今シーズン、ダントツで面白いのが「とらドラ!」。・・・・・・なのだが、何でこんなに面白いのか、非常に語りにくい作品だ。例えば、私は以前「スカイ・クロラ」についてこんな文章を書いている。
この作品は、その出来や面白さに関係なく極めて「語りやすい」作品で、この程度の文章はでっち上げられてしまう。
しかし「とらドラ!」にはこのようなとっかかりがまるでない。別段哲学的なテーマを扱っているわけではない。作画やレイアウトが際立っているわけでもない。鬼面人を驚かす奇抜な演出があるわけでもない。キャラクターの魅力や丁寧な心情描写、テンポの良い演出などは指摘できるが、わざわざ言うほどのことでもなし・・・・・・と黙って観ていたのだが、16話・生徒会長選まで観てちょっと思いついたことがある(なお、原作は未読)。
作中での男女の極端な描き分けである。
平たく言うと、男はとことんバカでガキで役立たず、一方の女性陣は一様に自分の立ち位置や役割に自覚的で、かつ人の気持ちに配慮できる、端的に言って「大人」に描かれているのだ。
これが明白に描写されているのが生徒会長・狩野すみれだ。
彼女は、北村を真に大切に思えばこそ、自分の気持ちを押し殺してでも北村にとってのベストを選択する(いや、お察しの通り、私こういうキャラに弱いんですよ)。
これは大河を思いやって竜児を遠ざける実乃梨や、傲慢なようで常に周囲に気を遣っている亜美についても言える。亜美には「私ってオトナ」とひとりごちるシーンまである。また、この2人は手に職を持ち、自分で食い扶持を稼いでいるのが重要なポイントだ。
これはサブキャラにも言えることで、例えば竜児の母・泰子は一見だらしないが女手一つで家計を支え、竜児を育ててきた人物である。
男性側に目を転じてみれば、竜児と北村は言うに及ぶまい。竜児は生活能力という意味ではしっかり者だが、実際には母の庇護下にある。名前に「児」という字が付くのも象徴的ではある。
そして丁寧なことに、竜児と大河の父はそろって親の責任を果たさないろくでなしとして描かれる。
さて、そこで注目は大河だ。
生徒会長との対比で露わになるように、彼女は女性でありながら、バカでガキで無神経な生活無能力者である(注)。つまり、本作における男女両方の属性を併せ持ち、男女の境界に位置して自由に行き来できるキャラとして描写されているのである。そういえば貧乳なんて設定は「女性性の剥奪」の最たるものだ。
こうしてみると大河は極めて特権的なキャラであり、何となくシリーズの先が見えてしまう気も・・・・・・とここまで書いて気が付いた。これ全然「アニメ版とらドラ!」について語ったことになってないじゃん。「アニメでなければ描けないこと」じゃないし。
えー、まあとりあえず長井龍雪監督の代表作になるのは間違いなさそうで良かったなあと。
注:誤解のないように慌てて付け加えておくが、これらは大河の可愛らしさとして魅力的に描かれている。
'09.3.18追記
「(キャラクター同士の)関係値を動かさずとも、気持ちが揺れることで空気感がかわる、そこから生まれるドラマの魅力もあるんだなということが、この作品を通じての発見です」。「オトナアニメ」Vol.11の岡田麿里女史のインタビューより。
その後の展開を見ていると、大河が竜児を異性として意識し始めるのはまさに関係値の変化であり、特権的な地位を失うことにもなるわけだが、さてどうするのか。楽しみで仕方ない。
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