麻雀を知らない人でも面白いと聞いたので、「咲-Saki-」1話を試しに観てみた。
・・・・・・まあ確かに面白かったけど、この面白さは何故かと言いますと。
「自他共に認めるサラブレッド」対「在野の天才・自覚なし」という王道パターンに、「同じゲームを違うルールでやってる」というズレを持ち込んだことだと思うのですよ。
つまり「勝つ麻雀」と「プラマイゼロの麻雀」と。
まるで噛み合っていなくて、なおかつ観客には優劣が判ってしまう。
だけど、これどうやって話を続けるんだ?
だって勝負しようと思ったら、どちらかのルールに合わせるしかないわけでしょ。
どちらかのルールに合わせたら、「ただの」バトルものになってしまう。
案の定、2話はさっそくそんな感じだった。ちなみに原作は未読。
ところで、「同じゲームを違うルールでプレーするアスリート」が、1人実在する。いや、実在したと言うべきか。
広島カープの前田智徳である。
落合が、「才能だけならイチローより上」と評した天才打者。
彼のエピソードに、こんなのがある。
インタビュアーに「今までで一番記憶に残っている打球は?」と聞かれて、腕組みをしてしばらく考え込んだ後、「ファウルならあります」と答えたのである。
前田は、打球がフェアかファウルかに興味がない。
ただ、投手の投げる最高の球を完璧にとらえて理想の打球を打ち返すことだけに情熱を燃やす。
試合の勝敗どころか、野球というゲームにすら興味がないのだ。
『−野球というスポーツをどういうものだと考えているの?
「バッティングは好きですけれど、野球そのものは嫌いです。そもそもぼく自身は守ることも走ることもあまり好きではないですから」
−そうすると、団体競技そのものが性に合わない、ということ?
「ええ、好きじゃないです。そういう意味では、あくまでも個人プレーのゴルフが好きです。正直言って道を間違えたといまでも思っています。でも、ぼくの子供のころは近所にゴルフをやれるところなんてなかったですから。もしもう一度子供のときからやり直すことができたら、ぼくは迷わずゴルフをやっていたと思います」』
野球は、ほかのどんな球技とも似ていない。その1つの表れが、団体競技でありながら投手と打者の1対1の対決の要素が極めて強いという点だ。だから、野球にはやたらと個人記録が多い。
プロ入り5年目の95年、前田は1塁に走り込んだ時に右足アキレス腱を断裂する。その音は、当時ショートを守っていた池山にも聞こえたという伝説がある。
1年間をリハビリに費やし、96年には見事復活したものの、本人は「前田智徳というバッターはもう死にました」とまで言う。
それでも前田はプレーを続けている。近年は代打が多いが、打席に立った時の声援、そしてその存在感は何ら衰えを見せない。
こういう選手を見続けられるのもファンの幸福の一つであり、こういうプレースタイルが許容されるのが野球というスポーツの魅力なのだろう。
前田の発言は二宮清純「最強のプロ野球論」(講談社現代新書)、また引用は同「プロ野球『人生の選択』」(廣済堂出版)から。
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