山口雅也 「ミステリー倶楽部へ行こう」

国書刊行会


この企画の出発点は1977〜79年に 〈ミステリマガジン〉 に連載されたコラム 《プレイバック》 です。当時絶版の 〈幻の名作〉 を毎回1冊ずつ紹介していったこの連載は、ガボリオ、J・D・カーといった古典から、エド・マクベイン、トマス・スターリングなど戦後作家まで、幅広い作家と作品を取りあげながら、たんなる 「これ知ってる?」 というコレクター自慢とは一線を画した、枠にとらわれないミステリの読み方・楽しみ方を教えてくれた刺激的なエッセイでした。そのころ毎月25日に新しい号が出ると、まず 「近刊予告」 の頁をチェックしてから、《プレイバック》 を読み、それから小説に取りかかるという順序が決まっていたくらい、楽しみにしていたコラムでした。

もちろん当時は 「山口雅也」 が何者であるか知るはずもありませんでしたが、それから10年後の1989年、東京創元社から刊行された書き下ろし長篇 『生ける屍の死』 を目にしたとき、まず頭に浮かんだのは、「《プレイバック》 の山口雅也だ!」 ということでした。ふだん、新人のデビュー作に飛びつくことなど滅多にないのですが、このときは迷わず手に取りました。あのコラムの筆者が書いたものなら面白くないはずがない。10年たってなお、《プレイバック》 と 「山口雅也」 の名は、それほど強烈な印象を残していたのです。

そして、『生ける屍の死』 は期待以上の傑作でした。その後も山口氏の新刊を追いかけつづけ、《キッド・ピストルズ》 シリーズや 『ミステリーズ』 におけるミステリの可能性への挑戦ともいうべき試みにはすっかり魅了されましたが、同時に、折にふれ雑誌などで見かける、本格ミステリをめぐるクールで、それでいて熱さを感じさせる発言にも注目していました。1994年に 〈世界探偵小説全集〉 を企画したときには、推薦文をお願いし、「探偵小説ファンの見果てぬ夢」 という、それこそ夢のようなエッセイをいただいています。

 《プレイバック》 を中心に山口さんのエッセイ集を編めないか、と考え始めたのは、たぶんこの頃のことです。かつてJICC (現宝島社) から出ていたムック 『ミステリーの友』 にも10本ほどのエッセイが収録されていますし、カーやクイーンの文庫解説、HMMの書評も相当数あることはわかっていました。かなり内容の濃い、ヴァラエティに富んだ本ができるのではないか、と考えたのです。

 そこでまず 〈世界探偵小説全集〉 の翻訳や解説でお世話になっていた森英俊さんを通じて内々に打診していただき、その上で正式にご連絡することにしました。森さんはワセダミステリクラブで山口さんの後輩にあたりますが、実はその初仕事は、山口さんが編集した 『名探偵読本4/エラリイ・クイーンのライヴァルたち』 (パシフィカ、1979年) 収録のファイロ・ヴァンスやネロ・ウルフについてのエッセイでした。お二人ともまだ大学在学中のことです。さいわい山口さんからご快諾を得て、じゃあ一度会いましょう、という話になったのが、1995年の初夏のことでした (推薦文のときは電話とファックスでやり取りしていましたから、このときが初対面でした)。

 収録可能なエッセイをリストアップして、図書館などで集めたコピーをもとに、おおまかな収録目次案を作っていったのですが、一緒に仕事をすすめることになって、あらためて驚かされたのは、山口さんの優れた編集センスです。このときも、こちらで用意したリストを見ながら、このテーマではたしか××にも書いてるよ、あとでデータを送るから、こっちは今回外しておいたほうがいいな、とか、いきなり 《プレイバック》 からだと若い読者にはとっつき悪いかもしれないから、最初のセクションは最近の物の方がいいんじゃない、などと実に的確なアドバイスをいただき、たちまち全体の構成がかたまりました。翌日には、追加でチェックすべきエッセイの掲載誌リストがファックスで送られてくるといった具合です。

 他にも、たとえば章の見出しの付け方ひとつを取ってみても、ミステリー・ファンなら思わずニヤリとせずにはいられない遊びがさりげなく、しかも適度な距離感をもって入れられています。マニアックでありながらけっして自分を見失わない批評性が、山口さんの小説作品にも通じるスタイリッシュでクールな魅力を生み出しているように思います。

 装丁については、当初、『ミステリーズ』 (講談社) で起用したマーク・バイヤーを装画に使いたい、という山口さんの希望がありました。ところが、このときはバイヤーのエージェントに連絡がつかず、それではということで、こちらから提案したのがカッサンドルです。20世紀初頭の広告アート界の巨人カッサンドル (沢木耕太郎のベストセラー 『深夜特急』 のカバーでも御馴染みですね) のデザインには、大戦間探偵小説のモダニズムに通じる斬新さがある、ということで、山口さんにも賛同をいただくことができました。使用した図版は実際には、フランスの小説 (ポール・モラン 『世界の王者』) のポスターです。また、「創元推理文庫の〈はてなおじさん〉のようなワンポイントを入れたい」 ということで、J・D・カーのフェル博士のシルエットを小さく背の部分に入れています。これは 『曲った蝶番』 原書にあったものをトレースし、修正したものです。

作家デビュー後は確信犯的に 「本格擁護」 の姿勢を打ち出している、と自らおっしゃる山口さんですが、ここに収録されたエッセイをお読みいただければ分かるとおり、実際にはハードボイルド、ドメスティック・サスペンス、モダンホラーなど、幅広い分野の作品を愛読し、数々の興味深い指摘を行なっており、これらのジャンルの優れた理解者でもあることを示しています (『生ける屍の死』 のあと、長篇ハードボイルドを執筆する計画もあったというのは有名な話です)。また、小説だけではなく、映画 (ルネ・クレール、ヒッチコックからフォン・トリアーまで)や音楽 (デューク・エリントンからジョニー・ロットンまで)、歌舞伎、絵画と、さまざまな話題が取り上げられているのも、本書の特徴でしょう。

また、「007のジャパネスク」 には、後の 『日本殺人事件』 のアイディアの萌芽がすでに見られますし、「クリスティーはパンクを聴いたか?」 は 《キッド・ピストルズ》 の世界につながっています。そうした小説作品との関連もファンには見逃せないところでしょう。百貨店のミステリ展の準備のために出掛けたロンドンでは、クリスチアナ・ブランドからJ・D・カーの抱腹絶倒のエピソードを聞いたり、竹本健治氏と京都に遊んで見世物小屋に遭遇、乱歩ワールドに思いを馳せたりたりと、ミステリーをめぐる旅も読みどころ満載。他にも 〈食〉 をテーマにした 「マーダー・フルコース」、子供が登場するミステリーを集めた 「テン・リトル・クリミナル」 は、さながらパーソナル・アンソロジーですし、ソーントン・ワイルダーの戯曲 『わが町』 を仲立ちに、クイーン 『災厄の町』 とS・キング 『呪われた町』 を結び付けてみせる 「キング・ミーツ・クイーン」 は、まさに手術台の上でコウモリ傘とミシンが出会ったかのような新鮮な驚きを与えてくれます。ミステリーを読み始めたばかりの初心者からすれっからしのマニアまで、幅広い層の読者にお楽しみいただけるエッセイ集が出来上がったと思います。

                          ※

国書刊行会版が出て早くも5年がたちました。今回、講談社文庫に収録されることになり、この本が再び新しい読者と出会う機会を得たことは、旧版の刊行に立ち会った一人として嬉しく思っています (今回は校正と索引のほうで、お手伝いさせていただきました)。再刊にあたっては、文庫版ボーナス・トラックとして、〈ミステリマガジン〉 に埋もれていた書評30本が 「評霊の2/3」 として、あらたに増補されていますし、細かい部分でもその後の経過等を踏まえて加筆修正が行なわれています。人名・タイトル索引もついて、読書ガイドとしてもさらに使いやすくなりました。旧版をお持ちの方も、この文庫版で初めて 『ミステリー倶楽部へ行こう』 と出会われる方も、ぜひ手にとってご覧いただければと願っています。

(2001.6.28)

「ミステリー倶楽部へ行こう」 国書刊行会版
「ミステリー倶楽部へ行こう」 文庫版目次