更新履歴と周辺雑記

更新履歴を兼ねて、日記付け。完結していない作品については、ここに書いていきます。

2018年12月15日(土)
本と仕事と『よみがえる空』

おそらく後世、『ひそまそ』の唯一最大の功績として語り継がれるであろう、『よみがえる空』のBD-BOX発売。
航空自衛隊アニメの最高峰、と言うか、無駄に高い孤立峰と言うべきか。



まさに歴史に残る名作ながら、あまりに身につまされて怖い作品なので、観るのはこれが本放送以来2回目になる。で、今回初めて気がついたのだが、この作品、やたらと本が出てくるのである。

本作は、主人公・内田一宏が小松基地へ赴任してくる場面から始まるが、そのとき彼が電車の中で読んでいたのがサン・テグジュペリ『人間の大地』。



表紙からすると、2001年発売のみすず書房版である。

話が進むにつれて、彼が戦闘機パイロットを志望していながらヘリコプターに振り分けられたことで、失意を抱えて赴任してきたことが分かってくる。
アパートで荷物を整理し、本棚に本を並べていくが、飛行や空に関する本ばかり。



『超音速漂流』
『ディファレント・ウォー』
『スカイ・クロラ』
『ナ・バ・テア』
『シャドー81』
『かもめのジョナサン』
『浮かぶ飛行島』
『サウンド・バリヤー』
『翼よあれがパリの灯だ』

このうち『サウンド・バリヤー』だけは実在が確認できないが、どうも競走馬の名前らしい。脚本・シリーズ構成の高山文彦は競馬好きで知られているので、おそらくシャレだろう。

そしてこのシーンの白眉がこれ。おそらく学研の図鑑(右)をモデルにしているのだろう、ボロボロになった図鑑。



小さなころから繰り返し図鑑を眺め、あまつさえそれを就職先にまで持ってきていることから、彼の空へのあこがれがどれほど長く熱いものか、失意がいかに深いものかが伝わってくる。

以前劇中劇に関する記事で触れた、本郷3佐の娘さんが持っている絵本。



『もりのこえ』というタイトルだが、これは架空の本らしい。検索してみたら、愛知万博の時出版されたモリゾーとキッコロの本が大量ヒットしてしまった。もちろん別物。

第4話「大切な人」。赴任早々に過酷な任務に直面して落ち込む一宏。そこに、岡山弁でしゃべる能登麻美子こと、恋人のめぐみが訪ねてくる。
現在の二人と並行して高校時代のなれそめが描かれる。そこで、1話で読んでいた『人間の大地』が、高校卒業・航空学生入隊時にめぐみからプレゼントされたものであることが判明する。



一宏が本を読むようになったのは読書家の彼女の影響であることが察せられるが、読書傾向は自分の好きな飛行機の話ばかり、ということも1話の本棚の描写から見えてくる。
本好きなめぐみは東京の出版社に就職している。自分の好きな本を企画して作れる、と得々としゃべるが、実は新人の彼女はまだ営業だということがやがて分かる。一宏の前で背伸びしているのだ。

終盤で、めぐみはサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』に言及し、一宏の仕事を子供たちを受け止めるキャッチャーのよう、と評する。これが後々伏線として効いてくる。
驚いたのがこの名前。



なんと本作に参加していたとは全然知らなかった。『ハチミツとクローバーⅡ』で監督デビューする直前の仕事である。言われてみれば、めぐみの描写のなまめかしさなどに「らしさ」があるかも。

第6話「Bright Side of Life(前編)」。
夏休みに岡山に帰省している一宏とめぐみ。めぐみの実家は獣医さんで、その看板に描かれているのはヒュー・ロフティングのドリトル先生シリーズに登場する、身体の前後に頭のある架空の動物オシツオサレツ。



井伏鱒二の名訳もさることながら、獣医の看板にこれを使うセンスの良さ。実際にありそうだ。

デートから帰っためぐみが風呂上がりに読んでいるのは、キルゴア・トラウト『ロトは振り返る』。



調べてみたら、キルゴア・トラウトとはカート・ヴォネガット・ジュニアの小説に登場する架空のSF作家とのこと。したがってこの本も架空のもので、めぐみの勤務先である書肆西瓜糖社から出版されているらしい。タイトルからして、旧約聖書に題を取った小説と思われる。

ちょっと本題から離れるが、このシーンでは、同じ部屋でめぐみの妹がパソコンをいじっている(まだスマホもタブレットもなかった時代の作品なのだ)。一宏との関係をからかったりもする。妹の部屋なのかめぐみの部屋なのか、いやでも実家を出ているめぐみの部屋にパソコンがまだあるのも変だし、元々めぐみの部屋だったのを今は妹が使っているのか?などと想像をたくましくさせるシーンである。

ところ変わって一宏は、めぐみに教わった『ライ麦畑でつかまえて』をさっそく読んでいる。1984年の白水社版だろうか。



第10話「パーティー」~第12話「レスキュー」。
冒頭でめぐみが読んでいるのは、トラウトの新作『ドーベルマンは吠える』。いわく「ジム・トンプスンとラファティを足して二で割ったような」作品とのこと。



この最終エピソード3話では、山岳遭難の救助と並行してめぐみの出版社での仕事が大きな比重で描かれる。
売れずに返本されてくる本の山にショックを受けるめぐみ。めぐみが営業先で見たタイトルも多く含まれている。 彼女は、せめて古本屋に引き取ってもらえないかと働きかけて、上司に叱責される。
工場で裁断される本に、路上にうち捨てられた雑誌。

 



これらはすなわち、めぐみにとっての「救えなかった子供たち」であり、第1エピソードの一宏の行動と心情に重ねられている。

めぐみはその後、『ドーベルマンは吠える』の出版に際し、表紙デザインに人気イラストレーターの起用を提案する。テレビに映ったそのイラストレーターの書斎にトラウトの本があるのを見て取り、トラウトのファンなのではないかと思ったからだ。
めぐみの考えはあたり、イラストレーターは表紙デザインの依頼を快諾する。

新米ゆえの失敗と、努力と、ささやかな成功。めぐみはまさに、仕事の醍醐味を味わった。
つまり第1エピソードで一宏が味わった挫折は、新社会人が仕事に向き合ったとき等しく味わう種類のものだということが、ここで改めて示されている。それに気づいて、一宏は立ち直るのである。

「少年の旅路」前後編と最終話に『ライ麦畑』が再び登場し、『よみがえる空』というタイトルの意味が明らかになり、シリーズは静かに幕を閉じる。ちなみに、クレジットはされていないが、最終話で病室のシーンの絵コンテを描いているのは、高山本人とのこと。

高山は、航空救難という特殊な仕事を扱う作品であっても、「普遍性のある作品を目指したので(軍事マニア向けに作るのは避けたかった)、特別な職業の人間を描くのではなく、普通の働く若者が社会に出た時に直面する、迷いや悩みや喜びを描こうと思った」と語っている(BD-BOXブックレットより)。
普通の若者の人生と仕事を代表しているのがめぐみなわけであるが、そこで一宏とつなぐための横糸に選ばれたのが、人類の英知の結晶たる「本」だった。

体育会と文科系ではないが、ガテン系公務員の仕事に対置させる対象として、出版業そして本を選んだそのセンスに、とても感動を覚える。




2018年11月13日(火)
『GODZILLA 星を喰う者』

ここしばらく引用ばっかりだったが、久々にまともな記事。
どうせつまんないだろうと思いつつ、過去2本も観たので乗りかかった船で観に行った。
とはいえ、金を使うのがもったいないので、最近、今更ながらに作ったTOHOシネマイレージカードで、6本観たら1本無料制度を利用してみた。

最初に言ってしまうが、失敗作には違いない。だがこうして三本通して観ると、やりたいことが明確で、その着地点に向けて真面目に考え抜かれた作品であることはよく分かった。
本作におけるゴジラは、圧倒的に強大な、超越的存在である。はっきり神と言ってしまってもいいだろうが、無力で愚かでちっぽけな人間がそうした存在にいかに対峙するか、が本作の一貫したテーマだった。本三部作は、それをそれぞれ違ったアプローチで描いている。
第一作は、知略で。
第二作はテクノロジーで。
そのいずれもに失敗し、第三作は、信仰がテーマになる。
本作において、信仰とは超越的存在に直面して覚える絶望と虚無をただ受け入れることだ、としている。異星人エクシフはそれが高じて、地球も人類もゴジラさえも、異次元の神であるギドラに供物として捧げようとする。主人公ハルオはそれを肯んじることなく、結果的にゴジラはギドラを撃退して、地球を救う。
だが当然、そのことはゴジラから人類の手に地球を取り戻すことにはならない。ハルオは、怪獣を生んだ人類の憎しみの歴史を終わらせるために単身ゴジラに挑み、消えていく。
大変論理的に筋の通った物語展開であり、結末である。

さりとて、筋が通っていれば面白い映画になるかと言えばそうはいかないのが悩ましいところである。
憎しみの歴史を終えなければならないという主張は確かにその通りだろう。だが、具体的にどうすればいいのか?
本作が提示し得た結論は結局、旧人類は滅んで、2万年後の環境に適応したフツア族が生き残るのみ、というものだった。ただ文明を捨てて原始に帰れと言うのでは、あまりに無責任だろう。
人類は人類のまま神に挑み続け、いつか打倒すべきではないか。それこそが未来への希望ではないのか。

  


もう一つ、本作は映画として、あるいは怪獣映画として根本的な欠点がある。怪獣の本質とは、都市破壊者である。いくら巨大だろうが強力だろうが、文明が滅んだ後のジャングルで暴れてるだけの怪獣映画が面白いわけがない。
そういう意味で、そもそもの企画に無理があったというのが結論である。

なおモスラの節度ある登場のさせ方とか、ハルオの名の由来が明らかになるシーンなどは見応えがあった。

2018年11月12日(月)
『劇場版 夏目友人帳 うつせみに結ぶ』

以前から、この作品がなぜこう延々と制作され続けるのかが不思議だった。確かに良くできたいい作品で、私も好きである。しかし良作が必ずしもヒットしないのは世の常だ。円盤がそんなに売れているとは思えないし、パチンコマネーが入っているわけでもない。腐った皆さんに受けているでもない。いったいどうやって収益をあげているのかがさっぱり分からないのだ。
ともあれ、ついに劇場版にこぎつけた本作。パンフレットから気になった部分を抜粋。長くてすまん。

伊藤秀樹(監督)、山田起生(妖怪デザイン・アクション作監)、川添政和(レイアウト監修)の対談記事から。強調は引用者による。また読みやすさのため、適宜改行した。

-TVシリーズと劇場版で何か変わることはありますか?

山田 TVドラマのイメージで作っています。TVシリーズの場合、家に帰ってから、テレビをつけたら観てもらえるもの、人を楽しませるもの。正座をして待ち構えてくれるファンの方も大変ありがたいのですが、パチッとテレビをつけたらやっていて、「意外といい話だったな」とか「猫ちゃん可愛いな」とかそのような作りになっています。
映画はお金を出して観てもらうものなので、頑張らないと。『夏目友人帳』は余計なことをすると作品が良くならない。余計なことをしないでやるべきことをちゃんとやって、押しつけがましくならないように心がけています。今回は映画なので、どうちゃんとやるかを考えました。劇場だからといって頑張りすぎず、普段通りなんだけど、でもお金を払って観てもらうものだから気張らずちゃんとやらないとねとスタッフと話しました。

余計なことをしない。このあたり、重要なポイントだろう。

-川添さんは激情版のどこを主に担当されたのですか?

川添 室内担当になってましたね。夏目の部屋とか容莉枝の家とか。あと市民会館とか。

伊藤 市民会館は大変なんですよ。空間が斜めになっていて広いので捉えどころがなくて、バラバラになってしまいがちなんです。実は今のアニメ業界にパースをちゃんと引ける人って少ないんですよ。なので、そこを重点的に力のある川添さんにお願いしました。

川添 何とか出来てるといいんですけど・・・・・・。

伊藤 やり切ってもらいました。

山田 レイアウトは川添さん、冨永さん、伊藤さんの3人で直してほぼ全カット描き切ったようなもんだよね。部屋の中一つ取っても、ちゃんとあるべき所に窓や柱があったり、あるべき所から夏目が入ってきたり、あるべき所にニャンコ先生が寝てる、あるべき所に山があるというのがさりげなく描かれている。

(中略)
-市民会館のどんなところが大変だったですか?

川添 実物があるものだから。でもちょっと緑は多めにしました。

伊藤 内装も外観もすごく複雑な形で。それが気に入って設定に選んだんですけど。

川添 元参考がちょっと古くて、今はちょっと違うんです。

伊藤 椅子やモブキャラも出てくるから大変なシーンで頑張って頂きました。

川添 室内は皆さんが観て、いつもと同じように感じてもらわなければいけないので。

伊藤 すごいというよりも安心して観てもらえるというのがレイアウトの仕事なので。

山田 例えると、ベースがしっかりしたバンドみたいな感じ

伊藤 そう。ベースがしっかりしてないと不安になっちゃう。

以前の金山氏の話と併せて考えると、パースがちゃんと引けて、しかも必要に応じて歪ませて描くこともできなければいいレイアウトにならないわけで、大変な仕事である。「ベースがしっかりしたバンド」とか、金言の宝庫。

-劇場版のテーマをどのように捉えていましたか?

伊藤 僕の立場で一番気をつけたのは、ちゃんと「夏目友人帳」になっていないといけない。まがいものにならないように心がけました。原作を改めて読み直して、TVシリーズも改めて全部観て、原作から主要なセリフや原作者の緑川先生のあとがきを抜書きして、「夏目友人帳」とはどういう作品なのかを改めて考え直して、文章も書いてみたりしました。
時間と空間を超える想いみたいなものが、この作品の魅力でもあり描いていることでもあり、単純なものさしじゃなくて妖という訳の分からないものがいて、邪悪だったり純粋だったりするものは、ぱっと見た目だけでは分からない。深く底に想いを沈めることでようやく見えてくる世界が描かれている。それは記憶であったり時間であったり、同じ体験をしていても記憶は全く異なっていたりとか、皆に同じように流れているような時間でも実は重なり合って複雑な世界がそこにはある。
友人帳という小道具がそれを描き出してくる。その世界観みたいなものをきちんと表現できているといいなと、間違えないようにしようと。ある一つの芝居やカットワークもそうですけど、選択肢があったときに表現することが豊かになる方を取るということを気をつけてやりました。
基本的には話の根幹は村井(さだゆき:脚本)さんが出して、もっとこういう方向性にしようというのは総監督の大森さんがやられているので、村井さんと大森さんがやろうとしていることを過不足なくちゃんと「夏目友人帳」にするというのが僕の仕事だったと考えていました。

「選択肢があったときに表現することが豊かになる方を取る」。本作の魅力の根幹を表した言葉だと思う。

伊藤 普段のTVシリーズだと時間が無くて、背景原図に手を入れられないんです。でも佐藤プロデューサーと最初の頃に作戦会議をしたときに「原図を何とかしないとまずいですよね」という話をして、作品の土台になるところなので、背景さんに作業に集中してもらい負担を減らす意味でも、今回は贅沢に川添さんと冨永さんにお願いしようと判断を早めにしました。そこについては最後までやり遂げて頂いたので多大なる効果があったと思います。

川添 普段やろうと思っていても出来ていなかったことをやる機会を頂いた。普段からレイアウト原図は気になっていたんです。だからちゃんとやらないとなと。最初はプレッシャーもあったけど、「室内ね」ってなったから、「いつものやつじゃん」って。いつものやつをしっかりいつものように、観ている人がTVシリーズを観ている感覚と変わらない。そのように見えればいいけど、ほんのり映画としてのレイアウト原図になればいいなと。

伊藤 映画の画面というものに拘りまして。

川添 そう、映画で観るための原図を描こうと意識しました。

伊藤 普段よりちょっと引いた画面になっているんです。寄れば寄るほど楽になるんですが、ちょっと引いただけですごく大変になる

山田 第一期の第一話とかは、ちゃんと組み立てて作ってたし。でも五期、六期までくると、だんだん顔のアップやセリフに頼るようになって。もう一度映像としての「夏目友人帳」をちゃんと出来たらいいねと

伊藤 でもちょっとちゃんとやるってことは、ものすごく大変で。長かったです・・・・・・。

川添 だから大変な方に振る感じでしたよ、二択になれば。やっぱりこっち大変だけどやるかって方向になりました。

佐藤由美(朱夏アニメーションプロデューサー)と、横山朱子(アニプレックスプロデューサー)の対談。

-劇場版の制作にはどのような気持ちで臨みましたか?
(中略)
横山 原作とTVシリーズは各話完結の短編作品になりますので、100分ほどの長編にどう仕立て上げていくのかが大きな課題でした。華やかな長編大作ではなく、多少地味でもこれまで積み上げてきた世界、淡々と静かに流れる空気、ささやかでも心温まる物語を丁寧に描きたいと思いました。(後略)

-内容面ではどんなところに拘りましたか?

横山 (略) 脚本の村井さんから、劇場版だからといって何か特別なことをするのはやめようと提案があり、オムニバス的な見せ方の模索を始めたんです。

これは正解。タイトルはあげないが、劇場版だからと無理をした某作なんかひどいもんだった。

-注目して欲しいところを教えてください。
(略)
佐藤 深みのあるレイアウトだったり、動画仕上げチームの丁寧な仕事など、見ていただきたいところはたくさんあるのですが、強いて言えば容莉枝の最後のシーンです。泣いているけれど本人はその本当の理由に気づいているか分からないという複雑な表情で、作品の中で一番大事にしたいところでした。大森さんと伊藤さんとも何度か議論しましたね。椋雄との時間は容莉枝にとって、どんな意味を持つのだろうということを見る人に委ねる大切なカットですので、注目していただけると嬉しいです。

こういうのこそ作画芝居と呼びたい。
スタッフに愛され、丁寧に作られていることがよくわかるいい映画だった。

2018年11月5日(月)
『伝説のアニメ職人たち』その5

これで最後。2018年に行われた、金山明博氏の再インタビュー。専門学校の講師を務めた際の経験から。

金山 最初、アニメの学校の授業なんてと、僕も甘く見てたんです。現場でこれだけやってきたから、大したことないだろうって。でも授業では、現場ではやらないようなこともあって、結構事細かく説明しなきゃならない。例えば「透視図法」を知っていても、それは一点透視から三点透視まであって、どういう風に説明していくかってことなんですよ。それを入って一発目の授業で生徒に尋ねられて答えられなかったから、「なんだ、作画監督をずっとやってきたって言っても透視図法も説明できないなら、ごまかして八百長で作監やってたんでしょ」って、大きな声で言われましたよ。

(中略)

-要するに、金山さんは現場では実体験としてやってこられましたけど、それを人に説明するにはそのための別の技術が必要になるわけですね。

金山 そういうことです。それが難しいんですよ。だから、荒木(伸吾)さんだって、僕に「金山さん、東映で今講師やってるんだけど、透視図法、三点透視図法って何?」って聞いてきました。だから、これまであなたがやってきたことがそうですって、説明しましたよ。僕らは、パースって言葉を使ってたんです。

-消失点がどこにあって、というやつですね。

金山 そうそう。それだけなんですよ。だけど、生徒は透視図法を教わっても、実際の現場では全部直される。結局それは不動産の図面と一緒なんです。

-映画のレイアウトとは別物なんですね。

金山 そう、生きていないんですよ。だからアニメーターは、あまり透視図法を知らないんです。

-でも、無意識に描いていますよね。

金山 そう無意識でね。だからカメラで見て焦点が真ん中に行った時に、周りがボケたりすると、そこをわざと透視図法を無視して歪めたりするんです。そこが不動産や建築図面などとは違うんです。

-でも、アニメの学校では、それを教えなければならなかったんですね。それは、現場を長年やっていらしたから、こんなことを教えても、という葛藤が出ますね。

本書237-238ページ。

パースが正しいだけでは、アニメのレイアウトとして優れたものにはならないというのは、しばしば聞く話。とはいえ、徒弟制度や一子相伝ではなく理論的に体系立てて教えることは、後進を育て、アニメ産業を維持発展させるためには絶対に必要なことだ。
確か、シャーリー・マクレーンの自伝に載っていた話。マクレーンの通っていた演技教室で、ある日「卒倒する演技」を教わった。それも、「貧血を起こしたとき」「激しい驚き」「恐怖のあまり」「悲しみ」等々で、全部違うのである。この辺うろ覚えだが、貧血の場合は2歩前へ踏み出して、それからゆっくり後ろへ倒れる、驚いたときは体が硬直してから膝の力が抜けて、その場に崩れるといった具合に、事細かにやり方が決まっているのである。その日は、一日中そうやって倒れる練習ばかりしていたという。このマニュアルの上に、ようやく才能やひらめきの出番があるわけ。

今のアニメの教育現場がどういうものか私には知る由もないが、頑張ってほしいものである。

2018年10月24日(水)
『伝説のアニメ職人たち』その4

北原健雄氏のインタビューから。恥ずかしながら私はこの人の名前を知らなかったのだが、『ルパン三世』の第2シリーズ、いわゆる『新ルパン』のキャラクターデザイン、作画監督を務めた人物。
『新ルパン』は、ルパン人気を決定づけた作品として近年再評価が進んでいるようだ。

-でも、こうしたお話を伺っていますと、北原さんと、大塚さん宮崎さんというのは、不思議なご縁というか、すれ違いすれ違いの連続ですね。

北原 そうなんですよ。あの人たちの尻拭いというか、後始末ばかりやってるような(笑い)。

-後始末ですか(笑い)。

北原 で、やってると、またね、途中で帰ってくるんですよ。私の『ルパン』でも最後の二本ぐらい宮崎さんがやってるんですよ。

-そうですね。あの「さらば愛しきルパンよ」とか、どんなお気持ちでしたか。今までのはニセ者です、とかって、なんかちょっと・・・・・・。

北原 無神経だなと思って、実を言うとムッとしてたんですけどね。ホントはキャラクターも直そうかと思ったけども、もう疲れ切ってるもんだから、それでいいっと思ってね、通したんです。

-一応テロップには、「死の翼アルバトロス」と「さらば愛しきルパンよ」にも、作画監督でお名前入ってますけども、直されなかったんですか。

北原 もう全然、手をつけなかった。もう好きにやってちょうだいって。

-でも、ちょっとムッとしますよね。シリーズをずっと頑張って来たスタッフからすれば、あのラストには。

北原 ムッときたんですよ。『コナン』が終わってから、ひょっこりムービーに来て。確かに『カリオストロ』を作った時は僕も、ビックリしましたけどね。さすがに「やっぱり」と思いました。あの人たちは、ホントにうらやましいぐらいの作り方をしますからね。あれにはホント、頭下がります。それを許されるほどの力がね(笑い)。スケジュールをいくらでも持てるような。

本書214-215ページ。

鬱屈した思いの部分なので面白かったというと失礼かもしれないが、言われてみればそういう気持ちになるのも当然だ。
北原氏は2013年に没しているが、パート4及び5を観たらどんな感想を抱かれただろうか。

-でも、こうして見て(作品リスト)びっくりしたのは、まあ、東京ムービーにいらしたからかも知れませんけど。一時、ロボットアニメブームがあったにもかかわらず、ロボットものを一切やってらっしゃらないですね。

北原 あっ、僕、『ガンダム』やってるんですよ。

-ええ、劇場版の『F91』ですね。
(中略)
北原 メカは見ないよ、ということで。そしたらレイアウトも見てくれ、ということになってね。ですけど、結局ね。富野(由悠季)さんと僕、衝突しましてね。あの人も『新・ルパン』の絵コンテなんかやってたんですよ。そういうことで少しは知ってはいたんですけど。あそこでは、もう偉い大将でしたからね。

-サンライズでは。

北原 僕はそんなの知らないからね。で、「今度やることになったんで、よろしく」ということになったんです。そうしたら、「これは違う」って言い始めたんですよ。だから、「私は、ガンダムの世界というのは知らないから、ちゃんと教えて下さい」って、最初はおとなしくしていたんです。しかし、なにかにつけてでかい態度だから、私ももう怒ってね。「こんなの、やれるかー」って、バーンってやって帰ったんですよ(笑い)。そしたら社長が、プロデューサーときてね。「とにかくあと一回頑張ってくれ」って、頭下げられたんですよ。「じゃあ、自宅で絵を見るだけ、作監チェックだけやるから。それでもいいですか」って。「あの人の顔、見るのは、俺もう嫌だから」と。そうしたら「それで結構だからやってくれ、とにかく上映に間に合わしたい」って頼まれまして。それでやったんですよ(笑い)。実はあれは不本意な、もう見たくない作品なんですよ。

219-220ページ。

富野さんもかい。ちなみに、安彦さんのキャラクター自体は「品があって好き」だそうな。

2018年10月23日(火)
『伝説のアニメ職人たち』その3

金山明博氏のインタビューから。強調は引用者による。

-『ジャングル大帝』というのは虫プロの中でも一番制作体制がしっかりしていて、割と破綻を起こさせないようにできていたというふうに聞いています。

金山 そうです。『ジャングル大帝』が唯一の黒字作品というところで、止めてから喋るとか、もう徹底してました。なんていうかな、とにかく大きな紙を使って動かすと枚数を使わないで済むでしょう。引いてみたりとか、徹底して枚数を使わないために、そういう方法をいっぱい使っていますから。まあ、その最たるものは『佐武と市捕物控』ですよね。一本一五〇〇枚なんてありますから。血まで引きセル一枚で、流れたりみたいなものを作ったことがあるんです。

-でも『佐武と市』は村野守美さんも入っていらっしゃいましたし、すごくレイアウトが凝っていましたよね。

金山 村野さんはもう、技術はすごいんですよ。だから僕が初めて作監を『わんぱく探偵団』でやったとき、ここで描いてた原画マンなんて虫プロの一線級ばかりだったんです。私より全部腕の上の人が原画を描いてるわけでしたからね。村野さんでしょう、出崎統さん、それから・・・・・・、トップクラスの人がいろいろいたんですよ。そういえば、この時代で一本原画を描くと、当時は四〇万だったんです。その当時の一流企業の新入社員の初任給が、二万ちょっとだったですね。

-当時はそんなに恵まれてたはずなのに、何で今は・・・・・・。

金山 当時は恵まれていたんです。だから“アニメ貴族”なんて言葉もありました。でも、アニメ貴族と言われたのはアルバイトをやって稼いでるアニメーターですよ。僕らなんてやっぱり安給料だったですよ。とにかくアルバイトはやんない、やったら技術が勉強できないからということで。杉野さんも私も、とにかくアルバイトはやめようと何年も。そしたらいい時期が過ぎちゃって。ハハハ。

-儲ける機会がなくなってしまった。

金山 そう、儲ける機会をなくしてしまった(笑い)。アニメーターの中には、今でも月一〇〇万とか、腕の速い人は二〇〇万とっている人もいるわけですね。それである時、大塚さんに「どのぐらいとったことがあるんですか」と聞いたら、「僕は給料を最高にもらったのは八〇万だったです」と言ってらした。あれだけの人が、ですよ。だからアニメーションで真面目に取り組んだら、せいぜいそのぐらいが限度でしょうね。むしろその下ぐらいの、技術はとにかくあるんだけど七〇%ぐらいで抑えていっぱい描く人、これが一番金を儲けますね。そのかわり、いいものは作りませんよね。当然だと思うんですけど。

-あくまで、繋ぎというか、そういうものでしかない。逆にヤマ場のシーンなんか任せることができない訳ですね。

金山 できないですね。

技術と収入が必ずしも連動しない。アニメーターの収入が問題になって久しいが、こういうのを読むと問題が一筋縄ではいかないことが知れる。

-『あしたのジョー』では、金山さんや荒木さんと一緒に、杉野さんも作画監督としていらっしゃいましたね。

金山 彼は上手いですよ。彼の絵っていうのは、もう一〇代で出来上がっていましたからね。彼はすごいですよ。ただ、もったいないのは早いうちから作画監督になりすぎたんですね。むしろ宮崎さんのような人について、作画監督ではなく原画マンとしてやってたら、もっともっとすごいアニメーターになっていたでしょうね。よく新人の人たちは将来、作画監督になるんだって言うし、生徒なんかでもいますよ。

-多いですね。

金山 だけど、言ってみればプロというのは作画監督になりたがらないんですよ。結局、屑拾いと同じでね、ひどいのが来るとせいぜい七〇%直すのが精いっぱいで、結局、お芝居だとか何とかを直す時間がなくて、顔だけちょっと直して終わっちゃうでしょう。そうすると単なる修正屋じゃないかみたいなね。

以上、本書153-155ページ。

「屑拾いと同じ」……。

-(長浜忠夫監督は)やっぱり視聴率というよりも、ダイレクトに自分がこうやったのを聞きたいというのがすごくあった人ですよね。

金山 そうそう。どっちかというと、虫プロ系の演出家というのは裏の芝居が好きなんです。富野さんもそうなんですね。長浜さんというのは表の芝居なんです。太陽が照っているような、見えを切ってカーッと行くとか。そこが全然違う。そこが嫌だというファンもいれば、そうじゃない、これがいいんだというファンもいて。長浜さんが今も生きていらっしゃったら、面白いなと思うんですけど。

-そう思います。最初の話に出ましたけど、アニメの笑うのも怒るのでもパターン化されたような時代に、今ドキのアニメーターさんと組んだら長浜さんはいったいどういうものを作るのか。すごく気になりますね。

金山 先刻、今のアニメーションでは表情の数が少ないとおっしゃいましたが、これとこれ、二つぐらいしかなくて、この間がないんです。この中間がないということは絵が崩れないんです。この間でいろいろやろうとして微妙な表情を入れると、「眠いの?」とか言われたりしますしね(笑)。いろんな演技をしないほうが楽なんです。その分だけ絵がパターン化していって、一枚の絵としての完成度は増していくし、しかも今は枚数制限がありまして、三〇〇〇枚とかって言われていますからね。ますますそういう傾向が強くなってきている。そういった意味でも『あしたのジョー』の一作目は絵がめちゃめちゃ崩れてますよね。でも崩れてるんだけど、何か情感が二作目とは違うものがあったような気がする。それは何かというと、出崎さんがいろんな表情だとか心理描写で、例えば「目パチ」だって五段階ぐらい考えるようにって言われました。それを僕らが考えて。

159ページ。

一枚絵の完成度が高いかわりに、表情のパターンが乏しい。これは2000年に行われたインタビューだが、以来18年、ますますその傾向は増しているのではないか。

2018年10月18日(木)
『やがて君になる』2話の演出がすごい

本作の主人公・小糸侑は、誰かを特別だと思うことができない。彼女は同じように人を好きになれないという上級生・七海燈子と出会う。
てっきり、きらら枠ならぬコミック百合姫枠と思い込んでいたこの作品。実は『コミック電撃大王』連載で、そのせいか作品自体もいわゆる百合ものとは趣が違うようだ。

2話の演出の凄さに圧倒された。


1 オープニングがすごい
花に埋もれた教室という不思議なビジュアル。

 

ポイントは、燈子と侑には花びらが降り注いでいないということ。そして、侑の足元は水に浸っているらしいこと。

花で顔を隠す二人。

 

仮面と、植物の人形。



美しくも不吉なイメージである。このただ事ではない雰囲気のオープニングに導かれる本編も、緊張感に満ちている。


2 無言の心理描写がすごい
燈子は、生徒会選挙の推薦責任者に侑を指名。燈子の親友・沙弥香はそのことに納得がいかない。
体育の授業中、バレーボールをしながら燈子は沙弥香に考えを説明する。話しながら、燈子がゴムバンドを差し出すと、沙弥香はすぐ後ろに回って髪をとめてやる。これは原作にない、アニメオリジナルの描写。

 

 

言葉を要さない以心伝心のやりとりを描き、さらに「背中を預ける」ことで燈子の信頼を示しているが、沙弥香はまだ釈然としない。だから、燈子の振り向いた側とわざわざ反対側を抜けて行ってしまう。



燈子は沙弥香を信頼しているが、逆に言うと「あくまで信頼でしかない、それ以上の感情ではない」とも言えることを示すシーンである。


3 サスペンスがすごい
下校の途中。侑に「好きになりそう」と言った燈子の真意を問いただしつつ、二人は踏切を渡る。点滅する警告灯。下りる遮断機。接近する列車。

 

  

燈子が不意に足を止め、侑はその背にぶつかる。

 

もしかして踏切の中に立ち止まってるんじゃないのか?と思わされて緊張が高まる(落ち着いてよく見れば、遮断機の外にいることは分かるのだが)。
そして電車が通り過ぎ、踏切の向こう側にいる生徒たちの目から隠れた瞬間、侑にキスする燈子。白く飛んだ画面とストップモーションに息を呑む。



やがて遮断機が上がり、生徒たちが渡ってきて日常が戻る。それでも、しばし向かい合ったまま動かない二人。このとき、燈子の側にある電柱が侑の方へ傾いているのが、画面構成上で重要なポイント。



後日の下校途中。校門前で立ち止まり、キスを思い出す侑。キスされたのに何も感じないことにショックを受ける。

 

そのまま、カットバックですぐに件の踏切前に移動するのが効果的。




4 光の使い方がすごい
侑に手を握られただけでドキドキしてしまう燈子の様子を見て、「燈子も自分と同類ではない」と感じてしまう侑。
「特別」を知ってしまった燈子は明るい水面へ消えていき、侑は暗い水中に取り残される。

 

 

自室から明るい月夜を見上げる侑は、燈子に好きにはなれないと伝えようと決心する。このときカメラは上へパンして、夜空は次第に明るくなるが、月を映す前にフェードしてしまう。



喫茶店で向かい合う二人。燈子は植木で顔が隠れている。侑が話し始めようとすると、注文のコーヒーが来て気勢をそがれる。

 

先に話し始める燈子。ここで初めて燈子の表情が映る。
好きになってくれなくてもいいから好きでいさせて、と語る燈子。その瞬間、背後の窓から光が差し、燈子を柔らかく包む。

 

先輩がそれでいいなら、と承知してしまう侑。すると外からの光は消え、替わりに燈子の眼から光があふれ、画面に満ちていく。



 

言葉にしてしまうのもヤボだが、特別な人を想う気持ち、気持ちを受け入れられた、拒絶されなかった喜びは、その人を内面から輝かせる。だから、外光は必要なくなるのである。

絵コンテ:加藤 誠、渡部 周 演出:渡部 周。
2人とも意識したことのない名前だったが、経歴を見るとあおきえい監督の下で『アルドノア・ゼロ』『Re:CREATORS』の演出に携わっており、あおき監督から何かと刺激を受けたのではないかと想像される。今後が楽しみだ。

2018年10月15日(月)
『伝説のアニメ職人たち』その2

石黒昇氏のインタビューから。強調は引用者による。

-でも結局、八ミリ時代にシートをつけていたことで、(テレビ動画に入社すると)いきなり最初から原画を描かれたそうですね。そういった意味ではすごい大抜擢というか。いきなり養成じゃなくて現場だったんですよね。

石黒 逆に東映動画から来た人にとっては、あの(TVアニメの)シートはものすごく難しかったんです。彼らは、いわゆる二コマ打ちでしょう。テレビは三コマでしょう。僕は元々三コマ撮りでやっちゃったものですから、偶然にも、もろにその技術を生かせたんですよ。だから当時いた東映動画出身の人は、全部動画に二コマ用のシートつけて、それを三コマに直してるんだって聞いた時は、なんでそんなややこしいことするんだろうと思ったんですね。

-ああ。自分の中に、三コマで割る感覚がないんですね。

石黒 ないんですよ。だから歩きというのは十二枚のリピートっていうふうに覚えてるんですよ。彼らは。僕は八枚なんです。今でも八枚なんですけどね、世の中は。それが僕は偶然、そういうふうに覚えちゃったんで。だから僕が東映動画に入っていたら、たぶん苦労したろうなと思うんです。

-また三コマのものを、二コマにしなきゃならない。

石黒 そうそう。周囲の連中に、「おまえ、十二枚でやらなきゃダメだよ」なんて言われたんだろうと思うんです。偶然そういう世の中の流れが。

-テレビアニメ時代が、どんぴしゃだったわけですね。

石黒 どんぴしゃなんですよ。本当にね。だからそういった意味で、僕なんかは、テレビアニメというものの申し子みたいなところがあったんです。だから今、デジタルアニメにどんどん切り替わってるんですが、いわゆるデジタルというものが分かって、しかもコンピューターが分かって、それでアニメが分かる人は、本当に少ないんですよ。どっちかになっちゃって、そういう意味での申し子が出てこないと、ダメだろうなと思って。

-この変化に追いつく革新的な人が出てこないと。

石黒 そうそう。アニメというものの技術をもっとよく分かってて、なおかつコンピューターに興味があって。自分の中でないまぜにうまくできるヤツが。そういうモノを、生まれながらに持ってるっていうヤツが出て来たら、また変わる。新しい演出や表現方法が変わって来るな、と。

-今、確かにアニメ屋さんとデジタル屋さんって、すごい乖離しているようですよね。

石黒 ええ。だからゲーム屋さんなんかと話をすると、言葉が違うんで困っちゃうんですよね。だからあれが一言でできるような人ができて来ると。少しは増えてるような気がしますけどね。でも、まあ、やっぱりこれからでしょうね。実際、ハリウッドなんかでは、そういった意味では3Dのアニメをできる、あれだけの作品を作ってるんで、そういう人はいるんだろうと思うんですけど、いわゆる日本のアニメ向きの、つまりもっと安くあげる方法っていうことも考えてね。そういうことができる技術の人っていうのが、もっと増えないと、ダメなんだろうと思うんですけどね。

本書99-100ページ。

テレビアニメの申し子が、『宇宙戦艦ヤマト』を作ってアニメの歴史を変えたのは必然だったのかもしれない。
これは2002年に行われたインタビューだが、まだアニメとデジタル技術の融合がうまくいっていないと認識しているのが興味深い。石黒氏は2012年に逝去しているが、存命だったら今の状況をどう見るだろう。

2018年10月13日(土)
『伝説のアニメ職人たち』

仕事が一段落したので再開。

しばらくこれを読んでいた。『まんだらけZENBU』連載の、国産アニメ草創期のスタッフに対するインタビューの単行本化。本巻所収は大工原章、森川信英、うしおそうじ、石黒昇、荒木伸吾、金山明博、鳥海永行、北原健雄の各氏。まさしく錚々たる面々だが、インタビューが行われたのは2000年前後。金山氏以外は全員がすでに鬼籍に入られたことに、軽く衝撃を受ける。まさに今、残しておかなければならない証言である。

とりあえず、気になったところを摘記しておく。
うしおそうじ氏のインタビューから。強調は引用者による。

-まず『アトム』がスタートした昭和三十八年頃の話を、お尋ねしたいんです。うしお先生は東映動画などができる以前からのアニメ作家で、全セクションをやってきたから、やれたとおっしゃいましたね。ただ実際問題、今度は『鉄腕アトム』がヒットして、TCJなどあちこちの会社が作りはじめます。そうするとやはり描き手が足りなくなってきますよね。そのときピープロは、五人ぐらいしか社員がいなかったと聞いています。そうなるとスタッフを急遽集めなきゃいけないですよね。

うしお それは新聞広告を出すわけ。そうするとウキウキ集まるんだな。アニメの業界でひとつ良いことは、人間の心配がないんです。要するに、募集するとワッと来るんだよ。どんな時代でも。

-でも、使えるかどうかは、分からないですよね。

うしお いや。だから、それで教育できる人間が中にいるかどうかっていうことですよ。うちには政岡(憲三)さんが居たの。だいたい政岡さんには、そういう狙いでお願いしたんだけれど、あの人の教育で三ヶ月やると、一人前になっちゃうんですよ。だから女子校とかからその時期になると、就職の申込みがありませんかって、必ず学校の方から。

-ああ、学校から問い合わせがありますね。

うしお そうすると、今年は最低一〇人は欲しいですからと、お願いする。その中で使えるのが三人ぐらいですよ。

-一〇人採って三人。

うしお うん。三人。だから、その三人が三ヶ月の間に絞られてくるでしょう。すると三ヶ月経つと、もう一人前になるんですよ。

-即戦力になるんですね。

うしお そう、即戦力。これは、政岡さんのおかげですよ。それと募集すると、たとえば一〇人採ろうとしても、それには一〇〇人ぐらい。

-書類選考までに、応募があるんですね。

うしお そう。そうすると、とにかくアニメの仕事がやりたいっていうのは、当時から本当に大勢居たの。ただ中には前歴が、パン屋だったり、新聞の配達員だったり、中には大工やってたなんてね。それで、「おい、大工さん」って呼ばれてるんだ。大工原(章)さんと間違えるんじゃないかと思うけど。当時スタジオの二階をちょうど工事しているときに下りて来たヤツが、どう見ても大工に見えるんだよ。それで僕なんか、「おい、大工さん。ここのとこ、ちょっと具合が悪いから見てよ」って言ったら、うちの社員なんだ、それが(笑い)。 本書64-65ページ。

日本人は昔からアニメ好き。不思議な話である。


うしお それでね。僕が独立していた時に、一番力を入れて金をつぎ込んだのは機械ですよ。キャメラそれから線画台、それから特撮のできる二枚掛けの、いわゆるベルタイプとミッテルタイプ、これに一番金をかけた。だから円谷さんが、棒が独立したって言ったら、すぐ来ましてね。「おい鷺巣くん。君のとこ、すごい機械入れたなあ。独立したけど、こんなに個人で機械をそろえてるのは」って驚いた。でもね、例えばワイドになると、レンズを一本買わなきゃいけない。レンズは当時の金で一本五〇万だったんですよ。それでもどうしても必要だからって入れて、僕は機械が好きだから、自分でテストしたんです。暗室を作って、そこでテストピースを現像して、ちゃんと合成がうまくいってるかどうか、自分で見てね。それで撮影の連中に指示してました。大体、みんなアニメーションって言うと、絵のことばっかり言うんだよ。それは当然だけどね。だけど実は、撮影の要素が非常に大きい。だから特撮とアニメというのを、僕は決して分けてないんだ。(後略) 本書65ページ。

-それで、ピープロに『〇戦はやと』の話が来た時は、一本三〇〇万円の予算だったと以前伺いました。

うしお ええ。どんどん安くしてやったわけ。

-それは、出来ると思われたんですか?

うしお まあ手塚さんのところも海外売りで殆どトントンで、うち自身も赤字を出しましたけれどもね。僕が『〇戦』で成功というか、一応やれたのは、アニメ会社の経営者は、技術的には絵描きで出てる人が多いでしょう。横山(隆一)さんのところもそうだし。だけど、僕の場合は総合的に物事を判断するから、三五〇万で出来る範囲では五〇〇〇枚なんか描けないです。せいぜい三五〇〇枚だよ。もっと減らしたい。減らせる方法っていうのは何かっていうと、セルの繰り返しを使う。それから撮影でカバーする。つまり急降下爆撃なんていうのは、あれは全部一枚一枚描いていたら、大変な費用なの。だからそのために発明したテクニックがあるんです。そのときは初め、苦し紛れで考えたんだけど、レンズの前に割り箸を四本吊るして、そこに小さいガラスをセロテープで巻くと、そこで固定するんですよ。それにタップをつけて、急降下する飛行機のセルを一枚載せるの。あと一番下の大きな絵は、波の絵と航空母艦の俯瞰を描いておく。そして撮影を、はい、一コマ、一コマって少しずつ下ろしていくと、これがリアルな急降下爆撃になる。そんな、レンズ前にものをぶら下げて撮るなんてことは、誰も考えない。僕は昔、鈴鹿海軍航空隊の映画を作っている時に、そういうものをさんざんやったし、それからスチールを全部伸ばしてね。

-背景にしたんですね。

うしお そう、一二〇枚の印画紙にして、それで撮るとかね。つまり全部手で描かないで、なんとか埋め合わせをしようと。そうすると三〇〇〇枚以内で納まっちゃう。飛行機のプロペラっていうのは三枚あれば、あれだけ回るの。そういうテクニックを使うとね。要するに物凄いリアルな雲の絵を渡辺善夫さんに描いてもらって、それを引っ張りでもって、一コマずつ移動する。それでプロペラは三枚で繰り返す。そうすると一〇秒でも二〇秒でも、それで飛ばしてると、立派にワンカットになっちゃうんだ。だからワンシークエンスを幾つに割るかによってカット数が出るけれど、うちの場合はカット数は決して少なくしないですよ。むしろ逆に増やす。

-多かったですね。編隊飛行とかも、いろんなカットでやってて。それも引きセルなんですけれども、動いてる感じがでてました。

うしお そうそう。それから急降下する時に、こっちからバーッと突っ込んでいく。これをワンカットの絵で描かせるんです。今度は裏返しにして、こっちからずっと。そういう編隊飛行なんかをやってると、決して手抜きだっていう感じがしないんです。絵に映らない事には絶対お金をかけない。これが僕のテーゼだったわけ。

-いわばポリシーだったんですね。

うしお そう、ポリシーです。ピープロは終始一貫、絵にならないところにお金は一切かけない。最低必要限度これはどうしてもっていうところは、しょうがないけどね。ピープロっていうのは、そういうものだってみんな認識してくれたわけ。だいたい社長は酒飲めないし(笑い)。本書66-67ページ。

貧乏ゆえの工夫。それでいいんだと思うな。日本映画黄金期には、引き出しを開けもしないタンスの中身をちゃんとそろえていたなどという話を聞くが、もうそれを美談として語るべきではない。
今後引用ばっかりなので、とりあえずここまで。



最近観た映画は
『ウインド・リバー』
『劇場版フリクリ プログレ』
『劇場版夏目友人帳 うつせみに結ぶ』

7月期のアニメでは
『少女☆歌劇レヴュースタァライト』
『はねバド!』
『天狼』

『レヴュースタァライト』の古川知宏監督、2016年末の「アニメスタジオ50社アンケート」の中で、今後注目の演出家として名前の挙がっている一人だった。

今期観てるのは
『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』
『やがて君になる』
『火ノ丸相撲』
『からくりサーカス』
『リリース・ザ・スパイス』

この辺の話はまたいずれ。

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