スワローズ2001年以来10年ぶりの優勝に向けてひた走っている。
20年来のファンとしての私はわがことのように嬉しいのだが、セイバーメトリクスに興味のある者としてはいささか複雑な思いで見ている。
というのも、小川監督の野球は実に何とも「手堅い」からだ。先頭打者が出塁すれば1回から送りバント。走塁。守備。継投。まるで80年代のライオンズの野球だ。こういうのをもてはやす解説者が口にするのは気合と根性ばかり(選手は仕方ないにしても)。
『マネー・ボール』出版から7年を経ても、こういうのが「堅実で」「細かい」「優れた」野球だとされる価値観が鋼鉄の如く堅固に揺るがない日本野球に、なんか絶望的な気分になるのよ。返す返すも、古田プレーイングマネジャーが結果を出せなかったのは残念だった。仄聞する限り、古田が目指していたのがいわゆる新思考派野球だったのだろうと思うのだが。バレンタインやヒルマンではなく、日本球界を代表する頭脳である古田が新手法に成功すれば、影響は大きかったはずだ。
考えてみれば、ガイアツに弱い日本にあって、まるで外国人選手や指導者から影響を受けないプロ野球界とは、ある意味きわめて日本的でない不思議な世界である。
さらに絶望的なことに最近、小野俊哉『プロ野球解説者の嘘』(新潮新書、2011年)なる本を読んだ。
以下説明なしの引用は同書から。また、『マネー・ボール』ではビル・ジェイムスではなくジェイムズと表記しているのでそちらに従う。
『マネー・ボール』に書かれた(ビル・ジェイムスの)得点公式とは、誰も気付かなかった唯一無二の新発見でも何でもなく、誰にでも考案が可能な式のひとつでしかないのです。というより野球の本質を考えながら、パソコンで足し算、引き算をやれば「小野の得点公式」よりさらに精度の高い公式は、誰にでも、何十通りでも導くことが出来るでしょう。
ならばなぜ、小野本人が考案して発表しなかったのか。こういうのをコロンブスの卵という。こんなことは、『マネー・ボール』自身が書いている。
「ただなんといっても、ジェイムズの公式は細部の裏付けが甘い。ジェイムズはべつに科学者ぶりたかったわけではなく、ほかの知識人に叩き台を提供したのだった。数値処理にもっと詳しい者であれば、現実に即したさらにいい公式をたちまちつくれておかしくない。ジェイムズの功績は2つある。第一に、検証可能な公式を提示したこと。第二に、興味深い仮説によって、おおぜいの知性を刺激し、議論の輪を広げたことだ。」『マネー・ボール』106頁。
その後、ジェイムズの提案した叩き台を元に多くの先人が研究を重ね、現在理論得点XR値を示す式は以下のようになっている(田端至『ワニとライオンの野球理論』(東邦出版、2006年)181頁)。
理論得点XR=0.5×単打+0.72×2塁打+1.04×3塁打+1.44×本塁打+0.34×(四球+死球-故意四球)+0.25×故意四球+0.18×盗塁-0.32×盗塁死-0.09×(打数-安打-三振)-0.098×三振-0.37×併殺打+0.37×犠飛+0.04×犠打
ついでに言えば、ジェイムズが得点公式を考案したのは1977年。もちろんまだパソコンなど存在しなかった。
小野はプロ野球の実績を調べると、犠打をした方が得点が入ることが多いと主張してこう書く。
『マネー・ボール』は、犠打の「量」と「質」を、意図的にか無意識にか、区別していません。もしビリー・ビーンGMが、質の点においてもあらゆる犠打が無駄だと考えているとするなら、野球を知らない田舎モノと笑われるだけのこと、と判明するのです。
小野は意識的にか無意識的にか、得点期待値を無視して結果として得点の入ったイニング数だけを議論している。小野が調べた「犠打をしなかった状況」とは、次打者が投手などで犠打をしても無駄な場合が多いのではないか?であれば、最初から得点可能性が低いにちがいない。
なにより、「ビル・ジェイムスという男」などという過度に侮蔑的な物言いは、小野の声望を貶めこそすれ高めることは決してあるまい。おまけに、生き馬の目を抜くメジャーリーグで14年もGMを勤める人に対してよくもまあ。ビリー・ビーンの功績は、現在GMが備えるべき必須要件のひとつにセイバーメトリクスの素養があることから明らかだろう。
http://blog.livedoor.jp/goredsox-baseballnumbers/archives/50656537.html
近年アスレチックスは低迷しているが、ビーンのチーム戦略を各チームが倣う(例えばレッドソックス。テオ・エプスタインGMがビル・ジェイムズ本人をアドバイザーに起用)ようになったため、思うように選手が集められなくなったのではないかと思われる。
打率が2~3%、すなわち2分あるいは3分違うだけでも、たいへんな実力差
そうか?打率は打者の能力を正確に示す指標ではないし、3割以上は一流という通念だって、確たる根拠があるわけではない。
「3割の打者と2割7分5厘の打者を、目で見るだけで区別することは絶対にできない。なにしろ、2週間にヒット1本の差しかない。シーズンを通じてそのチームの全試合を見ているスポーツ記者なら、ひょっとすると何か違いを感じとれるかもしれないが、おそらく不可能だろう。10試合に1試合見る程度の平均的な野球ファンは、むろん、そんな微妙な差を見きわめられるはずがない。事実、もし年間15試合観戦するとすれば、目の前でたまたま2割7分5厘の打者が3割打者より多くヒットを打つ確率が40パーセントもある。要するに、すぐれた打者と平均的な打者の違いは、目には見えない。違いはデータのなかだけにある。」 『マネー・ボール』97-98頁。
小野は犠打の効用としてこんな例を出すのだが、
(2010年ワールド・シリーズの)最終戦の第5戦0対0、ジャイアンツ攻撃の7回。無死1、2塁で6番に打席が回るとハフが犠打。1死2、3塁の形を作り、ここで8番レンテリアが先制3ランの決勝打を放っていました。
それ、犠打無意味じゃん?3塁に走者がいると落ちる系の球を投げにくいから狙い球をしぼりやすいのだ、という程度の理屈は私でも思いつくが、因果関係を証明できないものは科学ではない。
「犠打をするのとしないのと、どちらが得点出来るか」という問いは、そのチームの次打者の攻撃力、走者の機動力に依存する話であって、実は最初から普遍的答えなどない質問なのです。そのシーズンのチーム事情が表れるに過ぎません。
それこそ、今さら鬼の首を取ったように言うことでも何でもない。犠打に関する議論は、統計的にはとっくに結論が出ている。「無死1塁が1死2塁になると、得点期待値が下がる。得点可能性はほとんど変わらない」がそれだ。
http://www.h4.dion.ne.jp/~p-taka/gijyutu/tokubetsu8.htm
http://www.baseball-lab.jp/column_detail/blog_id=7&id=146
バントすると「一般的に」得点期待値が下がるのはもはや常識であり、「ではどんな状況ならバントする価値があるか」に議論の焦点が移っているのである。
http://blog.livedoor.jp/goredsox-baseballnumbers/archives/50322248.html#
日本にもちゃんと学術研究している人がいる。
及川研・佐藤精一「送りバントをした場合としない場合の得点期待値の差異について : 日本のプロ野球公式戦を対象として」『東京学芸大学紀要』(2006年10月)
残念ながら本文はweb上では読めないが、国会図書館にあるので興味のある人は読んでみよう。
以下は、李啓充のコラムからの引用。
http://blog.livedoor.jp/goredsox-baseballnumbers/search?q=%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%82%8C
そもそも、ビル・ジェームズが「汝、バントするなかれ」とご託宣を下した根拠は得点期待値のデータ(=平均値)にあった。換言すると、彼のご託宣は「すべてをひっくるめれば正しい」という限定条件付きで扱わなければならないのであり、野球という複雑なゲームで起こり得る千差万別の状況すべてに無差別に適応しうる原則と考えてはならないのである。
これは、統計学という学問全般に言えることだ。統計は決して未来予知ではない。
バントにまつわる議論をみていると、私はいつもタバコに関する言説を連想する。タバコの健康被害は、もはや誰にも否定できない科学的事実だ。しかしスモーカーどもは、たった一言でこの事実を無意味にする。
「喫煙者だって長生きする奴はいるじゃないか」。
これがそのマジックワード。奴らは、統計的に証明された事実という概念を決して理解しない。以前、オペレーションズ・リサーチとカミカゼ特攻隊という記事を書いたが、統計という総論と事例という各論の絶対にかみ合わない議論を見ていると、日米の間には、大げさに言えば「形而上学に対する絶対的な姿勢の違い」-「形而上的なものを形而下的に理解しようとする欲求の強さの差」とでも言うか-があるように思えてならない。
犠打に関する議論以外にも、本書には首をかしげたくなる記述が多い。
小野は野球のテレビ中継がつまらないと言って、こんな提案をする。
(ファンは)監督が抗議に走ったクロスプレーが本当はアウトだったのか、セーフだったのかを知りたいと思っているでしょう。それらを例えばデジタル高速度カメラで撮って、プレーをなめらかにコマ再生で見せたなら、ファンはプロの凄さに驚嘆もし納得もするのです。カメラ機材は昔に比べて、はるかに廉価になっているのに、プロの試合をプロらしく見せる工夫が十分に働いていないのですから、視聴率低下は、身から出た錆なのです。
それで誤審だったらどうするんだろう。だいたい、今でもそんな中継いくらでもやっている。そして解説者が決まり文句を言うのだ。「明らかに誤審ですね。選手は命がけでプレーしてるのだから、しっかり見てくれなければ困ります」と。結果、ますます審判の権威は低下し、試合は荒れることになる。
2005年に大ブレークしたのが藤川球児でした。稲尾和久を抜く新記録の80試合に登板。しかも防御率1.36は新記録にふさわしく、稲尾が78試合に登板したときの1.69を上回ったことは往年のファンにも高く評価されました。
これ以前の1999年に広島の菊地原が、稲尾の78試合登板に並んでいる。記録達成直前、「記録の神様」こと宇佐美哲也は、山本浩二監督に手紙を書いた。
「稲尾投手の記録は、世界に誇る内容を持ったものです。どこをどう比べても、菊地原投手の記録とは段違いなものです。記録の価値を分かっているものには、稲尾の記録は日本野球の宝として、絶対に守っていきたいものです。
稲尾は投球回が、先発が30試合、救援48試合で404回(菊地原は46回2/3)、勝利数は42勝(2勝)、防御率が1.69(5.01)、リリーフ時の点差を見ても、稲尾が48試合中42試合までが同点または勝ち試合の登板なのに、菊地原は69試合中それが34試合しかありません。投球回に至っては、菊地原は状況を悪くしただけで登板数の価値のない0回というのが両リーグ一多い11回もあります。
こんな内容で果たして新記録といえるでしょうか。こんな記録を持っていても誉められるばかりか、けなされるのが落ちでしょう。本人も堂々胸を張れる記録かどうか、確かめる必要があると思います」宇佐美哲也『上原の悔し涙に何を見た』(文春文庫PLUS、2002年)179-180頁。
菊地原はそれでも起用され続け、4点ビハインドの場面で登板してダメ押し2点タイムリーを浴びるという形で「日本タイ記録」を達成した。
藤川はすべて救援で92イニング。1セーブ46ホールド、奪三振139、WHIP0.83という驚異的な成績だから菊地原と違うのは明白だが、かといって稲尾を知る往年のファンが、手放しで誉めているとも考えにくい。
ところで、公開目前の映画版『マネー・ボール』は、IMDbのレビューを見る限り、かなり原作に忠実な仕上がりのようだ。ブラピが主演というので、カリスマGMがオチこぼれ選手を集め一念発起して奇跡の逆転!的『がんばれ!ベアーズ』みたいな映画になってるんじゃないかと心配だったのだが。注目は4700万ドルという予算。1億ドルを超える超大作も珍しくない昨今、ハリウッド映画としては中の下というところだろう。ブラピ一人のギャラもまかなえないんじゃないか?可能性は2つある。ひとつは、大半がブラピのギャラで他にはろくに金を掛けていない。ふたつめは、ブラピが少ないギャラでも出てみたいと思わせるだけの何かがあった。後者であると思いたい。脚本に『ソーシャル・ネットワーク』のアーロン・ソーキンが参加しているのも安心材料。どうでもいいが、IMDbの『ソーシャル・ネットワーク』って、なんでローマ字でSôsharu nettowâkuって表記してるの?
10月5日追記
映画『マネー・ボール』はブラッド・ピット自身がプロデュースしてるんだそうです。どうりで。
ただ、IMDbを見るとプロデューサーの肩書きが付く人が8人もいてなかなか異様。
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