昭和十年度の翻訳探偵小説

井上良夫


日本の創作探偵小読は、いろいろと新しい工夫試みが取り入れられているのと、興味の偏することが少ないので、次々と読んでいる場合には外国のそれよりも概して面白いと思う。仮りに 「新青年」 を見ていると、毎月二三編づつ現われる作品はそれぞれが特異な面白味を持っているし、全体として変化に富んでいて、飽くことがなく、読者としては大変楽しみである。比較の好資料として、エラリ・クイーン氏が主宰していたアメリカの廃刊雑誌 「ミステリ・リーグ」 をまた持って来てみるが、この雑誌の看板になっていた専売の読切長篇物と、「新青年」 の近頃の二回分載物とを比較してみるといい。「ミステリ・リーグ」 誌にしても勿論興味が偏しないようとの苦心があったには違いないが、創刊号から廃刊号まで (ホンの僅かであるが) 四冊の読切物は、とにかく英米で知られた作家の手になる本格傾向の探偵小説ばかりであった。一方 「新青年」 の二回分載物はというと、大下氏の 「烙印」 に始まって甲賀氏の 「黄鳥の嘆き」 海野氏の 「三人の双生児」 木々氏の「幽霊水兵」 今度の夢野氏の 「巡査殉職」――とこう並べてみただけでも種々様々、すべて探偵小説ではあるが夫々明瞭に異った興味を持っていて、乱歩氏が讃えるように (但しそれは甚だ小規模な時折素人芸の匂う花壇ではあるが)、全く絢爛たる日本の探偵小説界の色どりにちがいない。編輯をしていたエラリ・クイーン氏が見たら、その多様さはきっと彼の目に羨しく映ったことであろう。

 実際日本の探偵小説界は次から次と読んでいて楽しみだと思う。

 ただこのとりどりな色彩の中で、たった一つ物足りない色合いは、云うまでもなく論理的興味を中心にした本格探偵小説だ。尤も私としては、どれもこれもと云ってもい程真正面からばかり本格物の興味にぶっつかっている英米探偵小説の主流よりも、本格的興味を面白いストーリイの中へ巧みに織込んで、色んな装飾で飾って見せてくれている日本の変格的の探偵小説の傾向の方が (その中には甲賀三郎氏の短篇も含めて)、概して、読んでいて面白い。(真正面からかかったものでも、乱歩氏の一部の作の如き、規模はともかくとして、そのうまみに於ては本場の傑作ですら及び難い例外作品があるが) 併しとにかく、探偵小説の絢爛さを増すためには、その本来の色彩であり、また主なる栄養分でもあるところの、本格探偵小説の面白味がもっと書き究められて欲しいものだと思う。

 そんな風な考えから私は昭和十年度の翻訳作品を回顧してみる。

昭和十年度の我が探偵小説壇では、創作陣に於て第二の繁栄期の第一段階が築き上げられて行ったのに歩調を合わせるようにして、翻訳界はまた華麗な翻訳叢書時代のスタートを切り始めた。

その昔、森下雨村先生の御努力で、探偵小説黎明期が漸くに見え飴めた時、ファンを喜ばせたものは博文舘の欧米探偵小説傑作叢書五十巻の翻訳出版であった。それから十四五年経過した昭和十年度に於て、その壮挙がまたも再現したのだ。柳香書院の 「世界探偵名作全集」 と黒白書房の 「世界探偵傑作叢書」 との二つの事業がそれである。そして、このたびこそは我が国に於て最も寂寥を覚えさせられる論理的探偵小説の 「粋」 が集められているのだ。それらの傑出作品は、我が団ファンの渇を充分に癒すであろうし、またそれらが一般ファン並びに作家諸氏の嗜好に強く投じた時には、(また全然相反した時にも) 恐らく今後の日本探偵小説界の流れに若干の変化影響を与えるであろうとさえ考えられる。

単行本の方はあと廻わしにして、雑誌に現われたものを見ると、昭和十年度は短篇作家としてのエラリイ・クイーンの姿が目立った一つであったように思われる。紹介されたクイーンの短篇のうちでは、「ぷろふいる」 誌上に西田政治氏によって訳出された 「黒猫失踪」 が一番傑れているだろう。クイーンの短篇も、形式手法とも多く旧套を出でず、新鮮な興味を提供してくれていない。新しい方面への努力が窺われない。我が甲賀三郎氏の最近のものと比較すると、そうした意味では甚だ見劣りがする。併し古臭いながらもやはり学ぶべき所は大いにある。「黒猫失踪」 その他に見られる作者の論理的な考え方の確かさと、着想の上に顕著なウィットなどを挙げておきたい。「黒猫失踪」 の論理の裏付けは、一見簡単ながら、成程、やはりあれだけの傑れた、大がかりな長篇の書ける人だと頷かれる。もう一つの着想の上のウィットこそは大いに学ぶべきだと思う。この作の七匹の黒猫の、着想そのものと、扱い方とは、甚だ奇抜であり、気が利いている。一体に日本人の書く探偵小説はかかる奇智の閃きに乏しい。ドイルなりルブランなり、フリーマン、チェスタトンなどの書いた傑れた幾つかの短篇は真に奇智の所産であった。着想、筋の運び方がすこぶるウィッティである。構成の緻密さ、新知識の消化、心理性格の裏付け、それらもまことに望ましいが、軽快奇抜なウィットの閃きもほしいものである。クイーンの 「黒猫失踪」 がそのことを更めて私に痛感させた。

 同じく西田政治氏の訳筆で 「ぷろふいる」 誌に載ったポーストの 「ショウバネー探険日記」 は立派な短篇探偵小説であろと思う。一体私はこのポーストという物故したアメリカの作家を非常に高く買っており、尊敬している僅少作家の一人なのであるが、一体に圧するばかりの威厳に溢れ、全篇甚だ劇的であり、登場する人物がまるで千両役者を思わせるような彼の大人びた作風に較べてみると、クイーンの短篇などもひどく子供っぽくさえ感ぜられて了う。西田氏に訳出された 「ショウバネーの探険日記」 は、「大暗号 【グレエト・サイファー】」 と題して、ポーストの興味ある短篇集 「ムッシウ・ヨンケル」 の巻頭を飾る傑作であるが、ヴァン・ダインなどは、さしづめポオの 「ゴールド・バッグ」 あたりを除くなら、それは恐らく英語で書かれた探偵小説中の白眉であろう、と云って、打込んでいるらしい一篇である。私は別に暗号小説としての価値を特に高く買うのではないが、ショウバネー博士の気狂いじみた日誌を次第に正常に意味づけて行くムッシウ・ヨンケルの劇的解読は、不思議なくらいに魅惑的である。謎、推理、解決、という盛られた三つの興味の限界を悉くぼかして、渾然たるミステリの中から湧き上らせている朦朧たる雰囲気は、最初の一行から最後の一句にまで亙りたちこめていて、一種お伽噺めいたその強烈特異な魅力は短篇探偵作家としての作者の際立った手腕の程を窺わせる。

 いま一つ、注目に価するものは、延原謙氏により 「新青年」 誌上に訳載せられたフィルポッツの 「バルバドス島事件」 (原名 「スリー・デッド・メン」) であろう。「物的証拠にも情況証拠にも頼るべき所が少ないような場合、関係者達の過去の行跡をよく検べてみて、これと矛盾するところの少ない行為は彼等の真実の性格の現われであると眺めて行って判断を下してみるがよい。」 と最後に全篇の面白味を要約して云っている警察官の教訓は、これまで探偵小説が案外無頓着に過ごして来た深い興味の一方向を指示している言葉であると思う。この一篇には啓発される所があってほしいものである。

 以上のクイーンとポーストとフィルポッツの三つの短篇探偵小説は、それぞれの持味に於て、高いレベルに達し得ている日本の探偵小説、というよりも、色んな方向に試みの手が伸ばされている若き日本の探偵文壇に於て、注目さるべき作品であったと考えられる。

 翻訳単行本では黒白書房の 「緯度殺人事件」 も、大人びた作風の、注意されてよい作品の一つであろう.この作は、作者ルーファス・キング氏の特徴で、激情的なところの無いのが読んでいて如何にも物足りないが、一面その玄人らしい汚抜けのした作風は、我が甲賀三郎氏の探偵小説への所論を比較的よく表わしているもののように考えられる。(以下甲賀氏の所説を抜粋させて頂く。) 「探偵小説講話」 に於て甲賀三郎氏が 「探偵小説とは何ぞや、とか、又は探偵小説の作り方とか、鑑賞の仕方とか、いう鹿爪らしい事になればこそ、推理という事が事々しく論じられるのだが、読者にとってはスラスラと読めるのを第一とする。そのすらすらと読めるうちに、読者は別に労せずして推理をやっている、というのでなければならない。そこに作者の苦心と腕がある訳である。」 と云われ、また、「スラスラと読んでいながら、つまりあまり読者の頭を労することなくして、推理が出来る事が肝要である.それと同時に、最後の解決を十分推理し得べきデータを提供して置く事は、探偵作家の最も考慮すべき所である。」 (第三講第十節より) と教えていられるが、キングの 「緯度殺人事件」 はこうした甲賀氏の探偵小説への注文をよく取入れている作品であると思うし、作風に何んとなく大人びた感じがあることを始めとして、甲賀三郎氏の最近の多分の落着きを持つた作物と共通した持味があるのが感じられるように思う。私の所謂装飾論理の無い論理的探偵小説、眩惑奇術的色彩のない本格探偵小説としての、相当手際のいい作品の一つである。   

 私は十年度翻訳探偵物の悉くを読んだのでないから、以上は案外狭い範囲での話であること、課せられた題とあまりピッタリしていないことと、それを併せて、お詫びしておきたい。

《ぷろふいる》 昭和10年12月号掲載。『探偵小説のプロフィル』 未収録。文中にあるとおり、昭和10年 (1935) は春秋社 (傑作探偵叢書)、黒白書房 (世界探偵傑作叢書)、柳香書院 (世界探偵名作全集)、日本公論社など、各社から翻訳探偵小説全集が発刊され、翻訳ミステリ第二の山ともいうべき活況を呈していた。井上良夫も柳香書院企画の作品選定、翻訳に関わるなど、積極的に海外作品紹介に乗り出している。本文中で触れられている短篇の戦後の邦題をあげておく。
  クイーン 「黒猫失踪」 → 「七匹の黒猫の冒険」
  ポースト 「ショウバネーの探検日記」 → 「大暗号」
  フィルポッツ 「バルバドス島事件」 → 「三死人」

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