更新履歴と周辺雑記

更新履歴を兼ねて、日記付け。完結していない作品については、ここに書いていきます。

2008年5月29日(木)
人形アニメの現在

NHK−BSで、「マダム・トゥトリ・プトリ」「ピーターと狼」を観た。
http://www.nhk.or.jp/omoban/k/0514_8.html

いずれも、アカデミー賞短編アニメーション部門にノミネートされた人形アニメで、後者が見事受賞した。作品もだが、メイキングが非常に面白かった。
「マダム・トゥトリ・プトリ」は、夜行列車の一夜をサスペンスタッチで描いた不思議な味わいの作品。
面白いのは、主人公の女性(もちろん人形)を造るのに、オーディションを開いてモデルを募ったというエピソード。アニメのキャラデザインでも実在の人物をモデルにすることはよくあると聞くが、自分のイメージを実現するのにモノホンを探し出すというのは、ひどく欲望が転倒しているというか執念を感じるというか。

追記:人形アニメといいながら、キャラクターの「眼」は実写映像を合成したものなんだって。


「ピーターと狼」は有名な童話から。
正直、作品としては良くできてるなあ、という以上のものではないのだが、近年の人形アニメがいかに作られているかを見て仰天した。

まず絵コンテを切ったら、次に3DCGのフレームワークを作って、構図とカメラワークをチェックする。


これは日本のアニメでもやることがあるから、まあ分かる。

たまげたのはこのセットの規模だ。









ピンボケで申し訳ないが、人物と比較して巨大さが分かるだろうか。
人形アニメと聞いて連想するのは、個人作家が締め切りの6畳間に引きこもって作業している姿だが、それとあまりに違いすぎる。
確かにモーションコントロールカメラを入れたりするんだからスペースは必要だろうが、これはもはや人形アニメなんかではなく怪獣映画の規模である。

さらに、完成画面の90パーセントは何らかのデジタルエフェクトがかけてあるそうだ。
以前「ストリングス」のラストシーンをどうやって撮ったのか疑問を呈したのだが、あれも釣り線を後から消してあるんだろう。
よくマスコミが口にする「手作りの味わい」などという言葉が、いかに実態とかけ離れているか、よく分かった。


おまけ。
作業中の美術スタッフ。
ガスマスクして仕事してるんですけど・・・・・・。そんなに危険なのか、人形アニメって。



2008年5月27日(火)
自制するアメリカ

前回の続き。

原爆により10数万人を殺害した重さを背負い続けた人物。
それは誰あろう、原爆投下を命じた時の合衆国大統領H・トルーマンその人である。


しばらく前に、「自制するアメリカ −トルーマン政権の戦後核政策−」(有江浩一、「国際安全保障」Vol.33 No.2 2005.9所収)なる論文を読んだ。れっきとした学術論文なのであまり一般の目には触れていないのだが、「冷戦を通じて、全面核戦争はなぜ起きなかったのか」を論じた、面白い論文である。
米ソの核戦力が拮抗してからはいざ知らず、米国のみが核を保有していたベルリン封鎖や朝鮮戦争の時においても、米国は核兵器を使用することはなかった。
これはなぜか?
国際情勢や世論など理由はいろいろあるが、この論文が極めて大きな要因として指摘しているのは、トルーマン大統領自身が、核兵器のあまりに巨大な破壊力を恐怖し嫌悪していた、という事実である。
以下は、前記論文からの抜粋。

『長崎に原爆を投下した翌日の8月10日、トルーマンは原爆攻撃の中止を命じた。「さらに10万人もの人々を殺すような考えは恐ろしすぎる。私は子供たちを皆殺しにするような考えを好まない」』

『スミス(Harold Smith)予算局長によれば、10月5日、東欧でのソ連の振る舞いにやきもきする大統領を「あなたには原爆という切り札がある」と彼が励ましたところ、トルーマンは憂鬱そうに答えたという。「うむ。だが私には、それを使えるという確信がもてないのだ」』

『リリエンソール(引用者注:原子力委員会委員長)の日記によれば、ベルリン封鎖の最中に、核兵器の管理を軍に移転するよう求められたトルーマンは、居並ぶ軍指導者にこう言い切っている。
 あの代物(原爆−筆者注)は、絶体絶命そうしなければならないという時以外は、使用すべきとは思わん。あんな恐ろしい・・・今まで我々が経験したこともない凄まじい破壊力を持った「あれ」を使えと命令するのは耐えられないことだ。君たち、あれは戦いに使う兵器ではないのだ。このことをよく頭にたたき込んでおきたまえ。あれは婦人や子供、武器を持たぬ人々を皆殺しにするために使うものだ。戦いに使うものではないのだ。だから、あれは小銃や大砲みたいな今までの兵器とは違った扱いをしなければならんのだ。』

『トルーマンたち政策決定者は、核使用を選択肢として考えることはあっても、核兵器に対する言いようのない恐怖のために、それを実行に移すことができなかったのである。』

『軍記念日の晩餐会で、トルーマンは居並ぶ軍人たちを前に、「あの恐ろしい爆弾」の使用を決定しなければならない「君たちの大統領が負う責任がどんなものか、よく考えてみたまえ」と声を震わせながら訓示している。』

『彼は、1953年1月に大統領職を辞す際の一般教書演説で、7年間の苦悩の中で学んだことを総括するかのように、こう語っている。
 将来の戦争は、一撃で数百万の命を奪い、世界の大都市を破壊し、文化遺産を吹き飛ばし、何百世代にもわたって営々ときずきあげられてきた文明の構造そのものを破壊するものとなるだろう。このような戦争は、理性ある人間のとりうる政策ではない。』

トルーマン大統領は、公式には「原爆は戦争終結を速め、大勢の命を救った」という見解をとっている。そうとでも思わなければ、到底耐えられなかったのだろう。
距離と、機械の介在が、殺人の罪悪感を薄めるという事実を思い起こして欲しい。
自ら手を下した訳でも、現場を見た訳でもない最高指揮官が、これだけの自省をしていた。

私は、何か救われた気になる。
人類史上最高の権力者の心にこれだけの衝撃を与えたのだから、失われた10数万人の命は、決して無駄ではなかったと思えるのだ。

2008年5月25日(日)
夕凪の街 桜の国」など

各所で絶賛された標題書を読んだ。

被爆から何年も経って原爆症で命を落とす主人公は、死の際でこんなことを思う。
『「嬉しい?」
「十年経ったけど
原爆を落とした人はわたしを見て
「やった!またひとり殺せた」
とちゃんと思うてくれとる?」』



残念ながら、思っていない。

偶然なのだが、同時期に「戦争における『人殺し』の心理学」(デーブ・グロスマン著)という本を読んだ。

軍事社会学(あるのだ、そういう学問が)において、「兵士はなぜ戦うのか」は主要な研究テーマの一つである。本書は、その研究成果をまとめたものだ。

本来人間は、同じ人間を殺すことに強烈な抵抗感を覚える。それは戦争という極限状態においても例外ではない。
それが明確に認識されたのは、第二次世界大戦中、米陸軍が兵士から聴き取り調査をしたところ、実際に敵兵に向けて発砲している兵士は全体の10〜20%しかいなかった、ということが判明したときである。
本書では、こんなエピソードも紹介されている。
南北戦争の激戦地ゲティスバーグからは、戦後27,575丁の銃が回収された。そのうち90%近い24,000丁には弾丸が装填されたままで、うち12,000丁には複数の弾丸が装填されていた。うち6,000丁は3〜10発もの弾丸が詰め込まれていた。何と23発も装填された銃もあったという。
なぜこんな現象が起きるかというと、この当時の戦争は横一列に並んで一斉に発砲する。撃たないと仲間にばれてしまう。そこで、撃ったふりをして、次の弾丸を上から装填してしまうのである。
実際に敵軍から撃たれているような状況でも、殺人への抵抗感はかくも強い。

しかし、人殺しがより容易になる条件がある。
一つは、被害者との距離。
もう一つは、機械の介在である。
以下括弧内は、前掲書から。

「殺人の恍惚に酔いしれているなら別だが、少し距離をおくほうが破壊は簡単になる。一フィート離れるごとに現実感は薄れていく。距離が膨大になると想像力は弱まり、ついにはまったく消え失せる。というわけで、最近の戦争では目をおおう残酷行為の大半は遠くの兵士が行っている。自分の使っている強力な武器がどんな惨事を引き起こしているか、彼らには想像することができなかったのだ。」

「多くのパイロットや砲手は、怯えた非戦闘員を無数に殺してきたにもかかわらず、後悔や反省が必要とはまったく感じていなかった。」(グレン・グレイ「兵士たち」)

そして、
「広島や長崎に原子爆弾を投下した兵士のケースでさえ、有名な神話に反して、精神疾患の発生例はまったくない。歴史文献からわかるのはこういうことだ。エノラ・ゲイのために気象偵察を行った航空機のパイロットは、爆弾投下以前から何度も規律違反や犯罪を犯していた。彼は軍を離れてからもくりかえし問題を起こしつづけ、原爆投下に関わった兵士たちに自殺者や精神異常者が続出したという有名な神話は、このただひとりのパイロットの行動がもとになって生まれたにすぎないのである。」

スタンリー・キューブリックのあの映画を思い出す。いや「フルメタル・ジャケット」ではない。
「2001年宇宙の旅」である。
モノリスに触れて知恵を得たサルは、道具を使って同族を殺す。サルが空中高く投げ上げた骨が、宇宙船に変わる。数百万年の歴史を一気に飛び越える名場面として名高いシーンだ。
この「宇宙船」というのは、実は核ミサイルを搭載した攻撃衛星なのだそうである。
このシーンは、武器を手にして戦い続けてきた人類の歴史をなぞったものなのだが、それだけではない。
「より簡単に同胞を殺せるようになった心の在りよう」を描写したものでもあったのである。

広島・長崎で、まったく無感情に、後悔も自省もなく、彼らは10数万人の人間を殺害した。
だが、実は本題はここからなのだが、合衆国においてただ1人、その重みを担い続けた人物がいる。
以下次回。

2008年5月19日(月)
「ぼくたちのアニメ史」 その4

引用しまくってきたが、今回で終わり。

『「サイボーグ009」の長編はBクラス第一号として製作された。緊縮予算だったから尺も短いし、人件費削減の目的でトレースにはじめてゼロックスが採用されている。

なるほど、トレスマシン導入は予算節減のためだったのですか。


「サザエさん」篇。

『「四コママンガをアニメにするのに、なぜ脚本が必要なんですか」という質問はしばしばだった。そこで番組のごく初期に試してみた。放映時間七分を四コマだけでつないでいったら、なん本はいるかという実験だ。結果は七分で三〇本を消化した。ひと月かかって描かれた原作を、テレビはたった七分で使い切ってしまうのだ。テレビという怪物の凄まじい巨大な胃の腑。長谷川町子三ヶ月の苦心の結晶が、三〇分で消えてなくなる。2章でも書いたことだが、テレビアニメと他の媒体のアニメとは、情報量の圧倒的な格差によって峻別されるのだ。この点だけは、ぜひ覚えておいてほしい。』

『「景気がわるい」「家計がきびしい」なぞという身につまされる会話は磯野家に存在しない。もとより流行語は完璧にシャットアウトだ。おかげで「サザエさん」はいつでも再放送に耐えるし、十年一日のごとくフジテレビ日曜の夜に君臨している。瞬間風速を誇る流行作品から見れば、ダサいマンネリズムの世界かもしれず、「ガンダム」世代の人は無関心だろうが、それでもなおこれは“テレビ”アニメのみごとなサンプルである。(中略)
そういえばテレビが始まったころ、クイズショーの司会者が、「町でふしぎそうな顔で、俺に挨拶する人がいるんだよ。テレビで観たと思わずに、隣近所の住人とカン違いして頭を下げたらしい」と苦笑していたが、テレビ受像機というハコ(近頃はイタだが)は“見慣れた顔=知人“の錯覚を大量に創り出す。豪華な幕で仕切られた舞台上のスクリーンと違って、テレビはおそろしく卑近な日常性をふりまくメディアなのだ。絵に描かれたアニメが現実のはずはなく、パソコンも電子レンジも見当たらぬ異次元ニッポンなのに、毎度決まった時間にお目にかかる「サザエさん」がご町内のおばさまたちを虜に出来るのは、そんなテレビの属性が根底にあるからだ。非日常を日常世界に引き寄せる効用。
非日常のSFアニメに日常世界の若者がやすやすとハマる現象も、おなじ目線で語り得るだろう。四〇年、五〇年と人生を営んできた大人たちは、生活の手垢にまみれて大脳皮質が硬化している。したがって疑似日常アニメ「サザエさん」には抵抗がなくても、突出した「エヴァンゲリオン」の世界観にはついてこられないというのが普通の解釈だろうが、年を食ってもアニメに接しつづけたぼくから見れば、どの世代も大差なさそうだといいたくなるのだ。
あとなん年かして、生まれてこの方アニメに接していた人たちが社会のリーダー役になるとき、前の世代まで越えられなかった壁が、実はごく低かったと気づくのではないか・・・・・・ときどきそんな楽天的な考えにとりつかれることがある。』

「サザエさん」のマンネリ故の不変(普遍)性については、以前にもここに書いたことがある
松任谷由実は、「トレンドの女王」と呼ばれるのを嫌うそうだ。本人の弁によると、「自分の曲の歌詞に、流行りものを採り入れたことはない」とか。だからこそ、時代を超えるのだ。


『ぼくは爺さんでも、レイに萌えた。現在使用中のマウスパッドは綾波レイだ、文句あるか。』

ありませんッ!
繰り返すが、御年76歳。こういう年のとり方も良いもんだ。

2008年5月19日(月)
「ぼくたちのアニメ史」 その3

アニメと一般社会篇。

『大人が仕切るジャーナリズムは、アニメことにテレビアニメを評価の対象としたとき、往々にして致命的なズレをきたすことがある。
ぼくが経験した乖離の例をあげてみよう。
紀伊國屋書店のホールで、「ある街角の物語」を上映した。まだメジャーな書店はマンガ本なんて決して並べなかった時代だ。ぼくは「ある街角の物語」は何度も観ているので、フィルムのかけ間違いにすぐ気がついた。いそいで上映をやりなおすかと思ったが、そんな様子もなくどしどし時間が経過してゆく。当然だが客にとってはちんぷんかんの何分かがすぎ、たまり兼ねたぼくは映写室へ文句をつけにいった。もう一度びっくりしたのは、そこに居合わせた人たちの誰もがミスに気づかなかったことだ。しょせんアニメだから・・・・・・・と、その程度の認識であったらしい。今もその場の大人たちのキョトンとした表情が、目に浮かぶ。
大新聞が、永島慎二と水島新司の経歴を取り違えて掲載したこともあれば、安保騒動のとき、東大生の部屋に「マーガレット」があると、驚愕して書いた新聞もあった。今ごろなぜ驚くのかと、その記事の存在自体に驚いたが。NHK時代の仕事仲間だった男に、「マンガやってるんだって?あははは」と憫笑されたときは、自分の仕事にプライドを持っていたから、悔しくもなんともなかったけれど・・・・・・でもこうしてしつこく覚えているのだから、やはり一種のトラウマになったのかもしれない。
アニメに関する世代間の認識のズレは、昔ほど顕在していなくても、相変わらず社会の伏流水としてある、という一点は、本書が「ぼくたちのアニメ史」である以上、繰り返し注意しておきたい。』


『「カリ城」の怒濤のようなアクション描写が、そのときのショック(引用者注:「未来少年コナン」を初めて観たとき)を思い出させてくれた。動く、動く、走る、走る、飛ぶ!最後に城の秘密が明かされた壮麗な画面に至るまで、ぼくは悔しいほど興奮した。これはエンタテインメントとしてのアニメの最高峰だと思った。
にもかかわらず、封切り前日に藤岡(豊。東京ムービー創業者)はぼくにグチった。
「こんなに面白いのにコケるよ・・・・・・残念ながら」
映画会社の無理解ぶりが、骨身に沁みた一言であったと思う。アニメをお子さまランチとしてしか扱わない、宣伝ぶりにも失望していたのだろう。予言通り「カリ城」はヒットせず、世評はこの傑作アニメを無視した。伝説的作品となった現状しか知らないあなた、クラリスフリークのあなたにも、ぜひ覚えておいてほしい。ローマは一日にして成らなかったことを。』


アニメ振興が国策になってるらしい現在だからこそ、冷静に覚えておくべき過去の事実。むしろ、生半可に認知が進んだ分タチが悪いようにさえ思う。

2008年5月16日(金)
「ぼくたちのアニメ史」 その2

昨日の続き。「巨人の星」篇。

『劇画初のアニメ化となった「巨人の星」でも、作画は苦心を強いられた。感涙滂沱の場面の多い原作である、涙をどう描くかでスタッフはまず困惑した。それまでのアニメの泣きといえば、涙が噴水のように吹き上がる−という描写が定石だった。それでは「巨人の星」がギャグマンガになるので、涙を頬に滴らせた。滝みたいに見える、というクレームもあったが、とにかくそれで通している。初物というのは大変なのだ。実写と違うアニメならではのリアリティを、いちいち創作してゆかねばならない。

しかもそれが、今では一回りしてギャグになっちゃってるんですから。リアリティの基準も、世に連れて変わる。創作者は常にパイオニア。また、そうあるべきなのだろう。

『今となってはお笑い草だろうが、梶原一騎の原作による試合では、飛雄馬が投げ、花形が打つ、たったそれだけの場面で、両者の心の声がえんえんと繰り出される。投手と打者の心理戦として、従来の野球マンガにないサスペンスを醸成したのは確かだけれど、印刷マンガとアニメは時間操作の点で根本的な差異がある。心の声がどれほど長かろうと、コマを見つめる読者の主観では物理的時間は経過しない。だがアニメはそうはゆかない。飛雄馬がモノローグ(独白)を発するには、それなりの時間が必要だ。飛ぶボールの滞空時間内で長丁場の心の声を処理すれば、視聴者はマウンドからバッターボックスまで、一キロにあまる距離を感覚するのではあるまいか?
結論はあなたのほうがよくご存じだろう。実際に、そんな誤認を生むことはなかった。飛雄馬の目にも止まらぬ剛速球は、伴捕手のミットに音高く吸い込まれたのだ。
“現実”に“ドラマ”が上書きされ再構成された、その場限りの“時間”の観念を、視聴者は認識する。理屈っぽくいえばそうなるし、映像作りの直感としてもそれが正しいのだが、はじめて試みるわれわれとしては、脳内のシミュレートだけでは自信がなかった。実際にやってみて、はじめて(なーんだ、そんなことだったのかあ、バッカみたい)と胸を撫でおろすことができたのである。

マンガとアニメの表現上の根本的な差異というのは、作り手は最初から自覚していたわけだ。(当たり前か。)その割に、マンガ原作のアニメが「観られる」ようになったのはごく最近のことのような気がするのは、なぜだろう。確かとり・みきが、アニメ版の「鉄腕アトム」はマンガの「まがい物」「劣化コピー」という認識だった、と言っていたような気がする。私の主観でも、90年代に入る頃まで、マンガからの移し替えに成功した作品って、あまり思いつかないのだ。
つまり差異を認識しているだけではダメで、マンガからアニメへ「翻訳」する上での技術的ブレイクスルーが何かしらあったんじゃないかと思うのだが、検証する気力も能力もなし、とりあえずここまで。


『「巨人の星」第一話で、空爆に遭遇した川上哲治の逃げる場面がある。走る川上はむろんアニメだが、米軍の重爆撃機は実写のフィルムだった。原作にない星一徹の応召シーンでは、巨人の正選手に決まって喜ぶ一徹の目の前に突き出される、赤紙(軍の召集令状のことだ。一銭五厘のハガキの裏が真っ赤だったので、通称を赤紙と呼んだ)の大写しが、やはり実写だった。本物の赤紙を見つけようと、東京ムービーのスタッフが町内の銭湯に張り紙してまで、探したのだ。』

これ、以前に「幻視球」さんが紹介していたシーンですね。
http://幻視球.net/2006/11/negima5.php


2008年5月15日(木)
「ぼくたちのアニメ史」

日本アニメ草創期以来の超ベテラン脚本家、辻真先の自伝的アニメ史。

私はなぜか、脚本家の書く文章があまり好きではない。
WEBアニメスタイルで連載しているコラムも、貴重な証言のはずなのになぜだか面白くなくて、読むのをやめてしまった。だがこの本は、読みやすい上に抜群に面白い。辻が小説家でもあることが大きいのではないか。うまく言えないが、「人に読ませる文章」と「映像の元になる(ためだけの)文章」では、要求されるものが違うんだろうな、という気がする。

そんな訳で、引用しまくってしまいます。例によって、太字部分は引用者による。

『「エノケン・ロッパの新馬鹿時代」という喜劇があった。当時のコメディの大スターふたりを並べた、東宝の超特作だ。黒澤明の師匠にあたる山本嘉次郎の監督で、後に黒澤たちと「生きる」「七人の侍」を書いた小国英雄が脚本を担当した。なんだってそんな古い映画を持ち出したかといえば、実はこの映画のタイトルバックがすべてアニメーションだったからだ。冒頭の東宝マークがアドバルーンの絵にダブると、カメラが移動して日本劇場(今はマリオンになっている)全景のマンガとなる。正面の絵看板に描かれた似顔絵のエノケンとロッパが音楽に合わせて動きだし、数寄屋橋の町へ飛び出してゆく。闇屋を演ずるエノケンを、お巡り役のロッパが追いかける。塀のむこうを追いつ追われつするとその塀に、満員電車に飛び込めば電車の横腹に、スタッフキャストのタイトルが書いてある−という調子(「かみちゅ!」のプロモート版が似た趣向を凝らしている)で、これがぼくの戦後はじめて観たアニメだった。』

これは、さすがに「劇場アニメ70年史」にも載っていない。今 敏映画もタイトルバックには凝っているが、御年76歳で「かみちゅ!」が出てくるってのがもう凄すぎ。


『テレビはまだ聴視者ラジオのほうが偉かったので、視聴者というと叱られた)の数も少なく、「電気紙芝居」と呼ばれて世間の笑いものだったが、いつかきっと映画を凌いで娯楽の王座につくだろう。そんな気がしていたので、やめるつもりは全然なかった。』

ラジオの方が偉かった時代というのが私には既に想像つかないが、「聴視者」というのは知らなかった。でもATOKで一発変換できるくらいだから、メジャーな単語ではあるのだろうな。


『「アタックNo.1」はスポ根ものであっても、基底はやはり少女マンガだから、その呼吸を外すまいと考えた。脚本はさしたる苦労もなかったけれど、作画家たちは女の子の大きな瞳に手を焼いたらしい。
パッチリ開けたつぶらな目には、星がいくつも燦いている。
「顔の半分が目じゃないか」
「せめてもう少し星を減らせないかね」
アニメに登場する鮎原こずえの瞳の星数は、原作より少ないそうだが、僕も照合して数えたわけではない、本気にしないでほしい。あまり目が大きいので、まばたきするとき効果音を入れてはどうか、という意見もあったが、これは無視された。』

今やニッポンアニメの最大の特徴である大きな瞳も、最初は当のアニメ屋さんにとってもこんなだった、と。夏目房之介が、手塚治虫のマンガ表現への大きな貢献の一つが、「それまでただの黒丸だったキャラクターの目に瞳を入れることで、キャラクターの内面表現の道を開いたこと」だと指摘していたと思うが、アニメのキャラ表現はさらに少女マンガを経由したということか。少女マンガの影響と功績、というのはまだあまり研究されていないんじゃなかろうか。


まだまだあるが、とりあえず本日はここまで。

2008年5月12日(月)
図解メイド

本日小ネタ。

本屋の店頭で見つけたもの。「図解メイド」(いや買ってませんよ?)。



まあメイドさんの図解を必要とする職業やら趣味人やらがいるというのは、解らなくもない。
しかしこのシリーズのラインナップは、一体何事であるか。

http://w3.shinkigensha.co.jp/books/F-Files.html

メイドさんというのは、断じて吸血鬼だのクトゥルフ神話だの戦車だのハンドウェポンだのUFOだの近接武器だの第三帝国だのと同列に並べられるものではないと思うのですが。

どうなのですか、森薫先生。

2008年5月2日(金)
2周年記念

サイト開設から2年経ちました。お付き合い頂きました皆さま、ありがとうございます。
その2年間で2度も引っ越しするとは思わなかったが。

さて、年明けてからこっちほとんど「Fate」漬けの毎日を送っていて、折に触れて思いついたことを書き止めていたら、えらい量になっていた。とは言え、何しろ発表から4年も経っているだけにネット内の言論も出尽くしている感があって、今までそれをチェックしていたという訳。先行研究のチェックは学生の基本だそうなので。

ゲーム界隈のサイトって初めて見て回ったのだが、玉石混淆で石の方が圧倒的に多いのはアニメと一緒。加えてゲームレビューというのはテンプレートが決まっているらしくて、どこを見ても同じような項目で同じようなことを書いているのにはもう・・・・・・・。
それに、どこもかしこも長すぎるって言ってる。それってそんなに問題なのか?私は最初から小説のつもりで読んでたので、別に気にならなかったんだが。これを長いと言ってたら、福井晴敏の小説なんて読めないぞ。
まあおかげで、フルコンプまで丸一ヶ月かかりましたが。

一方で、玉の方はおっそろしくハイレベルで、感心することしきり。この辺を読んでおけば今さら付け加えることもなさそうなのだが、なおかつ言っておきたいこと、という線でまとめてみた
ご用とお急ぎでない向きはお付き合いください。

ところで、今回書いたことの裏を取るのに「マインド・コントロールの恐怖」(スティーヴ・ハッサン著)をぱらぱらとめくってみたのだが、「アメリカ日蓮正宗」なんて組織があるのを初めて知ったよ。

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