更新履歴と周辺雑記

更新履歴を兼ねて、日記付け。完結していない作品については、ここに書いていきます。

2018年9月3日(月)
夏休み映画まとめて

○ 『劇場版のんのんびより ばけーしょん』
74分とタイトで、いい映画だった。
いつものメンバーが沖縄旅行に行くというだけの話だが、旅先で友達ができ、別れるのがつらくなり、その気持ちに整理をつけて帰ってくる、という段取りがきちんとなされていて、実に映画らしい映画になっている。TVシリーズでも時折はっとさせられるほど「映画的」な絵があるのがこの作品だが、類似作品が山ほどある中で長く支持され続ける理由はこのあたりにあるだろう。

れんげは沖縄旅行の間に、「灯台」「海」「イルカ」の絵を描こうと決めている。そのミッションを果たせるかがお話の軸になっているが、結果的にイルカの絵は描けなかった。
その替わりに描いた3枚目の絵が、重要な小道具になっていて感心させられた。ドラマ作りに世界の危機など必要ない。
大きな見せ場に夜の海のシーンがあり、アニメで夜光虫の表現をしているのを初めて見た。
パンフレットから、音楽:水谷広実のインタビュー。

 川面監督は作曲の発注の際に色で指定したりもするんです。「ホワイトをこれだけ強くしたいんです」みたいな。監督的には「発注の仕方は分からないので言いたいことだけ言ってあとはおまかせします」ということらしいんですが(笑)。まるで目で音楽を見ているかのような、そういう感覚が研ぎすまされているんだなと思いましたね。


○ 『君の膵臓をたべたい』
この映画には一つ欠点がある。うるさすぎて眠れないことである。

主役も脇役も全員バカで不愉快な奴ばっかりで、開始5分くらいで見切りをつけて寝ることにした。本当は帰りたかったのだが、列の真ん中だったので。なんだけど、不思議なことにつまんない映画に限って眠れないものなんだよね。

そもそも何でこんな地雷物件を観に行ったかというと、実写で駄目な映画でも、アニメ化したら観られるものになるかもしれないという期待があったからである。
結果、駄目な映画をアニメ化すると輪をかけて駄目な映画になるということが分かった。


○ 『カメラを止めるな!』
地元でも公開が始まったので、今ごろになって観てきた。評判通りおもしろかったです。アイデア一つで、低予算もスター不在もなにするものぞ。こういう映画大好き。
ポン!(とりあえず)

上田慎一郎監督の制作日誌に「(編集で)グルーブ感を目減りさせる湿っぽい人間ドラマは限界まで削ぎ落とした」とあって、そうそれでいいんだよ、とまさに膝を打つ思い。

ちなみに『膵臓』と同じ日にハシゴ。映画の極致と最底辺を一日で体験した。

2018年8月30日(木)
『ペンギン・ハイウェイ』

私事になるが、私の小学校は小高い山のてっぺんを切り崩して作った広場にあり、教室から海が見えた。
私にとってはそれが当然だったので、新しく着任した先生が新任のあいさつで必ず「海が見える」ことに言及するのが不思議だった。中学、高校と町中にある普通の学校に通って、ようやくその気持ちがわかった。本作を観て、あの頃が懐かしく思い出される。

主人公アオヤマ君は、本物の海を見たことがないという設定。彼にとって、海を渡ることは大きな冒険である。彼は年上のお姉さんと「海辺のカフェ」で話し合い、お姉さんとともに、ペンギンつまり海を泳ぐ鳥の力を借りて、世界の果てに至る。

アオヤマ君が、ものに動じずいじめっ子にも屈せず、とことん冷静に、科学的に事態に対処していくのがいい。観察し、仮説を立て、実験を重ねて検証し、謎を解いていく。その先にあるのは、意外な、というより物寂しい真実。海を渡り、世界の謎に触れて帰ってきた少年は、少しだけ大人になっている。
大変立派なジュブナイルSFである。

スタッフ的に注目は、演出・亀井幹太であろう。ご存じ『冴えカノ』の監督。残念なことにパンフレットではこの人の仕事には言及していないが、実質的な絵作りはこの人がコントロールしていたのではないか。街の境界を示す高い煙突や、印象的な赤い円筒形の郵便ポスト。特にポストは、画面の片隅にありながら妙に目立つと思ったらちゃんと伏線になっている。
『冴えカノ』劇場版にも期待が高まる。

今調べたら、2009年の劇場版『テイルズ オブ ヴェスペリア』が監督デビューとのこと。意外にも、『うさぎドロップ』('11)より前だ。てか、『文学少女』('10)の絵コンテ描いてたのか!

2018年8月28日(火)
夏休み

夏コミではあまり知人に会えなかったが、生きてます。

昨年暮れにアンプを新調したので、夏休みには『ガンダムUC』を頭から観直していた。いくつか細かい新発見。
2話で、フル・フロンタルと対面したバナージは、去り際に「あなたはシャア・アズナブルなのか」と問う。

 

そのとき、アンジェロもわずかにフル・フロンタルの方をうかがう。
フル・フロンタルに尋常でなく心酔しているアンジェロだが、やはり気にしてはいるのだ。

2話の終盤、パラオの寂れた繁華街。真ん中の看板「BLACK THREE STARS」は一目でわかるが、なぜか今まで気づかなかった右下の看板「RED COMET」。さらに左上には、「SOLOMON」が。



6話で、ネェル・アーガマの追っ手の目をくらます囮となって自爆したガランシェール。
ナイジェルは爆発の直前にガランシェールから離れるようワッツに警告するが、これはガランシェールのエンジンの噴射炎が消えたのを見て異常を察知した(逃走するつもりなら出力を上げるはず)ため。

 

2018年8月27日(月)
真夏の狂気

今年は、例年以上に「夏の甲子園大会優勝投手のその後」にアクセスが多い。常識外れの猛暑のためか、投手の酷使への批判、投球数制限への議論もかつてないほど活発だ。
私の記事が議論のたたき台になれば本望だし、引用していただくのも拡散していただくのも結構だが、一つお願いがある。
どうか「ジンクス」という言葉は使わないで欲しい。
甲子園優勝投手が大成しないのはジンクスなどではない。
炎熱の中で連投を強いられ、あたら才能を開花させることなく消えていった結果だ。この際はっきり言ってしまうが、これは児童虐待の記録である。
肝に銘じて欲しい。

この夏、金足農業の吉田輝星投手は、6試合で881球を投げた。
毎日新聞8月21日夕刊に、こんな記事があった。秋田県は1998年から13年連続で初戦敗退しており、2011年に県が「甲子園ベスト4」を目標に掲げて強化プロジェクトを開始した、というのである。
プロジェクトの中心は元県高野連会長の小野巧氏(63)。秋田高監督として春夏甲子園に7回出場、監督引退後は県教育庁保健体育課に配属されていた。氏は県外から強豪校監督経験者やスポーツ科学研究者などをアドバイザーとして招聘。

「最近では、投手を集めて新型のカメラを使いボールの回転数などを計測・解析し、投球練習に生かすなどしている。科学的手法の積極的な取り込みも奏功したようだ」。

その結果が、この過酷な連投だというのか。
わずか17歳の少年に、学校どころか県を挙げて重荷をしょわせたのか。
呆れ果てて言葉も出ない。



2018年7月17日(火)
人形の肖像

最近、山本弘氏の言うレトロ特撮映画をよく観ている。
その一環で『サンダーバード6号』('68)を観たら、特撮とは別に面白いシーンがあった。
以前、アニメの中の絵画表現について調べたことがある。
これはさしずめ、人形劇の中の絵画表現。レディ・ペネロープの肖像。



こちらがご本人。



スタッフが悩んだかどうかは知らないが、そのまんまの写実主義で行くことにしたらしい。

シルビア・アンダーソンと、本作監督のデイビッド・レーンによる音声解説から。
次作の『キャプテン・スカーレット』について。
『サンダーバード』はあの頭でっかちの人形だが、『キャプテン・スカーレット』では人間に近い等身に改めたら不評だったことに触れ、「あれは人形の進化形ではなかった」と言っていて興味深い。
人形の口を動かすには、当初は手動だったが、後に頭部に電磁石を仕込んで、音声テープと連動して口パクが可能になった。手動の頃は編集でセリフに口パクを合わせていたのだそうだ。人形劇でもそんなにリップシンクにこだわるのか。
表情をつけるためには目を動かす。この眼球は、本物の義眼を製造していた会社に発注したもの。

本作では複葉機のタイガー号が大活躍するのだが、これは本物も使用している。本機を操縦していたのはジョーン・ヒューズという女性パイロット。元イギリス空軍で爆撃機の輸送任務に就いていて、『素晴らしきヒコーキ野郎』('65)では、飛行機の上から通り過ぎざまに鐘を打つというスタントをしていた人だそうだ。
終盤のスタントでは複葉機の翼の上に実物大の人形をくくりつけて撮影したので、空気抵抗が多くて苦労したとか。
本作監督のデイビッド・レーンは『サンダーバード』は子供だましでないのが良いと語る。
「子供は子供なりに理解していて、子供だましには引っかからない。5歳の子供は5才児向けの番組なんか観ない。背伸びしようとして、10才児向けの番組を観るんだ」

アンダーソン夫妻は後に実写番組制作に乗り出す。そこで初めて、「大根役者というものの存在を知った」そうだ。
なお、本作では手のアップは生身の人間のものだが、スタッフの手ですませようとしたら、組合から「俳優の手を使え」と言われて困ったとか。

本作以外にも、いろいろレトロ特撮ものを観た。
山本氏が強く推していた『雨ぞ降る』('39)のダム決壊シーンは確かに凄いが、私がゾクッときたのは別のシーン。洪水の後に疫病が発生し、ヒロインは看護婦として患者の世話をしているのだが、疲労のあまり、間違えて患者の使ったグラスで水を飲んでしまう。
これに気づくシーンのカメラワークが凄いのだ。
水を飲み終えたヒロインがふと患者の方を見ると、その足下、水差しの脇の定位置にグラスがない。そこからカメラがぐるっと回り込んで彼女の手元に、彼女が飲むつもりで水を入れたグラスと、たった今飲みほしたグラスとが並んでいるのが映る!感染した!ということが一発でわかる戦慄のシーンだ。
『桑港』('36)のサンフランシスコ大地震シーン。『シカゴ』('37)のシカゴ大火シーン。そして『大地は怒る』('47)のニュージーランドの大地震のシーン。これ、森の巨木が次々に倒れていくのだが本当にミニチュアとは信じられない出来。

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