更新履歴と周辺雑記

更新履歴を兼ねて、日記付け。完結していない作品については、ここに書いていきます。

2008年12月30日(火)
「Fate」とポストモダン

いや、そんな大層な話ではない。ついにサブカルに走ったか!とか誤解しないでください。

タランティーノの「パルプ・フィクション」は、公開当時保守的な映画評論家に酷評された。作中、トラボルタの持つ拳銃が暴発して隣に座っていたチンピラの頭を吹っ飛ばし、返り血で血まみれになる描写がある。タランティーノは、このシーンをギャグとして撮った。これが問題になったのである。「人の死をギャグにするとは何事か。不謹慎に過ぎる」というわけだ。この作中における死生観の軽さを指してポストモダン的、とも評された(町山先生のポッドキャスト第54回を参照)。

再三書いているとおり、私が「Fate」に感じた不快感はひとえに、黒セイバーの末路の描写にある。
私は「パルプ・フィクション」は平気だったのだが、今考えると、「パルプ・フィクション」に対する不評と「Fate」への不快感は通底するように思う。

現在、「喰霊−零−」が佳境を迎えている(私は現時点で11話まで視聴)。
8話に偶然よく似たシーンがある。ヒロイン黄泉が、従姉妹の冥を刺殺するシーンだ。相手を拘束し、マウント取り、しかも命乞いしてるのに、だ。何でこのシーンが成立するかというと、父を殺されたという直接的な怨恨があるからだ。あのシーンを成立させるには、強い憎悪が必要なのである。士郎と黒セイバーの間には、それがない。いや、私もまだ人殺したことないから現実にどうかは断言しづらいが、少なくともエンタテイメントの文法としてはそうだ、と思う。
しかもその直後に、黄泉はその報いを受けることになる。

百合テイストとトリッキーなシリーズ構成、過激なスプラッタ描写ばかりが話題になるが、この作品の根底をなす思想は、実は非常に健全だと思う。
監督のあおきえいは「空の境界」の監督でもあるが、残念、第1章のだった。第3章の監督だったら平仄が合うのに(式と藤乃の戦いに同じシチュエーションがある)。

「情けは人のためならず」という言葉がある。ご承知と思うが、「人にかけた情けは、巡り巡っていずれ自分に返ってくるものだ。だから、人には親切にしなさい」という意味である。ところが最近は、「人を甘やかしてはいけない」という意味にとる人間が多くなっているとか。
「Fate」という作品は、後者のタイプのような気がする。何となく、ですがね。

ついでに、だいぶ前に書いて寝かせていたネタ、「シナリオライティングの黄金則」を応用して、こんなことをしてみた。「Fate」に明け暮れた一年もこれでおしまい。「Fate」ネタもこれで打ち止めの予定。


冬コミと、その後オタ話にお付き合い下さった皆さま、楽しゅうございました。
それでは、良いお年を。

2008年12月29日(月)
自分へプレゼント(または廃人化促進施策)

プロジェクタとブルーレイレコーダを新調したこれでついに1080P生活に突入。

最初に写してみたのがスカパー!の「ぱにぽにだっしゅ」でしたが。駄目じゃん。

しかし、ブルーレイのソフトは、マルチチャンネルは大抵ドルビーTRUE HDで録音されてることに気づかなかった。結局アンプも買い換えなきゃならんてことか?

ついでに、こんなものを買いました。



パソコン用回転座椅子。これでもう、徹夜でネットダイブもへっちゃらだね!

2008年12月24日(水)
天職というもの

ちょっと昨日の(辛気くさい話の)補足を。

「やりたいこと」と「なすべきこと」が一致した人を、「天職を得た人」と呼ぶ、と書いたが、実はそれを本人がどう思っているかは、また別の話である。

プロ野球史上に名高い400勝投手の金田正一は、こんなことを言っている。

「ワシは子供を抱いたことがない。肩に負担がかかると思っていたからね。夏もクーラーは一切つけず、毛糸の肩当てをして眠った(引用者注:現在はアイシングをするが、当時は肩を冷やしてはいけないというのが常識だった)。選手生活の間に感激なんてものはなかったよ。それだけの自己コントロールが、今の人にあるかどうか」
(『Number PLUS 20世紀スポーツ最強伝説B プロ野球大いなる白球の軌跡。』’99年8月より)

引退して30年後のインタビューだから多少割り引いて聞く必要はあるだろうが、プロ野球選手という「好きなことを仕事にした人」の最右翼にして、この発言。
いかに好きなことであっても、それを仕事にし、しかも一流であろうとすれば、人並みならぬ努力を必要とする、という話。

2008年12月22日(月)
「とある飛空士への追憶

評判の高いこの作品読んでみた。

なるほど、良くできてる。人物造形も説得力あるし、空戦シーンの迫力もたいしたもの。真電編隊に包囲され、ひたすら旋回してかわす場面などは多分「大空のサムライ」をヒントにしているのだと思うが、よく勉強して書いてる。とりわけリアルなのは、「射弾を避けるために4秒以上直線飛行をしない」というくだり。というのは、人間が射撃をするとき、目標を認識し、照準し、引き金を引くのに最低4秒かかるというのですな。だから、4秒以上体を暴露したり、直線運動してはならないのだ。
私も訓練でそう習った。
抑制の効いたラストシーンも良い。

本作を読んでふと思い出したのが、こやま基夫「おざなりダンジョン」のあるエピソード。
主人公モカたち一行がサーカス団と出会う。そこの花形軽業師の少女は、実は某王国のお姫様で、大臣に簒奪された王位を取り戻すために身をやつしていたのだった。

モカたちの助けもあって彼女は王位につくのだが、最終的にサーカス団に戻ってしまう。
「人は生きたいように生きるべきだ」と言って。

こやま基夫は、軽妙洒脱な作風ながらテーマ自体は決して軽くない、という類い希な才能の持ち主だと思うが、この結末だけは私は納得できなかった。

人にはそれぞれに「務め」というものがある。
ときに、「やりたいこと」よりも「なすべきこと」を優先しなければならない場合がある。
と言うか、人生の9割9分はそうなのだ。
「人はなりたい自分になれる」という言葉は、「こともある」という言葉を後にくっつけて考えた方がいい。
ごくまれに、「やりたいこと」と「なすべきこと」が一致する幸福な人がいる。
そういう人のことを、我々凡人は「天職に巡り会った人」と羨むのである。

しかし、「やりたいこと」ができずに「なすべきこと」をするのは、恥ずべきことではない。いやそれどころか、とても尊いことだ。社会なり世間様なりが求める役割を果たし、そのことに充足を覚えるようになることを、多分「大人になる」と呼ぶのである。



・・・・・・ちょっと辛気くさい話になってしまったので話題を戻す。

表題作は良くできてるが、やや不満な点もある。
一つは、主人公シャルルと皇妃ファナの過去の因縁話。いきなりバラしてしまうより、断片的に提示していって最後に明らかにするか、もしくは匂わせるだけに留めるのが常道だと思うんだけど。
もう一つは、敵方のエースパイロット千々石中尉の描写。
そもそもこれ描写しない方が良いんじゃないか。シャルルとの因縁は、機首のビーグルマークで解るんだから。

特にこの後者の点は、何だか「こらえきれずに描写してしまった」という印象を受ける。

私はあまりラノベを読まない。巷間言われるのと逆に、すごく読みづらく感じるからだ。
なぜかというと、視点人物がコロコロ変わるからである。

視点人物というのはつまり、地の文で心情描写・内面描写される人物だが、一般小説では、この人物はたいがい固定されていて、別の人物の視点に移るときは章を変えたり最低限段落を変えるものである。いや、本当にそういうセオリーがあるかどうかは知らなくて、私のこれまでの読書経験から言っているのだが。

あくまで一般論ながら、ラノベはこの点に無頓着だ。
ひとつづきの地の文の中で、視点人物がどんどん変わっていく。皮肉でも何でもなく、これを混乱せず読めるのは、恐ろしく高度な読解力だと思う。

有川浩や秋山瑞人はこの点わりと保守的で、旧来のセオリーを遵守している。有川がスムーズに一般小説に移行したのは、これが一因ではないか。逆に「ハルヒ」シリーズは、キョン君の一人称視点を徹底することで結果的にセオリーを守っている。

そういうわけで、我慢しきれずに別人物の視点を導入してしまったのが、この千々石中尉の描写のように思えた。

最後に、技術屋として些細なツッコミを。水上偵察機というのは、こんなのである。
下駄履き機と俗称するくらいで、重いし空気抵抗はデカイし、もちろん戦闘機相手では勝負にならない。これを胴体内に収納できるというのはかなり無理のある設定だ。好意的に解釈すれば、この世界では内燃機関でなく電動モーターで飛んでるから機体が軽く、フロートも小さくてすむのかもしれないが・・・・・・。


ところで、「未来を写した子どもたち」を観てきた。
この映画の収益の一部は、子ども支援基金に寄付される。
私も、今年一つは良いことをした。

2008年12月13日(土)
日本軍のインテリジェンス

最近の読書から。

標題書は、旧日本軍の情報活動について、豊富な実例で解き明かした本。
一応専門書だが、文章は平易、論旨は明快で読みやすい良書。

旧日本軍と言えば、暗号を解読されて痛い目にあった話ばかり聞くが、著者によると実は日本軍の情報活動は当時の諸外国と比べてもかなり高度だったという。以下、『 』内は本書からの引用。太字は引用者による。

例えば、日本陸軍はアメリカの外交暗号を解読していた。
『ここで問題になってくるのが、米外交暗号の中で最も高度とされたストリップ暗号である。これに関しては憲兵隊が警備の手薄な神戸の米領事館に侵入し、内通者の手引きで金庫を開けるまでは良かったが、金庫の中に入っていたのは暗号書ではなく、セルロイドで作られた細い棒(ストリップ)の束であった。暗号書を使用する暗号ならばそれを写してくれば問題ないが、ストリップ暗号はそれぞれのストリップの組み合わせによって暗号を作ることのできる高度なものであったため、盗写は意味をなさなかった。従って一八班にとって残された手段は、科学的にストリップ暗号を解読することであったが、それは非常な困難をともなった。
しかし結論から言えば、一八班はアメリカのストリップ暗号を解読していたと考えられる。(中略)
ストリップ暗号の理論、仕組み自体は相当に高度であり、解読は困難であったが、それはまた同時に、暗号を組み立てる側にも高度な技術を要求するものであった。そのため、アメリカは暗号を組み立てる際に単純なミスを犯し、日本側はそのミスにつけ込んで暗号解読の手がかりとしたというわけである。
つまり陸軍は、米国務省のグレー、ブラウン、ストリップ(引用者注:それぞれ暗号のコードネーム)といった外交暗号を解読していたのである。当時最高の解読能力を有していたイギリスの暗号解読組織やドイツの暗号解読組織ですらストリップ暗号は解読していなかったので、この解読能力は相当なものであったと言ってよい。』

陸軍の主敵はソ連だったため、対ソ情報活動はさらに凄い。
『ソ連の国境警備隊の近くを日本人警官に歩いてもらうよう頼んで、ソ連側に刺激を与える。そうすると国境警備隊は本部に向けて電報を打ち、まずはその電報を傍受することが可能になった。そこで次に、警官の人数や歩く時間帯を変えてみると、それぞれの暗号文の中で変化する単語が見られるようになり、それを基にしてソ連の国境警備隊暗号、LK2を解読したということである。』

満州国境からソ連へスパイを侵入させようとすると、国境警備隊の厳重な警戒を破らねばならない。
『関東軍情報部は(満州ソ連国境を警備する)この軍用犬の扱いだけでも相当に手を焼き、これを無力化するために、陸軍科学研究所への依頼によって犬の嗅覚を麻痺させる薬品と、犬の性欲を刺激する薬品が開発されたほどである。』

ソ連側の内通者が日本に対して情報を送信していたが、ある時ソ連に気づかれる。それでもくじけない。
『ソ連側が気づき、正誤とり混ぜた偽電情報を発信するようになったが、逆に日本側はこれに気づかない素振りをして終戦までこの情報源を確保した。偽情報とわかっていれば、相手が偽情報を流して真意を隠す意図を探ることができるため、偽情報の入手もそれなりに重要である。』

海軍は、陸軍に比べると防諜意識の低いところがあり、また情報部の規模も小さかったが、それでも負けてはいない。
『軍令部は、警備の手薄な札幌の英領事館を狙って暗号書を盗み出すことになった。同年一一月、領事館の日本人タイピストが、領事の隙をついて窓から暗号書を放り出すという離れ業を行い、上手く暗号書を盗み出すことに成功したようである。この暗号書によって、上海X機関はイギリスの省庁間暗号(海軍でBF5と呼称)を解読することに成功した。』

それではなぜ、日本軍の情報活動が一般に低調だったのか?
著者は、まず情報には「インフォメーション」と「インテリジェンス」があるという。
「インフォメーション」とは傍受した無線やスパイの報告や解読した暗号文などの、生の情報である。
これらを組み合わせ、裏をとり、情勢判断に使えるよう加工したものを、「インテリジェンス」という。

天気で言えば、気圧分布図や衛星写真がインフォメーション、それを天気予報官が検討して発表した天気予報が、インテリジェンスである。

日本軍の問題は、作戦部と情報部の乖離にあった。作戦部が自分でインフォメーションを収集して、恣意的に解釈してしまうのである。それこそ天気予報と一緒で、情報の解釈には訓練と経験が必要になる。
作戦部が「何のために何が知りたいか」情報部に対しオーダーを出し(リクワイアメントと言う)、情報部がデータを収集・分析・評価して判断を伝える、というのが情報活動の健全な姿であるが、作戦部が圧倒的に優位にある日本軍では、このサイクルが回らなかった。
『情報の専門家が見ればそれは偽情報であったが、それが「極秘」と判を押されて他の部局に回ると、極秘情報となってしまうのである。これが生データの恐ろしい点であった。
通信情報も相手の暗号通信を傍受・解読できたというだけでは不十分である。それがいかに決定的に見える情報であっても、それは生のデータなのである。従って通信情報なども人的情報や文書情報などと照合し、加工して初めてインテリジェンスとなるのだが、陸海軍ではこの点があまり理解されていなかった。
おそらく当時、「情報」を「インテリジェンス」の意味で捉えていたのは、陸海軍の情報部だけであった。情報部にとっての「情報」とは分析、加工された後の情報のことである。しかし作戦部などから見た場合、「情報」とは「インフォメーション」であり、生情報のことだった。彼らに言わせれば、情報部はデータの類を集めて持ってくれば良いのである。そして作戦部が作戦立案のためにそれらのデータを取捨選択すれば良かった。すなわち作戦部と情報部の対立の根源は、「情報」という概念をどのように解釈するかであり、双方が対立した場合、力関係から作戦部の意見が通るのは当然であった。』

現在でも、情報部の集める情報のほとんどは、実は公表されたり報道されている公開情報だと言う。
地道にそれらを集め、分析するのが情報活動の神髄であり、衛星1つ打ち上げればいいというものではないのだ。


それはそうと、書きながら何となく思ったのだが、「インフォメーション」と「インテリジェンス」の関係は、「フィルム」と「映画」の関係に似ている。
撮影したフィルムをただ映写していても意味がない。抜き出し、並び替え、つなぐ、編集という工程を経て、初めて映像に意味が与えられ、「フィルム」は「映画」になる。だらだらと映しっぱなしの人様のホームビデオを見せられるのが苦痛なのは、こういう理由なわけで。幸い、私はそんな目にあったことはありませんが。

してみると、日本人の情報軽視と長回し信仰というのは、何か通底するものが・・・・・・いやいや、風呂敷広げすぎだ。


以下余談。
・アクセス解析してみて知ったこと。
「ダイ・ハード」でググると、なんと「ダイ・ハード4.0」公式サイトの次に表示される。確かにあの伏線対応表は手間暇かけて作ったけれど、やってみるもんですね。
「涼宮ハルヒ」で検索かけてくる人が意外なほど多い。人気冷めやらずか。ところで第2期はどうなったんでしょう。

・以前「マダム・トゥトリ・プトリ」を紹介したのだが、なぜか画像が表示されなかった。ようやく原因が分かって復旧したので、よろしければどうぞ

2008年12月6日(土)
ジョージ・ワシントン

横須賀基地に入港中の原子力空母ジョージ・ワシントンが一般公開されたので、見に行ってきた。



いやもうデカイのなんの。砲艦外交とはよく言ったもので、こんなモン持ってたらそりゃ戦争してみようかという気にもなるわな。航空機昇降用のエレベータで飛行甲板に出る。



飛行甲板から艦首を臨む。中央の白いラインがカタパルト。



こんな巨大なクレーン車も、艦上で運用している。見えにくいが、タイヤの大きさと人間を比較して頂きたい。





着艦機拘束用のアレスティングワイヤー。巻き取って片づけてあった。直径5cmはある。

艦内組織の説明があったが、航海科や整備科に混じって宗教科があるのが、さすが他民族国家。乗組員も、黒人とヒスパニック、東洋系がホントに多かった。パッと見で、6割は有色人種。

帰りがけに、記念艦「三笠」を見学してきた。日本海海戦当時の連合艦隊旗艦で、三笠記念公園に保存してある。
ワシントンを見た後だと、実に小さく見えてしまう。実際、全長は3分の1しかない。だが、実戦の迫力と歴史の重みは圧倒的。

かつての戦争と現代の戦争、2つながらにかいま見て帰路についたことであった。

2008年12月5日(金)
「黒塚」とルイス・ウェイン

「黒塚 KUROZUKA」のオープニングに、ヒロイン黒蜜がメタモルフォーゼする映像がある。











完全に想像なのだが、これはルイス・ウェインの猫にヒントを得ているのじゃないだろうか。

ルイス・ウェインは20世紀初頭に活動したイギリスのイラストレーターで、擬人化された猫の絵を好んで描いた。しかし後年、統合失調症(昔で言う精神分裂病)を患う。そして、その病状の進行に従い、画風が劇的に変化していくのである。

こちらを参照(2003年10月27日の記事)。こことか。
リンク先によると、これはあくまで一つの症例に過ぎず、統合失調症患者がみんなこのような絵を描くわけではないとのこと。黒蜜の絵にしても、加工ソフトで機械的にいじっただけかもしれない。

とは言え、不安感をあおる絵というのは、何か共通したものがあるのではないかなあと。


・今期ダントツで面白いのが「とらドラ!」。アニメといえばとりあえず録画しておいて後で観るのが習慣になってしまっていたのに、これだけは待ちきれずに本放送を観ている(たまたまスカパー!では金曜夜に放送しているせいもあるが)。小学生のとき以来、25年ぶりくらいの経験だ。「true tears」といい、岡田磨里さん良い仕事してる。

・こっちは何となく惰性で観ている「屍姫 赫」。何で人間じゃないのに火器に頼るんだろう、とか余計なことを考えてしまって、ときどき突出した作画があったりするのだけが見どころかと思っていたら、7・8話が素晴らしいできじゃないですか。ほほう、絵コンテ・水島精二。
・・・・・・え?00は?

・ところで、アクセス解析をつけてみました。細々と続いているサイトですが、ブックマークから来てくれている方が多くて、ありがたいことです。驚いたことに、検索で引っかけてきてくれている方も意外に多かった。「ダイ・ハード タカギ社長」でググると上位に表示される、というのも初めて知った。

ブルース・ウィリスでもマクレーンでもなくてタカギ社長、というのがいかにもうちらしい。

「ダリエン計画」で検索して来られた方にはもう、申し訳なくて。確かにその件は書いたことあるけど、辿り着いた先がこんなサイトですみませんねえ。
「世界の戦闘機 善き人のためのソナタ」で検索して来られた方。確かにうちは両方の需要を満たしていますが、そもそも何を探しておいでだったのでしょう。


何だか今日は、アニメ感想サイトみたいですね!

2008年12月1日(月)
子連れ狼

三隅研次監督・若山富三郎主演の「子連れ狼・三途の川の乳母車」('72)を観てきた。
当時としては強烈な人体破壊描写で、タラちゃんを始め多くの映画作家に影響を与えた、スプラッタ映画の元祖とも言われる作品。

確かに、頭が真っ二つになったりするのはなかなか。

全然知らずに行ったのだが、何と上映終了後に原作者の小池一夫先生のトークショーが。
特にファンというわけじゃないけど、これは聞かずばなりますまい。

というわけで、例によって以下聞き書き。

−映画化のきっかけは?
「主演の若山富三郎氏がいきなり仕事場にやってきて、『子連れ狼を映画化・主演したい』と申し出てこられた。当時若山氏は太り気味だったので『太りすぎじゃないかなあ』と思っていたら、『太りすぎだと思っているだろう』と言い当てられた。
広い場所がないか、と言うので別室に案内した。若山氏は模擬刀を携えてきておられて、いきなりその場でトンボを切り、着地するが速いか抜き打ちに斬る、というアクションを披露してくれた。それを見てこれなら安心だと思った」

−「しとしとぴっちゃん」で有名な主題歌の作詞について。
「もともとTVの主題歌ではなくて、いわゆるイメージソングとして先に作ったもの。今で言うメディアミックスの元祖。作詞を依頼されたはいいが忙しくてすっかり忘れており、作曲家の吉田正先生から、当時カンヅメになっていたホテルに催促の電話がかかってきた。
『考えていません』とは言えず、できていますと答えたら、どんなのか教えろと言われた。
困って窓の外を見たら、たまたま雨が降っている。それで適当に口をついて出たのがあのフレーズ。
あんなものにどうやって曲をつけるんだろうと思ったら、少年合唱で処理していて感心した。もっとも吉田先生には何も考えていないのがバレバレで、後で随分怒られた」

−当時としては過激な残酷描写について。
「当時の時代劇というのはばったばったと何十人も斬り倒して、血も出ないというものだった。実際には、刀はとても重いし2、3人も斬れば刃こぼれする。そうした刀の重さ、斬れば血が出る痛みというものを表現したかった」

−撮影時の思い出など。
「この映画冒頭の、虚無僧が走ってきて拝一刀に斬りかかる。その後ろにもう一人いて、というアクションは自分のアイデア。どうやって表現するのだろうと思っていたら、見事に撮影で実現していて感心した」
「映画と漫画・劇画は基本的に違うメディア。映画に関しては、請われればアイデアを出すこともあったが原則としてお任せ。黒沢組の超ベテランカメラマン・宮川一夫氏が一緒に撮影トロッコに乗せてくれたことがあって感激した」
「劇画で『斬られた首が涙を流す』というシーンを作ったことがあるが、これは映画では絶対にできない」(注:無理にやってもギャグにしかならないというニュアンスだと思う)

−「子連れ狼」連載中に、「ん」を「ン」とする独特の表記を確立したようだが。
「拝一刀の持つ剣を『胴太貫』というが、実は『同田貫』の表記が正しい。特に田んぼの字は剣のイメージに合わなくて、わざと変えた。
それも含めて、難しい字が頻出するので、ふりがなをつけて欲しいと編集部からの要望があった。
『読者は、意外と字をよく見ているのだなあ』と思い、なぎなた読みを防ぐためにもパッと見で分かり易くしようと考えて、『ん』を『ン』にしたり、人称代名詞に点を打つようにした」

この「なぎなた読みを防ぐため」という理由は以前聞いたことがある。そのときは、なぜ「ん」を「ン」にしたらなぎなた読みを防げるのか、どうもピンとこなかったのだがやっと分かった。
字面、と言うか視覚的に、見た瞬間どこまでが一つながりの単語かを理解しやすくするための工夫だ、ということだったのだな。

小池氏は御年72歳のはずだが、上下革のスーツでキメていて、精力溢れるという感じだった。
なんでも、まだ告知できないが某作品のアニメ化企画も控えているとか。楽しみだ。

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