように、彼のミラー拭きの旅は贖罪のための巡礼だった。ところが、一大組織となった「ミラー拭き」は主人公の手を離れていく。

つまりこの映画は、個人的な巡礼が、新興宗教の教祖に祭り上げられ、やがて教団の世俗的な活動と合わなくなって放逐される話なのである。
作品中盤で、カーブミラーのない村のエピソードが出てくる。なぜないかというと、鏡をご神体とする神社があるからだ。事故を防ぐなんて現世利益的な目的に鏡を使うなどとんでもないというわけだ。古来、鏡は神器であり、鏡を磨くという行為が宗教的な意味を含むのは、このエピソードからもうかがえる。

ほとんどセリフのない主人公に、緒形拳。組織を乗っ取る協力者に、津川雅彦。両ベテランが印象的だが、とりわけ津川の、主人公の行動に本気で賛同しつつも、組織を巨大化し、売名に努める俗っ気たっぷりな脂っこい演技が見物。

それにしても、サンダンス映画祭って無名の新人監督を発掘するためにあるのに、こんな超ベテランを起用していいんだろうか。

2007年6月24日(日)
メガゾーン23マニューバ・ブック

標題の本を、軽く立ち読みする。印象に残ったのが、次の2点。

1 ガーランドの生みの親、メカデザイナーの荒牧伸志氏の発言(大意)。
「優れた変形にはドラマがある。ガーランドの場合、まず腕が伸び、次に足が出て、最後にバンと顔が現れる。変形には、そんなドラマ性が必要なんです。」

2 以前、本作のパート2について、少々批判的なことを書いたことがあるのだが、パート1監督の石黒昇氏が、パート2には総監修とクレジットされてはいるが、事実上ノータッチだったようで、監督の板野一郎氏らに対して少しばかり複雑な思いを吐露しているのが、興味深かった。

2007年6月21日(木)
谷口悟朗監督再考

私は、谷口悟朗監督作品の中では、「ガン×ソード」が一番好きな変わりモンである。
本作の主人公ヴァンは、婚約者を殺した仇「カギ爪の男」を追う。一方「カギ爪」の目的は、「究極の世界平和」であり、ヴァンの婚約者を殺したのも、まるで悪意はない。
本作の対立の構図は、「崇高な目的(独善的ではあるが)のため世界を変革する者」と「復讐という個人的な動機によってそれを阻む者」である。この明快な構図を決して崩さなかったのが、本作の面白さ、力強さの根本である。ヴァンの行動原理は、(中盤で怖じ気づくことはあっても)決して揺らがない。「復讐は何も生まない」などといった教条的な結論に逃げない。「カギ爪」は自分の崇高な理想を解さないヴァンを「馬鹿」と呼ぶ。ヴァンは最後まで、誇り高く馬鹿であり続けた。

改めて谷口監督作品を見返すと、この対立構造が頻出する(注1)。
前作「プラネテス」は、単に自分の宇宙船が欲しいから木星往還船に搭乗して名声を得ようとする主人公ハチマキと、先進国が富を独占することに異議を唱え、計画を阻止しようとするハキムとの対立に、この構図が表れる。
「スクライド」では、HOLY隊員として治安維持に当たる劉鳳と、単にケンカに負けたという理由だけで彼に挑戦する主人公カズマの関係が、まさにそうだ(注2)。

さて、これを踏まえて「コードギアス」を観ると、面白いことに気づく。「コードギアス」の主人公ルルーシュは、「母を殺された恨み」で、「ブリタニア帝国を倒そうと」している。つまり、「個人的な動機」で「世界を変革する」者として設定されているのである。ルルーシュは、目的のためには悪事にも手を染めるピカレスク・ヒーローとして描写されているが、これは単なる性格設定に留まらず、谷口監督の過去作品の対立構造を折衷した、文字通り清濁併せ持った人物なわけだ。さらに、彼に対立するスザクに着目しよう。スザクは、体制の内部から変えていこうとするいわば穏健派であるが、作品中盤で、なんと彼の動機も「父を殺した贖罪」という個人的なものであることが明かされる。
したがって、ルルーシュとスザクは全く等価である。本作は、これまでの作品の対立構造を包含した人物を主人公に据え、同じ対立を内に抱えたキャラをもう一人準備して対立させるという、奇妙な入れ子構造になっているのだ。
「葛藤の解決」をドラマの決着とするなら、いったいこのドラマをどう解決するつもりなのか、見当もつかない。これほど面白い作品でありながら、私がこの作品にどうもノレない(政治臭を別にしても)のは、この辺にも原因があるのかも。

注1:「無限のリヴァイアス」については、TV初監督作品だからか、黒田洋介の個性のためか、あるいは群像劇だからか、明確な構図が見つけにくい。
注2:劉鳳が次第に当初の目的を忘れ、カズマとの対決に傾いていくあたりは、同一テーマの変奏とも解釈できるだろう。

2007年6月18日(月)
このアニメがすごい!

しばらく前のことだが、別冊宝島から、「このアニメがすごい!」'07年版が出版された。内容的に興味深いのは、「涼宮ハルヒの憂鬱」を手がけたチバテレビのプロデューサーのインタビューと、あさりよしとおの檄文(と、しか言いようがない)くらいで、他は可もなく不可もなしのアニメ紹介本である。
'97年の「このアニメがすごい!(以下'97年版)」「アニメの見方が変わる本」、それに'04年の「このアニメがすごい!(以下'04年版)」に続いて、同タイトルでは三冊目となる。

しかし、この'97年版と'04年版の間には、同じ出版社が同じタイトルで出している本とは思えないほど大きな断絶がある。
試しに、巻頭言を比較してみよう。

まず'97年版。

「空にそびえるくろがねの城−。
今頭の中で節をつけて読んだあなた。この本はあなたのためにつくられている。
当時毎週日曜日夜七時、日本中の子どもたちがテレビの前に釘付けになって、ドクター・ヘル率いる機械獣軍団と戦う兜甲児と、スーパーロボット『マジンガーZ』の活躍に夢中になっていた。でも、ただかっこよさと、敵をやっつけるカタルシスに酔っていたのではない。子どもたちはそのとき、もっと大事な『正義と愛と友情』を学んでいたのだ。

(中略)

人生で大事なことは、みんなアニメで学ぶことができたのである。『たかだかセル画で描かれた二次元の世界の物語』『疑似体験にすぎない』などと言うなかれ。僕たちの想像力は宇宙を駆け、人を愛し、人生とは何かを考えていたのだ。

この本は、『鉄腕アトム』から『新世紀エヴァンゲリオン』までの日本のアニメ史を、ときには作品論・作家論から、あるいは表現技法の面から総括し、その社会にもたらした影響を論じ、アニメ世代の精神史を探る試みである。・・・などというおおげさなお題目はともかく、懐かしのロボットアニメに自分の少年時代を重ねるのも、心に傷をつけた物語をふりかえるのでも、胸をときめかせてくれた美少女を思い出すのでもいい。そしてもしあの主人公にもう一度会いたいと思ったら、同時掲載のビデオガイドをよすがに、レンタルショップのアニメコーナーに向かってほしい。そこにはあなたを待っている、彼らがいる。(後略)」


かつてアニメを観ていた大人に向けて書かれた本、という体裁だが、「エヴァ」はもちろんのこと、同時代の作品である「天空のエスカフローネ」やOVA版「ブラック・ジャック」、まだリリース中だった「ジャイアント・ロボ」から、当時でも知る人ぞ知るの「おいら宇宙の探鉱夫」まで押さえていて、奇跡的なほどバランスの取れたラインナップである。読み物としても、野火ノビタの「デビルマン」と比較した「エヴァ」論、佐藤健志の「ルパンVS複製人間」論は、実に読み応えがある。

続いて、'04年版。長くなるが、この際だから全文引用する。

「レンタルビデオ屋に『ファーストガンダム』を返しに行った。
ガンダムコーナーがあるいつものアニメ棚。
いろんなアニメがある。知らないアニメがある。
でも、俺はいつも素通りだ。
わかんないから。最近のアニメ。

アニメは嫌いじゃない。
昔はクラスでもいっぱしのアニメ野郎だったし。
『アニメージュ』取ってたのって、クラスで俺ともう1人だけだったな。

最近のはわからない。
『エヴァンゲリオン』はもちろん知っているけど、でも、途中で見なくなって、結末は知らない。
そういえば、綾波って、どうなったんだろう。

『ガンダム』は好きだけど、『ガンダム』しか見ない。
なんかそれってつまんないな。
でも、間違ってヘンテコリンなマニアック・アニメを借りるのはシャクだ。
暇じゃないし、金もムダだ。
それにだいたい、恥ずかしい。

誰か、俺にぴったりのアニメ、教えてください。」

「ヘンテコリンなマニアック・アニメ」を探し出すのに血道を上げている身としては、ケンカ売っとんのかこら、という気分になるが、さらに脱力するのが、編集部の書いた以下の文章。

「かつてアニメといえば、『子供』と『マニア』の専有物だった。だが、現在、アニメのステージは様変わりしている。
ジャパニメーション、またクール系アニメと呼ばれる、大人向けのハイクオリティなアニメーションが台頭してきたのだ。
それらはむしろ、「アニメ」という技法を使った最先端映像作品、と言った方が的を得ている
(原文ママ)かもしれない。

たとえば、「MATRIX」のサブテクストとして制作された「ANIMATRIX」。そして、その「MATRIX」がインスパイアされたという「攻殻機動隊」−。
技術の進歩によってセルの限界から解き放たれつつあるアニメは、天井知らずの表現力を獲得しようとしている。
いまやアニメという表現手段は、トップクリエイターにとってはもっとも先鋭的で、感性を刺激するツールに変貌しているのである。

洗練されたビジュアルと、大人向けのシリアス&ハードな世界観、極限まで”かっこよさ”を突き詰めた演出。
一昔前の「アニメはマニアのもの」というイメージを120%書き換える、クールでスタイリッシュなアニメたち。
それらが今、たわわな果実となって、我々の前にぶらさがっている。
観ない手はない。

本書は日本で最初の、普通のオトナのための究極アニメ・ガイドブックである。

別冊宝島編集部」

'04年の段階でまだこんな寝言を言っていたのか、と驚かされる。最初から最後までツッコミどころであるが、ここで宣言しているとおり、この本が紹介しているのは一般人が観ても恥ずかしくなさげなアートっぽいアニメであり、ターゲットはオタクではなく、フツーの社会人だ。
'97年版の真摯な作りに好感を抱いていた私は、宝島の『変節』に怒りを覚えたものだ。

あまりの無内容さに買ったきり放り出していたのだが、'07年版がでた今、改めて'97年版から並べてみると、ちょっと見えてくるものがある。

補助線として、岡田斗司夫氏の活動と比較するとよく分かる。
'96年「オタク学入門」を上梓。
'04年「BSアニメ夜話」を放送開始。
'06年「オタク・イズ・デッド」を発表。

つまり「このアニメがすごい!」の発刊時期は、オタクの「勃興期」「拡散期」「衰退期」にぴったり重なるのである(注1)。
'97年は『エヴァ』のTVシリーズ最終回が話題になり、劇場版公開を控えて熱狂が頂点に達した年であり、、『ヤマト』『ガンダム』に続く第三次アニメブームと言われた時期である。このブームは、一度アニメを卒業した大人が「エヴァ」によってアニメに戻ってきたことが特徴とされている(注2)。それを踏まえて'97年版を読み直すと、確かにこれは、『アニメを卒業してまた帰ってきた人に、現代の最前線を啓蒙する本』である。
一方'04年はと言えば、電車男騒動が始まった年。オタという人種が、倉田真由美の視界にさえ入ってきたのである。
また、「イノセンス」「ハウル」「スチームボーイ」「Zガンダム」「AIR」と、巨匠の劇場作品が競合したのも'04から'05年だった。
「このアニメがすごい!」は、サブカル誌らしく、時代の気分を見事に捉えていたわけだ。

後世、'04年は一つのターニングポイントと称されるだろうが、何がそれをもたらしたのか、という考察はいささか手に余るので、とりあえずここまで。

注1:もちろん、オタク的な人生というものは「ヤマト」のファン活動の頃からあったわけだが、ここで言っているのは岡田氏が「オタク」という概念を提示した以降のことである。
注2:事実かどうか、個人的には疑わしいと思っているのだが、まあ一般論として。

2007年6月16日(土)
最近のアニメから

「グレンラガン」11話。
回想シーンの影絵アニメを手がけた「劇団イヌカレー」を検索してみたら、ブログをつけていた。
http://dokuyo.uchu-kibo.chu.jp/

以前には、坂本真綾のアルバムにショートムービーを作っている。
http://www.production-ig.co.jp/contents/works_sp/1640_/index.html
制作はプロダクションIG!

『個人作体制にこだわりながら監督・絵コンテ・演出・原画作業を行う、泥犬(どろいぬ)と2白犬。(にしろいぬ)という二人構成の新鋭クリエイターユニット』とのこと。
素材はアナログだが、コンピュータ上に取り込んでデジタル処理するという手法のようだ。暗幕がないので夜間に撮影していたが、「グレン」撮影中に夜が明けてしまって中断したというのが泣かせる。

「おお振り」8話。
会話ばかりで、とても見せ方が難しいエピソードのはずなのだが、重層的な人物配置と細かい芝居を積み重ねた豪勢な画作りで、全く客を飽きさせない。こういう、一見目立たないプロの仕事って大好き。

2007年6月13日(水)
シフト

G.W.の話だが、神宮球場にヤクルトVS巨人戦を観に行った。
先発・石川が大乱調でヤクルトは惨敗したのだが、3回に気になるシーンがあった。2対1で巨人が1点リード。1死1、3塁だったと思う。4番の李承Yが、レフト前にタイムリーを打った。
1点差に追い上げられた直後の貴重な追加点で、両チームの投手陣の出来を考えれば、これで試合は決まったようなものだった。
http://baseball.yahoo.co.jp/npb/scores/20070430/box_2007043001.html

気になったことというのは、打球の方向である。
ヤクルトの守備陣は、李に対して極端なシフトをしく。1、2塁間を詰め、セカンドは深く、ショートはほぼ2塁ベースの後ろに位置して、3遊間はがら空きにする。左打者でプルヒッターの李は右方向への打球が多いからなのだが、このときの李は、明らかに大きく空いた3遊間を狙って打った。
チームへの貢献、試合の流れを考えれば、当然の選択と言えるだろう。
だが、本当にそれでいいのだろうか。

こうした極端な守備陣形は、’64年に広島カープが全盛期の王に対して敷いた「王シフト」が有名である。もちろん、ホームランに対しては無意味だが、広島の狙いはむしろ、王が広く空いた3遊間に気をとられてバッティングフォームを崩すことにあったといわれる。
だが、王は委細構わずいつも通りにホームランを放ち、王シフトはさほど意味をなさなかったようである。

李は、韓国時代にシーズン56本塁打を放って王の記録を破った、「アジアの大砲」なのだ。その誇りにかけて、シフトなど歯牙にもかけずに、いつものバッティングをして欲しかった。
アナクロと言われるかもしれないが、野球には断固スタイルを変えるべきでない選手がいる。李は、その1人だったはずである。

2007年6月7日(木)
徳間書店

地獄少女 二籠のスタッフ編成」を、作品が完結したので完成させた。やはり、演出・絵コンテスタッフの一期シリーズとの違いが目立つ。

さて本題。
たまたま徳間書店の公式サイトを見ていたら、徳間書店が製作したアニメとして「攻殻機動隊 S.A.C.」が出ていて驚いた。
http://www.tokuma.co.jp/eizo/

改めてエンドクレジットをよく見てみたら、なるほど確かに製作委員会に加わっている。
攻殻といえば講談社、徳間といえばジブリ、と思いこんでいたので、意外。どういう事情か知らないが、原作の出版社とは違う出版社が、映像化のスポンサーにつくというのは、今では珍しいことじゃないのだろうか。むしろ、IGと鈴木敏夫氏のつきあいが「イノセンス」のずっと以前からあったためと見るべきか。
それにしても、例えて言えば「ナウシカ」の映画化を角川が製作するようなもの・・・いや、角川なら儲かると判断すればやりかねないな。

2007年6月5日(火)
0091

なんで今さらこれを・・・と、本放送時はスルーしていたのだが、スカパー!での再放送をたまたま観たら意外に面白かった。

で、ちょっと引っかかったのが第3話「ハードボイルド」。
自分の流儀に古風なこだわりをもつ殺し屋「エッグ」が登場する回である。(以下ネタバレ)主人公0091は、そのこだわりを時代錯誤、と切って捨てる。こういう場合、作劇の常道としては次第に相手に敬意を抱いていく、というふうに持って行くものだと思うのだが、この作品は、結局「エッグ」を道化のままにしてしまうのである。
誤解を恐れず言うが、これってとても女性的な感性だと思うのだ。
男がダンディズムと信じる些細なこだわりを、冷笑する女。ギャグとしてやってくれるならともかく、これをシリアスにやられるのは観ていてかなりつらい。それも含めて、狙ってやっているのだとは思うが。脚本は小林靖子。私は不勉強で知らなかったのだが、主に特撮で活躍していて、ちょっと変わった経歴の持ち主なのだとか。
→ウィキペディアの記事http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%9E%97%E9%9D%96%E5%AD%90

つまらんツッコミをしておくと、このエピソードには、弾丸の発する音を感知して弾をかわす、というくだりが出てくる。弾丸って音速を超えて飛ぶから、音が聞こえたときには既に命中しているはずなんだが。まさか知らなかったんじゃあるまいな。

ところで、0091ことミレーヌ・ホフマンの声をあてているのは釈由美子。
以前、三次元若手女優のことを書いたときにうっかり書き忘れたのだが、私は「修羅雪姫」('01)以来、釈のファンである。プロデューサーの一瀬隆重が、疑問を呈する周囲を説得し、強く釈の起用を推したのだというが、その眼力には敬服する。アクション描写もさることながら、腹の据わったよく通る声と、滑舌のいい発音に感心した。
0091でも、声の演技を無難にこなしている。

2007年6月4日(月)
超特急

「黒の超特急」('64)
セントルイス・カージナルスの田口壮
ブラジル人

メタルカラーの時代
これらの共通項は何でしょう?

答は「新幹線」である。

しばらく前に、WOWOWで映画「黒の超特急」を観た。監督は増村保造。「黒シリーズ」と呼ばれる社会派サスペンスものの一つで、新幹線の用地買収に絡んだ汚職を題材にしている。その作中で、田舎の地主さんたちが国鉄の招待を受け、初めて新幹線に乗って、そのスピードと快適さにはしゃぐシーンがある。

ここで話は、田口選手に飛ぶ。
田口選手は、メジャーリーグ移籍以来、自身のブログを公開しているのだが、先日「何苦楚日記」と題して一冊にまとまって出版された。
(ここに素晴らしい書評があります。http://kenbtsu.way-nifty.com/blog/2006/10/post_4746.html)
この中で、田口選手がマイナーでプレーしていたときに、日本でプレーした経験のある選手と出会った話が出てくる。その選手が、生まれて初めて新幹線を見たときの驚きを語っているのである。「新横浜の駅を通過するのをホームから見たのだが、あまりの速さに驚いて、思わず柱の陰に隠れてしまった」というのだ。身長2m近いメジャーリーガーが、新幹線に驚いて柱の陰に身を潜めている図を想像して頂きたい。

確か3年前だったと思うが、東海道新幹線の線路に、日本に出稼ぎに来ていたブラジル人男性が入り込み、新幹線を止めてしまったことがある。実は私はこのときの新幹線に乗り合わせていて、1時間近く立ち往生を喰ったのだが、この男性の動機というのが、「近くで新幹線を見たい」という素朴なものだった(命知らずなうえに、はた迷惑ではあるが)。

我々はすっかり新幹線というものの存在に慣れてしまったが、数100tにも及ぶ列車が、300km/hの高速で、しかも分刻みのスケジュールで運行するというのは、途方もないことなのである。初めて見た人間が、プリミティブな興奮や畏怖を覚えるのも、無理からぬことだ。鉄っちゃんという人々は、こうした感性を未だ失わずにいる幸運な人たちなのかもしれない。

山根一眞のライフワーク「メタルカラーの時代」にも、新幹線の車軸開発のエピソードが出てくるが、これが壮絶だ。
『京谷「鉄の輪っぱが鉄のレールの上を時速150キロ以上のスピードで走ったことなんてなかった。それが一気に時速300キロにも耐えられるような輪軸を作れと。輪軸が摩擦で高熱をもつのはわかってましたが、そこににわか雨が当たって急に冷えたら割れやしないかという心配があった。」
山根「まず実験?」
京谷「実地試験よ。山陽本線の三原・広島間に長い直線の傾斜区間がある。そこで夜中に、SLのD−51を走らせた。ブレーキをかけたままフルスピードで下って輪軸の温度を強引に上げる。で、真っ赤になった輪軸へそれっと水をぶっかけてみる。」
山根「新幹線の輪軸テストを蒸気機関車で?」
京谷「材料は同じなんだから温度さえ上がればいい。それで僕が時速100キロで走る機関車の車軸と車軸の間にもぐりこんで、温度が上がっていくようすも見た。」
山根「命がけ!」
京谷「人の命を預かる以上、エンジニアも命かけなきゃ。文句や理屈より乗るほうが早い。車輪に巻き込まれないように機関車に体をぐるぐる巻きに縛りつける。」』

日本の高度技術は、こうした無茶苦茶で豪快なエンジニアによって支えられてきたのである。

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