チェスタトン 「奇樹物語」
探偵小説時評

井上良夫


 探偵小説を大変愛読している人と会って話をしてみて、あまり話が合わなかったり、またはマニアといわれるほどの人の書いた探偵小説を読んでそこに狙ってある面白昧を一向面白いとも思わなかったりするようなことは、私たちがよく経験することだ。純粋な探偵小説に対してもその好みとするところは中々合致しないようである。本誌新年号所載西田政治氏訳チェスタトンの 「奇樹物語」 を読んでみて、私は久々で本物の探偵小説を読んだというような気持がした。探偵小説には 「奇樹物語」 が取扱っているような面白昧を狙ったものが非常に多いが、チェスタトンはいつもそれらに立勝ってその面白味をよく発揮してくれている。終始セカセカして気狂いのようなことばかりを言い、それが本当の性格かどうかも分らぬような教授であるとか、人のことはおろか自分のことさえ一向に頓着もしていない風の、これまた捉え所のない詩人であるとか、そういうような一種変てこな連中ばかりがヒョコヒョコと顔を出して、わけの分り兼ねる勝手なことばかりを喋りちらす。そういう変人たちの言うことすることが、チェスタトンの書く話の中に皆うまく嵌り込んでしまう。「奇樹物語」 の世にも変てこな枝振りの樹木というのも同じことで、チェスタトンの探偵小説には打ってつけの道具立であるが、チェスタトンがこんなのを持ち出すと生きもののように面白く立働く。この変てこな枝振りの木にうっとりとなってこれを買い取り、そのまわりに塀を結いめぐらして宝のように大事にし出すというだけでも人を喰った面白味があるが、そのうちに二重分離の精紳病だなぞとなんだか本当のようなことを尤もらしく言い出して、奇樹の持主である詩人ウインドラッシュ先生を否応なく気狂い病院に舁ぎこんでしまうなぞは、その後の話共々にチェスタトンの探偵小説の典型的な面白味を発揮していると思う。よく考えてみるとなんだか辻褄の合わぬところが出て来そうであるが、余計なことを考えてつまらなくしては損だからと、深入りして詮索するのはこちらから避けたい気にさえなる。私にはこの話は殆んど隅から隅まで面白く、なによりも有難いことには読みながら終始愉快であった。楽しんで読める探偵小説というのはこういう種類のものではないかと思った。最初に言ったように、探偵小説を好いている人でも、この種の話をさして面白がらぬ人もきっとあるであろうが、私の探偵小説趣味の一つはチェスタトンの探偵小説によって殊に満足させられるのである。スリル、サスペンスで緊迫した探偵小説も好きであるし、謎々の退屈探偵小説も面白い。心理性格の謎を絡ませた心理探偵小説もその出現を待つけれども、「奇樹物語」 の如きもまた探偵小説にごく相応しい姿の現われにちがいないと思う。我々に与えられる創作探偵小説には真正面から真面目に取組んで行くというようなものが比較的多く、のんびりとして甚だ人を喰った面白味の探偵小説、例えばこのチェスタトンやそれからノックスなどの探偵小説に類するものが非常に尠い。むろんこれは我々と英人との気質の相違、好みの相違の現われなのであろうが、ひたむきな真面目さの中になにか探偵小説の面白味として欠けているものがあるように思われぬでもない。やはり本誌に訳載されていたチェスタトンの 「消失五人男」 というのを読んでみたときにも、矢張りそのようなことを思った。或る書物を開くとそれを開いた人は忽ちに消失してしまう、という話が、いかにも本当のように語られてあって、チェスタトンが書くとそんな莫迦なことがあるものかということを考える前に、その話の奇抜さ面白さにすっかり参ってしまう。そしてまたその奇蹟の種明しというやつが少しも莫迦々々しく思えて来ない。人を喰った種明しを聞いて一層面白くなって、やれやれ面白い探偵小説を読んだという気持で納まる。「船富家の惨劇」 や 「瀬戸内海の惨劇」 などの蒼井雄君の本格物は、クロフツの翻案臭を帯び外国物臭いという評をよく耳にするが、私にはそういうことよりも蒼井君の本格物はいかにも日本の探偵小説の傾きを誇張して見せているように思われるのである。本当に真正面から正々堂々と、そしてあくまでも厳格に終始しているのがそういう感じを抱かせる。「奇樹物語」 の傍業的な、力み返ったようなところの一向にない、そして頓珍漢な面白味というようなものとは背を向け合っている如き探偵小説である。我が国の探偵作家は創作態度が多く真剣であるから、高級な力作も生れよう代りには奇樹物語のような作品は滅多に出て来ないというものである。

 「奇樹物語」 は故小酒井不木氏の訳文で昔読んだ 「孔雀の樹」 に何処となく似通っているようである。「孔雀の樹」 に較べれば構想と香気と意気込みとに於て見劣りがするが、しかしいかにもこれはチェスタトンの探偵小説らしい作品である。そして、前号この欄に書いた娯楽探偵小説としてこれなどこそその好例として挙げたいと思う。


〈ぷろふいる〉 昭和12年2月号掲載。『探偵小説のプロフィル』 未収録エッセイ。〈ぷろふいる〉 昭和12年1月号から4月号まで、4回にわたって、井上良夫は「探偵小説時評」を連載している。ここに掲載したのは、その第2回のチェスタトンを取り上げた部分である。「奇樹物語」 (「ぷろふいる」 昭和12年1月号) とは、『四人の申し分なき重罪人』 の第2話 「頼もしい藪医者」 のこと。西田政治はその後 「タルボイス卿狙撃事件」(「シュピオ」昭和12年10月〜12月号)として、第1話 「穏和な殺人者」 も翻訳している。ちなみに 「消失五人男」 は 『ブラウン神父の醜聞』 所収の 「古書の呪い」 の旧訳題。「孔雀の樹」 は現在、「驕りの樹」 として 『奇商クラブ』 に併録されている。
〈ぷろふいる〉 では当時、蒼井雄の長篇 『瀬戸内海の惨劇』 が連載中で、ちょうどこの時評の載った昭和12年2月号で完結している。井上は次号の 「探偵小説時評(三)」 で早速この作品を取り上げ、「実に複雑な筋が驚くほ綿密に配列按配してあるのにホトホト感服してしまった」 といい、詳細な分析を試みている。『探偵小説のプロフィル』 に全文が採録してあるので是非ご覧いただきたい。

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