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プロフィール
父との生活

父との生活を楽しむこと、これがお互いにとってベストです。毎日少しずつの工夫と頑張りで、介護は楽しいものに変えられました。それに父といられるのはもう今だけなんです。父にとって幸せな環境を作ってあげること、それが私が父に与える特権です。父に私といて楽しい?と聞くと、「楽しくはないよ。」とあっさり言われてしまいました。じゃあどうなの?って聞くと、「安心。」と言いました。楽しくないなんてちょっとがっかりしたけれど、体が不自由になって安心できるっというのも凄いことなのかも知れません。でも最近は楽しいこともあると言ってくれています。
2年くらい前、父にあと3日だからなといわれ、それ以来あと何日生きられそうかと尋ねていたら、だんだん増えてきて10年とのこと。あと十年長生きして何したいの?とたずねてみると、父はちょっと考えて「長生きしてねぇ、陽子に絵を描かせてやりたい」と言ってくれました。そして父を支えているのではなくて、一緒に歩いているんだなという感じがしました。(2006.10)
二年が過ぎて                        
父がいなくなって2年が過ぎましたが、時の流れは楽しいこともたくさん運んできてくれます。2010年7月9日に小さな家族がもう一人増えました。お兄ちゃん似の男の子です。家族4人になると子供の兄弟関係も生まれてより家族らしくなりました。父の池は夫が管理してくれています。子供の鯉が大きくなり、さらに去年産まれた鯉も育っています。上の子はもうすぐ2歳、母の遺した絵本や教育玩具でよく遊んでいます。(2010.8)
一年が過ぎて
我が家に父がいなくなって一年以上経ちました。8か月になった息子はハイハイをはじめ、父の池には一年前に誕生した赤ちゃん鯉が元気に育ちました。息子と同じ年に産まれたので、楽しみに育てています。今は池に浮かべた赤ちゃんプールを泳いでいますが、もう少ししたら池に放します。

4月に父がお世話になった病院を訪ねました。検査結果を聞きに、でも突然に伺ったのですが、先生の診察室にはたくさんの蝶々が飾ってありました。いつもこの蝶々の前で診察をされているのかと、胸が熱くなりました。シールはずっと以前に看護師さんにお渡ししたもので、スタッフの通路にそっと飾ってくださっていたものでした。改めて父が暖かい方々にお世話になったことを幸せに感じています。(2009.6)

誕生
2008年9月30日、元気な男の子が産まれました。
父が楽しみにしていた孫の誕生です。父や母はいなくなってもこの子は、私や周りの人から聞く話や、父や母も住んだ家や、父が作った庭の池や、母の残したたくさんの絵本を眺め、自分の祖父母を想像できると思います。(2008.12)

ご報告
2008年4月1日、桜満開のこの日、父と兄とおそばを食べに出かけました。兄も一緒に行くと、私は父と向かい合って食べられるのが嬉しいのです。父は前日から下痢をしておなかの調子が悪かったのですが、半分くらいは食べられました。その次の日から父は入院していました。病院のスタッフの方々に支えられて、家族の励ましに応えるように父は懸命に頑張っていましたが、2008年4月15日急性腸炎のため父は他界しました。腸に穴が開いてしまっていたそうです。今までずっと患っていたパーキンソン症候群はまだそれほど進行していなかったし、まだまだ父と一緒に居たかったので残念です。秋には子供が産まれる予定です。父も孫の誕生を楽しみに、産まれたら一緒に「見てやるよ」と言ってくれて、父のベッドに一緒に赤ちゃんを寝かせる日を楽しみにしていました。
父は多くの方に支えられ、大事にしてもらい、最後まで普通の食事を摂れて、人の支えがあればなんとか歩くこともでき、楽しく元気に過ごせました。父はとっても幸せだったと思います。今まで父がお世話になった多くの皆様に感謝します。(2008.5)

結婚
以前から私の将来を気にして、お婿さんは見つかったかという父。私がお嫁に言ったらどうするのかと思ったら、仲良くすればいいんだろと父は言いました。2007年11月、この度父と一緒にお嫁に行きました。
結婚式はヘルパーさんに介助していただき、父も出席できました。
ここのところ食欲は前にも増して元気です。
2007年12月には80歳の誕生日を迎えました。プレゼントに欲しいものはと聞くと歌集と言うので、買ってきて一緒に歌いました。
(2008.1)
父の状態
2006年12月、79歳の誕生日を迎えました。2年振りに介護保険の認定があり2月から要介護5になりました。2年前と比べたら自分一人で出来る事は少なくなりましたが、相変わらず調子のいい時は人に支えてもらって家の中を歩いています。去年より少し体重が増えました。栄養を摂って体力がついたので安心ですが、支えるのが重くなりました。まっすぐに立つ感覚をつかむのも難しくなっているので、余計に重く感じます。でも本人は歩きたいし、歩かないと歩けなくなってしまうのでお互い頑張っています。身体は不自由になっても心は元気。最近の父の寝顔は穏やかで、声を出して笑っていることも。そんな父を見ていると楽しくて幸せな気分になるし、思っていた要介護5のイメージと全く違います。(2007.3)
父は現在、要介護4で身体障害者2級です。進行性の難病で、心身ともに支えてあげることが必要です。人の支えがあれば歩けるので毎日家の中を歩いて、体が拘縮して動かなくなるのを遅らせています。一昨年、昨年と両大腿骨を別々に骨折し、人工骨頭を入れる手術をしました。でもその後リハビリをしてもらったことが父の病気にも良かったようです。今でも続けています。父は「この病気だから治らないというのは納得がいかない。病気を治すんだ。」と言っています。そこが父の素敵なところです。10年以上前にめまいを訴えて発症、現在78歳。父が車椅子に乗っていても不自然ではないし、普通のお年寄りの介護と同じところも多いと思います。(2006.10)
楽しい介護へ
母が亡くなってからしばらく、昼間はほぼ父と二人きり、一人で起き上がることもできず、不安と寂しさで日に何回、何十回も助けを呼ぶ父を支える事は大変だったので、最初は父のことを何もしてくれないけど面倒のかかるペットのように思い、そしてなるべく可愛がれるようにイメージしてみました。それと父の前でなるべく嫌な顔をしないように気をつけてみました。すると父も「悪いなぁ」とか「ありがとう」と言ったりするようになりました。そしてもう少し慣れてから、今度は父を優しくて可愛い老人に育てよう!と決心しました。父にも「優しくて可愛いおじいちゃんになってね。」とお願いし、父ができたことを褒めてみました。父もにっこりうなずいたりしました。大変な事もいっぱいあったけれど、だんだんに介護が楽しくなって今では父が可愛くて手を引いていることが楽しいです。
(2006.10)
呼び名
父の呼び名は「たけちゃん」もともとは父がこどもの頃から兄弟で使っていた呼び名を真似させてもらいました。私が日に何度も呼ばれるのに「ようこ〜!」じゃなくてもっと柔らかく「ようこちゃん〜!」にしてと父に頼んだので、父にもちゃん付けにしました。初めの頃はうちの外で使うと不機嫌になりましたが、みんなにも浸透しもう慣れたようです。なんだか可愛らしくて仲良くなれるし、今では父もこの方が上手くいくんだなと納得しています。
(2006.10)
服装
自己表現の上手くできない父、服装は明るく元気に見える色を選びます。明るく綺麗な色の服って着ているだけでお日様に照らされているようにポカポカします。
周りの人にもポカポカ気分が広がっていきます。父に似合っているでしょ!父もみんなに褒めてもらっていい気分。明るいファッションを楽しんでいます。デイケアに行く時も可愛がってもらえますようにっていう思いを込めてお洒落をします。たとえ調子が悪くて眠っていてもなんだか幸せに笑って見えてきます。こんな父を連れている私も楽しそうでしょ。父といると街の人が手を貸してくれるんです。扉を開けてくださったり、中には車まで父を運んで乗せてくださったり、車椅子を運んでくださったり、そこまでしてもらわなくてもって思うこともあるけど、父がいるから人と自然に関われて楽しいなって思うし、手伝って下さった方も暖かな気持ちになっているといいなって想像してお願いしちゃいます。(2006.10)
喧嘩
父とは今ではめったにないですが、喧嘩もします。イライラして言ってしまった事、父は自分の言っている事がおかしいなって分かっているんです。だから本当におかしな人じゃないんです。思うようにできないからイライラの素はあちこちにあります。ちょっと時間を置いてから父の側に行くと、父は「仲良くしようね。」と言ったりします。だから私も「仲良くしようね。」って言います。
(2006.10)
食事の楽しみ
父は毎日の食事を楽しみにしています。お肉が大好き!外食するときは食欲もUPします。以前は何を作ってもまずいといわれてがっかりした時期もあったので、食欲があるととても嬉しくなります。調子のいい日は自分で口に運んだりします。あまり調子がよくないときは目をつぶっちゃいます。人に食べさせるのってタイミングを図るのが難しいんです。心を読みながらイライラさせないようにしないとたくさん食べてもらえません。でもやっぱり自分で食べられた時が一番美味しそうです。
(2006.10)
散歩
父と時々散歩をします。私が小さい頃父に連れて行ってもらった近所の小さな公園によく行きます。車椅子から降りて歩く練習もします。
調子がいい日は車椅子はいらないと言って歩いて帰ろうとしたり、車椅子を押して本当に歩いて帰ってしまったこともあります。父には予想外のことで楽しませてもらっています。でも父は正直なだけ。車椅子なんて面倒くさいものに乗るのは嫌なんです。仕方なく乗っているだけ、だから歩いている時の父が一番冴えています。
(2006.10)
公園ランチ
たまに父と公園へ行って昼食をとります。外で食べると美味しいし食欲もUPします。家ではほとんど食事介助が必要な父ですが、こんな時は思わず手を伸ばし、自分で口へ運びます。手で持って食べるのが一番美味しそうですが、フォークにさしてあげると自分で食べられることも。上手にできたときは拍手!父の視線はもう次の品へ
(2007.3)
福祉車両
もう何にもしてもらえない。そう思っていたこともありましたが、いえいえ父にしてもらっていることは結構あります。そのひとつで12月に新しい車(プリウス)を買ってもらいました。福祉車両なので助手席がドアの方に回せて乗りやすく、車椅子は電動で持ち上げてしまえます。今までは普通の車だったので父を深くきちんと乗せるのは難しかったし、車椅子は持ち上げてトランクに入れていました。これはコツをつかめば結構できるのですが、家から病院に行って帰りに食事に寄ると帰るまでに4回持ち上げなければなりませんでした。でもこれからは気軽に父と食事、病院、買い物など、いろんなところへ行けます!父は運転手付きの車を買い。私は憧れの車を買ってもらえました。嬉しくて何十回もありがとう!凄いね!って父に言いました。(2007.3)
父の部屋
父の部屋を1階に移したときから父の部屋は台所。私の仕事で他の部屋が使えなかったからです。それだけに居心地のいい部屋にしたくて、汚れていた壁をペンキで白く塗って、天井には白い壁紙と星を貼りました。食器棚も白く塗って色とりどりの洋服が重ねてあります。写真には写っていないけれど天井から友達の手作りのモビール、扉には従姉の子どもにもらったアイロンビーズのかざりも貼ってあります。床も大工さんにお願いしてバリアフリーにしてもらいました。初めは台所で大丈夫かなって思ったのですが、ここにはみんな何かと用があってくるので、父の様子も分かります。
(2006.10)
イルカのぬいぐるみ
父は寝るときにイルカのぬいぐるみを抱き枕にしています。これは脚を骨折した後、内股にならないように脚に挟むのに丁度いいと見つけて、父が「白いのがいい」と自分で選んで買ったもので、脚がよくなったので抱き枕にしました。歳をとって身体が不自由になるのは寂しいし、父によく似合っていたのでいいと思っていましたが、効果はそれだけじゃないんです。ぬいぐるみをそっと抱くことで手の硬縮を防いでいたようです。
イルカちゃんに感謝!(2006.10)
ある日仕事から帰ると小さいイルカが増えていてびっくり。父に尋ねると「まだ名前はないけど女の子」だそうです。ヘルパーさんからの贈り物でした。
ずっと使っているイルカは洗濯を繰り返し、小さく萎んできたので、新しくしようと思って見ていたら、父の目に留まったのは大きいイルカ。中くらいのはもうあるからいいと思ったのか、結局その大きいのを買うことになりました。でも抱きやすいのは中くらいの古いのなので、今は3頭のイルカに囲まれて賑やかです。
(2007.3)
いろいろな人に支えられて
父は私や兄だけじゃなくて、信頼する病院の先生、父の身体をたくさん動かしてくださるヘルパーさん、毎週父をお風呂に入れたり体調もみてくださる訪問看護師さん、毎週家で父の硬い体をほぐしてくださる理学療法士さん、週1回ずつ通うデイケア・デイサービスの施設の方、ケアプランを立ててくださるケアマネージャーさん、他にも大勢の方に支えられ、元気に快適な暮らしができています。私が父を大事にするとみんなも父を大事にしてくれます。それに父が頑張っているからみんな応援してくれてるんだろうなって思います。
(2006.10)
魔法の言葉
父の心を元気にする魔法の言葉があります。大事、可愛い、元気になってね、長生きしてね、ありがとう、おかげ他にも父の安心と自信になりそうなことを思いついたら伝えています。病は気から、だんだん表情も柔らかくなりました。(2007.3)
幸福論                               
父と生活していると、自分の晩年の過ごし方を考えることにもなります。そして私が父にここまでするのには私が生まれてからこれまでの過程と未来に対する好奇心が関係していると思います。父が病気になって絶望の中にいるまま最後を迎えていたら私たちは不幸だったかもしれません。幸い、父の生命力によりその時期を脱し、病気の父との生活を楽しくしたいという私の思いから、父の荷物をすべて背負う気持ちで前向きに努力してみました。その結果、家族の大切さを知り、幸せを手に入れることができました。家族から最後まで必要とされ、理解され、安心を保障され、真の愛情を注がれていれば体が不自由でも幸せに元気で生きられるのだと思います。愛情を注ぐほどに表情は和らぎ、周囲からも大事にしてもらえます。そしてもしこれを手に入れようとすると、いくつかの条件があると思いますが、まずはこの要領で子どもを育てることが必要ではないかと思います。(2008.5)