ポジオリ教授シリーズ

ミステリが辿ったかもしれないもうひとつの道

                                   

『カリブ諸島の手がかり』の衝撃
 ポジオリ教授シリーズで知られるT・S・ストリブリングの代表作 『カリブ諸島の手がかり』 (1929)(国書刊行会)がわが国の読者に紹介されたのは1997年のことです。アメリカの大学に勤める心理学者ヘンリー・ポジオリ教授が、カリブ海の島々で奇怪な事件に遭遇するこの短篇集は、エラリイ・クイーンによる路標的短篇集のリスト 〈クイーンの定員〉 にも選ばれ、一部の読者には早くから知られた存在でした。収録作の一部は単発的に雑誌などで紹介されたこともあり、また、1956年に創刊された 《エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン》 日本版は、創刊号から2回にわたって、後期ポジオリ・シリーズの 「ジャラッキ伯爵」 連作を、クイーンの解説とともに掲載して好評を博しています。

 しかし、『カリブ諸島の手がかり』 の真田啓介氏の解説にもあるように、多くの読者にとってストリブリングが 「知る人ぞ知る」 忘れられた作家のひとりであったことはまちがいありません。そして、原著刊行後68年目にして、ようやく初めて完全なかたちで紹介されたこの作品集は、わが国のミステリ・ファンにあらためて新鮮な衝撃を与えました。その年の年間ベストを選ぶ各種アンケートでも多くの支持を獲得、『このミステリーがすごい!』 ではロバート・ゴダード、ミネット・ウォルターズらの現代作家に伍して6位にランクイン、『週刊文春』 のベスト10でも次点に入っています。

 しかも、それは単に古典としての歴史的評価にとどまらず、現代にも通用する、あるいは現代ミステリをも超えた重要な問題性をはらんだ作品として、この短篇集は多くのミステリ作家・評論家に大きな波紋を投げかけました。たとえば、早くからストリブリングに注目してきた山口雅也氏は、「ミステリが辿ったかもしれない、もうひとつの歴史を示唆している」 とコメントを寄せ、野崎六助氏は、翌年刊行された 『北米探偵小説論』 新版(インスクリプト)の増補箇所で、『カリブ諸島の手がかり』 を数頁にわたって取り上げ、「異文化の世界観と探偵小説の原理との衝突による特異な反響が隠されたテーマとなっている」 はなれわざ的作品として詳細に論じています。

 ポジオリ・シリーズの特殊性については後にあらためて触れるとして、まずは作者ストリブリングのプロフィールを簡単にたどってみることにしましょう。

社会小説家ストリブリング
 T(トーマス)・S(シジスマンド)・ストリブリングは、1881年、アメリカ合衆国中南部のテネシー州クリフトンに生まれました。アラバマ大学で法律を学び、地方紙 『クリフトン・ニューズ』 の記者をふりだしに、ハイスクール教師、弁護士、雑誌編集者などを経験、1908年にフルタイムの作家になりました。1908年から16年まで南アメリカとヨーロッパで生活、帰国後は新聞の報道記者や、首都ワシントンで航空局の速記者の職も経験しています。1933年に、小説 『商店』 (1932)でピュリッツアー賞を受賞。1959年以降は故郷クリフトンに戻り、1965年に没しました。

 作家としてのスタートは、日曜学校の雑誌に道徳的教訓の盛り込まれた冒険小説を執筆することから出発し、やがて当時さかんに刊行されていた大衆向けのパルプ雑誌に発表の場をひろげ、その後、生まれ育ったテネシー州をはじめとする中南部の社会をえがいた小説へとすすみました。ピュリッツアー賞を受賞した 『商店』 は、『鍛冶屋』 (1931)、『未完成の大聖堂』 (1934)とともに三部作を形成し、南部の貧乏白人(プア・ホワイト) 出身の主人公が裕福な地主となり、綿農場の経営者へと成り上がっていくまでを、社会諷刺を織りこみながら地方色豊かに描いた作品です。

 ジャーナリスト・法律家として広く社会を観察してきた経験をもとに、しばしば地方の共同体の愚劣な狭量さ、人種的偏見、アメリカ的物質主義を辛辣に批判したストリブリングの作品は、1930年代には、『本町通り』 のシンクレア・ルイスらとともに、リベラルな批評家から高い評価を得ていました。一方で彼の小説は、そのメロドラマ的なプロットやあまりに単純化されたテーマを批判されたりもしています。

 南部社会をえがいた小説家ストリブリングの、異文化間の軋轢に対する関心や、文明批評的視点は、ミステリ作品にも共通しており、ポジオリ・シリーズにも色濃く反映されています。

ポジオリ教授シリーズの変遷
 ポジオリ教授の冒険談は、その発表時期から大きく三つのシリーズに分けられます。まず第一期は、1925年から26年にかけて 《アドヴェンチャー》 誌に掲載された5篇で、これは1929年に 『カリブ諸島の手がかり』 としてまとめられました。

 この本では、オハイオ州立大学の心理学教授ヘンリー・ポジオリ教授が、休暇年度を利用して、ハイチ、マルティニーク、バルバドスなど、西インド諸島の島々を旅行中、行く先々で奇妙な事件に遭遇します。反乱軍に手を焼く長官に頼まれて人の心を読むヴードゥー教司祭と対決するはめに陥ったり、犯人が残した歌の手がかりから金庫破りを追求したりと、冒険をかさねるうちに次第に名探偵の評判が高まるなか、トリニダードにたどりついた教授は、好奇心から一夜をあかしたヒンドゥー寺院で、恐ろしい事件にまきこまれます。この最終話 「ベナレスへの道」 の結末は、探偵小説の通常の枠組みを大きく逸脱した、きわめて衝撃的なものでした。有栖川有栖氏は 「最後の最後で推理小説の底が抜ける」 (『本格ミステリーを語ろう![海外篇]』、原書房) と評していますが、実際、ミステリの長い歴史のなかでも、このような運命に見舞われた名探偵はかつてないでしょう。

 第二期は、1929年から35年に雑誌に発表された9篇で、「パンパタールの真珠」 でポジオリは3年ぶりに復活をはたします。「ベナレスへの道」 で衝撃的な結末をむかえたポジオリ教授ですが、再登場にあたってその件に言及されることはなく、何の説明もないまま、ポジオリは再び探偵役として事件に取り組んでいます。この時期の作品は、パルプ雑誌に掲載されたまま入手困難な状態が続いていましたが、2004年にCrippen & Landru社から 《Dr. Poggioli: Criminologist》 としてまとめられ、『ポジオリ教授の冒険』 (河出書房新社)の邦訳も出ました。この時期の作品では、西洋人には東洋人の顔を区別することができない、というテーマから意外な真相が導かれる 「チン・リーの復活」、何者かに四六時中つけまわされている銀行員から相談を受けた教授が、一枚の写真から見事な推理を展開する 「尾行」 が、アイロニーに満ちたポジオリ物の特色がよく出た面白い作品です。また、超自然的な怪事件にポジオリが取り組む中篇 「つきまとう影」 は、「ベナレスへの道」 や戦後の 「八十一番目の標石」 にも通じる特異なテーマを扱った問題作として注目されます。

 そして、それから10年余、このシリーズに惚れ込んだエラリイ・クイーンの求めに応じて、ストリブリングは三度ポジオリ物に手を染めます。1945年に 《エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン(EQMM)》 7月号に発表された復帰第一作 「警察署長の秘密」 は、読者・批評家からその年のベスト短篇のひとつに選ばれ、これを皮切りに、「ジャラッキ伯爵、釣りに行く」 「ジャラッキ伯爵への手紙」 「八十一番目の標石」 などの傑作が次々にEQMMの誌面を飾りました。この第三シリーズは、《セイント・ミステリ・マガジン》 1957年4月号の 「木陰の男」 (『ミステリマガジン』 1977年12月号)まで、23篇をかぞえます。ストリブリングの没後、このなかから15篇を選んだBest Dr. Poggioli Detective Stories (1975) がドーヴァー社から出版されています。『ポジオリ教授の事件』(翔泳社) は、そこからさらに11篇を精選した第3期ポジオリ傑作集です。

ユニークな名探偵小説
 ポジオリは不思議な名探偵です。『カリブ諸島の手がかり』 でのポジオリは、名探偵としての役割をあたえられてはいますが、実際には、心理学を応用した推理で鋭いところを見せはするものの、結局は犯人に手玉に取られたり、まったく見当違いの推理をしたり、事件の背後にあるもっと大きな計画の一部として利用されたりと、あまり良いところがありません。しかし皮肉なことに、にもかかわらず、ポジオリの探偵としての名声は日に日に高まっていくのです。

 とはいってもこのシリーズは、たんなる名探偵物のパロディではありません。何度も失敗を繰り返しながらも、ポジオリは名探偵の役割を演じつづけます。というよりも、演じることを強いられつづけます。旅行者であり、異邦人であるポジオリは、事件に対して外部の人でしかありえません。「よそ者」 としてポジオリは事件にまきこまれていくのですが、謎を解き明かしてみたところで、所詮、傍観者、立会人にすぎない彼の前には、しばしばどうすることもできない壁が立ちはだかっています。ポジオリ探偵譚は 「名探偵とは何者か」 という問いをつねに投げかけつづけるミステリーです。先に触れた 『北米探偵小説論』 で野崎氏は、「探偵小説は探偵を犠牲に供する物語である」と述べ、「ベナレスへの道」 を 「探偵の自己滅却というテーマ」 を徹底的に追及した作品として、クイーンの 『十日間の不思議』 『帝王死す』 と比較していますが、あるいはポジオリ・シリーズに強い関心をよせたクイーンのなかには、このような問題意識への共感があったのかもしれません。

 『ポジオリ教授の事件簿』 に収められた第三シリーズでは、ポジオリ探偵譚の性格も微妙に変化しているように思われます。大きな特徴は、ポジオリの探偵談を雑誌に発表して生計をたてている作家の 「私」 が登場し、物語がその視点から語られていることでしょう。ポジオリ探偵譚はそれまで三人称で語られてきましたが、ここにおいてはじめてワトスン役が登場したことになります。「私」 とポジオリは、フロリダ州の小都市ティアマラのアカシア街23番地に住み、事件の多くはこの街を舞台としています。作中でもいわれるように、フロリダはラテンアメリカ世界との接点でもあり、「ポジオリと逃亡者」ではキューバの漁師が登場し、ポジオリは船に乗ってカリブ海の洲島海域へと乗り出します。また、旅行先のメキシコやテネシー州 (ストリブリングの生まれた土地です) で遭遇した事件も収録されています。

 以前は 「名探偵」 としての名声に対して、ある種のとまどいを感じていたポジオリですが、第3期になるとさすがに 「名探偵」 の役割をすすんではたすようになり、「私」 というワトスン役を得たこともあって、より自信と落ち着きに満ちた、名探偵らしい雰囲気をそなえるようになっています。それでも彼が手がける事件は、あいかわらず通常の名探偵物語とはひと味違った奇妙なものばかりであり、彼の推理は謎を解くことには成功しても、かならずしも事件の最終的な解決をもたらすものではありません。

 第三シリーズの開幕を告げる 「警察署長の秘密」 では、検挙率が異常に低いにもかかわらず、盗まれた金は、警察がかならず取り戻しているという奇妙な状況を取り上げています。この作品でポジオリは、「急進的で法を破ることもいとわない潔癖な個人主義者が権力を握ると、独裁制が生まれて民主主義は崩壊する」、「今日のアメリカにおいて自由が保持されているのは……モラルを欠いた奴らが政治を牛耳っているおかげ」 という逆説的な名言を吐いていますが、大方の本格ミステリが法の正義、民主主義の正当性を疑いもしないのに対して、ストリブリングのこの姿勢はきわめて異色です。アメリカの政治・社会に対する辛らつな諷刺は、「七人の自殺者」 「真昼の冒険」 「塗りかけの家」 「電話漁師」 などでも一貫しており、彼の普通小説にも通じるものを感じます。

 「ジャラッキ伯爵、釣りに行く」 「ジャラッキ伯爵への手紙」 の連作では、二つの家のあいだの頭脳を駆使した戦いが語られます。この物語の主役は、会社に特許の権利を奪われたために、法律の罰し得ない方法で義父の老人(会社の経営者)を死に追いやろうとする冷徹な男と、その彼を逆に暗殺しようとする老人の息子です。しかし息子がそのような行動に出るのは、父親の復讐のためではなく、会社の利益を守るためなのです。ポジオリに残されているのは、真相を解説するという狂言回し的な役割でしかありません。彼らは 「会社という概念に奉仕している」 というポジオリの指摘は痛烈です。

 本書収録中、最大の問題作は、メキシコでの事件を扱った 「八十一番目の標石」 でしょう。闘鶏の最中、蹴爪に蹴られて傷ついた老人が死んでいくのを、助けようともせず見守っている群衆を前にして、ポジオリと 「私」 は奇異の念にうたれます。その夜、ナイトクラブで謎の男と出会った二人は、「霊魂の力」 による殺人は可能かという問題をめぐって、町外れの八十一番目の標石のもとで、暗闇の中、男と議論を戦わせます。男は、原子を破壊することによってエネルギーを得ることができるのなら、人の精神を破壊することで生じるエネルギーも同様に利用できるはずだ、そしてそれは原子力をも上回る強力なものにちがいない、という不気味な説を述べます。

 かつてポジオリが苦杯を喫した 「ベナレスへの道」 の犯人の動機は、西欧合理主義の観点からすれば、異様な、不合理きわまりないものでしたが、犯人の側からすれば、きわめて論理的な、筋の通ったものでした。そこにあるのは近代西欧型社会とは別種の論理体系であり、世界観です。『カリブ諸島の手がかり』 全篇をつらぬいていたのは、この異文化との出会いがもたらす衝撃であり、ポジオリの役割はその衝突の場に立ち合い、それを目撃することのようにさえ思われます。

 「八十一番目の標石」 で、ポジオリは再び西欧の論理では解き得ぬ異文化の論理に対峙します。しかし、ポジオリはここでは、キリスト教支配以前のメキシコの古い、隠された世界の存在に気づいたとき、「ベナレスへの道」 とは違った選択肢を選びます。

 冒頭に提示された不可解な謎が、論理によって合理的な解決へと回収されていく、ポー、ドイル以来の本格ミステリの定型に対して、この物語は重大な異議を申し立てています。ポジオリ・シリーズが始まった1920年代から30年代のアメリカでは、ヴァン・ダイン、クイーンの初期作を中心に、探偵小説のパズル化が徹底的にすすめられていたわけですが、ジャンル外から参入したストリブリングは、名探偵を主人公とした短篇ミステリという古典的な形式を利用して、本格ミステリというジャンルそのものに強烈なゆさぶりをかけながら、ミステリのもう一つの可能性を模索しているようです。「ミステリが辿ったかもしれない、もうひとつの歴史を示唆している」 という山口雅也氏の評言も、このあたりの事情をさしているように思えます。

 ストリブリングの名探偵物語は、本格ミステリがふたたび隆盛を誇り、さまざまな論議の対象となっている現在、ますます特異な輝きを放ちはじめています。

【books】

  • T・S・ストリブリング 『カリブ諸島の手がかり』 国書刊行会/河出文庫
  • T・S・ストリブリング 『ポジオリ教授の冒険』 河出書房新社
  • T・S・ストリブリング 『ポジオリ教授の事件簿』 翔泳社
  • 野崎六助 『北米探偵小説論・増補新版』 インスクリプト
  • 芦辺拓・有栖川有栖・小森健太朗・二階堂黎人 『本格ミステリーを語ろう![海外篇]』 原書房
  • エラリイ・クイーン 『十日間の不思議』 『帝王死す』 ハヤカワ・ミステリ文庫

【note】

『ポジオリ教授の事件簿』(翔泳社)解説を一部改稿。