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函館東高部活動の歴史(運動部編)、文武両道の校風
「現在活動中の部は、応援団・外局・同好会を含め、所属する生徒も過半数をこえる。体操部、ヨット部のように今もなくなった部もあるが、勉強に偏らず部活も重視する本校の伝統は、東高生の心の拠り所であろう」と「50年誌」に記載されているように、開校以来の部活動は東高の歴史のひとつである。
 1984(昭和59)発行の生徒会誌「ひんがし20号」<クラブの歴史>運動部を中心に、「ひんがし」から各部長の言葉からその20年後の様子を併せて紹介している。部活動をする人数は減っているようだが、先輩から後輩へと引き継がれた精神は脈々と引き継がれているようだ。そして市立函館高にも受け継がれているに違いない。
↑2008.8 野球場の横に掲げられた横断幕
「文武両道の校風」をテーマにまとめた・・・・ブログ☆ 皆さんの部活の思い出を募集中
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平成6年「ひんがし」30号より
☆クラブの歴史☆ 1984年3月10日「ひんがし第20号」他より
 我校も、創立25周年を目の前にして、すべて新しくなりました。あの旧校舎にはどんな歴史があったのでしょうか。私たちのまだ生まれいないずっと昔から校舎はあったのです。広いグランドも、青い空も昔のまま、あのころのおもかげを残してます。たくさんの思い出のある中で、我々の先輩達の築きあげた伝統とは・・・。数ある実績の中で、クラブ活動はどうであったか。昭和15年から昭和59年現在まで、記録を中心にまとめてみました。
□ 柔道部
 (戦前は正科としておこなわれ、全校的に活発)市中時代の資料はないが、昭和18年に本格的武道場ができた。戦後の柔剣道禁止があり空白の時代があったが、昭和25.6年頃、本校でも)柔道部復活。昭和28年、地区で最強だった西高を破り優勝。続いて昭和30年から各年ごと、高体連団体と全道大会に出場している。昭和45年頃からなかなか全道への壁が厚く、地区ではいつも惜負の涙をのんでいる。だが個人として有力選手は数知れない。現在も、全道進出を胸に練習を重ねている。
 ●平成13年度
 基本的に格闘技は汗臭いものなんです。これは、曲げられない事実です。でも考えてください。皮膚の下で肥大する上腕ニ頭筋、板チョコの゜ような割れた腹部、分厚い胸板etc・・・。こういう体を目指した事ある人は絶対いるはず。精神面でも強くなれる柔道は魅力的なスポーツなのです。あんたも私も、社長さんもモーニング娘もできる柔道で、より強靭な人間を目指していきたいと思います。
□ サッカー部
 戦後の混乱の中、昭和21年創立。この年早くも地区優勝。物資のない時代にこれだけ戦った先輩達の力は偉大である。次いで昭和22年第26回全国中学校大会出場。その後、毎年の如く主要大会の地区優勝をなし、本校サッカー部史上の最盛とも言うべき昭和31年を迎える。前年の全国高体連出場につづき、昭和31年は第11回国体出場。そして、誠に華々しい全国大会3位を獲得。その後も国体連続出場は数知れない。
 ●平成10年度
 努力しない者、感動なし・・・。努力する者、感動あり! サッカー部はこのことをよく理解して、目標に向かって努力する部です。
□ 軟式庭球部
 開校と同時に発足。昭和25年に男女共学になり発展の兆しが現われた。昭和27年に男女ペアが高体連全道大会に出場して以来昭和34年-40年までを“黄金時代”と呼んでいる。昭和34年高体連地区、総合優勝(男女アベック優勝)。男子はこの年から3年連続優勝している。昭和35年、本校運動部として最大の部員数(100名以上)をもつことになる。男子は昭和36年高体連全道第3位とまたまた“函東旋風”をふきおこしている。個人としても、毎年、入賞者がたえず“函東に勝る敵なし”といったところだ。まだまだ実績はおとらず、昭和45年〜53年男女共に他校に優勝を許さず中でも昭和48年の全道大会女子団体ベスト8が記されている。昭和54年からは、個人の活躍が目立ち、全道全国へと出場しているが、団体がいまいちふるわないようである。我校でも実績のあるクラブの一つである。
 ●平成17年度 男子硬式テニス部
 男子硬式テニスは選抜大会で全道大会出場できたものの初戦で負けてしまいとても悔しい結果に終わりました。これからは高体権に向けて先生や先輩方の熱心な指導を思い出し、日々練習に励んでいき高体連では先輩達が残した成績の上をいけるようにこれからチームの団結力を高め、技術的にも精神的にも強くなっていきたいと思います。先輩方本当に今までありがとうございました。そしてお疲れ様でした。
□ ラクビー部
 昭和21年度設立。この年の地区予選を勝ちぬき、全道中等学校全国大会に出場。昭和22年は地区大会、全道大会、東北大会を次々に勝ちぬき、待望の全国制覇をなしとげた。また翌年もV2をきめた。この偉業をなしとげたのは、不境不屈の精神、勝利へのあくなき意欲こそがこの“黄金時代”をきずいたのである。(「ラクビー部熱闘の足跡―全国制覇の歩み」参照) また、昭和31年には地区予選でおしくも優勝をのがした。その試合の後は特に目立った活躍もなく今日に至っているのが、近年には、目を見張るものとして、昨年(昭和58年)の全道3位である。
 ●平成13年度
  クサイ!! ゴツイ! キタナイ! イタイ!といったら函館東高ラクビー部の根付いたイメージ。確かにそれは、確かです。ここに熱い男達の魂を見て下さい。 春、それは、希望に満ちた進入部員の光。夏、それは、黒く焼けた男達の汗。秋、それは、挫折という大きな壁。冬、それは、磨き上げる肉体美。ここから色々な壁にタックルし、前進していく3年生が私達の誇りであり目標です。
*右写真提供:星野さん(第30回生、昭和55年卒))
平成13年の東高ラクビー部+OBと七飯高校との練習試合 「My好きなTown函館」より引用
(赤白のジャージでボールが出てくるのを待っているのは、現市立高日向校長(20回生)
□ ヨット部
 昭和25年ころ設立。北海道初の学校にヨットを持ち、西浜岩壁で西高と共に練習していたようで、優勝も何度かしているようだがはっきりした記録は残っていない。昭和34年、36年、37年と全国大会に出場。女子部は39年につくられた。そして努力の結果、全国行きを手にして全国第6位に輝いた。その後女子部は自然消滅している。昭和40年度代は、団体としての力を備えて全道、全国へと進出しているのも数知れない。しかし、昭和57年度の生徒総会で、部員数、活動時間、内容、顧問などの関係で廃部となった。
□ バレー部
 昭和25年、バレー部は活動を開始した。この年は人材不足のため不振だったが、昭和26年、男子高体連全道大会出場。そして昭和30年のこのころより、バレー部の全盛時代がやってくる。若手選手の活躍でこの年につづき昭和31年と全道に行き、32年からは、女子も全盛となる。これから毎年といっていいほど、男女とも全道には進出しているが、なかなか全道制覇は難しいようであった。昭和54年ころからまた“函東健児”の意気が盛り上がってか、昭和55年の国体全道進出を期に昭和57年、58年と、全道を制覇し、全国大会にまで出場している。また女子も、努力の甲斐があり、全道大会に顔を出している。(東高バレー部OBの活動も活発だ。「函館東高バレー部OB会」のホームページを参照)
 ●平成15年度
 男子バレー部は、顧問の森元先生、山本先生、岡田先生の指導のもと「自ら考えるバレー」で全道でも勝っていけるチーム作りをしています。持ち味である高さを最大限にいかし、全道ベスト4そして更ににその上を目標にこれからも努力していきます。部長
□ ハンドボール部
 昭和23年、東京からの教育実習生によって創立、これは全道で4番目に発足している。一方、女子は昭和25年から練習開始となっている。本校のハンドボール部の“黄金時代”は女子により始まり、昭和30年〜35年まで連続4回全道出場を果している。その後も常に優勝候補にあがっていたが、惜敗を重ね、現在に至っている。男子は部員不足で大会出場が容易ではなかったが、昭和38年から40年に全国3回連続出場をしている。昭和45年、全国で準々決勝を目前としたが、おしくも破れた。その後も何度か全道出場をしている。今年度(昭和58年)は、秋季新人戦で全道3位となり、高体連での活躍が期待される。
 ●平成7年度 女子ハンド部
 こんにちは。私たち女子送球部は試合で負けた悔しさをバネに、過酷な練習を持ちまえの明るさと絶対に負けたくないという根性で乗り越えてきました。平均身長が高く、何といっても個性豊かで和気あいあいと楽しく活動しています。知れば知るほど熱くなる、という魅力に引かれた者同士のより深く、より濃くなった絆は果てることなく、常にこの雰囲気を保ち『努力なくして栄光あらず』の部旗の下、心を一つに頑張ってます。、
□ 剣道部
 市中時代に当時としては立派な武道場をもっていた。(=右写真) 正課としての武道が昭和20年の終戦と同時に禁止された。剣道は、従来の弊を除き、スポーツとしての性格の剣道に、内容、方法、組織が改善され、学校教育の場で「しない競技」にとって代わった。昭和28年頃、クラブ誕生、顧問の熱心な指導のもと、昭和35年・6年と団体戦に優秀な成績を残している。そのうちに全道に行った記録はないが、なかなか惜しいところで、涙を飲んでいる。昭和56年、男子が全道出場、57年、58年と個人女子が活躍している。
 ●平成17年度
 僕ら剣道部は、東高校の“青雲魂”を捧げ、日々の稽古を積んでいます。人数は少し少なめですが、他の部活には負けないくらいの元気をもっています。今年の新人戦で全道大会に行くことができ練習の成果を発揮することがぎてました。これにおごらず、さらに精進しいてきたいです。清く、正しく、そして熱い。剣道部はそんな部活です。 部長
□ 弓道部
 昭和34年新設、だが校内弓道施設がなく、市営弓道場で練習していたらしい。部員の猛練習の結果35年には地区大会を経て、全道国体予選に駒を進めている。ただ校内で練習が満足にできず、一時はクラブの活動が危ぶまれたが、昭和42年に、函館地区高体連に弓道部が新設され、さらに部員の弓道に対する熱意が高まった。昭和42年、宿敵有斗を破り優勝、昭和43年・44年・45年も全道へのキャップを手にしている。その後も国体・高体連と上位を占め現在に至っている。
 ●平成17年度
 弓道部は1年16人、2年生14人で活動しています。弓道というのは基本的に個人競技であるので、日々自分と向き合い、技術、集中力、精神力の向上のため練習をしています。また、弓道を通して礼儀を学ぶこと、部全体で真剣に弓道に取り組める環境づくりも欠かさず行います。そんな先輩方が積み上げた弓道部の良き伝統を引き継ぎ、全道大会出場を目指し、練習を積み重ねていきたいと思います。部長
(下記は「函館東高弓道部OBプログ」より引用)
日時:2008年4月24日(木)〜25日(金) 場所:函館市千代台公園弓道場 *報告は上位3位までとします。
 ●男子 (団体) @江差A A市立函館A B函工A
 ●女子
  (団体) @市立函館A A函中部A B遺愛A (個人) 1位、3位入賞
□ 体操部
 市中時代から体操は強かったが、戦後の混乱の中クラブ活動は円滑に進まなかった。昭和25年、男女共学になったが、人数が少なく個人としては有能な選手はいたが、なかなかチーム編成に苦労したらしい。そんな状況の中、昭和29-31年の女子の活躍はめざましく全道大会、団体徒手で3連勝している。その後種々の事情によって体操部は不振になり今日では全く活動を停止している。
 ●平成20年、高体連支部大会 男子一部 優勝、高体連全道大会個人戦優勝(全国大会出場) 松林 貢司
□ 硬式野球部
 昭和16年春に創設されたが、昭和18年に、勤労動員で上級生が出動した上、米国国技の野球などはもってのほかと函館市中野球部は解散式もなく消えてしまった。終戦後の翌21年4月、再スタートが切られた。昭和24年、メンバーの充実で夏の大会地区初優勝、秋の大会も優勝している。そして夏の全道優勝校と決勝で5対1でこれを一蹴した。その結果、東京国体の出場権を得て初めて津軽の海を渡っている。昭和27年、28年・30年と全道に出場。昭和31〜35年、野球設備も整い、昭和39年、南北海道大会に出場している。昭和46年〜50年までは資料がみつからずはっきりした記録がない。昭和53年・54年、優勝・準優勝し、昭和55年、春・夏と優勝している。このように記録を見る限りでは、東高のバッテリーには、なかなか良い選手がいたようである。(写真は昭和28年当時の野球部のメンバー、この年全道大会で準優勝の活躍であった)
 ●平成17年度
 「うちの野球部が何よりも誇れる事は、チーム内での汚いいがみ合いがないという事だと思います。僕らが入部したときは、こんなに心豊かな先輩達がいるのか、東高の野球部に入部して良かった、と思ったくらいです。いくら試合に強いチームでもチーム内で汚い戦争があっては全員が同じ喜びを感じることはできないはずです。今後もこのような先輩達のすばらしい部分をずっと受け継いでいければいいと思います。部長
□ 羽根球部
 昭和24年、同好会として発足。翌25年、クラブ誕生、26年男子団体が高体連初参加にして地区優勝を成し遂げている。当時は、この競技の創始期であり、特に用具には苦労したらしい。しかし、“創始期の苦悩”をかかえながらも昭和29年、“打倒白百合”と燃えた2年生の4名の選手がみごとに優勝している。また昭和30年の高体連地区大会、全道大会と完全優勝をし、シングルでは、全国優勝も成している。続いて昭和31年、32年と全道三連覇している。男子の方では、昭和33年の高体連全道大会準決勝で4時間半を越す熱闘ぶりだった。結果は3対2で惜しくも破れたものの、“函東男子バドミントン部”は全道に名を響かせた。昭和37年、全道制覇を果し、勢いに乗った。シンクルス、グブルス、団体と、どの年を見ても上位を獲得している。男子も女子もお互いに競っているところに、函東羽根球部の不滅の一念があるのではないか。
 ●平成12年度 女子羽根球部
 私達女子羽根球部は2年生3名、1年生3名で活動しています。最初はたくさんいたはずの部員がだんだん減っていき、計6名というとても少ない部になってしまいましたが、コーチや先輩達の支えがあり、一生懸命活動しています。これまでの先輩達のようにはまだまだなれませんが、毎日毎日その日の練習を一生懸命やり少しでも近づけるよう頑張ります。今まで先輩達が作り上げた栄光と伝統をくずさないように頑張りたいと思います。 
□ 卓球部
 昭和20年台の前半練習開始、23年の第1回の高体連に出場して以来、着々と力をつけ、男・女とも全道トップレベルのチームに成長した。昭和27年には、男子が全道1・2位を独占、29年、女子チーム宿願の団体優勝を果す。30年代に入ると、男女共に全道上位進出がなかなか困難になってきた。昭和33年〜36年は第2次の隆昌期に入り、女子個人や男子個人が活躍して全国大会へ出場している。ここ8年あまり全道への壁が厚く、なかなか以前のようにはいかないようだが、地区大会でも常に入賞しているということは、練習によっては、まだ全道への道がひらけているのであろう。
 ●平成17年度 男子卓球部
 僕たち(男子)卓球部は、21名で活動しています。今年の高体連では、全道大会に出場しましたが初戦で惜しくも負けてしまいました。でもここまでこれたのも3年生の先輩達がいたからこそだと思っています。これからは、後輩と協力して全道大会で1勝を目標に一生懸命練習したいと思います。最後に、冨澤キャプテンをはじめ3年生の先輩達本当にありがとうございました。
□水泳部
 昭和15年、部創立。この時から20数年の長きにわたり、我校水泳部の練習場所は、大森浜、根崎、七重浜などであったが、昭和43年のプール開設(=右写真=)は、画期的な出来事だった。市中・市高時代相当な活躍があったが、男女がそろって大会に出場するようになると、選手層が厚くなり、個人型選手が目立ってきた。プール開設以来、我校でも水泳が、体育の正規授業に取り入られ、れ、水泳部選手確保の底辺がひろくなり、めざましい発展を見せている。昭和44年の全道大会に大量の選手を派遣し、各地区の強豪を伍して敢闘した。45年の全道大会に4名が入賞している。このころになると、市内の各学校にプールが建設建設され、各学校のレベルも向上した。我校水泳部は、市中以来の伝統をもとに、全道制覇をめざして練習に励んでいる。
 ●平成13年
 私達水泳部は1年だけの2人です。学校にはブールがない為、毎日自分達の通っているスクールで練習しています。よくどんな活動をしているの?と聞かれますが、学校での活動はありません。今年は全道大会で決勝に残ったので、来年はインターハイ(全国大会)を目指してがんばりたいです。少ない人数なので、少しでも泳げる人、初心者でも泳いでみたい人はどんどん入ってほしいと思います。 部長
□ 陸上部
 陸上部は、昭和18年当時“競争部”と称してロードを走っていた。そのころの、第1グランドは、馬鈴薯畑で更に南側3分の2は足を踏み入れないほどの湿地だった。そこをなんとか、自分達で手直しをしつづけたが、やはり不十分で、本格的練習の為に柏野競技場(現・競輪場)へ出かけた。昭和21年に陸上競技部として発足。各種大会出場したが、人数不足の為、他の部から、足の早い選手を補充しそれで全国制覇をなしとげた。その年、初めて全道大会出場、ハードル・リレーで優勝。100m・400m・走り高跳で入賞した。それで自信をつけた翌年、部員も30名近くなり、地区大会優勝、全道大会2位などすばらしい成績で、新聞も“函市中強し”と載せた。昭和23年の第1回地区大会では1,600mのハプニング(*)で優勝をのがすが、翌年から男子4連勝、全道大会でも、第4回・5回と優勝した。昭和28年の第6回大会から、規則が変わり、一人3種までとなり、個人優勝は多数あるが、総合優勝は他校に譲っている。また全国大会でも、リレー入賞や、第5回大会、総合2位など多くの実績を残している。女子も昭和25年第3回全道大会に最初の入賞者を出して以来、地区大会で5連勝、全道大会で3連勝など多数の入賞を出している。また、駅伝は昭和22年に初出場で第3位、昭和24年の八雲―函館間駅伝に、第1回、2回と優勝している。この源は選手一人一人の強行スケジュールに耐えたファイトから生まれていたと思われる。輝かしい歴史を持つ陸上部の伝統は現在も変わることなく、近年も全道大会全国大会へと駒を進めている。
 *・・・市高(現東高)と道高(現中部)とが最後の1,600mリレーで総合優勝が決まるという大接戦であったが、市高の走者のフンドシがはずれた為、道高に破れてしまったというエピソード。
 管理人:「:昭和18年からは函館東高校の前身の函館市立中学で体育教師を務め、陸上競技部の部長として数多くの好選手を育成、全国大会に出場させるなど東高陸上部の黄金時代を築いた。そして45年に東高校から函館大学教授となった」という先生がいる。松川次郎先生だ。先生の文字をクリックして参照してください。

 ●平成16年
 陸上部は、男子5名、女子8名、マネジャー2名で活動しています。陸上競技はリレー競技を除き、すべてが個人種目であって、まさに「自分」との戦いです。ですから日々の弛み無い練習が物を言います。それらの苦痛を乗り越えてきた先輩達を目標に、日々の連勝を重ね、伝統を引き継ぎ、部員同士で切磋琢磨していきたいと思います。最後に、3年生のみなさん。本当にありがとうございました。 部長
 
 最近できた堂として「硬式庭球部」と「軟式野球部」があり、この二つには、新しい歴史をつくるべく、すばらしい活躍を期待しています。
 最近の資料にするための原稿が思うように集まらず、掲載できなかったクラブがあったこと、および、文章の一部を「30年史」より引用させていたたいたことを、おことわりします。

 管理人注:「ひんがし30号」に掲載された「クラブの歴史」を中心として掲載したが、昭和50年以降の記載はその年の「ひんがし」の部活紹介から抜粋した。
☆その他の運動部☆
□ 山岳部
 山岳部の発足は昭和25年、中心部員は通称“大エンゲン”延原昌樹”君、初代顧問は長谷川晶教諭であった。これからの10年間は黄金時代で、その活動は大学山岳部にも劣らぬものだった。「山岳部は他の運動部と比べ特異な性格を有している。高体連登山大会は昭和37年に、地区大会は40年に発足したが、東高が積極的に出場するようになったのは44年からであった」(30年史) 昭和31年には、大学パティーが未だに完全縦走に成功していなかった知床半島の南部連山の縦走を完成している。この時も毎日新聞社がスポンサーとなっている。そうした華々しい歴史をもつ部であるが、市立函館高になった平成20年には「山岳部員は文化系部活動掛け持ちや生徒会役員の兼業が多く高体連参加者は3名止まりとなりました」という。
 山岳部の歴史については、市立函館東高山岳部のホームページに詳しく掲載されている。活動記録
 まだ、昭和33年卒の野呂幸司・山岳部長が当時のことを当ホームページ「母校と同窓会と私」の中で語っている。
 ●平成16年
 現在山岳部は、部員不足で大会でもバーテイーが組めず、危機的な状態にあります。しかしながら今年も、道南の山々を中心に楽しく登ってきました。目が覚めるとテントが水溜りの中にあったり、デカイひょうが降ってきて痛い目に遭ったりと、色々事件はありましたが、今思うととっても面白いことばかりでした。こんな山岳部は老若男女問わず部員募集中です! 最後に川股先輩、色々ありがとうございました。

□ 平成17年度 チアリーディング部 
 
 私たちチア部は去年出来たばかりのおNEW☆な部です主に活動は壮行式や学校祭などでみんなの前でチアダンスやパトンを披露することや、野球応援の練習もやったりします。
 
 場所はギャラリーとか玄関など練習場所があればそこでといった感じです。
 3年生の先輩達から学んだことを生かして頑張っていきます。
 ☆が現時点の部員では活動すら危ういんです!!
 1年生・・2年生!!楽しい部なんで入部して下さい。
 ☆待ってまーす☆
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