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彫刻家、小寺眞知子さんの世界
 新五稜郭タワーのアトリウムにある土方歳三の像について、知る人は多いかもしれない。しかし、その作成者を知る人は少ないだろう。弥生町にあるペリー提督像や中央図書館正面入口のブロンズ像もしかりである。これらは、東高第18回生(昭和43年卒)の小寺(旧姓茜久保)眞知子さんの彫刻だ。
 梅谷利治先生の元で美術を学んだ後、北海道教育大学函館分校美術彫塑課を卒業。1979年東京の画廊でイタリア具象彫刻の巨匠クロチェッティの作品と出会い、翌年イタリアに留学、クロチェッテイとグレコに師事した。以後現在までローマにアトリエを構え彫刻を作成している。
 最近、そんな彫刻の出会いを綴った寄稿を、青雲同窓会札幌支部20周年記念誌「青雲の志」に発見。2003年に公開された土方歳三の像ついて、1997年から構想していたことが「関東せいうん4号」〜夢の彫刻〜で知ることができる。
 小寺さんこそ、東高を代表する芸術家に違いない。その原点となる東高とは? 本人の投稿から紹介した。
                                          2008.6.11 管理人

 現在、「赤い靴」の女の子のきみ子さん像を函館に設置すべく作成中、とのメールを小寺さんからいただきました。
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↑写真は東高26回生八木康子さんナレーションのDVD「我が心の青雲台」から引用
☆寄稿 「イタリアにて」 小寺眞知子☆
 小さいころから美しいものを見るのが大好きで、何時間もそれらを見ているだけでとても幸せでした。ならば美しいものを自分の手の中から創り出せたら・・・・。と考えたのが私の美術への道のりの始まりだったように思います。
 しかし私を決定的に美術に引き寄せたのは東高の豊かな環境の中で、伸びやかな校風と、高校生の夢を受け止めてくれる学生生活があったからにほかありません。そして先生も先輩たちも私に輪をかけた夢見人が揃っていました。私にとって美術の世界はそれまで閉ざされていた小さな世界から自分を解き放し、画く楽しみとともに口ではうまくは表せない自分自身を表現する手段としても、時がたつほど心を支える心棒のように大事なものとなってゆきました。
 町のどこをとっても絵のモチーフになる函館は昔から絵描きさんが多く、外国の人も住んでいてなかなか活気があり、優れた音楽や美術の教育者にも恵まれていました。
 思う存分美術や音楽の世界に、そしてスキー・スケートなど自然に親しんだことが豊かな函館の雰囲気と合わせて私の養分となり、現在の制作の土壌となっています。
 そのころ東京で開催されていたフランス彫刻の巨匠プールデルの展示会を見る機会を得、作品からの美しだけではない魂を揺さぶられるような感動を受けました。そして、ある時友人がマイヨール(やはりフランスの彫刻家)のフロンズのレプリカをプレゼントしてくれました。彫刻を置くスペースなどない家でしたので、それを私は食卓の上に置いたのですが、そのとたんに家の空間が変わったのです。優美な緊張感が空気を仕切って、その彫刻を眺めるたびに幸せな気持ちに包んでくれるのです。それらのことがあって、私は彫刻に力があることを知ったのです。素晴らしい彫刻を見ると生きる勇気や喜びが与えられます。「自分も作ることができたら・・・・」しかし当時の私には彫刻の道が、特に女性にとって非常に困難であるということなどを思いも及ばなかったのです。しかし困難だということは不可能だということではありません。情熱と夢を持ち試行錯誤と努力の重ねることで克服できるのだということがわかりました。
 目を閉じればガラス窓から青空を行き交う雲が見える教室が見え、広々としたグランドが広がり、友達の笑い声や先生達の特徴のある声が懐かしくよみがえってきます。こうして遠く異国の地ローマに住んでも心豊かに創作活動を送ることが出きるのは、あの多感な高校生時代が実り多きものだったからに相違ありません。
                                          平成13年9月発行函館東高等学校青雲同窓会札幌支部
                                          20周年記念誌「青雲の志」より

写真:2002年7月20日より開催の小寺さんの彫刻展のパンフレット、提供:関東青雲同窓会会長 新山春一
☆夢の彫刻☆ ローマ在住 小寺眞知子
 これまで各地でいろいろなモニュメントを建てる機会をいただきました。これは彫刻を作る者として本当に幸せなことです。そしてその間私がいつも夢見ていたのは、生まれ育った地、函館の為に彫刻をつくる事でした。
 ローマに渡り作成を続けるうちに17年経ち、私の腕が頭で考える事にだいぶ追いついてきた今、一番作りたいと願っているのは、土方歳三のモニュメントです。こちらに来て驚いた事の一つにいろいろな五稜郭がある事です。(特にマルム州を中心に)それらを訪れる度に、理想の国を夢見て死んだ土方の事を考えていました。是非はともかく、あの純粋で壮絶な生き方は、青春の結晶の様で胸を突かれます。日本から関係のある本などを取り寄せて調べながら読み進んでゆくうちに、土方歳三の彫刻をつくる事は私の使命の様な気がしてきたのです。頼まれたわけでもないには、あれこれと彫刻の構想を練っているわけです。これ程までに多くの人を引き付けるものを持った人物を掘り下げて形にしてゆきたいという気持ちは彫刻家としての当然の野心なのかもしれませんが、不器用といっても良い程に強く初心を貫いてゆく生き方に心が揺さぶられます。
 日本に帰った5月のある日、私は函館のかの終焉の地に佇み、頭の中に立ち登る彫刻を見ていました。

                平成9年(1997年)4月15日発行「関東せいうん」4号より


●右写真:管理人撮影の小寺さん作成の土方歳三

 現在、五稜郭タワーアトリウムにある。
 作品名   「五稜郭に立つ 土方歳三」
 高さ     約220cm(等身の約1.2倍)
 材質     青銅
 一般公開  2003年12月1日
☆眞知子さん語録☆
 「一歩出ると、空が広がっている。北海道の空間は大地というより空なんです。すべての彫刻を空に飛ばしたいという思いがあります」
 「(クロチェッティ)先生の口癖は『制作に詩を持て』。精神的に深いものを探求する姿勢を学びました」
                 1998年11月5日 讀賣新聞のインタビュー記事から
 岩見沢に展示するのは虹(にじ)の女神像を意味する「イリス」。「北海道は今、大変な時期。天から良いメッセージが届くようにとの願いをこめました」と話す。
                 1998年11月6日 北海道新聞より
 ベリー像の作成にあたって、「歴史上の人物なので、持ち物や衣装を調べるには時間がかかりました。一番苦労したのが、ベリーの人格や人間性。私が見たペリー像を彫刻の中でどう表わしたらいいか悩みました。10冊のペリーに関する本を読むなどし、そばにいるような木がしてくるまで、ペリーを近くに感じました」。
 生まれ育った函館をどう思いますか。「函館はエキゾチックな街。西洋化された街という面では、横浜や神戸などと並ぶ国際都市の土壌があると思います。私自身、ヨーロッパにいて違和感を感じないのもそのへんかもしれません。彫刻を進めていく上で、その特徴はプラスになっているかもしれません」。
                  2002年5月20日 函館新聞のインタビュー記事より 
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