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祝「続・青雲時報縮刷版」刊行

 ― 戦後の高校教育を学生の視点から見た歴史的資料 ―

― 刊行を祝う集いを報告 ―
■「続・青雲時報縮刷版」発行される
 9頁のカラーグラビアを含む343頁の「続・青雲時報縮刷版」(=写真=)がついに刊行された。 昭和52年8月25日発行の第101号から平成19年3月1日の第169号の最終号まで全号が掲載されている。更に「青雲時報・ひよしの」合併号、「市立函館高新聞」第1号から6号までも収録。なかでも付録のDVDには青雲時報第1号から最終号まで全紙面と2冊の縮刷版のグラビア写真がPDF版になって収められ、読みやすくなっている。
 縮刷版のみならず、17頁にわたる函館東高の「青雲台の歩み=昭和52年度以降=(年表)が東高の歴史を語っている。 「青雲時報編集局あの日あの頃」として新聞局OBや顧問10名の手記も同時に紹介した。
 東高の歴史にとどまらず、戦後の高校教育を学生の視点から見た歴史的資料だ。
 
■刊行を祝う集いに、新聞局OBや顧問の先生等37名が集合
 去る2009年4月25日午後6時、ホテル法華クラブ函館で青雲時報縮刷版刊行委員会主催の刊行を祝う集いが行われた。
 横浜在住の初代新聞局長・五十嵐英壽さんを始め、函館東高青雲同窓会・石井眞一会長、元函館東高校長・森武先生など37名が参加し、全員がそれぞれの青雲時報と新聞局への思いを話した。
 「青雲時報は生徒の目によって綴った高校の歴史であります。ちっぽけな函館の高校でありますが、後世に残すべき日本の高校教育の歴史を残したいという想いで発行させていただきました」と岩佐章夫委員長は熱く語った。
 今年退任した前函館東高校長森武先生(=右写真=)は「東高の歴史は今も市立函館高に残っています。縮刷版に市立函館高新聞を掲載していただき、本当にうれしかったです。市立函館高の生徒達を後輩としてかわいがってください」と挨拶した。
 昨年8月27日、12名参加した「刊行委員会」の立ち上げから加わり、週2回の編集会議に最後まで参加した元函館東高新聞局顧問・俵浩治先生(78)は次のように乾杯の挨拶を述べた。「函館東高には未来がないとは私は思いません。タイトルは変っても、その精神は市立函館高に引継がれていくことでしょう。青雲時報の新聞は価値のある資料となり、宝になります」
 「『(今も昔も)顧問は口出すな』ということで、そばで見ていました。常に笑いが絶えなかったです。皆さん、年に合わず作業がみごとに進んで行きました。その采配やリーダーシップはみごとで関心して見ていました」と東高勤務33年の俵先生は思いでを述懐した。
                    2009.4.30 管理人
■「検閲をさせなかった」と青雲時報記者魂を大いに語る
  「外部からもPTAからも新聞に一切検閲や干渉をさせなかった。新聞部を生徒会の外局として独立を保ったんだ。生徒会にも口出しさせないため、新聞局から生徒会長を出したくらいだ」と新聞局の思いでを語るのは、新聞局員の金沢鉄二さん(昭和28年卒、第3回生)だ。
 「当時、深川西高の高校新聞の事件があって、高校の新聞がイデオロギー闘争に利用されたことがあった。それで資金的にも独立するように、広告を取りに行って新聞を発行したのさ。学校からの金では年に1回しか新聞を発行できなかったから、後の3回は広告費で作った」。
 「成績も新聞部は模擬テストで50番目に入らないと退部だということで、部室でよく勉強したものだ」と半世紀以上前のことを生き生き語る。
■函館東高新聞局 黎明期の局長
 ・昭和26年卒 局長 五十嵐英壽 (横浜在住、元神奈川新聞総局長)
 ・昭和27年卒 局長 渡辺到    (USA在住)
           局長 佐藤健治   (札幌市在住)
 ・昭和28年卒 局長 田中吉雄  (札幌北区在住)
               厚谷穣児  (東京都町田市在住、祝賀会出席)
 ・昭和29年卒 局長 西村公平  (故人)
           局長 寺山芳男   (東京都三鷹市在住)
           局員 島岡清美  (東京都北区在住、昭和27〜28年生徒会長)
■縮刷版刊行委員会メンバー
 ・顧問 石井眞一青雲同窓会会長、上谷俊夫同副会長、門馬甲兒同副会長、
      俵浩治元新聞局顧問、橋本孝夫新聞局顧問
 ・刊行委員長 岩佐章夫 (昭和36年卒)
 ・事務局長   上田昌昭 (昭和37年卒)
 ・委員      西村正太郎(昭和36年卒)、柏倉光一(昭和37年卒)、久保田孝一(昭和37年卒)、新倉利熙(昭和37年卒)、斉藤亘(昭和38年卒)、伊藤暁(昭和38年卒)、林秀世(昭和40年卒)、貝森とも子(昭和44年卒)、佐藤栄子(昭和44年卒)、村山絵美(平成17年卒)   
縮刷版刊行委員会のメンバーの一部
■編集に携わって 「続・青雲時報縮刷版」より

○飲み会での一言から始まった「縮刷版」づくり。人は?資料は?活動資金は?など、いつくもの課題を抱えてのスタート。しかし格好良く言えば「俺たちがやらないで誰がやる」という気持ちだけで取組み、人も、物も、金も・・、新聞局OB、青雲同窓会、学校関係者など多くの皆さんに支えられていただいた。そして、編集を終えた今、結局楽しんだのは我々だったかもしれない。
                                          上田 昌昭
○青雲時報の半分以上に顧問としてかかわり、又この度の編集にも御協力いただいた俵先生には感謝の気持ちでいっぱいです。
 今だから出来る、いや今しかできない時間を昔の仲間と過ごすことが出来て幸せでした。
 俵先生を交えての編集会議は、熱くなったり、昔話になったりと30年前の縮刷版の時に、さらには40数年前の高校時代にタイムスリップしたかのようで、みんな青雲児に戻っていました。   
                                          久保田孝一
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