以前から、この作品がなぜこう延々と制作され続けるのかが不思議だった。確かに良くできたいい作品で、私も好きである。しかし良作が必ずしもヒットしないのは世の常だ。円盤がそんなに売れているとは思えないし、パチンコマネーが入っているわけでもない。腐った皆さんに受けているでもない。いったいどうやって収益をあげているのかがさっぱり分からないのだ。
ともあれ、ついに劇場版にこぎつけた本作。パンフレットから気になった部分を抜粋。長くてすまん。
伊藤秀樹(監督)、山田起生(妖怪デザイン・アクション作監)、川添政和(レイアウト監修)の対談記事から。強調は引用者による。また読みやすさのため、適宜改行した。
-TVシリーズと劇場版で何か変わることはありますか?
山田 TVドラマのイメージで作っています。TVシリーズの場合、家に帰ってから、テレビをつけたら観てもらえるもの、人を楽しませるもの。正座をして待ち構えてくれるファンの方も大変ありがたいのですが、パチッとテレビをつけたらやっていて、「意外といい話だったな」とか「猫ちゃん可愛いな」とかそのような作りになっています。
映画はお金を出して観てもらうものなので、頑張らないと。『夏目友人帳』は余計なことをすると作品が良くならない。余計なことをしないでやるべきことをちゃんとやって、押しつけがましくならないように心がけています。今回は映画なので、どうちゃんとやるかを考えました。劇場だからといって頑張りすぎず、普段通りなんだけど、でもお金を払って観てもらうものだから気張らずちゃんとやらないとねとスタッフと話しました。
余計なことをしない。このあたり、重要なポイントだろう。
-川添さんは激情版のどこを主に担当されたのですか?
川添 室内担当になってましたね。夏目の部屋とか容莉枝の家とか。あと市民会館とか。
伊藤 市民会館は大変なんですよ。空間が斜めになっていて広いので捉えどころがなくて、バラバラになってしまいがちなんです。実は今のアニメ業界にパースをちゃんと引ける人って少ないんですよ。なので、そこを重点的に力のある川添さんにお願いしました。
川添 何とか出来てるといいんですけど・・・・・・。
伊藤 やり切ってもらいました。
山田 レイアウトは川添さん、冨永さん、伊藤さんの3人で直してほぼ全カット描き切ったようなもんだよね。部屋の中一つ取っても、ちゃんとあるべき所に窓や柱があったり、あるべき所から夏目が入ってきたり、あるべき所にニャンコ先生が寝てる、あるべき所に山があるというのがさりげなく描かれている。
(中略)
-市民会館のどんなところが大変だったですか?
川添 実物があるものだから。でもちょっと緑は多めにしました。
伊藤 内装も外観もすごく複雑な形で。それが気に入って設定に選んだんですけど。
川添 元参考がちょっと古くて、今はちょっと違うんです。
伊藤 椅子やモブキャラも出てくるから大変なシーンで頑張って頂きました。
川添 室内は皆さんが観て、いつもと同じように感じてもらわなければいけないので。
伊藤 すごいというよりも安心して観てもらえるというのがレイアウトの仕事なので。
山田 例えると、ベースがしっかりしたバンドみたいな感じ。
伊藤 そう。ベースがしっかりしてないと不安になっちゃう。
以前の金山氏の話と併せて考えると、パースがちゃんと引けて、しかも必要に応じて歪ませて描くこともできなければいいレイアウトにならないわけで、大変な仕事である。「ベースがしっかりしたバンド」とか、金言の宝庫。
-劇場版のテーマをどのように捉えていましたか?
伊藤 僕の立場で一番気をつけたのは、ちゃんと「夏目友人帳」になっていないといけない。まがいものにならないように心がけました。原作を改めて読み直して、TVシリーズも改めて全部観て、原作から主要なセリフや原作者の緑川先生のあとがきを抜書きして、「夏目友人帳」とはどういう作品なのかを改めて考え直して、文章も書いてみたりしました。
時間と空間を超える想いみたいなものが、この作品の魅力でもあり描いていることでもあり、単純なものさしじゃなくて妖という訳の分からないものがいて、邪悪だったり純粋だったりするものは、ぱっと見た目だけでは分からない。深く底に想いを沈めることでようやく見えてくる世界が描かれている。それは記憶であったり時間であったり、同じ体験をしていても記憶は全く異なっていたりとか、皆に同じように流れているような時間でも実は重なり合って複雑な世界がそこにはある。
友人帳という小道具がそれを描き出してくる。その世界観みたいなものをきちんと表現できているといいなと、間違えないようにしようと。ある一つの芝居やカットワークもそうですけど、選択肢があったときに表現することが豊かになる方を取るということを気をつけてやりました。
基本的には話の根幹は村井(さだゆき:脚本)さんが出して、もっとこういう方向性にしようというのは総監督の大森さんがやられているので、村井さんと大森さんがやろうとしていることを過不足なくちゃんと「夏目友人帳」にするというのが僕の仕事だったと考えていました。
「選択肢があったときに表現することが豊かになる方を取る」。本作の魅力の根幹を表した言葉だと思う。
伊藤 普段のTVシリーズだと時間が無くて、背景原図に手を入れられないんです。でも佐藤プロデューサーと最初の頃に作戦会議をしたときに「原図を何とかしないとまずいですよね」という話をして、作品の土台になるところなので、背景さんに作業に集中してもらい負担を減らす意味でも、今回は贅沢に川添さんと冨永さんにお願いしようと判断を早めにしました。そこについては最後までやり遂げて頂いたので多大なる効果があったと思います。
川添 普段やろうと思っていても出来ていなかったことをやる機会を頂いた。普段からレイアウト原図は気になっていたんです。だからちゃんとやらないとなと。最初はプレッシャーもあったけど、「室内ね」ってなったから、「いつものやつじゃん」って。いつものやつをしっかりいつものように、観ている人がTVシリーズを観ている感覚と変わらない。そのように見えればいいけど、ほんのり映画としてのレイアウト原図になればいいなと。
伊藤 映画の画面というものに拘りまして。
川添 そう、映画で観るための原図を描こうと意識しました。
伊藤 普段よりちょっと引いた画面になっているんです。寄れば寄るほど楽になるんですが、ちょっと引いただけですごく大変になる。
山田 第一期の第一話とかは、ちゃんと組み立てて作ってたし。でも五期、六期までくると、だんだん顔のアップやセリフに頼るようになって。もう一度映像としての「夏目友人帳」をちゃんと出来たらいいねと。
伊藤 でもちょっとちゃんとやるってことは、ものすごく大変で。長かったです・・・・・・。
川添 だから大変な方に振る感じでしたよ、二択になれば。やっぱりこっち大変だけどやるかって方向になりました。
佐藤由美(朱夏アニメーションプロデューサー)と、横山朱子(アニプレックスプロデューサー)の対談。
-劇場版の制作にはどのような気持ちで臨みましたか?
(中略)
横山 原作とTVシリーズは各話完結の短編作品になりますので、100分ほどの長編にどう仕立て上げていくのかが大きな課題でした。華やかな長編大作ではなく、多少地味でもこれまで積み上げてきた世界、淡々と静かに流れる空気、ささやかでも心温まる物語を丁寧に描きたいと思いました。(後略)
-内容面ではどんなところに拘りましたか?
横山 (略) 脚本の村井さんから、劇場版だからといって何か特別なことをするのはやめようと提案があり、オムニバス的な見せ方の模索を始めたんです。
これは正解。タイトルはあげないが、劇場版だからと無理をした某作なんかひどいもんだった。
-注目して欲しいところを教えてください。
(略)
佐藤 深みのあるレイアウトだったり、動画仕上げチームの丁寧な仕事など、見ていただきたいところはたくさんあるのですが、強いて言えば容莉枝の最後のシーンです。泣いているけれど本人はその本当の理由に気づいているか分からないという複雑な表情で、作品の中で一番大事にしたいところでした。大森さんと伊藤さんとも何度か議論しましたね。椋雄との時間は容莉枝にとって、どんな意味を持つのだろうということを見る人に委ねる大切なカットですので、注目していただけると嬉しいです。
こういうのこそ作画芝居と呼びたい。
スタッフに愛され、丁寧に作られていることがよくわかるいい映画だった。
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