更新履歴と周辺雑記

更新履歴を兼ねて、日記付け。完結していない作品については、ここに書いていきます。

2008年8月31日(日)
スコットランド

最近の勉強から。

「ハイランダー」(と、「Fate」)を観たのがきっかけで、少しスコットランド史をかじってみた。ハイランダーとは、スコットランドの北部高地(ハイランド)にすむ民族の名である。狩猟に長け、勇猛さで名高かった。
メル・ギブソンの映画「ブレイブハート」('95)でも描かれたとおり、英国史はスコットランドとイングランドの抗争史である。
17世紀の両国は、同じ国王をトップに戴くそれぞれ独立の連立王国だった。当時海運を牛耳っていたイングランドに比べスコットランドは劣勢であり、一発逆転を狙ってある計画を実行に移す。
その名を「ダリエン計画」という。ダリエンとは、現在のパナマ地峡あたりのことである。もちろんパナマ運河のない時代のこと、大西洋から太平洋へ出るには南米大陸を回らなければならなかった。この地域を開発して両大洋の物流を抑えれば、莫大な利益が上げられる・・・・・・。と、狙いは悪くなかったが、何しろ相手は中南米のジャングルである。当時のスコットランド国家予算の3分の1をつぎ込んだ計画は失敗し、移民団は壊滅、国庫は破綻してしまう。これがきっかけで、1707年スコットランドはイングランドに吸収合併され、スコットランド王国は消滅する。

さて、1745年、スコットランドは最後の大反乱を開始する。「ジャコバイトの乱」である。名誉革命で退位に追い込まれたジェイムズ2世の遺児が、王位回復を狙って挙兵したのだ。その軍の主力が、スコットランド伝統の戦士ハイランダーだった。

イギリスと言えばフランスと戦争ばかりしているイメージがあるのだが、実はフランスと仲が悪いのはイングランドであり、地理的な理由でスコットランドはフランスと手を結んでイングランドに対抗するのが常だった。イングランドは、常に背後に敵を受ける形でフランスと対峙していたのである。
このジャコバイトの乱もフランスの支援を受けていたが、連携がうまくいかず、カロデンの戦いでジャコバイト軍は敗北する。
勝ったイングランドは、徹底的にハイランダー社会の壊滅を図った。氏族(クラン)制度の解体、強制移住、キルトやバグパイプといった民族的イコンの禁止。こうした施策によって、ハイランダーの反乱は完全に終息する。貧しいスコットランド人たちは、多くが新天地を求めてアメリカ大陸に移民していった。

さて時は流れて1775年、アメリカ独立戦争が勃発。アメリカ市民革命軍とイギリス王党派との戦いが始まった。
ここで面白い事実がある。
スコットランド移民たちは、義勇軍を結成してイギリス王党派の側に立ってアメリカ市民軍と戦ったのである。恨み重なるはずのイングランド王家のために、だ。スコットランド移民たちのリーダーが個人的にイギリス総督と親しかったことや、カロデンの戦いのあと英国王室に忠誠を誓っていたことなど、理由は多々あるが、1つの理由は、これを契機に「グレートブリテン連合王国」に統合されたい、その一員として認められたい、というスコットランド人たちの願いである。

この故事は、西南戦争を連想させずにおかない。
西郷隆盛率いる薩摩軍は、各地の不平氏族が後に続くものと信じて決起したのだが、期待された反乱はなく、百姓出身の新政府軍に撃破されていった。新政府軍の中で特に勇猛に戦ったのが、旧会津藩出身者だったといわれる。会津藩は、白虎隊で知られるように戊辰戦争でもっとも過酷な戦場となった場所である。その会津藩は、旧敵のはずの新政府軍の一員として戦った(もっとも、会津は薩長同盟での薩摩の裏切りに対する怒りが強かったのだが。会津出身の知人に聞いた話だが、爺さんの代あたりまでは「薩摩者とは口も聞きたくない」という風潮がまだあったそうである)。この戦いが、明治国家への統合に一役買った。

スコットランドもまた、この戦いを通じて名実ともにグレートブリテンの一員となった。幸か不幸か、こうした機会を持たなかったのがアイルランドである。

近代国家が国民を統合しようとする力、また逆に統合されたいと願う国民の意思の力は、かくも強いものなのである。

参考文献:「大英帝国という経験」 井野瀬 久美恵 講談社

2008年8月26日(火)
「空の境界 第五章」

今回はテアトルタイムズスクエアで。今やテアトルの稼ぎ頭ですな。

そのパンフレットから奈須氏のインタビューの抜粋。
『−「Fate/stay night」まで、奈須さんの作品にたびたび登場する「複製に真の力が宿る」というテーマ性は「空の境界」で既に登場しているんですね。
「第四章のインタビューでも言いましたが、もうあらゆる王道の物語はやり尽くされてる、しょせん物語は先人たちの組み合わせで作ったフランケンシュタインに過ぎないのではないか。そういう恐れがあって、自分なりの解答を探していたのかもしれません。二十代の人間が迎える二度目の脱却というか。誰であれ、その頃に抱いた時代への不審、環境への鬱積、未来への不安などを凝り固めて、一度は吐き出さないと前に進めない時期がある。それが自分にとって「空の境界」だったのかもしれません。フランケンシュタインが少女に恋したときに、それは怪物の恋なのか、それとも怪物として作られた人間の恋なのか、自分なりに納得したかった。」』

やっぱり。
どうせならGAINAX作品への思い入れの有無まで訊いてほしかった。

この映画と「ダークナイト」を観て、夏休み終了。なるほど、名だたるブロガーの皆さんが口をそろえて絶賛するだけのことはある。「Fate」やった直後に観ると、なおさらに感慨深いものがあるな。

2008年8月21日(木)
ちょっとした仮説

懲りずに「Fate」の話。

「Fate/stay night」の主人公・衛宮士郎は、幼い頃巻き込まれた大災害に一人生き残ったことに根深い罪悪感を抱き、自分の身を捨てても他人の役に立とうと心に決めている、という設定だ。

生き残った罪悪感。これはまるで「特攻帰り」のメンタリティだ。士郎のトラウマの元になった大火災にしても、街が焼け野原になり、家族友人が目の前で焼け死んでいく、という光景は、空襲の記憶そのものである。東宝の怪獣映画だったら、間違いなく戦争体験を云々されるところだ。

これが不思議で仕方がなかった。戦後世代どころか70年代生まれの作家が2004年に発表した作品だというのに、その主人公がなぜこんな戦中派のような精神性を持っているのか。いや、持たされたのか。

だいぶ考えていて、一つ思いついたことがある。

2000年前後から、「戦後史の総決算」「昭和という時代の総括」を志したような作品が、ジャンルを問わず目につくのだ。私が思いついただけで、こんな具合だ。

アニメ
「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」('01)原恵一
「鉄人28号」('04)今川泰宏
小説
「終戦のローレライ」('02)福井晴敏
マンガ
「20世紀少年」('99連載開始)浦沢直樹
「二十面相の娘」('03)小原慎二
実写(?)
「立喰師列伝」('06)押井守

やや先駆的な位置にあるのが、
「蒲生邸事件」('94連載開始)宮部みゆき
「機動警察パトレイバー2」('93)押井守
である。

現在連載中の「レッド」(山本直樹)もこの系譜だろう。
「コードギアス」が架空の日本を舞台にしている理由も、本来はここにあるのかもしれない。
音楽や美術や演劇にも、もしかしたら似たようなムーブメントがあるのではなかろうか。

これはいったいなぜだろう。

一つ仮説を提示する。この現象は、バブル崩壊後の「失われた10年」を脱するのに当たって、日本人が来し方行く末を見つめようとする心理の表れではないか、と思うのだ。その原点となったのが、「日本人が12歳だったとき」、かつて体験した滅亡と復興の日々ではないか。

作者が意識的にそれをやっていると主張するつもりはない。
しかし、碇シンジが90年代という空虚を体現するキャラクターだったように、優れた作品は必ず時代を背負う。衛宮士郎の性格設定も、この系譜に連なるものと考えられないだろうか。

分類の方法が適切か、2000年以降にこうした作品が集中しているように見えるのは事実か、もっと以前にも存在するのではないか、などと検証しなければならない点がたくさんあるので、とりあえず思いつき程度に留めておく。


10/16追記
そういえば「借り物の理想」というのは、まるで日本国憲法のようだ。

2008年8月17日(日)
セカイ系再論

夏コミお疲れ様でした。
2日目は暑さと手荷物確認による渋滞とで、まさしく命がやばい状態だったのに、3日目は気温が下がってかつ雨にはならず、大変楽でしたね。成果は研究・評論系4、イラスト集4、オリジナル作品6、パロディ多数と、いよいよもって言い訳できない領域に踏み込んでおります。

コミケと言えば「となりの801ちゃん」というわけで(強引なツカミ)、3巻読んだ。
その本文中に、セカイ系の説明としてこんな脚注があった。

『セカイ系:「キミとボク」の恋愛が世界の危機に直結する設定の物語のこと。大体において、「キミ」である美少女が世界の危機と戦うが、戦う理由が、次第に「ボク」である主人公を守ることになってゆく。最終的に強いのは女の子なんですよ!例:「最終兵器彼女」(高橋しん・小学館)「イリヤの空、UFOの夏」(秋山瑞人・メディアワークス)など』

まあこの定義自体はどうでもいいのだが、気になるのは「最終兵器彼女」と「イリヤの空、UFOの夏」が常にセットで提示されること。
しばしば類似が指摘されるこの両作品。以前にも書いたとおり、私は「イリヤ」は好きだが「サイカノ」は嫌いである。なぜだろうとずっと考えていた。「サイカノ」のマンガとしての技術的な部分、例えば絵柄とかコマ割りとかセリフ回しとか書き文字とかが生理に合わないということもあるが、他にも何か理由がないかと考えていて、一つ思いついた。

実はこの両作品て、ベクトルが正反対なのだ。
主人公とヒロインの関係に注目すると、「イリヤ」は、最初から「あちら側」にいるヒロインを「こちら側」に引っぱり出そうとする話。対して「サイカノ」は、最初「こちら側」にいたヒロインが「あちら側」へ行ってしまうのを止めようとする話だ。

この「サイカノ」のパターンをもっと卑俗な例で言い直そう。
「大学生の彼氏ができて冷たくなったガールフレンドの気を引こうとする話」である。

・・・・・・そりゃ、30男にはイタすぎますわ。


ところでこの2、3日、妙にカウンタがよく回る。いずれリンク先のおかげだと思うが、ありがたいことです。

2008年8月6日(水)
PS版

オリジナルのエンディング見たさに、「Realta Nua」プレイしてしまいましたよ。
わざわざ今どきPS2買って。ハードオフの中古で、おまけに1ヶ月以内に故障したら全額返金というやばげな保証つきだったけど。
フルボイス化と相まって、丸々2ヶ月かかった。
もう1回頭から通読したらいろいろと合点がいったりしたので、以前書いた文章に大幅追記
と言っても納得はできないため、もっぱらHeavens Feelの悪口。読まれる方はそのおつもりで。

明日からお盆で帰省するので、しばらくお休み。
夏コミは2日目から顔出す予定。

2008年8月5日(火)
「時かけ」再訪

夏なので、「時をかける少女」を観直した。
で、以前いわゆる「日の丸カット」について書いたのだが、ちょっと新たに思いついたことがあったので、追記

全然話は変わるが、中日ドラゴンズの山本昌投手が200勝達成。
42歳11ヶ月での達成は最年長で、完投勝利も最年長のおまけ付き。ランディ・ジョンソンやカート・シリングを筆頭に、メジャーリーグでは近年、40代の選手の活躍が珍しくないし、息の長いベテランがもっと出てきてほしいものだ。だいぶ前にNumber誌上で読んだ話でうろ覚えなのだが、実は日本は高齢者スポーツの世界記録保持者が山ほどいる国なのだそうだ。
60代以上のマラソンとか、70代以上の3段跳びとか。
ウサギとカメじゃないが、いわゆる世界記録は無理でも、年とってから追い越すのも悪くない。旧共産圏の世界記録保持者なんか、ステロイドのやりすぎでみんな死んじまってるしな。

それはそうと、山本投手の記録で驚いた話が2つ。
1、中日の投手で名球会入りしたのは山本投手が初めて。
そうか、星野も小松も200勝してないんだ。杉下は?と思ったら、年齢制限に引っかかるんですな(名球会入りできるのは昭和生まれ以降の選手のみ)。
2、通算131安打、54打点で打率.141だと。投手なのに・・・

2008年8月4日(月)
押井守の挫折の終わり

「スカイ・クロラ」を観てきた。

新宿ミラノの、1000人収容の最大のスクリーンだったのだが、日曜初回で8割方の入りだった。
以下ネタバレ。


押井守の最新作にして新境地。と言いたいところだが、一番近い作品は何かと言えば、「ビューティフル・ドリーマー」だ。ただ、決定的に違うのがラストである。

永遠に繰り返す世界からの脱出を図るべく、カンナミ・ユーイチはティーチャーに挑む。本作の中で、戦闘機の交信は全て英語で字幕付きである。ヒアリングにはあまり自信がないが、ティーチャーとの対決に向かうユーイチのセリフは、"I kill my father!"と言っているようだ(字幕は「ティーチャーを撃墜する」)。
その意味するところは明らかだ。
ゲームを創りあげ、世界を統べる全能なる父。ゲームを降りるには、父を倒さなければならない。
藤津亮太氏風に言うと、押井守映画の構造はいつも同じで、最終決戦の舞台は「水に囲まれた異界」であり、
  (例えば、「パトレイバー」の箱船
   「パトレイバー2」の埋め立て地
   「攻殻機動隊」の水没した博物館
   「イノセンス」の工場船)
主人公は「船」又は「飛行機(特にヘリコプター)」でそこへ辿り着き、答えを得る。
  (「パトレイバー」の漁船で牽引された輸送車
   「パトレイバー2」はそのバリエーションで、海底トンネル
   「攻殻機動隊」のヘリコプター
   「イノセンス」の潜水艇)

ところが、「スカイ・クロラ」には決戦場が存在しない。戦いは空で行われ、ユーイチは当然のように敗北する。だから、この映画に答えはない。ゲームは繰り返され、クサナギ・スイトの前には「次のユーイチ」が現れる。
決戦に向かうユーイチはひとりごちる。
「いつも通る道でも、違うところを踏んで歩くことができる
いつも通る道だからって、景色は同じじゃない
それだけでは、いけないのか
それだけのことだから、いけないのか」

「次のユーイチ」もまた、運命に抗っていくだろう。そしていつかは、父を倒す。その微かな希望を予感させるように、ラストシーンのスイトはメガネをはずし、正面から彼を見つめる。

いつものように、映画的に大変正しい作品である。
しかし、だ。押井守は、「若い人のためにこの映画を作った」と言っている。
「与えられた世界の中で地道に努力していけ」というのは、本当に若い人に向けて言うことなのか?かつて「ビューティフル・ドリーマー」で閉塞した世界からの脱出を描いてみせた押井が。
おそらく押井は悟ってしまったのだ。
世界を変えることなどできはしないと。
映画というつくりごとの中ですら、それを描くのは嘘であると。

だがそれでも、「少女革命ウテナ」は仕組まれたゲームからの脱出を描き、「天元突破グレンラガン」は宇宙規模の革命を描いた。
てらいなく本気でそういう大嘘をつける勇気と厚顔さを、私は貴重だと思う。
それこそ「若い人」に向けて語るべき嘘ではないのか?

以下は、映画そのものとは関係ない話。
押井は、こんなことを言っている(パンフレットの記事より)。
「この国には今、飢餓も、革命も、戦争もありません。衣食住に困らず、多くの人が天寿を全うするまで生きてゆける社会を、我々は手に入れました。しかし、裏を返せば、それはとても辛いことなのではないか−と思うのです。永遠にも似た生を生きなければならないという状況。その中で次々に引き起こされる痛ましい事件。親が子を殺し、子が親を殺す時代。何の理由もなく、若者が自らの命を絶つ時代。物質的には豊かだけれど、今、この国に生きる人々の心の中には、荒涼とした精神的風土が広がっているように思えてなりません」

「裏を返せば」以降の文章は、客観的事実に照らすと全部間違いである。詳しくはこちらを参照。以前紹介したこれは必読図書。
また、平成19年度の日本の殺人認知件数は、戦後最低を記録したそうである。こんな若者が住んでいるのは、押井の頭の中だけだ。
「衣食足りて礼節を知る」とは真理なのだ。

劇中で、スイトがこんなセリフを吐く。
「戦争はどんな時代でも完全に消滅したことはない。それは、人間にとってその現実味がいつでも重要だったから。同じ時代に、今もどこかで誰かが戦っている、という現実感が、人間社会のシステムには不可欠な要素だから。そして、それは絶対に嘘では作れない。戦争がどんなものなのか、歴史の教科書に載っている昔話だけでは不十分なのよ。本当に死んでいく人間がいて、それが報道されて、その悲惨さを見せつけなければ、平和を維持していけない、平和の意味さえ認識できなくなる・・・・・・空の上で殺し合いをしなければ生きていることを実感できない私たちのようにね」

プロとして言う。古今東西、そんな観念的な理由で行われた戦争などありはしない。登場人物のセリフを作者の思想と混同する危険は理解しているつもりだが、60年の平和を享受してきた日本人がこのセリフを吐くのは、現実に「世界のどこかで戦い死んでいく人々」に対して傲岸不遜と言うべきだ。
「P2」で「モニターの向こうに戦争を押し込め、ここが戦線の単なる後方に過ぎないことを忘れる、忘れたふりをし続ける」偽善を鋭く追求したのは、ほかならぬ押井自身ではなかったか?
「立喰師列伝」で偽の戦後史をでっち上げて見せた押井は、歴史や社会を観念的にしか捉えられなくなってしまったのではないか。

以下、蛇足。
初めてアニメーターを信頼して長芝居をさせた押井。西尾鉄也入魂の作監はさすがで、特に無表情だったスイトが初めて泣き崩れるシーンは必見。

パンフレットから、庵野監督のコメント。
『「面白い!」「押井作品で、初めて最後まで寝なかった」「わかりやすい」「実に繊細な恋愛映画」「戦闘シーンが長くていい」「作画が巧い」「CGがよくできている」「空戦がかっこいい」「効果音が凄い」「綾波レイ(っぽいキャラ)がいっぱいで、萌えます」「もう一回観たい」「感動しました」「アニメと宮崎駿さんに対する愛憎がにじみ出ていて、心がくすぐられます」「押井監督が大人になってる」「犬がかわいい」と、観た友人らの好意的な感想(順不同)を抜粋しました。
僕も、大変面白かったです。ストイックな感じが好きです』
いや、それ褒めてないから。

いくら日テレが参加してるからって、ゴローさんからコメントもらうってのは嫌がらせか?

『スカイリィのデザイン画を見た宮崎駿監督が一言。「押井さんは何もわかってない。こんなコックピットの近くにエンジンがあったら、パイロットが焼け死ぬぞ」。すると、それを聞いた押井監督も一言。「宮さんは何もわかってない。これは空冷式じゃなくて、水冷式だから大丈夫なんだ」』
大人げなさではいい勝負だが、エンジニアとして言わせてもらうと、宮崎氏が言いたかったのは「エンジンが」ではなく「ターボチャージャーが」近すぎる、ということではないかと。でもP-47のターボチャージャーって、コクピットの下にあったと思うが。ちなみに、P-51はラジエーターがコクピットの下にあるので、パイロットは尻が熱くてたまらなかったとか。

最後に、本当の蛇足。
飛行機は燃料の固まりみたいなものなので、エプロンもハンガーも火気厳禁です。タバコ吸ったりマッチを捨てるなんて、言語道断。



銀座シネパトスのレイトショーで「キングコングの逆襲」('67)をやってたので併せて観る計画だったのだが、疲れたので帰って寝た。

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