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 大空は凧のまほろば、函館の空で遊ぼうよ!
 創作凧師 梅 谷 利 治 先 生 の 世 界 
 1960年(昭和35年)5月から1989年まで29年間、梅谷先生は一度の転勤もなく函館東高で美術教師を務めてきました。しかも、先生自身が函館東高の前身、旧制函館市立中学校2期生です。その美術のユニークな指導は有名で、特に、創作凧創りを学校の授業に取り入れてました。教え子の誰もが自慢出来る先生です。
 1929年(昭和4年)函館生まれ。戦時中、特別幹部候補生として八戸航空隊へ。終戦後は代用教員として勤務後、道学芸大(現道教育大学函館校)へ進学、美術を専攻。卒業後、母校の教師を務めました。
 今年、「北海道函館凧師梅谷利治師の世界」のホームページを開設している村田和男さんが、先生のインタビューDVDと創作凧写真集を作成しました。写真のDVDは、函館の「FMいるか」で4回に分けて放送した1時間20分の録音内容に、写真や映像をつけたものです。
 先生の教え子でDJの山形敦子さんが2000年4月インタビューしています。その内容を基に、先生の世界をまとめてみました。

                   2007.8.6 管理人
思いがけず、梅谷先生より電話とメッセージのファックスをいただきました。下記に紹介いたします。
「先生、お元気ですか」「心は20歳台だけれど、体はもう喜寿(77)を越えてるからね」
                                                               2007.8.19 管理人
ご意見・ご参考をブログに公式・非公式でお待ちしてます。
美術部凧あげ(昭和47年)
↑ 学校のHPの梅谷先生のコーナーで昭和56年の写真に、まだ1年生 で、映ってました。 こんな古い写真、自分でも持っていないので感動しました!
                                            2007年09月20日 12:40 きむ・さむすん
Commented by 青雲時報 at 2010-01-05 20:31 x
東高校のブログがあるなんて、うれしいです。梅谷先生に38年ぶりにお会いしました。お変わりなく、いまでも情熱を失わず、パワーをいただきました。すばらしい恩師が健在なのは幸せです。

■ 俺の凧が成功した理由

 「俺が凧で成功したのは、東高の3万坪の広い校地があって、東高の優秀な子供たちと理解のある先生たちがいて、何よりも理解ある家族がいたからだ」

 授業中、つい言ってしまった。「世界中にないものを空に飛ばす」と。「先生、素敵!」と生徒に言わなければ、25年間も干支の凧を創らなかったかったかもしれない。

■ 北海凧の誕生

 俺の凧は、風をどう受けるかという世界の定説でなく、どう逃がすかがテーマになっている。
 北海道の菱形で、四角の骨組みを入れて、畳一帖の凧を創った。すぐに校庭をダッシューすると、砂煙が上がるだけ。サッカー部の連中があの先生ついに狂ったか、と見ていた。下の骨組みが折れた、その瞬間に凧が揚がった。
 それが現在まで続いて、外国からもamazingの形容で驚異といわれて、世界中からいろいろな招待を受けるようになった。

■ 美術で凧を教える

 絵がまずい子も、凧をやらせるとすごい才能を発揮する。ものの価値はひとつではない。その子供たちの才能を見つけなければ、この学校の教職をやっている資格がないじゃないか、と思ってやってきた。
 老人クラブが弁当持参で凧の見物に来たことがあった。観光客にまだ凧が飛んでないの、と言われたことがあった。骸骨の凧に蛍光塗料をつけて、飛ばしてたら、通報で警察が駆けつけて来た。なかな帰らなかったなあ。

 東高は凧ばかりやってるのじゃないが、他の先生方にはずいぶん迷惑をかけたような気がする。
(実際、年間授業数はわずか6時間だった。)


■ 富原一枝の思い出

 美術選択生徒を4から5名のグループに分け、凧を創作させる。生徒達は夏休みに創って、夏休みに揚げて飛ばす。かずはそのメーンバーの中心。凧の骨組みを作って、どういう訳か、学校に来なくなった。休み明け、ひょっこり学校に来た。心持ち、青ざめてたけれど。
「先生、凧の糸目を直して」 「自分でやれ」と冷たく突き放した。「はあい」 しばらくしたら、向こうの松並木の下で、「先生、見て、見て!」という声で振り向く。その糸をもっている彼女が飛び上がっていた。
 彼女のそばに両親がいて、子供の凧を揚げてるのを見て泣いていた。何と心の温か人なんだろう。
 しばらくして、「先生、かず、死んだよ」。癌だったそうだ。
 見舞いに行った生徒に、彼女は言ったそうだ。
 「真っ青な空に、真っ赤ないちごの凧を挙げたのは、私達が最初で最後だものね」
 これだけは新校舎の天井にぶらさげて、壊さないでいたよ。

(創作凧参照)

■ 奇跡を生んだ凧

 ギターの凧を創った生徒達がいた。
 凧に願いを書く。「悲願入学祝い、北大合格、明大合格、立教合格、....」 (管理人注:実際、その写真が存在する)
 それを見た担当の先生が腹をかかえて笑った。「○○大学なんか、英語で赤点ばかり取っているのに入るわけがない」
 そしたら、奇跡が起こった。「信じてください」、全員が希望大学に入った。

■ 創作凧士、干支凧創りの挑戦 

   平成元年、先生は現役の先生を卒業してから、創作凧治(たこはる)工房の凧師として凧創りを挑戦してきた。凧を売らないから、工房と言うのはおこがましいが、車庫の中に工房があるだけだ。女房が凧を売れとは一度も言わない。うちの女房のおおらかさが、俺の凧の原点を創った。
 干支凧の作成は、先生時代の1976年から2000年まで続いた。25年間毎年お正月に向けて凧を創り続けても、女房は一言も文句をいわなかったという。(実際、夫婦で凧を揚げている写真がある)
(十二支昭和の凧十二支平成の凧に、その詳細が紹介されている)

■ 俺は凧をつくるために生かされている。

 小学校の頃、凧を持って出かけ、海をみながら夕日を沈むのを見ていた。ぼーとすることにあこがれていた。
 凧を揚げて得られるもの。「たまらない自由だね」 現在、合理主義的なものからはずれたものは、阻害されている。携帯電話などで世界がせまくなっている。けれど、人間という者はそんなに変わらない。素朴なものに戻ろうよ。
 人間どれだけ熱中できたか、燃えてきたか。その時間がなければ、朝起きた時、小さいことで良い、今日何かに燃えてみようよ。
 
 日本人よ、空を見上げてごらん。いやなことがあったら、空を見てみよう。あなたがた個人の青空をつかもう。
 青空は凧のまほろば、遊びましょうよ。
 その後の先生はどうしているのだろうか。2004年12月22日付北海道新聞地域情報版の「函館みなみ風」によれば、
創作干支凧作りを5年ぶりに再開したという。新年の酉(とり)にちなんだ「夢ふくろう」の連凧で、函館北郵便に展示された。
 干支凧は2巡したことで中断した。今年の天災、人災のあまりにも多さに心を痛め、新潟県中越地震をきっかけに再開することを決めた。ふくろう凧の尾の部分に「平和」と書き、中央は人間で一番大切なハートを描いた。

 今日も、先生は函館の緑の島で凧を揚げているに違いない。
 創作凧師 梅谷利治先生の世界管理人プログへ。公開・非公開のコメントをお待ちしてます。
 追伸:下記の北海道新聞記事2本をそれぞれ見てください。写真の上の500Kをクリックすると、先生のビデオが紹介されてます。
先生の関連ホームページ
凧治工房(創作凧研究所)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 先生の娘さんが作るホームページ。干支凧の写真などを紹介。
連凧になったイノシシ、願いを込めて製作 函館・・・・・北海道新聞社の記事 2006.12.18 道新ビデオニュースが見物。
天龍、天牛、イカ、クリオネ…梅谷凧の傑作選・・・・・・ 北海道新聞社の記事 2007.1.1   〃 記事写真の500Kをクリック
梅谷さん100メートルの連凧揚げ・・・・・・・・・・・・・・・・・函館新聞の記事 2007.1.6
いちごの凧・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はぐれ雲講師のエッセールームのプロク゜から
外国からも引っ張りだこ〜新春凧の展示会・・・・・ミカエルの函館散策記より。2008年も先生が活躍中。
来年は夢へ寅愛・・・梅谷さん 干支の創作たこ・・・・函館新聞 2009/12/23
先生の教え子
小寺眞知子さん・・・イタリア在住で活躍の彫刻家  五稜郭タワーにある土方歳三のブロンズ像が作品の一例。
・輪島進一さん・・・・・独立展、全道展会員の画家   作品例(一番下) 小樽美術館収蔵作品・手宮心像 雨あがる(HPより)
  嬉しいメール、感謝 !!                             

  早速のお礼を、と思いながら遅れてしましました。
 20才以降の人生なんて信じられなかったのに、喜寿を過ぎてもまだ空の主役造りを夢見ていられるなんて―――
  (凧キチ人生40年)感謝をこめて人間界からの卒論をまとめています。
  (アルバムを開いたら)(創作凧写真集)のDVD、
 日本の凧の会前編集長で凧友の村田和男氏の労作です。以前、君達との美術活動を10冊の研究紀要として発表したものをパソコンを駆使して限定豪華本に変身、出版し、図書館が収蔵するなど過分の評価を頂いたのですが、今回の対談に美術部OBのカメラマン盛長幸夫氏の写真と音楽を加えてのCDに編集してくれました。
 懐かしい2階建の木造校舎と広いグランド、若者達の歓声が浮かんで来ます。
 グータラな夢追い美術教師を生かしてくれたものは函館東高の大らかな校風と素敵な情熱ですが、創る喜びと感動を伝える為に私は生かされている気がしているのです。
 君が東高校資料集の中で紹介してくれた様に、多様な形で卒業生諸氏の中に生きている事に感謝!!
 戦後62年、大空散華と信じていた喜寿の老狂師にとって8月は涙しながら好運に謝する毎日です。
 青雲台から巣立った先輩の老教師から諸君に次の言葉を贈りましょう。

 (アリガトウ! )声にしてほしい。
 今、ある事を素直に感謝することが君の幸運を招く筈だから――

 (いつの日から函館の空で会いましょう! )

                                                  平成19年8月19日 梅谷
梅谷先生のメッセージについて、ブログへコメントください。
2009年1月7日(水) 東奥日報 道新ニュース


■ 天運招く連凧 函館の梅谷さん、イカ形など揚げる

 函館市山の手三の創作凧(たこ)師、梅谷利治さん(79)が五日、函館港緑の島で恒例の新春連凧揚げ会を開いた。梅谷さんは「運は天にある。みんな凧に今年の願いを込めて」と呼びかけ、訪れた市民ら約五十人と一緒に新年の凧揚げを楽しんだ。
 梅谷さんは旧函館東高の元美術教諭で、三十年以上、干支(えと)にちなんだ連凧を作り続けている。
  この日揚げた連凧は、笑った顔で獅子舞の形をした「天牛三世」や、函館の名物イカ、竜、タコなど。海に囲まれた緑の島では凧が高く揚がる強風に恵まれ、ひょうきんなデザインの多くの凧が高く空に舞った。
  函館・青柳小六年の佐々木愛理彩(ありさ)さんは東高を卒業した祖母、母と一緒に初めて参加。「私はうし年です。もうすぐ中学へ上がるので、今年は勉強をがんばりたい」と話していた。(久保吉史)
                               (北海道新聞提供)
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