―今日は何の日―
【4月】


4月1日
◆1809年のこの日、『死せる魂』『外套』『鼻』のニコライ・ゴーゴリがウクライナのプルタワ県ミルゴロド郡のソローチンツィ村に生まれる。故郷ウクライナに材をとった作品集『ディカーニカ近郷夜話』『ミルゴロド』には、魔女や妖怪、異教の信仰が登場するフォークロア的作品が含まれている。なかでも『ミルゴロド』収録の中篇「ヴィイ」は妖怪小説の傑作。《妖婆 死棺の呪い》(1967)としてソビエトで映画化され、水木しげるも貸本漫画時代に「死人つき」として越前・柏崎の妙智寺に舞台を移して翻案、のちにTV版《ゲゲゲの鬼太郎》の一挿話に仕立て直された。
◆1841年のこの日、エドガー・アラン・ポー「モルグ街の殺人」が〈グレアム・マガジン〉に掲載される。
◆1845年のこの日、170冊以上のミステリ・冒険小説を発表した20世紀初頭の大ベストセラー作家エドガー・ウォレスが、ロンドンのグリニッジで女優の私生児として生まれる。魚市場の人夫の家で育てられ、幼いころから新聞売りやメッセンジャーボーイ、印刷工、靴屋、漁師として働きながら、独学で知識を身につけ、陸軍勤務を経て通信社の社員となる。しかし、名誉毀損裁判にまきこまれて解雇、浪費癖のせいもあって莫大な借金に苦しみ、窮余の策として書き上げた『正義の四人』がたちまちベストセラーに。流行作家としてのスタートを切った。スリラー作品が多いが、本格ファンがチェックすべきは短篇のJ・G・リーダー氏物だろう。
◆1929年のこの日、小酒井不木が死去。肺結核に蝕まれた体で、39年の短い生涯に驚くほど多方面かつ大量の仕事を残した万能知の人。
◆1966年のこの日、『第三の警官』の奇才フラン・オブライエンが死去。


4月2日
◆1914年のこの日、ブラウン神父や英国情報部員ジョージ・スマイリーを演じたこともある名優アレック・ギネスがロンドンで生まれる。英国イーリング・コメディの傑作《カインド・ハート》では、爵位継承を狙う青年によって次々に殺されていく公爵一族を一人八役で演じた。
◆1940年のこの日、怪奇小説やミステリ、オカルティズム、パルプマガジン、ホームズ物などのアンソロジストとして知られるピーター・へイニングが生まれる。邦訳されたヘイニングの編著は、『ディナーで殺人を』『魔法使いになる14の方法』(創元推理文庫)、『ヴァンパイア・コレクション』(角川文庫)、『死のドライブ』(文春文庫)、『ウィッチクラフト・リーダー』(ソノラマ文庫)、『ワイン通の復讐』(心交社)、『図説世界霊界伝承事典』(柏書房)、『テレビ版 名探偵ポワロ』『NHKテレビ版 シャーロック・ホームズの冒険』(求龍堂)。図版資料を集めたヴィジュアルブックも多数編纂しており、『怪物世界』『妖精異郷』『幽霊屋敷』の《深夜画廊(ナイト・ギャラリー)》全3巻(国書刊行会)、『魔女と黒魔術』(主婦と生活社)が紹介されている。ちなみに昭和48年に出た『魔女と黒魔術』は当時数少ないオカルト図像文献として珍重され、手塚治虫『ばるぼら』などにも影響を与えているという。
◆2002年のこの日、『うまい犯罪、しゃれた殺人』『快盗ルビイ・マーチンスン』などの短篇の名手ヘンリー・スレッサーが死去。
◆2024年のこの日、『酔いどれ草の仲買人』『キマイラ』『レターズ』のジョン・バースがフロリダ州ボニータ・スプリングズで死去。享年93。
4月3日
◆1936年のこの日、リンドバーグ・ジュニアの誘拐殺人事件で逮捕、死刑判決を受けたブルーノ・ハウプトマンが電気椅子で処刑される。
◆同年同日、『骨と沈黙』『完璧な絵画』のレジナルド・ヒルが、英国ダラム州で生まれる。
◆1968年のこの日、三島由紀夫の戯曲『黒蜥蜴』(原作・江戸川乱歩)が渋谷の東横劇場で再演初日を迎える(初演は1962年、水谷八重子主演)。黒蜥蜴役に三島自身の要請で丸山明宏(現・美輪明宏)を起用、天知茂が明智小五郎を演じた6年ぶりの再演は大ヒットし、歌舞伎座公演のあと、翌年にかけて名古屋、京都、大阪、九州をまわり、69年10月には再び東横劇場で凱旋公演を行なっている。その間、丸山明宏、木村功主演で映画も製作され(監督=深作欣二)、68年8月に封切られた。
◆1971年のこの日、エラリイ・クイーンの片割れ、マンフレッド・B・リーが死去。
4月4日
◆1929年のこの日、『推理小説と暗号』など暗号をめぐる多数の著書をもち、日本暗号協会(1986設立)初代会長の長田順行が広島県呉市で生まれる。元海上自衛隊一佐。監修者をつとめた『秘文字』(社会思想社)は、泡坂妻夫、中井英夫、日影丈吉の暗号小説を、さらに暗号で表記した恐るべき奇書。袋とじされた長田の解説「暗号法とその解き方」を手がかりに暗号を読み解かないと、読むことができない。
4月5日
◆1834年のこの日、史上最も有名なリドル・ストーリー「女か虎か」の作者フランク・ストックトンが、フィラデルフィアで生まれる。「女か虎か」には、あまり知られていない続篇「三日月刀の促進士」があるのだが、これがまたリドル・ストーリーで、読者は再び宙ぶらりんな状態におかれることになる。ちなみにジャック・モフィットが書いた解決篇「女と虎と」も、皮肉な味があって悪くない。《ミステリマガジン》2011年3月号に、アブラハム・ネイサン「異版 女か虎か」(山口雅也訳)が掲載された。
◆1894年のこの日、3年前、スイス・アルプス山中のライへンバッハの滝で死亡したはずのシャーロック・ホームズが、ワトスンの前に姿をあらわす。モリアーティ教授との格闘で九死に一生を得たホームズは、その空白期に2年間チベットに滞在し、その後ペルシアを通ってイスラムの聖地メッカに潜入、カリフと会見を果たし、そのあと南フランスの研究所でコールタールの派生物の研究をしていたという。しかし、「帰還」以後の事件解決の腕前から、帰ってきたホームズは、ライへンバッハで消えたホームズとは別人ではないかと疑う向きもいる。
◆1912年のこの日、ロンドンのセント・キャサリンズ・ドックで、荷揚げ中に破損した樽の中から数枚のソヴリン金貨と若い女性の死体が発見される。フリーマン・ウイルズ・クロフツ『樽』(1920)の印象的なオープニング。
◆1917年のこの日、ロバート・ブロックがシカゴで生まれる。10代のうちにラヴクラフト模倣者の一人として怪奇パルプ雑誌《ウィアード・テールズ》で出発したブロックは、やがて心理学を導入した新感覚の恐怖小説の書き手として頭角を現し、郊外の寂れたモーテルを舞台にアメリカの新しい恐怖を描いた『サイコ』(59)は、ヒッチコックの映画化のおかげもあって、異常心理ミステリの不滅の金字塔となった。
◆1933年のこの日、ハワイの中国系警察官チャーリー・チャン・シリーズで一世を風靡したE・D・ビガーズが死去。
4月6日
◆1862年のこの日、南北戦争に北軍兵士として参加したフィッツ=ジェイムズ・オブライエンが、2月の戦闘中に受けた傷が悪化し、35歳で死去。「ダイヤモンドのレンズ」「ワンダースミス」など、独創的な幻想短篇は時代を遥かに先駆けていた。
◆1902年のこの日、久生十蘭が函館市で生まれる。
◆1980年のこの日、「みどりの想い」「ナツメグの味」「クリスマスに帰る」などの異色短篇の作者、詩人のジョン・コリアが死去。1920年代にオックスフォードに留学した詩人、西脇順三郎は、青年時代のコリアとも親交を結んでいる。
◆1992年のこの日、アイザック・アシモフが死去。
4月7日
◆1914年のこの日、ミステリ・SF・怪奇幻想小説に才筆をふるったヘンリー・カットナーが、ロサンジェルスで生まれる。夫人は宇宙ヴァイパイア物の傑作「シャンブロウ」で有名なSF作家C・L・ムーア。夫婦合作も多い。
◆1977年のこの日、『内なる殺人者』『サヴェッジ・ナイト』『ポップ1280』のジム・トンプスンが、養護施設で孤独な死を遂げる。
4月8日
◆1894年のこの日、盲人探偵ダンカン・マクレイン大尉シリーズの作者ベイナード・H・ケンドリックが、フィラデルフィアで生まれる。邦訳長篇は『指はよく見る』『暗闇の鬼ごっこ』しかないが、1930〜40年代のアメリカでは人気のあった作家で、MWA(アメリカ探偵作家クラブ)の創立に尽力、初代会長を務めている。
◆1901年のこの日から3日間にわたり、新婚旅行でカイロに滞在中のアレイスター・クロウリーが霊的存在エイワスから『法の書』を伝授される。
◆1943年のこの日、『神州纐纈城』『蔦葛木曾棧』などの伝奇作家、国枝史郎が死去。
◆19**年のこの日、ライツヴィルからやって来た「妖精のような娘」リーマがエラリイ・クイーンの住居を訪れ、父親トム・アンダーソン(“町の飲んだくれ”)の失踪事件を調べてほしいと訴える。
◆1988年のこの日、「陰獣」「鬼火」などの挿絵が〈新青年〉を飾った特異な画家、竹中英太郎が死去。
4月9日
◆1875年のこの日、〈思考機械〉の作者ジャック・フットレルが、ジョージア州パイク・カウンティで生まれる。
◆1892年のこの日、佐藤春夫が和歌山県新宮市で生まれる。
◆1909年のこの日、怪奇小説のアンソロジー・ピース「上段寝台」「泣きさけぶどくろ」「血は命の水だから」で有名なF・マリオン・クロフォードが死去。『プラハの妖術師』などの長篇もあるクロフォードは、イタリアを舞台にしたロマンティックな小説で人気を博した19世紀末の流行作家でもあった。
◆1915年のこの日、レナード・ウィバーリーがアイルランドのダブリンで生まれる。ピーター・セラーズ主演で映画化もされた『小鼠ニューヨークを侵略』以下の〈小鼠〉シリーズが有名だが、レナード・ホールトン名義では、元海軍の軍人で、優れたボクサーでもあるブレッダー神父が探偵役をつとめる謎解き物を11作発表している。《Deliver Us from the Wolves》(1963)では、ポルトガル訪問中の神父が狼男伝説の絡んだ怪事件に遭遇する。
◆2002年のこの日、中薗英助が肺炎のため死去。享年81。
4月10日
◆1880年のこの日、『ゴシック探究』(1938)、『ゴシック書誌』(1940) などの著作で20世紀初めのゴシック小説リヴァイヴァルに寄与したモンタギュー・サマーズ師が、英国ブリストル近郊のクリフトンで生まれる。他に王政復古期演劇、吸血鬼、人狼、魔女、魔術妖術、悪魔崇拝等の研究書を著し(日夏耿之介『吸血妖魅考』は実質的にサマーズの著作を編訳したもの)、怪奇小説アンソロジーも編んでいる。悪魔学や超自然の研究に手を染め、魔術師アレイスター・クロウリーとも親交を結んだ、聖職者としてはきわめて異色の存在であった。
◆1901年のこの日、後に作家アンナ・カヴァンとなるヘレン・エミリー・ウッズが、南フランスのカンヌで裕福なイギリス人家庭に生まれる。結婚後、ヘレン・ファーガソン名義で数冊の小説を発表するが、真に独創的な、注目すべき創作活動を開始したのは、アンナ・カヴァン名義の第一作『アサイラム・ピース』(1940)から。
◆1966年のこの日、『大転落』『黒いいたずら』『一握の塵』『ピンフォールドの試練』のイーヴリン・ウォーが死去。
4月11日
◆1862年のこの日、科学者探偵ソーンダイク博士の作者で、短篇集『歌う白骨』で倒叙形式を開拓したR・オースティン・フリーマンがロンドンで生まれる。日本では短篇作家の印象が強いフリーマンだが、ソーンダイク博士シリーズには21作の長篇がある。『赤い拇指紋』『オシリスの眼』などの邦訳があるが、近年、中期の代表作『証拠は眠る』、後期の『猿の肖像』が紹介された。
◆1935年のこの日、『リーヴェンワース事件』他の作品で、アメリカ探偵小説黎明期の人気作家となったアンナ・キャサリン・グリーンが死去。
◆1939年のこの日、S・S・ヴァン・ダインことウィラード・ハンティントン・ライトが死去。病床にあったライトの最期を看取った二度目の妻クレアは、数週間後、ファイロ・ヴァンス・シリーズを世に送り出したスクリブナー社の名編集者マックスウェル・パーキンスにこう書き送っている。「火曜日、わたしたちは幸せな一刻をすごしました。彼の調子も良さそうで、早く起きられるようになりたいと言いました。わたしが看護婦を手伝って夕食の世話をしている間も、あれこれとジョークをとばし、わたしが話すニュースにコメントをはさんだりしていました。そして突然、枕にもたれたかと思うと逝ってしまいました――静かに、苦痛もなく」四月にしては肌寒く、曇りがちな日だったという。
◆1957年のこの日、『樽』(1920)で英国探偵小説黄金時代の幕開けを飾ったフリーマン・ウィルズ・クロフツが死去。
◆2007年のこの日、カート・ヴォネガットがニューヨーク市内で死去。享年84。『スローターハウス5』『猫のゆりかご』『タイタンの妖女』『プレイヤー・ピアノ』などの作品は大きな影響をアメリカの若者たちに与えた。
4月12日
◆1886年のこの日、大倉Y子(てるこ)、本名物集(もずめ)芳子が、国語学者、物集高見の三女として東京で生まれる。外交官と結婚して海外滞在中に探偵小説に親しみ、帰国後、森下雨村と知り合い、創作に手を染める。短篇集『踊る人影』(1935)を上梓、戦前には珍しい女性探偵作家であった。戦後も70篇ほどの短篇を発表している。
4月13日
◆1894年のこの日、話芸の神様、徳川夢声が島根県益田市に生まれる。探偵小説界との縁は戦前から深く、創作「オベタイ・ブルブル事件」「ポカピカン」などを《新青年》に発表、戦後は高木彬光、鮎川哲也、笹沢佐保、夏樹静子らが脚本に参加したNHKテレビの人気推理クイズ番組《私だけが知っている》の司会(徳川探偵局長)をつとめた。また、『問答有用』に収録された江戸川乱歩との対談では、「で、同性愛はどうだったの?」と尋ね、「文献的には研究しているよ、実行はあまりしないがね」という乱歩に、「あんまりしないってのは、多少はするということ?」と遠慮のない突っ込みを入れている。
◆1907年のこの日、島田一男が京都市に生まれる。『古墳殺人事件』『錦絵殺人事件』の初期作は、ヴァン・ダイン風の謎解き物だったが、やがて新聞記者や警察官を主人公にしたテンポのいい作品で人気を確立、脚本を担当したNHKドラマ《事件記者》(1958-66)は驚異的な視聴率を記録した。
◆1943年のこの日、ビル・プロンジーニがカリフォルニア州ペタルーマで生まれる。〈名無しの探偵〉シリーズが有名だが、評論家としての活躍もめざましく、夫人マーシャ・マラーと共編の《1001 Midnights: The Aficionado's Guide to Mystery and Detective Fiction》は880頁にも及ぶ浩瀚なミステリガイド。「くず」ミステリを集中的に取り上げた《Gun in Cheek》《Son of Gun in Cheek》も愉しい本(タイトルは「tongue in cheek(からかい半分、不真面目な)」のもじり)。
4月14日
◆1865年のこの日、第16代アメリカ大統領エイブラハム・リンカーンが、ワシントンDCのフォード劇場で観劇中に狙撃され、翌日死亡。犯人はジョン・ウィルクス・ブースという役者だった。ちなみにリンカーンは死の数日前に、自分の暗殺を予知する夢を見ていたともいい、また、ホワイトハウスでは彼の幽霊がしばしば目撃されている。
◆1879年のこの日、《マニュエル伝》シリーズの作者ジェイムズ・ブランチ・キャベルがヴァージニア州リッチモンドで生まれる。シリーズの一作『ジャーゲン』(1919)は猥褻文書として起訴されたことで有名になったが、《マニュエル伝》は1920年代には高い評価を集め、広く人気を博した。邦訳に『ジャーゲン』のほか、『夢想の秘密』『イヴのことを少し』『土のひとがた』がある。
◆1897年のこの日、『彼らは廃馬を撃つ』『明日に別れの接吻を』のホレス・マッコイが、テネシー州ペグラムで生まれる。
◆1912年のこの日、午後11時40分、大西洋横断客船タイタニック号が氷山と衝突、翌未明にかけて沈み始める。この船に乗っていた詐欺師アルヴィン・クラレンス・トンプスンは女装して救命ボートに乗り込み、九死に一生を得、以後、犯罪者仲間でタイタニック・トンプスンの異名をとる。
◆1926年のこの日、『夜鳥』のモーリス・ルヴェルが死去。
◆1963年のこの日、銭形平次の作者、野村胡堂が死去。
◆2006年のこの日、『死を忘れるな』『ミス・ブロウディの青春』『運転席』等のイギリス作家ミュリエル・スパークがフィレンツェの病院で死去。享年88。
4月15日
◆1843年のこの日、ヘンリー・ジェイムズがニューヨーク市で生まれる。『ねじの回転』は幽霊小説の古典。他にも「エドマンド・オーム卿」「ある古衣の物語」などの怪奇短篇がある。
◆1912年のこの日、午前2時20分、タイタニック号が沈没。乗船していた作家ジャック・フットレルは妻と子供を救命ボートに乗せると、自分は船と運命をともにした。このとき数篇の〈思考機械〉物の原稿も作者と共に海底に沈んだという。マックス・A・コリンズ『タイタニックの殺人』は、タイタニック号で殺人事件が発生、船側の要請でフットレルが調査に乗り出すというもの。また、若竹七海『海神の晩餐』は、フットレルと共に海の藻屑となったはずの〈思考機械〉物の短篇原稿をめぐる事件を描き、島田荘司『水晶のピラミッド』のタイタニック号の挿話にもフットレルを思わせる人物が登場する。
◆1927年のこの日、『黄色い部屋の謎』『黒衣夫人の香り』以下のルルタビイユ・シリーズ、『オペラ座の怪人』などの作者ガストン・ルルーが死去。
4月16日
◆1825年のこの日、『夢魔』の画家、ヨハン・ハインリヒ・フュースリ(ヘンリー・フューズリ)が死去。スイスのチューリヒ生まれで、観相学の祖ヨハン・カスパー・ラファーターと親交を結び、その著作にも協力した。画家としての活動は政治的な問題で国外追放となり渡英してから。
◆1922年のこの日、作家・詩人キングズリー・エイミスがロンドンで生まれる。1950年代英国の所謂〈怒れる若者たち〉のひとり。ミステリ・ファンとしても有名で、『リヴァーサイドの殺人』、ジェイムズ・ボンドのパスティーシュ『007/孫大佐』、研究書『ジェイムズ・ボンド白書』などを執筆している。他に『グリーン・マン』はちょっと風変りな恐怖小説で、『地獄の新地図』は有名なSF評論。
◆1956年のこの日、ニッポン放送で連続ラジオ・ドラマ《少年探偵団》が放送開始。語り=城達也、提供=養命酒製造。「ぼ ぼ ぼくらは少年探偵団 勇気りんりん るりの色」の歌で始まるこのドラマは、450回を数える人気番組となった。
4月17日
◆1918年のこの日(19日説もあり)、英国陸軍砲兵隊に入隊、第一次世界大戦に従軍していたウィリアム・ホープ・ホジスンが、ベルギーのイーペルで砲弾の直撃を受け戦死。海の怪異や異世界の恐怖を描いた作家ホジスンの『グレン・キャリグ号のボート』『幽霊海賊』『異次元を覗く家』の〈ボーダーランド三部作〉、『ナイトランド』の圧倒的な異界感覚は、同時代の怪奇作家の中でも突出している。
◆1997年のこの日、ローラン・トポールが死去。『幻の下宿人』『リュシエンヌに薔薇を』『カフェ・パニック』などのブラック・ユーモア小説や、ビザールな漫画(澁澤龍彦編『マゾヒストたち』という本も)で知られるが、単に異色作家という以上に「ヘンな作家」という印象がある。俳優としても、ヘルツォークの映画《ノスフェラトゥ》では吸血鬼伯爵の僕となる狂人レンフィールドを怪演、摩訶不思議なフランスのSFアニメーション映画《ファンタスティック・プラネット》の脚本も手がけている。『幻の下宿人』をポランスキーが映画化、自ら主演した《テナント/恐怖を借りた男》もビザールな映画だった。
4月18日
◆1905年のこの日、中川信夫が京都府に生まれる。1950年代に新東宝で《東海道四谷怪談》《怪談累が渕》《女吸血鬼》《憲兵と幽霊》《亡霊怪猫屋敷》《地獄》などの怪談映画を監督、82年にATGで撮った最後の作品も《怪異談・生きてゐる小平次》だった。TVでも《牡丹灯籠/鬼火の巻・蛍火の巻》(日本怪談劇場)などの傑作を残している。怪奇物以外の仕事も多く、大坪砂男原作の《私刑(リンチ)》も評価が高い。
◆1922年のこの日、《クォーターマス》シリーズの脚本家ナイジェル・ニールがイギリスのマン島で生まれる。1950年代にBBCで製作された科学者クォーターマス博士が活躍するSF・テレビドラマ・シリーズは大人気を博し、ハマー・フィルムで映画化もされた。邦訳短篇集に『トマト・ケイン』がある。ちなみに息子は『英国紳士、エデンヘ行く』のマシュー・ニール。
◆1964年のこの日、作家・脚本家・ジャーナリストとしてマルチな才能を発揮したベン・ヘクトが死去。《汚名》《白い恐怖》《暗黒街の顔役》《ヒズ・ガール・フランデー》《特急二十世紀》《死の接吻》《武器よさらば》などの脚本を手がけ、《生きてゐるモレア》《情熱なき犯罪》では製作・監督もかねている。
4月19日
◆1869年のこの日、〈アブナー伯父〉の作者メルヴィル・デイヴィスン・ポーストが、ウェストヴァージニア州ロミネス・ミルズで生まれる。
◆1901年のこの日、グラディス・ミッチェルがオックスフォードシャー、カウリーで生まれる。爬虫類を思わせる特異な風貌で、魔女の血を引くという精神分析学者ミセス・ブラッドリーが活躍する『ソルトマーシュの殺人』『月が昇るとき』のオフビートな味は好評をもって迎えられた。
◆1962年のこの日、戦前から〈新青年〉などで活躍した翻訳家・作家の妹尾アキ夫が死去。
◆1989年のこの日、『レベッカ』「鳥」のダフネ・デュ・モーリアが死去。
◆2009年のこの日、『沈んだ世界』『結晶世界』『太陽の帝国』のJ・G・バラードがロンドンで死去。
4月20日
◆1912年のこの日、『吸血鬼ドラキュラ』の作者ブラム・ストーカーが死去。晩年のストーカーは脳卒中に倒れ、腎臓疾患を患うなど、病魔に苦しめられていたが、第三期に入っていた梅毒が死因となったという説もある。最後の長篇『白蛇の巣』が女性嫌悪に満ちているのには、自身の性病体験が翳を落としているというのだが。その1年後、未亡人フローレンスは『ドラキュラ』創作ノートをオークションにかけたが、わずか2ポンドほどの値しかつかなかったという。さらにその翌年、彼女は夫の短篇作品(「判事の家」「牝猫」などは怪奇アンソロジーの定番)をまとめ、『ドラキュラ』から最終的に割愛された一章を加えて『ドラキュラの客』を刊行している。映画という新しいメディアによって、新たなドラキュラ伝説が始まるのは、1922年、ムルナウの《ノスフェラトゥ》以降のことである(しかし、著作権を無視したこの映画に対して、フローレンスは訴訟を起こし、ネガとプリントの廃棄を求めた。もし彼女の要求が完全に遂行されていたら、今日、我々はムルナウの傑作を観ることはできず、文字どおり「幻の名画」となっていた筈――だが、幸いにしてそうはならなかった)。ブラム・ストーカー小伝、《ノスフェラトゥ》訴訟の経緯を含むデイヴィッド・J・スカル『ハリウッド・ゴシック―ドラキュラの世紀』は、ドラキュラ・マニア必読の一冊。
◆1939年のこの日、『最後のユニコーン』のピーター・S・ビーグルがニューヨークで生まれる。第一作『心地よく秘密めいた場所』(1960)を書き上げたのは19歳の時だったという。脚本家としてTVシリーズ《スタートレック》やラルフ・バクシのアニメ版《指輪物語》(78)にも関わった。『完全版 最後のユニコーン』(学研)は1968年発表の名作ファンタジーに37年ぶりの続篇「ふたつの心臓」を同時収録。
◆1971年のこの日、百鬼園先生こと内田百が死去。享年81。
4月21日
◆1729年のこの日、八代将軍徳川吉宗の御落胤と称して金品を集めた天一坊が、鈴ヶ森で処刑される。浜尾四郎の「殺された天一坊」は、この事件を裁いた名奉行、大岡越前守の苦悩をえがいた、浜尾短篇を代表する傑作。但し、天一坊事件が「大岡政談」に組み込まれたのは歌舞伎などの創作で、実際に天一坊の正体を見破ったのは、勘定奉行で越前守のライヴァル的存在であった稲生正武である(持病の痔による出血はなはだしく行事欠席を申請した越前守が、稲生ににべもなく却下されたのは有名な逸話)。
◆1910年のこの日、マーク・トウェインが死去。
4月22日
◆1707年のこの日、『トム・ジョーンズ』の文豪ヘンリー・フィールディングがサマセット州シャーパム・パークで生まれる。治安判事としても活躍したフィールディングには、18世紀初めのロンドン暗黒街に君臨した実在の大物犯罪者に擬して、宰相ロバート・ウォルポールを諷刺した『大盗ジョナサン・ワイルド』(1743)という作品もある。ちなみに異母弟ジョン・フィールディングもまた治安判事の職に就き、盲目ながら、スコットランド・ヤードの前身ともいうべき警察組織ボウ・ストリート・ランナーズを指揮して、ロンドンの犯罪者一掃に尽力した。J・D・カー『ロンドン橋が落ちる』、ブルース・アレクサンダー『グッドホープ邸の殺人』『グラブ街の殺人』、皆川博子『開かせていただき光栄です』などの歴史ミステリにも登場している。
◆1899年のこの日、ウラジーミル・ナボコフがサンクト・ペテルブルグで生まれる。ロシア革命時に一家で亡命、ドイツ、イギリス、フランスを転々、1940年、ナチス・ドイツ侵攻前にパリを脱出してアメリカに渡る。探偵小説好きだったナボコフは、こちらは探偵小説嫌いで有名な友人の評論家エドマンド・ウィルスン(「誰がアクロイドを殺そうが」)の夫人と、お奨め作品を教えあったりしていたらしい。

4月23日
◆1895年のこの日、『ランプリイ家の殺人』『死の序曲』『ヴァルカン劇場の夜』『道化の死』など、アレン警視シリーズで人気を博したナイオ・マーシュが、ニュージーランドのクライストチャーチで生まれる。
◆1923年のこの日、アヴラム・デイヴィッドスンがニューヨーク州ヨンカーズで生まれる。短篇「さもなくば海は牡蠣でいっぱいに」でヒューゴー賞、「ラホーア兵営事件」でMWA賞受賞、というSF・ミステリ両分野で輝かしい受賞歴をもつ異才。「ゴーレム」も怪奇アンソロジーの定番的傑作。ペダンティックで饒舌な文体(悪文家という評も)は翻訳者泣かせでもある。エラリイ・クイーン『第八の日』『三角形の第四辺』『真鍮の家』では、マンフレッド・リーに代わってプロットの肉付け作業を担当。バルカン半島の架空の王国を舞台に、驚異的な博学を誇るエステルハージ博士が怪事件を解決していく幻想ミステリ連作『エステルハージ博士の事件簿 』もあり、国際幻想文学大賞を受賞している。『10月3日の目撃者』(ソノラマ文庫・絶版)につづく本邦2冊目のデイヴィッドスン傑作集『どんがらがん』(河出書房新社)が、2005年、殊能将之編で刊行され、好評を得た。
◆1973年のこの日、世田谷区二子玉川園(遊園地)で怪獣供養がしめやかに行なわれる。TVのなかで「正義の味方」に退治されてきた四百数十頭の怪獣たちの冥福を祈って、二千人の良い子たちとその付き添いの大人たちが参列するなか、ウルトラマンやウルトラセブンらが怪獣たちの遺影を掲げて入場、円谷プロの社長が弔辞を読み、献花がなされた。……って、結局、円谷プロのイベントなんですけどね。

4月24日
◆1896年のこの日、浜尾四郎が東京麹町の男爵家、加藤照麿の四男として生まれる(戦前の喜劇王・古川ロッパは実弟)。20歳のとき、枢密院議長、浜尾新の養子となり、法律家の道をすすんだ四郎は、東京地方裁判所の検事をつとめたあと弁護士を開業。のちに貴族院議員にも選出されている。ヴァン・ダインの影響が濃厚な『殺人鬼』(1932)は、戦前探偵小説界では稀有な本格長篇として注目された。他に長篇『鉄鎖殺人事件』『博士邸の怪事件』、「誰が殺したか」「殺された天一坊」などの短篇がある。同性愛研究では乱歩の先達でもあった。
◆1914年のこの日、挿絵画家・武部本一郎が大阪・船場に生まれる。父親・藤太郎は「白凰」の号を持つ四条派の日本画家だった。児童書の世界で活躍した後、1965年からE・R・バローズ〈火星シリーズ〉(創元SF文庫)の装幀・挿絵を手がけ、他に〈ターザン〉〈地底世界ペルシダー〉、R・E・ハワード〈コナン・シリーズ〉など、SF・ファンタジーの挿絵に大きな足跡を残し、後進の画家にも多大な影響を与えた。その仕事は『武部本一郎SF挿絵原画蒐集(上・下)』(ラピュータ)等にまとめられている。
◆1987年のこの日、ジョゼフィン・ベルが死去。40冊以上の長篇がある。邦訳は『ロンドン港の殺人』のみだったが、近年『断崖は見ていた』が紹介された。
4月25日
◆1873年のこの日、詩人・小説家のウォルター・デ・ラ・メアが、ケント州チャールトンで生まれる。『死者の誘い』『魔女の箒』『ムルガーのはるかな旅(三匹の高貴な猿)』『恋のお守り』(短篇集)『妖精詩集』、他に児童書など、邦訳は意外に多い。ちなみに長男リチャードは名門出版社フェイバー・アンド・フェイバー(かつてT・S・エリオットが取締役を務めていた)に入社し、会長にまでなった。
◆1945年のこの日、戦前、欧米探偵小説の紹介・評論に活躍した井上良夫が病死。享年37。「若し君が生きてゐたら、誰よりも熱心にこの本を読み、且つ批判してくれるだらうと思ふ」と乱歩『幻影城』の献辞にある。
◆1983年のこの日、短篇ミステリのスペシャリスト、ジャック・リッチーが死去。350篇近い短篇をミステリ雑誌に執筆したリッチーだが、生前に刊行された短篇集はわずか一冊だった。
◆2004年のこの日ジョゼ・ジョバンニがスイスのローザンヌで脳出血のため死去。『穴』『オー!』『気ちがいピエロ』など、犯罪者たちの世界を描いた暗黒小説(ロマン・ノワール)で一世を風靡した。若き日のジョバンニ自身、暗黒街に出入りし、殺人事件に関与して死刑判決を受け、刑務所に収監されたことがあり、脱獄も試みている。その後、減刑され、出所後、自らの体験をもとに小説を書き始めた。その犯罪小説の多くが映画化されているが、日本での人気は岡村孝一の個性的な訳文に拠るところも大きい。
4月26日
◆1912年のこの日、SF作家A・E・ヴァン・ヴォークトが、カナダのマニトバ州ウィニペグで生まれる。1930年代から80年代まで長い作家歴をもち、『スラン』『宇宙船ビーグル号の冒険』『非Aの世界』など古典的名作を数多く残した。
◆2002年のこの日、SF作家ジョージ・アレック・エフィンジャーが死去。享年55。『重力が衰えるとき』は〈アラブ世界+サイバーパンク+ハードボイルド〉という意表をつく組み合わせで、ミステリ・ファンからも注目された。
4月27日
◆1904年のこの日、詩人セシル・デイ・ルイスがアイルランドで生まれる。屋根の修繕費用を捻出するために『証拠の問題』(1935)を書き、探偵作家ニコラス・ブレイクが誕生した、という逸話は有名だが、T・S・エリオット、W・H・オーデン、ロイ・フラー、フィリップ・ラーキンなど、英国の詩人には探偵小説愛好家が多い(西脇順三郎、鮎川信夫、中桐雅夫、田村隆一、という日本の詩人/ミステリ翻訳者の系譜を、そこに付け加えることもできるだろう)。ルイスの自伝『埋もれた時代』(南雲堂)も邦訳されているが、詩人としての活動が記述の中心で、探偵小説については多くは触れられていないようだ。
◆1977年のこの日、長沼弘毅が死去。日本におけるシャーロッキアンの草分け的存在で、『シャーロック・ホームズの知恵』(1961)など多くのシャーロッキアーナ(ホームズ関連書)を著し、エッセー集に『ミステリアーナ』『推理小説ゼミナール』、訳書にサザランド・スコット『現代推理小説の歩み』、メアリー・F・ロデル『ミステリー入門』、クリスティー『オリエント急行の殺人』『青列車の謎』『謎のエヴァンス』、G・D・H&M・コール『謎の兇器』、マニング・コールズ『ある大使の死』などがある。表の顔は、東大法学部を出て大蔵省に入り、大蔵次官にまでなった高級官僚で、その後、公正取引委員会委員長、日本コロムビア株式会社会長などを歴任、財政経済、労働問題の権威でもあった。
◆1980年のこの日、イタリアン・ホラーの巨匠マリオ・バーヴァが心臓麻痺のためローマで死去。
4月28日
◆1900年のこの日、BBCでミステリ・ラジオドラマの名作〈恐怖の契約〉シリーズなどを手がけた大物プロデューサー、ヴァル・ギールグッドが生まれる。同シリーズに脚本を提供した親友ジョン・ディクスン・カーとは、ラジオドラマ《Inspector Silence Takes the Air》も合作している。小説も執筆し、戦前訳『廃人団』はスリラーだが、『放送中の死』(1934、ホルト・マーヴェルとの合作)は、作者のよく知るBBCのスタジオを舞台に、ミステリドラマ放送中に実際に殺人事件が発生する本格物の秀作。英国演劇界を代表する名優ジョン・ギールグッドは4歳年下の弟(シェイクスピア俳優として有名だが、《間諜最後の日》《オリエント急行殺人事件》《死海殺人事件》などのミステリ映画にも出演している)。
◆1906年のこの日、ピエール・ボアローがパリで生まれる。トーマ・ナルスジャックとコンビを組む前は、不可能犯罪・密室物を得意とする本格作家で、『三つの消失』『殺人者なき六つの殺人』などの邦訳作品がある。
◆1922年のこの日、アリステア・マクリーンがスコットランドのグラスゴーで生まれる。第2次大戦中の海軍での体験をもとに書き上げた『女王陛下のユリシーズ号』(1955)でデビュー、第2作『ナヴァロンの要塞』(57)はベストセラーとなり、グレゴリー・ペック主演の映画も大ヒット、冒険小説の第一人者としての地位を確立した。
4月29日
◆1968年のこの日、作家・評論家・アンソロジストとして活躍したアントニイ・バウチャー、別名H・H・ホームズが死去。Jeffrey Marksによる評伝《Anthony Boucher: A Biobibliography》(2008)がある。
◆1980年のこの日、サスペンス映画の巨匠アルフレッド・ヒッチコックが死去。ロナルド・カークブライドのスパイ小説『みじかい夜』の映画化にとりくみ、シナリオを検討している最中だった。
4月30日
◆1938年のこの日、『リング・ワールド』のSF作家ラリー・ニーヴンがロサンジェルスで生まれる。
◆1945年のこの日、アドルフ・ヒトラーが秘書エヴァ・ブラウンと共に自殺。

HOME