最近の勉強から。
「ハイランダー」(と、「Fate」)を観たのがきっかけで、少しスコットランド史をかじってみた。ハイランダーとは、スコットランドの北部高地(ハイランド)にすむ民族の名である。狩猟に長け、勇猛さで名高かった。
メル・ギブソンの映画「ブレイブハート」('95)でも描かれたとおり、英国史はスコットランドとイングランドの抗争史である。
17世紀の両国は、同じ国王をトップに戴くそれぞれ独立の連立王国だった。当時海運を牛耳っていたイングランドに比べスコットランドは劣勢であり、一発逆転を狙ってある計画を実行に移す。
その名を「ダリエン計画」という。ダリエンとは、現在のパナマ地峡あたりのことである。もちろんパナマ運河のない時代のこと、大西洋から太平洋へ出るには南米大陸を回らなければならなかった。この地域を開発して両大洋の物流を抑えれば、莫大な利益が上げられる・・・・・・。と、狙いは悪くなかったが、何しろ相手は中南米のジャングルである。当時のスコットランド国家予算の3分の1をつぎ込んだ計画は失敗し、移民団は壊滅、国庫は破綻してしまう。これがきっかけで、1707年スコットランドはイングランドに吸収合併され、スコットランド王国は消滅する。
さて、1745年、スコットランドは最後の大反乱を開始する。「ジャコバイトの乱」である。名誉革命で退位に追い込まれたジェイムズ2世の遺児が、王位回復を狙って挙兵したのだ。その軍の主力が、スコットランド伝統の戦士ハイランダーだった。
イギリスと言えばフランスと戦争ばかりしているイメージがあるのだが、実はフランスと仲が悪いのはイングランドであり、地理的な理由でスコットランドはフランスと手を結んでイングランドに対抗するのが常だった。イングランドは、常に背後に敵を受ける形でフランスと対峙していたのである。
このジャコバイトの乱もフランスの支援を受けていたが、連携がうまくいかず、カロデンの戦いでジャコバイト軍は敗北する。
勝ったイングランドは、徹底的にハイランダー社会の壊滅を図った。氏族(クラン)制度の解体、強制移住、キルトやバグパイプといった民族的イコンの禁止。こうした施策によって、ハイランダーの反乱は完全に終息する。貧しいスコットランド人たちは、多くが新天地を求めてアメリカ大陸に移民していった。
さて時は流れて1775年、アメリカ独立戦争が勃発。アメリカ市民革命軍とイギリス王党派との戦いが始まった。
ここで面白い事実がある。
スコットランド移民たちは、義勇軍を結成してイギリス王党派の側に立ってアメリカ市民軍と戦ったのである。恨み重なるはずのイングランド王家のために、だ。スコットランド移民たちのリーダーが個人的にイギリス総督と親しかったことや、カロデンの戦いのあと英国王室に忠誠を誓っていたことなど、理由は多々あるが、1つの理由は、これを契機に「グレートブリテン連合王国」に統合されたい、その一員として認められたい、というスコットランド人たちの願いである。
この故事は、西南戦争を連想させずにおかない。
西郷隆盛率いる薩摩軍は、各地の不平氏族が後に続くものと信じて決起したのだが、期待された反乱はなく、百姓出身の新政府軍に撃破されていった。新政府軍の中で特に勇猛に戦ったのが、旧会津藩出身者だったといわれる。会津藩は、白虎隊で知られるように戊辰戦争でもっとも過酷な戦場となった場所である。その会津藩は、旧敵のはずの新政府軍の一員として戦った(もっとも、会津は薩長同盟での薩摩の裏切りに対する怒りが強かったのだが。会津出身の知人に聞いた話だが、爺さんの代あたりまでは「薩摩者とは口も聞きたくない」という風潮がまだあったそうである)。この戦いが、明治国家への統合に一役買った。
スコットランドもまた、この戦いを通じて名実ともにグレートブリテンの一員となった。幸か不幸か、こうした機会を持たなかったのがアイルランドである。
近代国家が国民を統合しようとする力、また逆に統合されたいと願う国民の意思の力は、かくも強いものなのである。
参考文献:「大英帝国という経験」 井野瀬 久美恵 講談社
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